第29話「運命を背負って」:A1
日本支部の面々がフランス支部を訪れて、一週間が経とうとしていた。
特にこれといった情報は入らず、依然としてテュポーンズは緩やかな侵攻を続けている。
というのもすべて外から入ってくる曖昧な情報に過ぎず、戦火に晒されていないここは無事というほかはなかった。
戦闘も起こらないままであるため、張りつめていた緊張も次第にゆるんでしまう。
だが、いつかその時は来る。
なればこそ、格納庫ではエイグの整備や改装が行われているのであり。
ミュウも、チカとともに彼女の搭乗していたエイグの解析を続けているのである。
恐る恐ると始めたはいいものの、おそらくは連合軍によってかけられたプロテクトが厄介で、遅々として進んでいないのが実情であった。
「ごめんね、まさかこんなに面倒だなんて」
シャウティアを意識したと思しき意匠の、青い推進器を備えた赤いエイグ――『ルーフェン』のAIへ問いかけるチカに、ミュウは呟くように「べつに」と返す。
不機嫌に見えただろうが、チカの人の良さに甘えているところも否めない。
「むしろ納得してる。こんな状態のエイグを駒に数えることはできないもの」
電源は入るが操作を受け付けない――そんなところか。
「でもこれ、そもそも気になるのは蒼いやつなんだよね?」
チカの視線がルーフェンの背部に接続された大きな推進器に向けられ、ミュウは小さく頷く。
イナによれば飛行時、このエイグ本体は推進剤の燃焼を行っている一方、推進器からはシャウトエネルギーらしきものを噴出して推力を得ているとのことだった。
つまりエイグ自体はさして特別ではなく、この推進器こそが特異性の塊である。
が、そこにアクセスするためにまず本体にかけられたプロテクトを解除する必要があり――現在に至る。
幸か不幸かその一つ一つは大したものではなく、はっきり言って多少齧った程度の知識でも解除が可能なものではあった。
問題はその数だ。いくら単純作業でも、終わりが見えなければ精神も体力も削がれていく。
「……ねえ、なんかこう、スパコン? みたいな機械には頼らないの?」
的確な不意打ちに自身を見透かされた気持ちになり、一瞬手が止まってしまう。
当然、人間が手作業でやるよりも機械の助力を得た方が良いに決まっている。
チカのことについては詳しくないものの、先日の件もあり人の心を読む能力でもあるように思えてしまう。
アヴィナやディータも大概人の心中を覗いているような物言いをしていたが、チカのそれは根本的に何か違うような気がしている。
もとより確信を得ているかのように思えてしまうのは、彼女のことをよく知らないためだろうか?
「……あんまり機材借りるのも悪いから。これで慣れてるし」
「そっか」
それ以上の詮索はないまま、沈黙の中で解除作業が続けられた。
チカのことが気になりもしたが、いつの間にかそれも忘れており。
自分が没頭していたことに気付いたのは、不意にルーフェン側からデータが開示された時だった。
終わったのかは定かではないが、一区切りついたらしいことを認め、大きくため息を吐く。
「いけたの?」
「……どうかしらね。ひとまず自己紹介してくれてるみたいよ」
表示されたものにざっと目を通すが、基本スペックが書かれているだけのようだ。
ルーフェン自身の情報は想像通り大したものはなさそうであるが――
「……これ?」
接続中の外部装備を示す項目があり、より詳しい情報をリクエストする。
チカも斜め後ろから画面をのぞき込むが、表示されたのは精々数文。
「開発コードは『交響』、俗称は『蒼穹』……?」
チカはわからなさそうに首をかしげているが、ミュウにはひとつの推測が生まれていた。
(……エイグのカスタマイズはともかく、このシンフォニアは『造った』ってこと?)
エイグに対応する装備を造ることはさほど難しくはないが、シャウティアのような力をエイグに付与する装備を造ったとすれば、それは大変なことだ。
下手をすれば、ビーム兵器の軍団をクリアしても、次はシャウティアの軍団が襲い掛かってくるということだろうか?
