第33話「死を以て尚も」:A3
「申し訳ありません、聞いていて気持ちの良い話ではありませんでしたね」
「……いえ……」
ディータと部屋に取り残される形となったチカは、気まずさに視線を逸らす。
正直、チカは彼女の眼差しが少し苦手だった。
見るだけで、心の底まで洗いざらい見透かしてくるからだ。
――勿論、自分もやっている自覚はあるのだが。
「ミュウ様を説得していただきたいとは言いません。きっと、ご自身で答えを見つけるはずですから」
「……それも、視えてるんですか?」
下手なことを考えて、読み取られるのではないかという恐怖心。
それに耐えきれず、思い切って口にする。
ディータは伏し目がちになりながらも、微笑を浮かべて頷いた。
「何もかもというわけにはいきません。ですが、大体のことは。物を見て触れて、その色と質感や温度を認識するように――その方の表層に出ている感情、想起している記憶、意図するもの。他にもありますが……そういったものが、視えるのです」
「………」
「当然、見るに堪えないものも多くありました。自身の体を呪った夜の数は知れません」
否応なしに見えるというのであれば、こういった集団の中にあるのは苦痛でしかなかったのではないだろうか。
それでも歪まずに過ごしてこられたのは、彼女の人格のお陰だろうか。
「お嬢様――フェスレイリア様のお陰で、余計なことを考えずに過ごすことができました。臆病な方ではありますが、芯のある優しさをお持ちの方でしたから」
確か、レイアと呼ばれていた隊員だ。つい先ほど、テュポーンズの手から解放した。
彼女のことは大して知っているわけではないが、赤の他人な気がせず気になってはいる。
ただディータが言うような人間には正直、見えなかった。
とはいえ、それは。
「きっと、イナ様と同じです。……ごめんなさい、私ばかり話してしまって。これも弊害ですね」
「いえ……大丈夫です」
こちらが話しづらいことを察して、彼女は自分の語る割合を増やしているのだから、責められるはずもない。
それに。
「……だから、イナを好きになったんですか?」
そう思えるだけの熱が、彼女の言葉にあった。
自分と同じように、彼の優しさと、虚無、焦り、それに猜疑心。それに気づいている人間がいることに、安心している自分がいた。
彼女がいたからこそ、イナは自分をギリギリのところで保てていたに違いない。
そして、それを裏付けるのが、この熱。
ディータは微笑を浮かべながら、伏し目がちに視線を逸らした。
「惹かれていたのは事実です、しかしハッキリとしたものではありませんでした」
その言葉にはチカに対する謝罪と、罪悪感のようなものが混ざっている。
「私は特殊なヒュレプレイヤーだそうで、不本意ながら『奇跡の子』などと呼ばれることがあります。プレイヤーしか存在しない少数民族の生まれで、近しい血を混ぜることも珍しくなく――特異な人間が生まれることもしばしばありました」
見た目だけで言えば、彼女がまさにその例だ。彼女の家族の見た目がどうだったのかは定かでないものの、白い肌と毛髪、赤い目を生来のものとして持っている事例は、チカの知る限りでも多くはない。
「これはただの推測なのですが……そうした極限状況での遺伝が、優れたヒュレプレイヤーに対して生存本能を刺激されるようになっていったのではないかと思います」
「……だから、本心からイナが好きかどうかはわからないってことですか」
ディータは弱弱しく頷く。
この世界のことも、『奇跡の子』というのも、正直なところあまり深くは理解していない。
けれど、ディータの物言いはあまりにも。
あまりにも、自分を。
(……そっか)
ディータも、人間なのだ。
幾ら他人のことが分かるといっても。
自分のことがわからないのであれば。
他人を救う手段がわからないのであれば。
「ふふ」
不意にディータが小さく笑い、チカはいつの間にか俯いていた顔を上げる。
「初めてコイバナをしました。思いのほか、未体験も多いものです」
嬉しそうに語るのに、どうして表情はこんなにも悲しいのか。
死を前にしているから?
