第29話「運命を背負って」:A4
(一瞬で終わらせる……!)
ふたたび絶響現象を起こしたイナは、国を越えて数時間飛行していた疲労を自覚していた。
すぐに動けなくなることはないだろうが、長引かせないに越したことはない。
傍にある巨大な屋敷のような建造物群がPLACEイギリス支部なのだろう。あそこに多くの人質――特に、レイアとシエラの両親がいると思われる。
(……誰も、いないのか?)
ふと、そう思ってしまった。
マルグリットがそういう舞台を用意したとはいえ、陰に隠れていたりはしないのかと。
しかしその素朴な疑問が、不意に彼に向って情報の奔流を浴びせはじめた。
無数の渦巻く感情、建造物の構造や人員のおおまかな位置、エイグの数に至るまで、とにかく煩雑に伝えられていく。
「がッ……⁉」
頭の中で脳が膨張するような――物理的に記憶させられているような感覚。
どうやら通過しているだけでどこかから勝手に放出されているようなのだが、イナは未知の不快感から断片的に情報を得るので精一杯だった。
(止ま……止まれッ!)
どうすれば止まるのか分からず虚空で腕を振り回し、ようやく奔流は収まる。
ただでさえ長距離の移動で疲れているのに、これ以上消耗している場合ではない。
ともあれ、状況はなんとなく把握できた。
既にエイグ搭乗者含め隊員は大半が無力化、非戦闘員は軟禁状態にあるらしい。
肝心の人質の状態についてはわからなかったが――『テュポーンズ』の兵は、既に撤退している? マルグリットがここにいるのに?
しかし彼らがどれだけの規模で動いていたのか、まだ残っているかどうかは明らかではない。
マルグリットを襲った以上、すぐに人質に手を出されてもおかしくない。そういう意味でもこの『一瞬』の間にすべてを済ませる必要がある。
第一にシエラ達を守ることには成功した。このままマルグリットのエイグを破壊してもいいが、それよりも人質の救出が先だ。
PLACE本部は広い。どこにいるかもわからない人質を探すのも一苦労だが、やるほかない。
腹を括って戦場を後にしようとして――肌にピリつく感覚を覚える。
『数1、距離3000。高速で迫ってきてる』
(こんな時に……!)
その正体はわからないが、どうせすぐにわかる。
それに絶響現象下で動いている以上、厄介なものであることは明らかだ。
山々の陰から迫る赤い光。肌に走るかすかな痛みも強まっている。
どことなく覚えのあるものだった。
振り返ってみれば、ここまで彼の所在について失念していた。
一度ファイド・クラウドに利用されていた以上、死亡が確認されていないのならば。
「――オオォォォォォォォォッッ!!!!」
この絶叫は、シオン・スレイドのもので間違いない。
搭乗しているエイグも、チカが乗っていたものと同じ――ルーフェン。
咄嗟に実体化したシャウティングバスタードで、ブレードによる斬撃を受け止める。
特にカラクリもないはずだが、やけに重いのは。
『あのウイング、デタラメな出力してる……!』
言われて見れば、確かに推進器から尋常ではないシャウトエネルギーを放出している。
意志の力で生成しているものならば――いつまでもこんな勢いを維持できるはずはない。
思い出されるのは、暴走したチカの時。
あの時ほどの脅威は感じていないが。
(ガス欠を狙うか……⁉)
人間が、息継ぎせずに叫び続けることができないように。
シャウトエネルギーの連続生成は無限ではないという。
少しの間凌ぐか、不意を突くことができればいいが……この状態でどこまでやれるか。
いや――待て。
チカの暴走のことで思い出されるものがある。
エイグの通信に関しては絶響現象の影響をほとんど受けていない。
シオンが、本部を占拠しているエイグ搭乗者の兵士に通信を送っていれば、既に引き金に指がかかっているかもしれない。
弾が放たれるのは、イナの視点ではまだ先のことであるが。
限界が来て絶響現象を脱してしまったら?
(考えてる暇ァ……ねえッ!)
バスタードをずらしてブレードを逸らし、勢い余ったシオンを脇へ抜けさせるように避ける。
すぐに向き直り掌からシャウトエネルギーを撃ち出してくるのに合わせ、イナもバスタードの刀身を展開し、トリガーを引いて撃ち返す。
「お前がいるからァァッ!!」
いるからなんなのか分からない以上、シオンのそれは不愉快な絶叫でしかない。
顔をしかめながら、射撃する傍らでシャウトエネルギーの球をいくつか生成し自身の周囲に配置する。
(制御、任せる!)
