第33話「死を以て尚も」:A4
「あん?」
光と熱に包まれ、何もかもが感じられなくなった後。
ゼライドはいつの間にか、廃墟と化したイギリス支部の上空に浮いていた。
落ちる――と反射的に思ってしまったが、何故か浮遊したままで、おまけにこれが自然なことだと理解し始めている。
何が起きているのかわからない自分と、前からそうだったような気がしている自分が同時に存在している。
明晰夢でも見ている気分だったが、こんなにもハッキリとしているのは初めてだ。
(イヤ……こりゃ、違うな)
常識を上書きされるような不快感の中で理解を進めたところ。
どうやら、自分は死んでいるということを認めることができた。
正確に言えば、肉体から解放されたらしい。
便宜的に死と表現するものの、思っていた死と随分と違うことに少しだけ落胆する。
風景が現実と同じだ。火山の噴火が止まらない荒野だとか、雲の上の花畑だとか、そういうものの面影は全くない。
特に死後の世界について何か信じていたものがあるわけではなかったが、夢を裏切られたような気分だ。
ただ言えることがあるとすれば――空間が色づいて仕方ないところか。
今の自分には当たり前に見えてしまうが、意志のエネルギーが可視化しているせいで、そこら中に虹の霧が漂っているように見える。
死者の無念、怨念。彼らはこの世にしがみついて、一矢報いてやろうとしている。
まあ、そう上手くはいかないようなのだが……ともかく、そんなものが見えているということは。
(……一足先にご退場ってとこか)
やれることがあるなら役に立ちたいと思っていたし、個人的に結末を見たい事もあった。何より、イアルがうまくやっていけるのかも気になる。
が――『まあいいか』と思ってしまう。
「あれ……ゼライド、さん?」
行く当てもなく適当に浮遊していると、聞き覚えのある声が響いた。
振り向く必要はないが、ヒトだったときの癖でそうしてしまう。
そこにシエラがいることは、既に分かっていたが。
「お前も死んじまったか……ん? 違うのか?」
存在としての振る舞いは自分と同じようで、何かが中途半端だ。
理屈で正しく説明はできないが、第六感というのだろうか。脳で触れて、視て、聴いて。
この感覚を信じるならば、シエラは不安定な状態だ。
感性が現実のものからあまり離れていないようだ。視えているのなら、この虹の世界に違和を覚えている筈だ。
「臨死体験中か」
「よく……わからなくて」
とはいえ、彼女も同様に浮いている。
ゼライドは彼女特有の感覚を頼りに、イギリス支部だったものの周りを検索する。
すると、意志と情報の残滓が肌に伝わってきた。
自分が自分でないような、誰かに操作されているような不慣れさはやはり、気持ちが悪いが。
「頭をぶち抜かれたみてえだな。なんつーか、エイグになりきりすぎてダメージがイコールになっちまってる」
「え、いま、何を……?」
「よくわからん。幽霊の特権らしい」
文字通り、色んな事が手に取るようにわかる。
過去そこで何があったのか、そこにどんな意志が生じていたのか。
おまけに、時間の制約を全くと言っていいほど受けていない。
その代わり、現実の存在に干渉することは難しい。
というより、その気が起きない。
お前は違う世界にいるのだと、逆らいようのない理に言い聞かされているような。
「あのうるさかった女――マルグリットもそうらしいが。エイグを機械と思わず、自分の身体だって感覚が強くなりすぎて、エイグ自体が自分の身体になっちまったらしい」
「よく……わかりませんけど」
「まあわかったところでどうしようもねえな。死んじまったんだから」
役目が終わって、観客席で腰を落ち着けて舞台を見ているような気分だ。
良い観客は舞台に参加したいとは思わない。
ならば、今からPLACEに策を吹き込むような真似をするはずもなく。
自分がこんなに無気力だったことに驚く気力もない。
ふと視たシエラの瞳は、失望と驚きが滲んでいる。
「……そう責めんなよ。幽霊ってやつが本当に好き放題できるなら、世界はこんなじゃなかったはずだ。死んだら魂みてえのがどっか行くんだよ」
実際、自分もどことはわからないものの、何かに招かれている気がしている。
たぶん、こことは違う、死後の世界だ。
おそらくは虚無に等しいもの。
当然だ、死んだからと言っていつまでものさばらせておく理由はない。
再利用するのか、ただ捨てるのか、保管されるのか。そこまではわからないが。
あるいはそれが地獄か天国の選別かもしれない。ロマンがないどころかシステマチックすぎて笑いがこぼれる。
「でも、ファイド・クラウドはまだ」
「だからそういうんじゃなくって……ああ、伝えようがねえ」
まったく違う価値観になったことで、もはや意見は交わりようがない。
シエラからすれば変なカルトに嵌まったようにでも視えているのだろうか。
ゼライドにしてみれば、自分の言うことを理解できないシエラが理解できずもどかしい。
「たまたまお前は喋る死体と話せてるだけ。死人に目ェ開けろって言いたい気持ちは分かるけどよ」
死を受け入れられない少女を見て何も思わないでもないが。
じゃあ実際、どうすればいいというのか?
