第31話「奇跡の予兆」:A3
イナは、ベッドの上で目を覚ました。
フランス支部で一応与えられた自室だが、日が浅く慣れていないためかパーソナルスペースだという感覚があまりない。
最後の記憶は、格納庫でのこと。
また情報の奔流に頭をやられ、気絶してしまったらしい。
おそらくはアヴィナがここまで運んでくれたのだろうが、その姿は見えない。
さすがに罪悪感を覚えてのことだろうが、それよりも彼女と話をしなければならないと思っていた。
『奇跡の子』だとか、作られたとか。
そんなことよりも、彼女自身が疲れてしまっているのではないかと。
いくばくか鋭さを見せるようになったイナは立ち上がろうとして、肌にピリつくものを感じた。
何か異質なものが近づいているような。
明確に表現はできないが、正常な感覚ではない。
誰だ?
その問に答えるように、繋がった。
『ほう、意志の流れを読んだか』
エイグの通信のように頭中に響く、聞きなれないこの声――否、この間聞いた。
世界に向けて宣戦布告したのと同じ声だ。
まさか、という疑いは一瞬で捨て去られ、緊張が走る。
(ファイド……クラウド)
『イナ・ミヅキ君だったな。直接の訪問もできず申し訳ない。こんな時世だからな』
自分は関係ないというような口ぶり。
勝手な印象だったが、最悪の状況を作っている人間とは思えないほど落ち着いている。
否――無関心?
(……ここで、何を)
『そう怯えることはない。少し話がしたいと思っただけだ。そうだな……この場で攻撃することはないと約束しよう。これでいいかね?』
嘘は言っていないが、本当のことも言っていない。そんな曖昧さを感じさせる。
なぜこうも相手の考えていることが、朧気ながら分かるのか?
エイグの通信ではたまに思考がそのまま漏れてしまうことはあったが、ファイドのような人間がそんな初歩的なことをしているとは思えない。
ファイドが勝手に読み取らせるように誘っているのか、あるいは?
『自分の身に何が起きているのか分からないと? ならばその説明もしようとも』
そこまで親身になる理由はわからないが、自身が知らずに抱えている悩みが多いのは事実だ。嘘かどうかはともかく、興味はある。
『どうやら君は他者の意志を読み取る能力に目覚めつつあるようだ。君の中にある概念で換言するならば、『ニュータイプ』が近い』
(……意志を?)
眉根が寄る。
突飛な話だが、それでこれまでのことにある程度の説明はつく。
『認識に主観というフィルターを通さないため、他者の意図や周辺の状況を把握することができる。だが、君はその能力に目覚めたばかりで制御ができず、余計な情報まで読み取り脳がパンクしてしまっているようだ』
覚えがある話だ。
シオンと対峙した時や、先ほどの出撃の時にも。
そのせいでうまく戦えなくなってしまっている。
『全く可哀想な話だ。そうなると知っていながら、知らせていない者がいるのだな?』
(……それは)
おそらくはシャウティア、そしてチカも。
『いずれ知るからいまは知らずとも良い――君を守るようで、都合の悪いことを隠す詭弁だ。君は自身に降りかかる未知の状況に怯えているのに、誰も助けてはくれない』
ファイドに言い返すことができない。実際、そうした状況にあるからだ。
(けど……騙しているようには見えない)
『まあ、君がそこにいることを選ぶのならば無理強いはしない。だが、選択肢は提示されるべきだ』
頭の中で、ゆらめく二色の炎が現れる。
『もちろん、このままPLACEで戦うのもいいだろう。私はいつでも君と決着をつける用意がある。負ければ潔く、死を以て身を引こう』
片方の、水色の炎が差し出された。単純明快なもので、現在の延長線上にある。
だが、こういう時は決まって後者の方が印象深く思わせるようになっている。
ファイドのような相手ならば、用心してしかるべきだ。
『――私に協力する、という選択肢もある』
もう一つの、赤い炎が差し出される。
この状況を作っている人間に手を貸すなど、断じてあってはいけない。
すぐにその判断が下せることに、少しだけ安堵する。
『君が考えているようなことではないとも。君が持つ力で、世界を分解してほしいのだ』
(……分解?)
