第26話「霧中、しかして止まぬ」:A3
格納庫には、これまでにない緊張感に包まれていた。
本来、敵対する者が一人もいない状況だというのに、そこはまるで膠着状態の戦場。
下手に刺激をすれば、全員が銃を向け合うことだろう。
その中心――多くのエイグの足元にて、二つの組織の代表者が対峙している。
PLACE側の代表は、ディータ・ファルゾン。その後方に、イナも合流したチカらと共にいる。
シエラの姿は見えないが、どこかにはいるのだろう。
周りにもPLACE隊員が大勢いる中、明らかに人数が少ない相手は、自衛隊に類すると名乗る武装した部隊。
おそらくは見えていないところにもまだ展開しており、イナたち含め隊員にはその場からあまり動かないように通達されている。
どちらも十分な戦闘能力を有しているが、事になれば不毛なものになることは明白だ。
ゆえに今、会談の場を設けられている。
「お騒がせしました。まずは事を穏便にとどめ、この機会を頂けたことに感謝します」
ディータが頭を下げるが、先方の代表らしき者は無駄に動く気配が少しもない。
いかにも命令だけを遂行するような、機械的な印象を受ける。
「要件を手短に伝える。ヒュレプレイヤーをこの国から離すのを止めていただきたい」
「理由は……聞くまでもありませんね」
ちらりとディータの視線がイナに向くと、ピリと脳裏が刺激された。
《……PLACE日本支部は、世間的には外から侵入してきた駆除されるべき害虫です。しかしドロップ・スターズからの復興のため、プレイヤーが協力することを条件に駐留を黙認されていたのです》
エイグの通信によって、脳内に彼女の言葉が響いてくる。
それについては、以前なんとなく聞いたことがあった。
(つまり、この状況でいなくなられたら困る)
《ここを戦場にすまいと離れるつもりですが、国の存亡がかかるとなれば手段も選べないのでしょう》
(……おかしいだろ、そんなの)
ファイド・クラウドのことを知っているのなら、このまま留まっている方がより大きな危険に繋がる。
ここを離れたとてそれを避けられる保証もないのだが。
《支給部はともかく、私は行かねばなりません。これからの私を、軽蔑してくれても構いません》
そう言う彼女の背中は少し寂しげだ。
何を言おうとするのかはわからないが、イナは固唾をのんで見守るほかない。
「こちらは現在日本に存在しているPLACEの戦力を、外国の別支部へと移す計画を立てています。ヒュレプレイヤーに関しましては、ここに残すことを約束いたします」
――嘘だ。
それは、ヒュレプレイヤーを残していくという点ではなく。
戦力の移動についてだ。
すべてのエイグとその搭乗者を移動させるのは大規模なものになる。
どこに敵がいるかわからない状況下では狙ってくれと言っているようなものだ。
ゆえに実際に移動するのは、イナをはじめとする選抜部隊。
ディータの話ではイギリスからの応援部隊も移動するというふうに解釈できるが、今後を考えれば移動させない方が安全だろう。
《どうせどこにいても危険なのは変わらないもんねぇ。少しでも安全にっていうなら、ボクらと離れてた方がいいのはそりゃあそうだね》
今度はアヴィナが語りかけてくる。
残された戦力や避難民が人質にされる可能性等々、悪い状況は考えればキリがない。
だが、それはアヴィナとて例外ではない。ディータも……シエラも、チカでさえ。
守る手間を考えれば、イナが単独でシャウティアとともに日本を脱出してしまえばいい。
《なんか悪いこと考えてるっしょ》
(………)
図星だ。
しかしアヴィナもその内容については察しがついているのか追及はしてこない。
イナとて、悪意があってそう思っているわけではないのだが。
傍にありながら守れなかった時の重みに、耐えられる自信がないのだ。
ならば離れていれば大丈夫なのかと言われれば、それはそれで後悔が生じる。
《いーの、ボクらはしっかり考えてやってるつもりだよ。ディータだってそのはず》
その、ディータはといえば。
インカムで何者かと会話する代表者の返答を、物静かに待っていた。
「――総理からの返答を伝える」
イナは緊張から反射的に身構えようするが、アヴィナに小突かれて意識が逸れる。
「戦力の移動は認めない。自衛隊の駐留、および当基地の保有資産とその運営権の譲渡を要求する」
「……ッ」
それは、浅学のイナでもわかること。
日本支部の乗っ取りだ、呑めばエイグの移動は不可能になるだろう。
さすがに沈黙を守っていた周囲の隊員たちも戸惑いを見せ、それが伝播して大きくなろうとしていた。
が、すかさずディータが手を上に挙げ、それに注目した隊員たちが鎮まる。
まるで魔法にでもかかったかのように。
「構いません」
しかし彼女の口から出た言葉は、明らかに混乱を強めるものだ。
イナの頭ではこの会話を追うことができないでいる。
それを見越しているであろう彼女は、意図を口にし始めた。
「当支部における戦闘回数は極めて低く、武装組織としての体は成していません。また避難民も多く、その管理が行き届いているとは言えない状況でもあります。必要とあらば予備のエイグを持ち出すことも認めます」
完全な放棄の宣言だった。
後に残されるもののことを全く鑑みていない、身勝手で大胆な決定。
だが実際のところ、テロ組織らしくないとはイナも前々から思っていることであったし、チカも同様だろう。
このまま無理な運営を続けるよりは、日本にとって健全なものに変わっていく方が良いのは、一理ある。
現実問題、大多数のエイグは今後は戦力に数えられるとは思えないし、避難民の生活保護も本来テロ組織の仕事ではない。
残される者達を人質にされているようで些か違和感は残るが、身軽になるためには願ってもない条件だ。
(……そう、なのか?)
