第30話「禍根と残滓」:A1
戦闘が終わったのち、チカとイナは、ゼライドとイアルの乗ってきた輸送機と入れ違いになる形でフランス支部に帰還することとなった。
詳しいことは聞いていないものの、『テュポーンズ』の支配下にあったイギリス支部を調査するために派遣されたのだろう。
ひとまずチカはシートに身を預け落ち着くことはできたのだが、気がかりな事があり心は休まらないままだった。
一つは、疲労から気を失ってしまったイナのこと。現在は仮眠スペースで安静にしているのだが、今にも悪夢を見そうなほどのストレスに見舞われている。
もう一つは――チカが保護し同乗させたライグセリス夫妻のことだった。
アレットからの命令とはいえ、イギリスで活動していた政治家だけを離して、その娘らを現地に残したままということに疑問を抱かないでもなかったが。
「……少し、いいかね?」
ライグセリス議員――フルネームを知らないため、そう呼ぶほかないが――から声がかかり、抱いていた懸念が接近していると悟る。
ちらと氏の隣に座る夫人が眠っていることを確認し、通路を挟んだ先の席にいたチカは、おずおずと頷いた。
「名前を聞いても?」
「……チカ。悠里千佳といいます」
ライグセリス氏はチカの名を噛みしめるように受け止め、「なるほど」と小さく応えた。
せっかくなら氏の名前も聞きたかったが、本題はそこではないだろうから、抑える。
どうせ調べればすぐに出るだろう。
それよりも、おそらく氏はチカの考えている通りの思考を巡らせている。
――目の前にいる少女が、自分の娘と似ている。
チカ自身もレイアやシエラと対面して改めて感じたことではある。他人の空似では片付けがたい面影が、自分にあるのだ。
それを両親から伝えられなかった理由も、おおよその見当はついている。
だが伝えたところで不要な混乱を招くだけだ。
「事態が事態だけに感謝も言えずにいたこと、謹んでお詫びする」
「あ……いえ! やれることをやっただけですので……」
相手がそれなりの議員だという情報が余計な緊張を生んでいる。
自分で言うのもなんだが、ただの学生だった自分は教師より目上の人間とまともに接したことがない。
無駄に粗相がないかと心配になる。
「謙遜することはない。日本支部が狼煙を上げたことでPLACEは攻勢に転じることができたのだから。そこに属しているのならば、是非誇ってほしい」
乾いた笑いで誤魔化す。
どこまで自分のことが伝わっているのかわからないが、「自分はそこの最高戦力と心中を図ろうとしていました」とは言えるはずもない。
「して、君はなぜこのような場所にまで?」
少し、空気が変わった。
威圧的になったというのではなく、先ほどまでとは違う目でチカを見ているような。
(……子供)
戦果を挙げたPLACE隊員として見つつも、やはり外見相応の存在として見てしまうのか。
組織のあり方の歪みが目に見える。
「日本支部はついこの間までは戦闘が皆無の場所だったはずだ。新たに隊員が加わったというのも不思議だと思っていた」
「どうしても支えたい人がいるんです」
目を伏せ、イナのいる別区画の方向に視線を向ける。
しかしどうやら、氏は勘違いをしている様子だった。
軟禁され戦闘の様子を見ていなかったため、やむを得ないのだが。
「貴方がたを助けたのは私ですが、これまで戦って、みんなに勇気を与えてきたのは彼――イナなんです。私は、彼を支えたいんです」
「……そうか」
氏の表情が曇る。奇しくも記憶の片隅にあるレイアの表情と重なるものがあった。
しかし氏は神妙な面持ちになり、チカの蒼い瞳をじっと見据えた。
「君のその誓いに、曇りはないかね?」
心なしか低くなった声と、数多の経験から来ているであろう言葉の重み。
感じようとするまでもなく、受け止めきれないと悟り目を逸らしてしまった。
彼女は、イナにすべてを明かしてはいないから。
「……いい。そこまでの覚悟を強いるような事態になっている時点で、私個人としては敗北している。誰も責めたりはせんよ」
「……でも、私は」
勘違いを指摘したくなるが、氏の言っていることはまったくの的外れでもなく、言葉に詰まる。
「生半可な意志でないことはわかるが、命を張ろうなどとは簡単にできることではない。その恐れは、きっと君がまだ正常でいる証だ」
だが、それでは目的を果たせないかもしれない。