もっと、彼女は多くのことを知って、楽しく生きていてほしい。
それを叶える力のない自分が、ひどく無力に感じられる。
「そのように思ってくださる方が傍にいらっしゃるだけで、私はとても幸せ者です」
彼女の笑みは、苦難の連続だったとは思えないほどに眩しく、華々しく。
これが近く失われるのだと思うと。
この笑顔がもう二度と動かなくなると思うと。
「ですが、死にゆく者にばかり気を取られてほしくないとも思います」
「……っ」
「死者はもうそこにはいなくなります。残された者は、残された者で何とかするしかありません。そのことだけは、気に留めていてください」
理屈では分かっている。
だがいずれ来る喪失が近づいている今、うまく処理できる自信などない。
離別した両親とは違う。死によって再会する可能性の一切がなくなるのだ。
「辛いこととは思います。それを強いるしかない状況も、できるなら避けたいことです」
「……時間がないから、仕方ないと思います」
「しかしまだその時は来ていません。できることがあれば、手をお貸ししたく存じます」
そうだ――何を勝手に悲しんでいるのだろう。
まだ彼女は終わっていない。
今から悲しみに暮れていては、生きている彼女を勝手に殺しているようなものだ。
あるいは、意外と長く、何年先も生き続けるのかもしれない。
少なくとも、このまま溺れそうになっていてはいけない。
「……お強いのですね」
「きっと、イナはうまく受け止めきれないと思うので」
それに、これに関してはチカとディータのかかわりが薄いのが幸いしている。
だがイナはそうはいかないだろう。
彼女に支えられる場面も少なくなかったのだから。
「しかし、貴女にもきっと苦難がある筈です。癒えぬままに増えている傷も視えます」
「全部受け止めます。受け止めて、イナの手を引いて、背を押します」
それが自分に課せられた――それ以上に、自身で使命だと感じていること。
たとえ、狂気に足を突っ込むことになろうとも。
「貴女が支えるイナ様もまた、貴女を支えているのですね」
「……はい。きっと、そうです」
イナはそうは思わないかもしれない。あるいは、無意識に自分たちがそういう風に仕立て上げているだけかもしれない。
それでも、彼のやったことが立派なことだと伝え続けなくてはならない。
それが、イナに守られた人間の役割でもあると思う。
ゆえに、それを伝え続ける人は多い方がいい。
その為にまずできることは。
「どうしても、どうにもならなかったら力を貸してください。できる限りのことは、こっちでやるので」
「分かりました。それが貴女がたの選択というのであれば」
ディータも全てを知らされているわけではないのならば、どれが正しい選択なのかはわからないのだろう。
それを知るためには、やはり、ファイド・クラウドを打ち倒さなければ前に進めない。
イナを祀り上げる――自分で思い浮かべた表現だったが、胸に杭を打たれたような違和感が残る。
ならば、せめて彼を利用するだけにならないように。
「……!」
「お帰りのようですね」
脳裏に触れた想い人の感覚が、その帰還を予感させる。
夜空にはまだ見えないが、彼の存在は確かにわかる。
彼が、ひどく悲しんでいることも。
「……そうですか」
チカを通じて、ディータも大まかなことを読み取ったようだ。
実感が湧いていないものの、イナは既に喪失を知ってしまった。
ディータのことは伝えるべきか――さすがに、急がない方がいいだろう。
下手に虚無感を刺激すれば、今度こそ彼は戦えなくなってしまう。
(そんなことを言って、また私は)
彼の為と言いながら秘密を重ねている。
これがイナに発覚したとき、嫌われてしまうのではないかという不安がまた大きくなる。
自業自得だとはわかっていても、どうすればいいというのか。
迷うチカに、ディータは呆れたような――否、自虐的になりすぎた。自身を落ち着かせるような溜息を小さく吐いた。
「……確かに、ファイド・クラウドは少しやりすぎているようです。駒にされたとあれば、その気持ちが分からないわけではありませんが」
声色の変わったディータを見やる。
しかし彼女は既に窓の外に視線を移し、表情はうかがえない。
ただ、少しだけ。
怒りのようなものが滲んでいるように見えた。
「……なにを」
「私だけにしかできないことです」
今、彼女の苦痛を肩代わりしようと思い至ったばかりなのに。
そんなに覚悟の決まった顔をされてしまっては。
――イナが同じ顔をしたとき、自分はちゃんとその背を押せるだろうか?
自分の中で、答えは出せなかった。




