第33話「死を以て尚も」:A2
「……大丈夫?」
「少しくらい平気よ」
気遣うチカを突き放すように、ミュウは気丈に振舞う。
作業に一段落ついたところで、間も良くディータから声をかけられ、今に至る。
気まずかったため廊下の陰で退室するディータの主人らを見送ってから、ようやくこの時を迎えていた。
そう気負う必要はないのかもしれないが、彼女の話を聞くのが自分でいいのかという迷いもあった。
だが、彼女が呼びかけた以上はそうなのだ。
夜中ながら眠気も忘れたまま、恐る恐る扉をノックする。
『お入りください』
エイグの通信で許可を得て、西洋造りの扉を静かに開き、弱い照明の部屋に入る。
すぐに目に入ったカーテン付きベッドの上に、彼女はいた。
リクライニングで半身を起こし、わずかに開けた窓から吹く風に髪が揺れる。
見慣れたメイド服では、なくなっていた。
薄い病人服を纏い、かつての面影は全くと言っていいほどない。
――こんなに、細かっただろうか?
「こんな時間になってしまい申し訳ありません。できれば、口頭でお伝えしたかったので」
「……どうせ生活リズムもあったものじゃないわ。早速話を聞きたいんだけど」
近くにあったパイプ椅子に腰かける。先ほどまでディータの主人か誰かが座っていたのか、生暖かさが残っている。
隣にもう一脚あったが、チカは座ろうとはしなかった。
「では、情報の共有から――端的に申し上げまして、私の寿命は長くありません」
「……っ」
あまりに淡々と告げられた内容は、簡単には受け止められず眉根が歪む。
隣のチカも言葉を失っていた。
以前から、ディータは体が強くない方だとは聞いていたが。
まさかこんなに突然、死が迫ってくると誰が予想できるのか。
「歪な出自による体に不相応な力の酷使。本来は先の戦闘で散るものだと思っていました」
「……黒いシャウティアが、助けたのね?」
死ぬかもしれなかったという事実から目を逸らしながらの言葉に、ディータは頷く。
「あれは何?」
「この世界の外側から来た――広く言えば、イナ様やチカ様と同じになるかと」
「じゃ、ダンマリは困るわね」
立っているチカに頭を振って促す。
話す相手が限られている状況からして、大方ディータも開示するかさせるつもりなのだろう。
「……私のお父さんとお母さんから、協力者だと聞いてます。たぶん、あれがそうなんだと」
駄目だ、やはりチカからは目新しいものは得られそうにない。
何か推測くらいは立てていそうだが。
「あまりチカ様を責めることはできません。なるべく自然体であることが求められているようなので」
「……じゃあ、アレは何をしに来たわけ? ディータにそれを話したワケは?」
「『啓示』を受けた人物の中で、ファイド・クラウドが独自の行動をし始めたからです」
話を回しているミュウが沈黙したことで、辺りに静寂が訪れる。
『啓示』という、あからさまに異質な言葉の解釈に迷うしかない。だが、ディータもほかに適切な言葉を見つけられないから、これを選んだのだろうから。
「……神様みたいなのがいるって解釈でいいのね?」
「概ねそれで構わないかと」
「ディータは、それを受け取ってる。イナがシャウティアに乗るのも、それが手引きしたから」
「その通りです」
「……その、目的は?」
「わかりません」
そこまで都合よく話は進まないらしい。
「じゃあ、何。目的も伝えないまま、私らに戦争させてるってこと?」
「最終的な目的は分かりませんが、イナ様をその渦中に置くことが重要であるようです」
「………」
嘆息しながら背もたれに身を預け、天井を仰ぐ。
大きな曲道を進んでいるうちに、一周していることに気づいたような徒労感。
「……まあ、いいわ。現状、なんか目的があってそうさせてたのに、ファイドがその通りに動かないのね?」
「ええ。私は詳しい啓示を受けていませんが、黒いシャウティアの主いわく」
「他に誰が啓示を受けたのか分かる?」
ディータは控え目にかぶりを振った。
「私やファイド・クラウドのほか、我々PLACEの指導者であったズィーク様もそうだと思っています」
こちらもアーキスタ同様に音信不通となっている。現在に至るまで情報がない以上は、死んだと思っていいかもしれない。
そう思うと、アーキスタのことが余計に気がかりになってしまうが。
「……アンタは詳しくないって言うなら、それぞれ別の啓示を受けた可能性があるわね?」
「おそらくは。私は単に、この特異な能力でイナ様を支えるようにと。その点で言えばチカ様と似通っています」
では、チカに啓示を与えていないのは何故か?