現に――いま目の前にあるこれとは別に、ルーフェンの存在は確認されている。
あまりに絶望的な予想に、血の気が引いていく感じがする。
ならばやはり、シンフォニアを解析したところで勝ち目がない。
ここまで推測が及んで手が止まらないことがあるだろうか。
「続けて」
しかし彼女は、ミュウの心中を知ってか知らずか解析の継続を促す。
「……なんで? これが人為的に作られたものってコト、わかんなかった?」
感情がないまぜになり、震えて嘲るような声が出てしまう。
しかしチカは揺れない瞳でいる。
諦めるなとでも言いたいのだろうか?
「作られたモノなのは、ここにあるエイグだってそもそもは同じはずでしょ。それに、試したいことがあるから」
「……それで、勝てる算段ができるわけ?」
「勝てるかわからない。けど、策の一つにはなると思う」
「それはなに? ちゃんと伝えて」
どうせ解析は自分がやる必要は必ずしもない。
他に任せることになるならば、いま聞けるものは耳に入れておきたい。
「この……シンフォニアを、シャウティアに繋げる」
その発想は、それだけでは意味がハッキリしない。
未知数であるということ。
チカは何が起こるかわからないことに、賭けると言っているのだ。
連合軍が――否、テュポーンズの作ったものだろう。ゆえに暴走の危険もある。逆に、何も起こらない可能性もある。
いくら解析したとて、敵が用意した物を切り札に繋げようなどとは、綱渡りも甚だしい。
そういうものに縋りたい気持ちも理解できるが。
「アンタは何か確信があってそう言ってるの?」
「確信は……ないけど」
目を逸らす彼女は、それに準ずるものを得ていると言いたげだ。
「……シャウティアからアドバイス貰ってるって言って、信用できる?」
解析の手は止まったまま、頭の中で考え込む。
イナとの通信ではなく、エイグ自身の判断で個人に接触しているというのは聞いたことがない。
しかしシャウティアの特異性なら、と思考をやめてしまいたくもなる。
「……私の知らないことを知ってる人が増えて、その人らにうまいこと使われてる感じがヤだけど。最後にそれをやるってなる前に、ちゃんとアイツの許可は得といてよ」
「うん」
とはいえもともとの世界で長く付き合ってきたという仲だ、イナが断れるはずもないだろう。
シャウティアが自分とも話してくれれば助かるが、隠し事をされては意味がないし、やはり自分は状況に流されるしかない。
脇役に意志などいらないと言わんばかりだ。
「とりあえず解析は続ける。当面の目標はルーフェンからのシンフォニアの接続解除、シャウティアに接続するための安全の確保……それでいいわね?」
「うん。私もやれることやってみる」
まるで有効そうな手段を既に持っているかのような物言いだ。
「……イナは、シャウティアは大事なことを話してくれないって言ってたわ。アンタだけに話す理由が何かあるの?」
再び手を動かし始めた傍らで、明瞭な返答に期待せずに問いかける。
聞けば最近は特に会話に乏しいらしいが、自分は話したことがないのだから結局どこまで本当のことなのかはわからない。
まあ彼のことだ、嘘をつける性分ではないだろうが。
「イナじゃ受け止めきれないだろうからって」
ため息をついて天井を仰ぐ。
はぐらかされた気もするが、それで納得できる自分もいる。
「……アンタは何か知ってる側、って思っていいのね?」
「こうすればいいかもっていうのを教えられてるくらいだから。本当にいいことが起こるのかわからないの。私も流されてるだけだよ」
それを教えているのが誰なのかはともかく、本当に自分は主役でも何でもないのだと思わされる。
イナすらそうではないのではないか?