自分の中で理解しようとして、すぐに合点がいく。
シャウティアのバリアだ。あれは、イナに害するものが触れると消えていた。
『あれは君の拒絶する意志に反応したエネルギーの膜だ。微細な振動によってヒュレ粒子に分解している――それで、モノに溢れ壊れ行く世界を再生する手助けをしてほしいのだよ』
また、嘘とも本当とも言えない。
何か大事なことを隠している。
その過程にある手段の一つとして、確かにイナは必要なのかもしれないが、その先にあるものが見えない。
ならば教えてやろうと言わんばかりに、ファイドは続けた。
『確かに、手の内を見せずに信用しろとも言えん。私の目的は、この世界を物体のくびきから解放することだ』
それは、どこかで。
色んな『どこか』で、聞いたことがある。
争いをやめない人類を管理するため、搾取するため、滅亡させるため。
意図はどうあれ、『最終的に倒されるモノ』が掲げるものに、似ていた。
『これは現実的な問題だとも。私が何も言わずとも、ヒュレプレイヤーの有無による貧困差は如実なものだ。それにかかわる問題も根が深い。少し頑張ったところで、解決できよう物でもない』
(……そうだ)
どこかで、納得してしまう自分がいた。
イナの見てきた架空の世界は、理想を追い求める物語を大衆が好むがゆえに、そういった野望が打ち砕かれるのが常だった。
そうして勝利を収める場面に感動したこともあった。
だが、現実はそうはいかない。
イナ自身、そうした敵に支配される世界になってしまえばいいと思ったこともある。
終わらない紛争。大小を問わない人種差別。
翡翠色の目が原因で迫害されたイナも、その被害者と言える。
ゆえに、ファイドを強く否定することは、できなかった。
『確かに生物としての人間は死ぬだろうが、言わば生活様式が変わるだけだ。私はそれを少し導くだけで、管理など柄ではない。責任は果たすがな』
悪いことを言っているようには思えない。
確かにしっかりと理解するにはもう少し具体的な説明が欲しいが、それの何が悪いのかと思ってしまう。
――だが、不意に胸の傷が疼いた。
(……ッ)
『ほう?』
痛いと思うでもなく、ただ傷が己の存在を主張するような疼き。
この傷は、チカと同時についてしまったもの。
できれば思い出したくないことだ。
(でも……これは)
うまく言えないが、パッと思いついた言葉を使うならば――アイデンティティ。
自分を表し、チカとの繋がりを表すもの。
肉体を捨てれば、これも消えるのか?
傷だけではない。
この体で感じること、感じたことは。
『……自力で解脱をしたのなら、あるいはと思ったが。実体に拘らねば自身を定義もできんとは』
当てが外れたというような調子の声にはっとなる。
ファイドの話に流されそうになっていたのか?
『まあいい。君がそれを選ぶのなら、相応のものを用意している』
どうせ、碌なものではないのだろう。
『それを見た後で、もう一度君を訪ねよう。君が背負うものは重いのだから――それを助けたいのだがね』
思いやるような言葉も、今となっては怪しむ理由を増やしていくだけのはずだ。
イナがファイドに協力することへの確信があるのだろうか?
そう思えば余計に警戒するが。
『神のいいなりは、嫌だろう?』
(な――ッ)
通信が切れる。
意志を読み取れるならファイドの居場所を、と思うが、能動的なやり方を知らないのでは眉間に皺が寄るだけだ。
(……ia)
窓の外を見やり、空の彼方を仰ぐ。
ファイドは具体的な名前は出さなかったが、イメージは乗っていた。
イナの中にある『シャウティア』の小説の情報を読み取ったとでもいうのか。
――あるいは、ファイドはiaと直接のつながりがある?
他にもつながりのある人物がいるとすれば、それは誰だ?
真っ先に浮かぶのはチカだが。
(……あんまり疑うもんじゃない)
先ほどファイドに言われた言葉が妙に心の中に残っているが、反抗心からそれを突っぱねたくなっている。
その一方で、アヴィナの言葉も効いている。
――弱いから、安心して接することができる。
それは、チカにも言えることなのではないか?
自分しか頼れない状況にして、うまく操って弄んでいる――そういう風にも取ることができないだろうか?
(……うるさい!)
内側から響く声を奥へ押し込んで、気分を変えるために外へ出ようとドアノブを回す。
そうだ、アヴィナの様子が気になる。彼女を探そう――
そう思ってドアを開けて、思考が止まった。
「あ……」
ドアの先に、チカがいた。
驚きのあまり、加えてチカの動きが素早かったためにその表情は確かに窺えなかったが。
(泣きそう、だった?)
彼女がイナの思いを読み取ったのだとしたら。
いま、最悪のタイミングだったのではないか。
チカに離れられてしまったという、特段何でもないことのはずのこと。
それなのに、こんなにもこんなに頭がぐちゃぐちゃになってわからなくなってしまうのはなぜだ?
(……こんな時にチカの思い一つ分からないで、何が能力だよ)
自分への怒りで拳を強く握る。
それを振るう当てもないまま、イナは脱力してベッドに身を預け直すのだった。