むしろこちらは、ファイドによって死んだであろう父アグールに会える可能性に興味が向き始めている。
「ま、先に行ってるわ。運よくあっちに戻れたらよろしく言っといてくれ」
ゼライドは雑に手を振りながら、遥か彼方に向かって上昇し始める。
その先に何があるのかわかっていないが、そうすべきという本能に従う。
『――本当に、それで悔いはないのか?』
「だからもう死んだっつって……アア?」
明らかにシエラの物でない声が、すぐそばで聞こえた。
突然の出来事で理解が遅れたが、この声の主は。
『嗚呼、義兄様。どうして……あまりにも、早すぎます』
『俺が殺した。俺が、俺が。責任を、どう取る……?』
続けて、義妹と――世話の焼ける少年の声も。
「ゼライドさん?」
「………」
シエラの声で、呑まれていたと自覚できた。
肉体を、現世に干渉するすべを失い。また、霊の本能のようなものによって諦めることに身を任せていた。
「聞こえたかい?」
気が付いたゼライドの前に、続けざまに声が届く。
今度は、姿を伴って。
「あんたは……」
その人物とは、直接会ったことがあるわけではない。
ただ、目の前にいる青年の霊が、ズィーク・ヴィクトワールだとすぐにわかった。
「この世界とこの身体は意志の疎通が便利でいいね。エイグの通信もこうなんだろう?」
「ズィーク……司令?」
「レイア君の妹だね。直接会うのは初めてになるのに、こんな姿で申し訳ない」
シエラはショックで動けなくなっている。
ゼライド同様に霊になっている、ということは、即ち既に死んでいることを意味している。
ゼライドは目下にあるイギリス支部の調査である程度確信を得ていたが、シエラは初耳だろう。
「さて。僕たちの時間は無限に等しいのだから、談笑したいところではあるけれど。できることなら、急いだ方がいい」
「そりゃあそうだが……」
今更責めたところで、怒りを燃やしたところで、死んでいるズィークをどうこうしようとは思わない。
だがこうして会えたのだから、例の手紙の内容についてくらいは聞いておきたかった。
「アグールさんのことかい? あの人が啓示を受けていないのなら、PLACEの発足はただの偶然だろう」
「じゃあ、あの手紙は」
「たまたま僕の手元に来た。添付されていたデータを適当に流して扇動してみれば、いつの間にやら国家ぐるみのテロ組織の出来上がり」
「……簡単に言ってくれるな」
「勿論色んなことがあったさ」
ズィークは肩をすくめて鼻で笑って見せる。
PLACEの指導者というからもっと狂った人間も想定していたが、思いのほか可愛げも残っているようだった。
「細かいことは後でいいさ。アグールさんも世界の彼方できっと待っている」
その為にも、今は死んでも働けということだ。
生きていた時の癖でため息が出る。
もっとも肺に空気はないし、傍から見れば口を開けただけだが。
「死ねば楽にってのは大嘘だな、まったく」
「あ……」
頭を掻きながらシエラの方に向き直る。
実を言えば彼方に向かいたくて身体がむずがゆいが、ゼライド・ゼファン個人としての意志がまだ抵抗しようとしている。
これで地獄にも天国にも行けなくなったら? まあ、見たこともないものに期待しても仕方ない。散々夢は砕かれている。
「有り物でなんとかするしかねえんだわ、結局」
死んだ幽霊を有り物にカウントするのはいかがなものかと思うが、そうも言ってられない状況らしい。
「ど、どうするんですか?」
「君達のメイドさんと合流するのがいいだろう。現状、あれがたぶん唯一の橋渡しだ」
「ディータが……」
「まあ、死人が語りかけるならともかく、死人に語りかけてくるなんて普通じゃねえしな」
シエラの表情が曇る。
詳しいことはともかく、思い当たるものはあるらしい。
「僕はここで無念のまま死んだ隊員と話していくよ。用があれば呼びかけてくれ」
「おうよ。おら、行くぞ嬢ちゃん」
静止した宵闇の中で、ゼライドはシエラを招いて地平線の彼方を目指す。
シエラも不慣れそうにしながらも、不明な動力で浮遊して追従してくる。
絵面だけ見れば、いつしか見た日本の漫画と変わりない。
問題は自分たちがどう使い物になるかだが。
ひとまず、行くしかない。