彼女の両親が啓示を与える側にいたというのなら――駄目だ、掘り下げようがない。
「推測を交えますが……消息がつかめずにいるズィーク様とファイド・クラウドは、おそらくドロップ・スターズから現在、その少し先までの道筋を伝えられていたのでしょう。それを照らし合わせるように組織を動かしながら、イナ様の出現を待ったものと思われます」
(……じゃあ、何? 今までの全部が出来レースだったってこと?)
分かってみれば実に馬鹿馬鹿しくなる。自分の苦悩も、痛みも、何もかも。
そういう思想があることは分かっていながら、それを裏付ける存在がいないからと鼻で笑っていたのが、一転して自分に返ってきている。
ずっと、ソレの掌の上だったのだ。
「ですが、ファイド・クラウドはテュポーンズを蜂起しました」
「……この子がイナを勝たせるのが目的だって言ってたわ。簡単に勝ったら面白くないって趣味の悪さを持ってるにしたって、やりすぎに見える」
「私もどこまでが計画通りなのかはわかりません。ですが、このままではイナ様は負ける可能性があります」
「それを阻止するための黒いシャウティア……まあ、それぞれの役割はなんとなくわかってきたわ」
納得しがたいところは大いにあるが、自分に関与できない以上は無駄に喚いても仕方ない。
一応、チカの話と合致するところはある。黒いシャウティアの話だというなら、信じていいだろう。
それはそれでいいが、ともかくとして。
「で、その神様ってのは、イナが負けたらどうすんのかしらね?」
「分かりません。しかし――よほど大事ならば、黒いシャウティアの他に何か行動を起こしても良いはずです」
「まあ、どうなっても良いって言うならしょうがないけど」
あるいは、黒いシャウティアが手を出せない理由がある。
悪い方には考えたくはないが。
「良心が残ってるって言うなら、まだ勝ちの目があるって認識でいていいかしら」
「確証はありませんが、黒いシャウティアが行動している限りはそう見ていていいかもしれません」
これを猶予があると取るべきか。
結局ファイドが場をかき乱している以上、気を抜けないのは依然として変わらない。
「切り札が、あるのでしょう?」
「……あれに全部賭けるのは、正直ヤなんだけど」
試す用意は整っている。
だが結局、元は敵の物だったというのがネックになる。
「一つ策があります」
ディータの赤い視線が、チカに向く。
今更だが、明らかに光のないその目で、本当にものが見えているのだろうか?
「私がチカ様と交信してモニタリングします」
「ちょっと、それは……!」
万が一のリスクを負うということだ。
彼女なりの優しさなのだろうが、その献身はあまりにも。
(あまりにも……)
命を、軽んじている。
その一方で、彼女が一番リスクを小さく収められると思ってしまう自分がいることが嫌になる。
決められるような立場にあるわけではないのに。
誰が死にに行くところをみすみすと見送れようものか。
という感情すら、今まで戦場に向かう隊員たちから目を逸らしていた自分をあらわにするばかりだ。
今更止める資格はない。
「ご自身の感情を否定しないでください」
ディータは全てを見通しているのか、儚げに笑う彼女に何も言えない。
「戦いを恐れ避けることと、戦地に臨む方を案じることは相反するものではありません。それは命の価値を分かればこそ」
「……けど」
「風前の灯火が大火を起こせるのなら、そうしたいと思っただけのことです」
「……っ」
もはや感情のぶつけ合いになっている。論理で彼女を丸め込むことなどできない。
歯噛みし、拳を握り締め――ミュウは、立ち上がった。
そして、足早に部屋を後にする。
目に溜めた涙を、零しながら。