自身の心持が確固たるものでないという事実そのものが――自分を揺らがす。
たとえそれが、彼を想うがゆえのものから生まれたものであっても。
「それでも君は、命を賭けたいのかね」
弱く組んだ手に視線を落とし、ゆっくりと頷く。
彼に負い目があるとしても、自分のやることは変わらない。
「彼が、一番危険な所にいます。それを支えようというのなら、同じくらいの覚悟が要るんです」
それを暴走させた経験から、無意識に抑えようとしているのかもしれない。
だからと言って、今更取り消せるようなものではない。
ライグセリス氏はゆっくりと嚥下するように嘆息し、「そうか」と短く呟いた。
「本部も壊滅した今、私のような没落貴族にできることはないに等しいが――せめて、生きて帰りなさい。戦いが終わったとて、世を託す後進なき世界のために尽力できるほど、私もできた人間ではない」
言葉は重い。しかし、どこか優しさを感じる。
別人と言われたとしても、やはり無意識的に娘と重ねてしまっているのかもしれない。
(……あんなになっていたのなら、余計に)
片や戦いの中で自分を見失い自棄になり。
片や、その後を追うように戦火にすすんで身を投じ。
ファイド・クラウドに負けるわけにはいかないとはいえ、日本支部にシエラを置いていたのも、おそらくはレイアが戦いから避けさせようとしていたからだろうが。
なのにこんな事態になってしまったというのなら――巡り合わせが悪かったにしても、自身を責めたくもなるか。
緊張から出た生唾を飲み込み、チカは氏に向き直る。
いつまでもこの空気の中にはいられない。
「……そういえば、あの。話は変わってしまうのですが」
「何かね?」
「PLACEがどうやってできたのか、ご存じですか」
イナも流れで所属しているだけで、組織の成り立ちを知っているようではなかった。
ざっくりと、ドロップ・スターズ後の復興を阻害している連合軍への疑いから生まれ、イナもそれになんとなく共感することで今日に至っているという認識だ。
ハッキリ言ってイナに連合軍を打倒すべしという高い志などはなく、自分に優しくしてくれる存在に報いたいがために動いていると言った方が正しい。
ゆえにそれが偽に塗れていたものだとしたら――流石にそんなことはないだろうが――という不安の芽を摘みたい意図もある。
もっとも、ライグセリス氏がどれほどPLACEとかかわりがあるのか分からない以上、そこまで期待はできなさそうだが。
「当時の代表者が連合軍の疑念を広め、同志を募り、各国にある連合軍の基地や研究施設からエイグを奪取し集合したのが起りだと聞いている」
「……武装したりしていたんでしょうけど、一般人がそんな簡単に?」
「むろん、軍関係者の協力を得ていたそうだ。だが参加者には単純に混乱や暴力を求めるものもおり、そういったものを今の代表者らが少しずつ浄化していまのPLACEになっていった……というのが私の認識だ」
どこかで聞いた『野良エイグ』というのは、そういった人々も指すのだろう。
だが現在の戦争で見かけないあたり、勢力としては大したものではないようだ。
「思えば、かの『テュポーンズ』が事の発端だったのだろう」
確かにそれならば、連合軍が認知していなかったとしても頷ける。
ファイドが裏で手を引いていた、という単純な構造なのだろうが――では、ファイドは何がしたいのか?
彼の出した声明からはうかがえそうにはない。単純な破壊や支配が目的だとは、あまり思えないが。
「奴の――ファイド・クラウドの思惑は知る由もない。ただ確かなのは、あれを放置すれば誇張でもなく世界は滅ぶであろうこと」
どのような形であれ、それが訪れる。
だがその意図はやはり、明らかにしたいという気持ちが確かにあった。
おそらくは、チカが持つ使命と遠からず関係がある。
「可能な範囲で我々も協力する」
「ありがとうございます」
その視線から親心は滲んだままだが、実感が伴わない以上他人でしかなく、手放しに頼ろうとは思えない。
というのも、おそらくは察されているのだろうが。
愛想笑いを浮かべたところで、脳裏にチクリとした感覚が走った。
思わず立ち上がって目を閉じ、その正体を即座に探る。
イナに何かが起こったのは考えるまでもないが――これは。
(行かなきゃ)
「あ……」
急に座席をあとにしたチカを呼び留めようとしたのかなんなのか、ライグセリス氏の喉元の声はしかし、彼女を止めることはなかった。




