第26話「霧中、しかして止まぬ」:A4
「……今までこんな爆弾を抱えていたとは」
ローテーブルを挟んだ先、内閣総理大臣たる敷島新は頭を抱えていた。
その光景は向かい合うアーキスタにとって見慣れたものだったが、今回は特に深刻そうであった。
原因は彼が先ほど敷島に伝えた内容にあるのだが、彼の方もどう転ぶのかと肝を冷やしながら事の流れを見ていた。
「……『奇跡の子』」
忌々しげに呟かれた言葉は、神秘的な印象を与えるあまり、御伽噺を語るような空虚さがある。
アーキスタも詳細を知っているわけではなかった。
だが日本支部を任され、隊員を預かる際、イギリス支部司令たるズィークに伝えられたのだ。
いざという時は、彼女が『奇跡の子』であると伝えて構わないと。
日本のような辺境の国でも、暗部から噂話くらいは知っているだろうからと。
『奇跡の子』が何であるのかは伝えられなかったが、知る者に対してはその名を出すだけでもちょっとした番狂わせが起こるものである旨は聞いていた。
その効果をようやく体感し、安堵しているものの。
正直なところ、敷島と異質ながら同じくらいに動揺していた。
「『奇跡の子』がいると知れたら、それこそ格好の的になります。一度所在を知られたとあっては、余計に」
「……異世界人がどうのというのは信じないのに?」
「あまりに不確定ですから。何度か侵攻を退けたというのは無視できませんが、不安定な子供に頼るわけにはいきません」
これにより、日本は理屈の上ではヒュレプレイヤーと最新の戦力を安全に手にできたわけだが。
結局のところ、テュポーンズが攻めてきた際には無力であることは変わりない。
とはいえ連合軍とは違う目的で動く組織であろうから、その可能性は今のところ薄いようなのだが……結局は目の前の大きな障害を無視して、その後のことにばかり目を向けているだけだ。
イナの価値を正しく理解していれば、無理にでも手中に留めるべきなのだが――彼の戦闘回数の少なさと、子供であることが幸いとなってしまった。
「それに、その話が本当ならば余計に離すべきでしょう。脅すような真似ができるほどの余裕はありませんし、ここを攻める理由を一つでも減らしながら、国の利益を考える……これが精一杯です」
しかも、その判断がベストであるかどうかは結果が出るまで分からない。
つくづく誰もやりたがらなさそうな仕事だと思う。
仮にも似たような立場にあるアーキスタは、なんとなく敷島の気持ちが理解できる気がしていた。
「……そんで、私はいつ解放してもらえるんですかね?」
『奇跡の子』に絡む話がひと段落ついたと思い、アーキスタは恐る恐る話題を転換する。
何を隠そう彼の座るソファの後方では、屈強な黒服二人が控え、部屋の外にも数人配置されているのを入室前に確認している。
テロ組織の司令官を簡単に帰すはずはない、当然なのだが油断していなかったといえば嘘になる。
むしろ今までこうならなかったのがおかしいのだ。
用が済んだのなら、今すぐにでも処分されてもいいはずだ。
勿論、死にたくなどはないが。
「そうですね、仮にもテロ組織であるのなら、人質としては機能しそうにはありませんし」
人望のなさを突かれているようで刺さるものがあったが、否定はできない。
一部の優しい隊員は躊躇するかもしれないが。
正直なところ、アーキスタに組織としての価値はないといいっていい。
(……これでもがんばってたつもりなんだがなあ)
やっていることを話したとしても、今一大変さが伝わりづらい仕事という自覚はある。
だが、もう少しこう、報われてもいいような気がしていた。
「旗手となって反乱を企てられても困りますから、ひとまずこちらで預かることにしましょう」
「ほっといても起こりそうとは……思わないので?」
「起こったら仕方がありませんが、特に起こす理由はないでしょう」
急に占拠されたことに不満は募るだろうが、これまでに運営に難があったのは事実である。
戦闘もこれまでほとんどあったわけでもないし、いざ攻め込まれても大して抵抗できないだろう。
となれば、大人しくしているのが最善だと彼らも理解するはずだ。
「……まあ、拒否権もないので従いますけども。総理はどこまで見据えてるんです?」
「目の前のことで精一杯ですよ。ある意味ではあなた方を信じています」
イナたち――敷島らにとってはエイグを使える強者たち――がテュポーンズを斃さなければ、いずれにしろ未来がないとは、朧げながらに思っているのだろう。
正直アーキスタも現状を正しく把握できてはいないものの、それは暗雲立ち込めるもので、おそらくイナにしか破れない。
他力本願であることは百も承知。
だが身の程を弁えなければ、余計な犠牲が増えるだけだ。
その点、ディータの策は功を奏したし、敷島らが少年兵に敏感過ぎないことには感謝しかない。
(……まあ、あいつは何かしら制限されても何とかしそうだが)
問題は人の好さと不安定な精神面か。
そう考えると途端に、ここまでが奇跡的な展開であるように思える。
(天の配剤……天、神……ねえ)
アーキスタは特定の信仰を持っているわけではなかったが、ここまで非日常が当然のように流れれば、そうしたものに溺れる者の気持ちもわかってしまう。
もっとも実在するとしても――人類を混迷に陥れている以上、ロクでもないのは疑いようもない。
ひとまず選抜部隊の無事と勝利を祈りながら、アーキスタは狭い部屋の天井を仰いだ。
(そういえば……レイアは無事だろうか)
イナらの帰還によって作戦の成功はわかっていたが、ディータの読み上げた名前の中にレイアのものはなかった。
彼女がいればもう一つ手札があったのだが、聞こえなかったので切ることはなかった。
移動を頑なに拒む姿は想像できない。シエラやディータが行くのなら、余計に同行を希望するはずだ。
それがないとすれば――最悪の事態を想像して、 目を細める。
(……俺にゃ、もうなんにもできんなあ)
嘆息して、アーキスタはそのまま目を閉じた。




