第27話「悪意でないのなら」:A4
――痛みで、目が覚めた。
むずがゆさも感じ目元を拭うと、その手も酷く砂にまみれていることに気付く。
耳鳴りに似た頭痛があることも認められた。
体のあちこちが痛むものの、動けないことはない。辛うじて体を起こすことができた。
何が、起こったのか。その一切が分からなかった。
家は倒壊し、あるはずのない隙間からそよ風と月光が無遠慮に入り込んでくる。
ということは、今の時間帯は夜。最後に残っている記憶をたどると、少なくとも4時間ほどが経過しているようだった。
そして、その記憶から傍にあるはずのものが無いことに気付き青ざめる。
一緒にいた兄と、妹の姿だ。
必死に彼らの名を呼びながら、瓦礫の中を駆けまわる。
その最中、妹は壁にもたれて意識を失っているのを見つけることができた。
安否のほどはわからなかったが、ひとまず大きな出血はせず呼吸をしていることを確認し、兄の捜索に戻る。
兄も妹同様、運がいいことを祈る。
神など大して信じてはいなかったが、この時ばかりはそんな都合の良さに頼らずにはいられなかった。
(あの巨人――エイグとか言っていたのは……どうなった?)
自身が操っていたと思しきものは広大だった庭園に転がっている。
もう一体、自身が無我夢中になって取っ組み合っていたものは――月光の届かない森林の中で、煙を上げて眠っていた。
何もかもが突然だった。
家の付近に小隕石が落ちたかと思えば、外殻が欠けたことで露出した中身は鉄の巨人と判明し。
その調査を始めようとしたところで、稼働する同型と思われるものが接近してきたのだ。
当時のやり取りは明確でないものの、命を脅かすものであることは自ら語っていた。
(……そうだ、それで、『エイグ』とやらのコアが開いた)
自分の中に存在しないはずの知識で補いつつ、記憶を取り戻していく。
そこへ乗り込み、戦い、勝利自体はできた。
しかし周辺、と言ってもこの邸宅のほかに大したものはないのだが、それらは甚大な被害を受け、辛うじて一角が形を残しているのが不思議なくらいだ。
急に流し込まれた知識で歪んだ自分を保つことに集中しつつ、家族の存在を手探る。
「返事をしてくれ、兄さん……」
疲弊しきった細い声では、いくら余分に響く環境とはいえどこにも届かない。
「兄さん……」
だんだんと諦念に染まり始め、彼との記憶が呼び起される。
彼は幼い頃から後継ぎとして厳しい教育を受け、同様だったはずの自分はそれを拒み逃げていたが、彼はそんな自分を咎めることなく許してくれていた。
「いずれ貴族のいらない世界が来るだろうから」と。
救いだった――否、今にしてみれば逃避するための、とても都合のいい理由を用意してくれていた。
今こうして身を案じているのは、死んでしまったら今度こそ自分に面倒が降りかかるからであろうか?
「…………兄、さん……?」
罪悪感で自分の本心もわからない中、夜風に乗って不愉快な匂いが鼻を突いた。
想定される事項はただ一つで、確かめようという気も起きなかった。
しかし自身に染み込んだ機械は意志に反して――否、本心だったかもしれない――勝手にその情報を解析し、単純な正解を示してみせる。
それは不安を深め、より自身の想いを錯覚させるものだった。
逃げなくては。逃げなくては。
何から?
責任から。
自分が負うべきで、しかし確かに果たすことのできない責任から。
だが、せめて――妹にその責任を押し付けることになってはいけない。
名を捨てよう。肩書を捨てよう。
学ぶ為のペンではなく、戦う為の剣と銃を握ろう。
そうして妹を連れ逃げて、運よく戦闘を切り抜けながら幾ばくか経った頃。
国際連盟に所属する諜報員を名乗る者からのメッセージが、届けられた。
復興活動を自ら妨げる国連によって、各地で調査・回収が進められている人型兵器エイグを奪取し、反連合組織を設立する作戦を行う――要約すればその作戦への参加要請であった。
復興活動は国連が主導して世界中で行われているものだ。その機会を利用してエイグを接収しているというのはわかるが、文面からすると国連自身が自分たちの活動を邪魔していることになる。
不可解ではあった。自分たちのように偶然エイグを手に入れた何かのテロ組織によるものと思っていたし、その方がまだ自然な解釈だ。
しかし、蓄積した疲労は確実に理性を蝕んでいた。
気丈に振舞っている妹も、まだ幼いのだ。いつまでもつとも知れない。
――『居場所』が要る。
今更帰る場所はない。捨てたのだから。
しかし新しい『居場所』を求めることは許されるはずだ。
何に乞うわけでもなく心中で唱えながら、添付されていたデータを精査する。
それが虚偽のものであると疑う余裕も、今にして思えば無かったのだろう。
逃げたかった。とにかく、苦難から。
死ねるならば、そうしたかった。
それでも自分を踏みとどまらせていたのは、妹の存在と。
どこかで家族に贖罪したいという、女々しい罪悪感だったのだろう。
□ □
「――いいザマよねえ、フェスレイリア!」
下卑た女の声で意識が現在に戻される。
いつから放心していたのか。シフォンはすぐにその答えをくれる。
接近するPLACEの輸送機を排除せよとの命を受け出撃したものの、突如現れた黒いシャウティアに妨害を受けやむなく帰還したのだ。
そう時間は経っていない。
だが、おそらくはシエラやディータ、日本支部にいた面々が搭乗しているであろうことを考えると、嫌でも自分の行いを考えさせられる。
「自分の居場所に弓引く気分はどうだったかしら? いずれこんな姿を見られるくらいなら、さっさと墜としてしまった方がよかったんじゃなくて? ――いいえ、いいえ! あなたはもうその居場所も捨てたのだったわね! あなたはどこにいるのかしら? あなたの居場所はどこにあるのかしら⁉ 誰が拾ってくれるのかしら? いっそ死にたい? いいえ駄目よ! 貴方にはまだピッタリの配役があるんですもの!」
一人でミュージカルでも展開しているかのように身振り激しくまくしたてる女を、付き添いらしい人物は見ているだけだ。
居場所と聞いて、自分は段々と外界を認識していく。
自分が膝をついてうなだれているのは、自宅の、自室だ。
そうだった場所だ。
やたら広く、やたら煌びやかで、本棚には手の届かない場所にまで本が敷き詰められている。
嫌なことを思い出すほど、昔のままだった。
そこから意識を逸らそうと、自問する。
この女は何者なのか?
