第3話「理由」:A1
火が、世界に満ちていた。
それは比喩などではなく、どこを見ても赤色が揺らめいている。
同時に、それが確信として根拠もなく感じられていた。
似たようなもので表現するならば、それを今「知った」といったところか。
この目にうつる映像が夢であることは、すぐにわかった。
そしてこれまでの経験から、もうすぐこの夢から覚めることも。
「来い、エルミラッ!」
不定形の輪郭に対して、俺の――瑞月伊奈のものでない手が伸びる。
視界が炎熱によって歪んでいるのかは定かではないが、その手は俺たち人間と同じ肌色などではない。
かつエルミラと呼んだモノも似たように、一色では形容しがたいものに彩られている。
そして彼女に対して、俺のものでない手は、遠近感という言葉では片づけられないほど伸びているように見えた。
「エルミラァッ!!」
俺でない口から名を叫ばれた彼女は。
エルミラは、妹だ。
誰に教えられたわけでもないが、俺は知っていた。
「お兄ちゃん! ダメ!」
エルミラは己の動揺を表すかのように更に輪郭を歪ませ、兄の心に向けて悲痛に叫ぶ。
だが、この兄は諦めが悪いようだった。
否、どこかで諦めていたが、それを塗りつぶすかのように意志を燃え滾らせている。
しかし、なぜだ。
この兄は、炎に呑まれて死んでしまうから助けようとしているはずだ。
なのにそれは違うと、やはり知識や記憶に相当するモノが内側から訴えてくる。
兄は依然として手を伸ばすも、炎に邪魔されて届いていないらしい。
視界が、更に歪む。
その内でも、エルミラの背後に何かが迫っているのが見えた。
「もう……ダメなの」
そこから感じられたのは、ただの諦念ではない。
全てを尽くしたうえで、もう手段がないことを認める声音だった。
「おまえ、炉が……ッ!」
「待て、もう出発するんだぞ!」
ここは、シャトルのようなものの中らしい。
兄はそこから飛び出そうとして、肩を掴まれるような感覚と共に引き留められる。
「エルミラを見捨てろって言うのか、あんたは!」
「一人の為に皆を犠牲にはできない! それに彼女の炉はもう……」
「――クソッ! エルミラ、エルミラァッ!!」
兄の叫び声に、悲鳴が交じる。
そのまま血を吐きそうな勢いだ。
妹の言う通り、もう駄目だということは理解してしまっていた。
それでも、かすかな可能性を信じて。
兄は、叫び続けた。
続けた、が。
「ごめんなさい」
妹の笑顔が、兄の心を砕いた。
比喩的にではなく、確かに。
それと同時に、妹を彩っていた色も――消えた。
「なぜ……なぜだ……」
エルミラが何をしたというのか。
なぜ俺はエルミラを救ってやれなかったのか。
空虚な心の中を、中身のない疑問が満たそうとして、しかしそれはかなわない。
「エルミラァァァァァァァァァァッッ!!!」
扉が閉鎖され、人々が密集する中に、少年の絶叫がこだまする。
――なんだ、この感覚。
目覚める寸前。あともう少し先を見たいという俺の願いは、半端なままに叶えられた。
全身から温度を奪われるような不快感とともに、様々な情報が押し込むように流れ込んでくる。
無力感。
悲しさ。
怒り。
そして――
憎しみ。




