第31話「奇跡の予兆」:A2
「………」
格納庫のとある場所を目指して歩いていると、イナの異常が察知される。
他者の意識を無防備に取り込んだことで混濁し――気絶した。
助けたい気持ちに突き動かされるが、傍にいるはずのアヴィナを信じて振り返ることはしない。
アヴィナはただ、寂しいだけなのだ。感情にひずみがあってもその根底は悪ではない。
むしろ自分よりも上手くイナに寄り添えるはず。
それにイナのためにも、この経験は求められるものだ。
思っていてやるせないものはあるが、自分には自分のやるべきことがある。
「アンタら、ほんとに似たもの同士ね」
こちらを認識するや否や、溜息を吐いて迎えるミュウ。
白衣のポケットからチョコバーなどの空き袋が見えている辺り、『蒼穹』改めシンフォニアの解析をずっと行っていたようだ。
「ま、私も同罪。アンタがエイグ使ってても解析してたから」
「何かわかった?」
責められるとでも思っていたのか、ミュウは意外そうに一瞬止まってから画面に向き直る。
「……明らかに意味の分かんない数式が出てきたわ。何に何を当てはめればいいのかもわからないようなやつ。この世に存在しない記号も使われてる」
ミュウの後ろから覗き込むが、画面に収まりきらない数式がビッシリと記されている。
勉学はある程度の成績は納めていたが、如何せん中学生レベルでは何かの暗号にしか見えない。
「ただ、これを参照したっぽい形跡が何度もある。それに――さっきの時も」
確信に近いものを感じている口ぶりだ。
「じゃあ、これって?」
「……絶響現象を処理する数式なんだと思う。意味は全く分からないけど、多分そう」
確かシャウティアなんかがやっている高速移動をそう呼んでいる。
問題は門外漢――門外女? ともかく専門の知識がないチカにはこれの意味がミュウ以上にわかっていない。
「確かめるならひとつ、手がかりがある」
顔を上げた彼女の視線を追う。
先ほど帰還し運び込まれたばかりのシャウティアがそこにいた。
「アレが同じ数式を持ってるなら、この数式が絶響現象に関係あるのは間違いない。まあ、わかったところでなんだってところではあるけど」
結局、めぼしい成果は大して得られなかったらしい。
そしてこれを口実にシャウティアのより深い解析を行いたい――そんなところか。
「アンタ、シャウティアと話してるんでしょ? そういうのは教えてくんないわけ?」
「……聞いてみる」
距離はあるが、意識を其方に向ければいい。
イナから離れ沈黙しているシャウティアに対して意志で呼びかける。
時間はかからない。駄目元でも試す価値はある。
■ ■
――意識が時間や物体のない別の空間へ飛ぶような感覚。エイグの通信に似ている。
その中で細い糸で繋がり、その相手がシャウティアだと確かめた。
朧げなイメージが輪郭を持ち、『チカ』になっていく。
「聞きたいことがあるんだね?」
「うん」
自分と同じモノと話すというのはいまだ違和感がぬぐえないが、彼女がイナを支えてくれていた存在に他ならない。
なるべく友好的にと行きたいが、今のところ一方的に情報と多少の指針を与えられる程度。
大した会話もできず、今回もあまり期待はしていなかったが。
「その数式は――『現在にいようとする意志』で、『時流速』をゼロにすることを目指してる。ただ、完全にゼロにすることはできないから、リミッターをかける都合で複雑になってるみたい」
「……時流速?」
すんなりと答えてくれたのはいいが、未知の概念が出てきて首をかしげる。
ミュウを連れてこれればまだ理解が速かったかもしれないが、そうはいかない。
とりあえず記憶することに集中する。
「その名の通り、時間の流れる速度。あなたたちの言う絶響現象は、この時流速を操作することで発生している」
「じゃあ、あなたにも?」
「少し違うものだけど、同じことができる。過去に戻ろうと減速することでゼロに近づいてる」
話があまり理解できていないせいか、これまでにない饒舌さが気になる。
何か気が変わることでもあったのだろうか。