声自体は聞き覚えがある。以前日本支部に侵攻してきた際、『ブリュード』と共に出撃していたエイグがこの口調だった。
しかし疑問は残る。
何故、自分の本当の名前を知っているのか。
自覚がないだけだったかもしれないが、自分が有名人である自覚はない。
他所の人間と親しく交流していた記憶もなく、本当に心当たりがない。
やたら飾られたその衣装からして、それなりの身分であろうとは推測できるものの。
そんな人間がエイグに乗って戦闘に身を投じているのも不可解だ。
などと考えていることなど知る由もない女は、ぴたりとミュージカルを止めたかと思えばレイアに歩み寄り、ゆっくりと足を上げた。
蹴り上げられると身構えたが、顎に触れた足は速度を上げることはなく。
ただ顔を上げさせ、品性の欠片もない笑みを見せるためのものだとすぐにわかった。
上下関係をハッキリさせるように。
「無様ねえ。無様、無様、無様! けれども私には劣る! 劣ってしまえ! どこまでも堕ちていくのよ、フェスレイリア! 手を汚し、穢し、赤黒くなって落とせなくなったその時に、私があなたの死に意味を与えてあげるわ! その醜い首をお父様に捧げて、その後で誰の首だかわからないようにぐちゃぐちゃにするのよ!」
笑みが崩れたかと思えば、また一人語りが始まる。
元より口論する気はないしそんな気力も起きないのだが、そもそも彼女がそれを想定していないかのようにまくしたてている。
自分に反論を許さない――というより、言いたいことが言えればそれでいいというような。
そのおかげか、妙に冷静さを保てている部分があった。
もっともこの状況で、大声で覚えのない恨み言を延々吐かれては確実に削られるものがあるが。
「だからあなたは勝手に死ぬことは許されないの。おめおめと帰ってきたことは褒めてあげるわ。まあこんな状況で死ねるような人間ではないものね! 根性なしの、無責任な、フェスレイリアぁっ!」
反論する気がないとしても、こうも図星を当てられては歯噛みもする。
敵に従って仲間に銃口を向けさせてまで、守ろうとしたいものは行きたいと願ってはいないだろう。
そうでないにしても――今更守られてもきっと喜びはしない。
おそらくこの邸宅のどこかにはいるのだろうが、会うことができていないので真意は不明だ。それでも、自分が間違いを重ねていることを指摘されるのは想像に難くない。
(……なら、どうしろというのだ)
手足を錠で繋がれ、首輪もつけられてしまっている。
まともに身動きはとれない。
このまま彼女の言う通り名を傷つけ続け、その先に全てが救われたとして、自分はどんな顔でその後と向き合えばいいのだろう。
死ぬことができれば、その方が楽に違いない。
しかしそうできないのは、彼女が先ほど言ったとおりだ。
死ぬのが怖い、という単純な理由もあるが。
せめて少しだけでも、果たせる責任を果たしたいのだ。
きれいごとで飾っても、それが矮小な自尊心だということはわかっている。
こんな風に迫られなければ、背を向け続けていたかもしれない。
(……いや、私の命などもはやどうなっても構わん)
それが無責任なのだと指摘されても今はもういい。
命を天秤にかけられてしまったのだ。
守りたいものは自分のことなど忌み嫌い、守られたくはないとすら思うかもしれないが。
自分にとっては、叶うならば平穏に過ごしてほしい存在に違いない。
自分の命を捧げてそれが得られるのならば。
「その目」
支離滅裂な一人芝居を続けていた女が、急に冷めた表情で声を低くする。
「まだ何かしようと考えている。くだらないことでしょう? 愛するものを守りたいのかしら? 美しいわ! けれど滑稽よ。あなたは利用されるだけ利用されて、薄汚いまま汚名を全て背負って死ぬの。それってとても高潔なことではなくって? この家の害虫でしかなかったあなたが、ようやくこの家の為に働けるのは、とても名誉なことではなくって? ああ、ならば、想いの果てに散りなさい、フェスレイリア! 私がそれを手伝ってあげるわ! あなたの死をこれでもかと飾ってあげる!」
心を強く保とうとしても、やはり自分の弱いところを逐一突かれてはままならない。
助けてほしい――そう思いかけて、すぐに自分で払う。
今更誰に助けを求めるというのか。
あるいはイナならば、この状況もどうにかしてくれるだろう。どうにかしてくれたとして、自分はいったいなんなのか? この先もそうやって人を利用して自分だけ楽をしていくのか?
再起を図るのならば、自分の力だけで対処しなくてはならない。元より、助けなど期待できる状況ではないのだから。
それでも、ああ、それでも、叶うのなら。
諦念でぼやける視界の中、女の狂った笑い声が、部屋中を反響していた。