あたりを見渡すと、流石に隊員たちの間には困惑の空気が流れていた。
だが、食ってかかろうという人間が一人もいないあたり、強く反発できる意思を持っている者はいないか、あるいはひどく理性的であるのだろう。
いずれにせよ、この場での沈黙は肯定と取られる。
「ただ」
投降を認め話の進展を待つばかりだった沈黙を、ディータがやぶる。
「隊員の身の安全は保証していただきたく存じます。国連の強引な介入を防いでいたのが彼らであることは事実でありますから」
「考慮はする」
ディータは何か考えるように目を閉じ、そして薄く開く。
「もう一つだけ、許容していただきたいことがございます。よろしいでしょうか」
先方は不思議と却下もせず、静かに聞く体勢をとる。
「テュポーンズを名乗る組織に対抗するべく、エイグ6機と私を含めた隊員6名を本部に移動したいと考えています。選抜メンバーに私以外にはヒュレプレイヤーは含まれておらず、本部への戦力の集中を図り、敵の目標を絞るのが目的です」
「リストを確認したい」
「諸般の情報も所持していることでしょう。読み上げますのでご確認ください」
緊張状態、というよりは、彼女が何を言うのか分からずに困惑する空気が流れていた。
開かれた彼女の口からは、イナ、アヴィナ、シエラ、ミュウ、ディータ自身――そしてチカの名前。
そして内々に登録・管理されているらしいエイグの番号を読み上げ、代表者がまた通信を始めた。
(……なにか、妙だ)
互いに見透かしあっているかのような違和感がある。
何を言うのか、ある程度理解しているかのような。
しかしながらディータが内通しているようには見えない。イナにそれを見分ける目がないといえば、それまでだが。
「――総理からの返答を伝える。一点を除けば、容認される」
「その一点とは?」
「貴方がヒュレプレイヤーである点だ。この国は一人でも多くのプレイヤーを必要としている」
そのやりとりで、違和感の一端に気づく。
イナがヒュレプレイヤーとして認識されていないのだ。
だとすれば、彼らが確認したデータは……PLACE内で管理している隊員のデータ。
イナが入隊の際に記入した書類がそれだ。
あの時イナは自身がヒュレプレイヤーであることを書こうとして、ディータに止められたのだ。
――この状況を見越していたとでも?
加えて、疑問がもう一つ。
それらのデータを、なぜ政府側が持っていて、その事実をディータが知っているのか。
(スパイ? いや……)
イナにしては珍しく、冴えた推理が導かれる。
帰還してからこれまで、余裕がなく会う機会もなかったのだが。
日本支部司令アーキスタ・ライルフィードは、今どこにいる?
《お気付きになりましたか》
不意にディータの声が響く。
《先日、日本政府と密会のため支部を離れているとのことでしたが、以降消息を掴めていません。混乱を防ぐため、その事実を広めてはいなかったのですが》
(じゃあ、こっちの考えてることなんて筒抜けなんじゃ……)
イナがプレイヤーであることを隠そうとしても、アーキスタがその事実を伝えれていれば意味がない。
彼の置かれている状況は不明だが、自白を強要されているとしたら――そう考えた方がいいだろう。
《問題ありません。筒抜け以上の情報が伝わっているはずですよ》
ディータの自信ありげな言葉ののち、手品のように突然に代表者が通信を再開する。
「……総理から発言の訂正を承った」
「なんでしょうか」
「ディータ・ファルゾンに限り、ヒュレプレイヤーの移動を許可するとのことだ」
不自然な急転。
明らかに策が動いた。
これまで政府側が優位に立っているように見えたが、急にこちらの要件を呑むようになったのは、よほどの理由があるはずだ。
ディータ自身がそれを持っているのか、あるいは他のメンバーがそうなのかは定かではない。
ともかく、この国から離さなくてはならないような理由を隠していたのだ。
仮にそれがイナにあったとして――異世界人であるとか、異様な戦力を操る鍵であるとか、そんなことを聞いたとてすぐに信用されるかは怪しい。
では、イナでないのなら。
ほかのメンバーが何を抱えているというのか?
「ご容赦いただき誠にありがとうございます。出立は2日後、準備中も立ち会っていただいて構いません」
「……承知した。それで問題ないとのことだ」
代表者の態度が少しだけ変わったのが分かる。ふつう、彼のような立場ではあまり動揺を見せるべきではないのだが。
それを上回るものを知ってしまった――というのは、考えすぎだろうか。
かくして侵入者との交渉は、不自然さを残したままひとまずの終結を見るのだった。