「思ったよりもファイド・クラウドが策を巡らせてるの。教えたからってすぐに対処できるわけじゃないけど、知らないよりはいいと思ったの」
「……私も、そうした方が良い?」
思わずそう聞いてしまったのは、やはりイナのことだ。
彼に関わることを隠したままでいるのが罪悪感となり、今一歩のところで彼に踏み出せずにいる。
彼にアプローチをしながら、心の距離が縮まることを恐れているのだ。
「今は目の前のことに集中させてあげて」
「なら、あなたの数式を見て……私たちで再現とかはできる?」
彼女はかぶりを振る。
「多分無理だし、それができそうなファイドに流出しないほうがいい」
「……既にそうなっている気がするけど」
「あっちはまだ試作品みたいだから。時間の問題だとは思うけど、勝ちの目が無くなるのは避けたいでしょ?」
確かにイナには負けてほしくはない。自分が代われるならそうしたい。
けれどこんな心配の種を抱えてなお、イナが戦わなければならないというのだ。
「……ねえ、本当にイナは勝てるの?」
なぜこのような構造になっているのか、改めて疑問が浮かぶ。
どうしてもイナが勝たなければならないなら、もっと援助をすべきだ。
なんなら、敵を妨害するとか。
既にやっているのだとしても、とても足りているようには見えない。
「あなたたちが人を信じることを教えられれば――その勝利は揺るがない」
今まで彼女はそうは言わなかった。
おそらくこれを伝えることで、イナを『騙す』という方向に向かわせてしまわないように。
あまり自覚はなかったが、思いのほか時間は残っていないのかもしれない。
そして、それを匂わせるということは。
「……何か、焦ってる?」
機械のように素早く返事をくれていた彼女は、明らかに沈黙した。
この場においては相手の意志を読み取るも何もない。
だから、知れるなら知っておきたい。
彼女が、何者なのか。
「ずっと考えてた――あなたはAIじゃない。私と話をしてる感じがずっとある」
「……そうだね、潮時かな」
彼女は観念したように息を吐く。
「これを知ったなら、もう戻ることはできない。もちろんイナに教えるのも駄目」
それは、彼に無駄に思考させてしまうから。今更確認することでもない。
そう。わかる。言葉にしなくとも、彼女のある程度の意図が。
ならば、その実態はどのようにして目の前に現れる?
「私は――」
■ ■
「……!」
余りのショックで通信を切ってしまっていた。
だが記憶ははっきりしている。
シャウティアの頭部、ブレインコフィンと言っていたあの場所に――
「何か、分かった?」
やけに衝撃を受けている様を見てか、ミュウは剣呑に声をかけてくる。
そうだ、元はあの数式について聞いていたのだった。
一旦気持ちを整理して彼女に向き直る。
「……やっぱり、シンフォニアをシャウティアに繋げたい」
「そうすると何が起きるの?」
チカにも余裕がないことがわかるのか、ミュウは簡潔に問だけを返す。
「私が直接サポートに回れる。シャウティアの限界ギリギリまで性能を引き出せる……みたい」
「わかった、何かは掴んだのね。でも、シンフォニアに罠があってシャウティアが壊れるなんてのは避けたいんだけど?」
「うん……うん。わかってる」
それを避ける手段も聞いた。覚えている。説明できる。
だが、あまりにも感情が落ち着かない。
ミュウには何がなんだかわからないだろう。
「……少しだけ、待ってほしいの。整理をつけたいから」
ミュウは嘆息しながら、何を見るでも無さげに視線を逸らす。
こんな姿は見ていられないというように。
「分かったわ。私はもう少し解析を続けてみる」
「……ありがとう」
今にも倒れそうなほど体が震えていたが、手すりを掴みながら通路を歩いていく。
その先にいるシャウティアを、もうただの機械の巨人だとは思えなくなっていた。
これが、イナに強いられていたものと同種であるならば。
今ようやく、自分は彼のことを理解できるようになっているのかもしれない。
世界を救うためとはいえ、こんなのはあんまりだ。
そして、『ソレ』は本当に、そうしてまで救わねばならないものなのか?
混濁する頭の中では、答えを出せそうにはなかった。