「それを教えてるのは誰?」
「私の親だよ。元の世界で別れてきた」
さらっと言ってのけるが、それがいかに重いことかわかる。
――自分も家族と死別した経験があるからだ。
その共感から、多少の隠し事も許してしまいそうになる。
だが、聞けるならば可能な限り知っておきたい。
「……余計にわからないわ。それがイナに受け止めきれなくても、説明する必要が……責任があると思うわ」
「確かにそうだと思う。けど、それはイナの選択肢を狭めることになってしまうから」
身勝手にも思えるが、少なからず彼を見てきた身としては理解できる部分もある。
納得できないことに対しては突飛ながらも行動を起こせるが、そうでないこと――自分で把握できていないことに関しては、他者の判断に委ねてしまうきらいがある。
無知なまま下手を打つよりはマシなスタンスだと思うが、元々の思考停止を助長することにもなりかねない。
「土壇場での選択を大事にしたいってこと?」
「もちろん、その時に時間は取れるようにしたいって思ってる。けど、結局答えはすぐに出ると思う」
「……最終的な目的は?」
「そこまでは聞いてない。けど、イナを守るようには言われてるから、イナが大事なんだと思う。私もそれは賛成だから、そうしてる」
ここまでペラペラと話す理由も不確かだが、とりあえず嘘は言っていないとするならば。
彼女に指令を出した者、あるいはその組織は、ファイドをどうにかしたいと思っているのだろう。
そこで生まれる、イナの選択の如何については一旦置いておく。そんなものに賭けている計画について、あまり知りたいとは思えない。
それとは別に、一つ確信に変わりそうなものがある。
「黒いシャウティアは、アンタの仲間?」
チカは悩ましげに唸る。
「……あれがそうなのかは分からないけど、協力者がいるっていうのは聞いてる」
かの組織にとってチカがどれほど大事な存在なのかはわからない以上、その情報の信憑性も危うい。
あるいはコンタクトを取って、正式に協力を願い出たいところだが。
あちらからPLACEやイナ個人に手を貸そうという態度がないのはどういう意図があるのだろうか?
時折自分たちを助けてくれるような動きを見せたが、あくまでPLACEの味方でないというのならば。
ファイドを倒したその時、敵になるかもしれないということか?
推測ばかり並べ立てていても仕方がないが。
「じゃあ、これはわかる?」
何か毛色の違う言葉が飛び出すと察知してか、ちらと見たチカの目の色が少し変わった気がした。
しかしミュウは恐れずに口にする。
「イナがあの、テュポーンズに対して勝てない可能性はある?」
それは、チカの正体や目的よりも、正直大事なものだった。
彼女が何か次元の違う者の遣いであるとして、その目的がイナを勝利させるだけのものであるならば。
チカに勝利への道筋を教える必要はない。
敵を弱らせるなりして簡単に踏みつぶせるように働きかければいい。
そうしている様子が見られないのは。
「負けない保証があるとは聞いてない」
妙な納得にため息が出る。
趣味が悪いのか、それもイナの選択を重要視するが故なのか。
ともかく、黒いシャウティアの存在もそれで理解できる。あれは何かしらの保険だ。
であれば悪趣味である線は消えるだろうか。
何としてでもイナを勝たせたいが、なるべくそれはイナの正義感によってもたらされるべきだとでも言いたいらしい。
どうにも、厄介な状況にあるようだ。
彼女の発言の真偽はともかく、それを真と信ずるならば。
未来が定められているというわけではないし、それを左右するのは今の自分かもしれない。
そう思えば自棄になる気持ちもいくらかマシになる。うまく使われているのだとしても、仮初の目的ができたと思えばいい。
少なくとも、イナを死なせずに済むのであれば。
「これで私もアンタの共犯者――といいたいところだけど。私は私で調べて、怪しいと感じたら離反する。文句ないわね?」
「うん、いいよ」
痛いところなどないという自信か、ミュウにできることなどたかが知れているということか。
どちらにせよあまり気持ちのいい反応ではなかったが、まあいい。
この道が正しいと信じて、やれることをするほかは、ない。
何を言うでもなく、お互いにするべきことに集中し始めたその直後のこと。
「――っ⁉」
格納庫に、忘れられていた警報が響き渡った。
しかし今更、自分たちにできることはない。
「解析を続けるわ。ちょっとうるさいけど」
「………」
チカが神妙な面持ちで辺りを見る。
イナの事が心配なのか、落ち着かないでいるようだ。
「どうしたの?」
「……私、行く」
「行く? え――ちょっと⁉」
意図が分からず、急に駆けだしていったチカの背を見送ることしかできない。
自分にできるのは――精々、解析の続きくらいか。
本人の同意を得ないままに深くまで入り込むのは憚られるが。
(見るだけなら、問題ないでしょう?)
物言わぬルーフェンから、返答があるはずもなく。
また独りになったことに嘆息し、ミュウは格納庫の天井を仰いだ。