そしてシオンの射線を大きく外れるように飛び上がり、勢いよく斬りかかる。
回避も意識するが、どうしても直撃になるならばバスタードで防ぐ。元より狙いは斬撃ではない。
先ほど作ったシャウトエネルギーの球が、シャウティアの補助を受けたイナの意識に合わせて素早く射出され、不規則な軌道を描きながらシオンに迫る。
ガス欠になったのか動きの鈍いシオンに違和を覚えつつも命中を確信したその瞬間――異様な速度で、シオンが球を回避してみせた。
『イナ、危ない!』
「ガッ!?」
理解が追い付かない間に距離を詰められ、防ぎこそしたが拳をもろに受けてしまう。
(どう、なってる……⁉ 絶響現象が二重に……⁉)
本能的な恐怖で、体温が消えるような錯覚。
これが恐らく、今まで相対してきた敵の気分だ。
理解を越えてしまったがゆえに、対処法が何も浮かばない。
それどころか、またもシオンの記憶らしき映像が脳裏を駆け巡っていく。
ドロップ・スターズによって失われた家族――生きづらい居場所――必要としてくれた存在――戦いを終わらせるための才能――
――戦火を広げるイナへの、憎悪。
断片的ではありながら、さもイナ自身の記憶であるかのような振る舞いに眩暈がする。
先ほどのだけでもかなりの負担だったのに、こうも連続で襲われては脳も疲弊を避けられない。
『まずい、絶響が維持できなくなる……!』
時間がゆっくりと――否、加速していくのを感じる。
相手が例え丸腰でも、絶響現象下での行動は圧縮されて伝わることをイナはすでに知っている。
連続でコアを守る胸部や、頭部を殴られでもしたら、どうなる?
如何に自分が大人しい使い方をしていたかがわかる。
こんなもの、悪意を持って使っていいものではない。
そして今、それをもろに受けることに――
「――…………ッ⁉」
なって、いない。
無意味にも構えようとしたが、一向に衝撃は来ずにいる。
油断させておいての攻撃かもしれないと思ったが、どうやら違うらしい。
周辺、空地問わずに何かが激しく飛び回りぶつかり合っている。
これが絶響現象にいない者の視点だとして。
シオンは今、なにと戦闘している?
レーダーも追いつけていない。
あの、漆黒のシャウティアだろうか?
「…………貴、様ぁ…………ぁ、ぁ!!」
膝をついたまま呆然とするイナの耳に、悪霊まがいの呻き声が届く。
レイアもシエラも行動できなくなっているとすれば、これは――例の、マルグリット。
(まずい、指示を出される……⁉)
なんとか振り絞って絶響現象を起こそうとするが、先ほどのショックのせいかうまく感覚が取り戻せない。
仮にできたとして――それほどの猶予は残っているのか?
焦りが更に周囲を加速させていく。
「このマルグリット・ヒュルケンベルクの戦場を、こうも穢して……到底許されるものではないわ! 下賤で蒙昧で無知無能ゴミ以下の肥詰めがっ!! 人の善意を無視して得た道に先はないわ! 己の行いを悔いるときにはもう遅い! いますべてを台無しに」
『――大丈夫、全部終わったよ』
同時だった。
けたたましいマルグリットのモノローグが、シエラの実体化したドリルで頭部を貫かれて止まるのと。
シャウティアの疑似人格AIではない、本物のチカの声が通信で届いたのと。
周囲に響く、激しい戦闘の音が消え去るのが。
夢でも見ているのかと自身の正気を疑うイナの耳に、改めて状況は告げられる。
「いったい……何が……?」
『人質を救出しました。これから脱出しますが追われるかもしれません! できれば応援を!』
聞き間違いではない。チカがエイグの通信で喋っている。
見ればPLACE本部からチカであることを示すルーフェンの反応がある。
ただし、AGアーマーの状態で。
そういえば、作戦前にチカの所在を確かめていなかった。
どうせ戦闘には参加しないからと。
だが、そこにいるということは?
『……自力で来たってこった』
「なんで――」
『んなもん後だ!』
把握と理解が追い付かない。
細かいところにまで考えが回らないが、ただ確かなことはそこにある。
チカに危機が迫っている。
『まだ動けるな? 近くまで行ってAGアーマーに着替えろ!』
絶響現象がうまく起こせないなどと言っている場合ではない。
まだ敵がいるのなら、殺すこともやぶさかでは――そう思っていたが。
『……待ってください。誰もこっちに来ません』
『あァ⁉』
次々に突飛が起こる焦りからか、ゼライドが苛立つような声を上げる。
『静かすぎます。敵の感じもない』
先ほど感じたのが間違いでないのならば、やはりイギリス支部にはもうテュポーンズはいないのかもしれない。
既に何かしらの目的を果たし用がなくなったのか、あるいは罠を残しているのか。
『……ボウズはとりあえず合流しろ! 嬢ちゃんは人質の守りに集中して大人しく待機! シエラは周りの索敵だけでもやれ!』
(……了解!)
シエラからも疲労とともに了解の旨が伝えられる。
何が起こるかわからない以上、この場を離れるのが先決だ。
さらに焦りが加速する。
だが。
幸運にも、これ以上の戦闘に、イナがこの日身を置くことはなかった。




