第26話「霧中、しかして止まぬ」:A2
「いやあ、またボクに年上の後輩ができちゃうなんてなあ」
居住区の廊下。
見た目だけは明らかに子供――自分も大して年齢は変わらないが――の少女、アヴィナの隣を歩きながら、チカは微笑する。
言動の端々にはその外見に似つかわしくないものもあるが、それ以外は相応で可愛らしい。
違和感がないと言えば嘘になるが、慣れてしまえば小学生を相手にしているようなものだ。
「そんで~? わざわざボクについてくる理由はいかほど?」
……こういうところが、子供らしくない。
内側を見られている感じはしていないが、そう思ってしまうほど洞察力に優れている。
おそらく、見たくないものまで見えてしまっているのだろう。それが言動にゆがみを与えているのかもしれない。
それは、ともかく。
「あっちの……ディータさん?の方は、ついて行っても邪魔になりそうだったから」
「まあ、ボクのほうが確かにヒマだねえ」
頭の後ろで手を組む彼女は、別にチカを責めようという意図はないのだろう。
しかしながらチカが言葉を選んだのを分かってこんなことを言ったに違いない。
(……警戒、されてる)
なんとなく、肌がピリつくような感覚があった。
嫌われているわけでも、余所者を避けようというわけでもなく。
そもそもチカはイナと同じ能力は持ち合わせていない。
彼女自身もまだはっきりとはしてないものの、彼女のそれはイナに対してのみ強く発現する。
それ以外については、自身への印象や――イナに対する思考が分かる程度のものだ。
はっきり言って、そこまで活用できるとは思っていない。
今とて、結局その理由や、対処法が分かるわけではないのだから。
(敵だと疑われてる……って感じじゃないけど。不安になってる?)
イナがあのグループの中心ないしその近くにいるというのは、先ほどの話を聞くだけでもわかる。
それと仲の良い人物が増えたとなれば、馴れ馴れしい人が輪を乱すのではと思うのも無理はないだろう。
それ以前に、イナを死に迫らせたという話を聞いているのなら、警戒するのは当然だ。
下手に刺激するような言葉は避けた方が良い――というのは、アヴィナの方も分かっていそうだが。
「そんなに眉間にシワ寄せちゃやーよ。急に銃向けたりはしないから」
わざわざ自分の顔でそこを指しながら、冗談めかして恐ろしいこと言う。
さすがに、イナと距離の近い人物を傷つけようとはしないだろう。
だからこその心配もあるのかもしれないが。
「そんで? 理由をまだ聞いてなかったよね」
誤魔化されないぞとばかりに、少しだけ語気が強くなった。
「本当に、大したことじゃないよ。イナがどういう人たちと過ごしてたのかとか、ここがどういう場所で、どういう世界なのか……少しでも知りたいだけだから」
「……ふうん」
嘘を言ったつもりはないが、アヴィナはあまり納得している様子はない。
彼女は何かに過敏になりすぎて、真偽を正しくはかれなくなっているのではないか?
「嫌だったならごめんね」
「……んーん」
なるべく穏便にしようと気遣いの言葉をかけるが、アヴィナは少し整理をつけたようにかぶりを振った。
「ここに来たばっかで分かんないこともいっぱいあるもんね。ごめんね、八つ当たりしてたかも」
「ううん、大丈夫だよ」
自覚はあるようだが、うまくコントロールしきれていないといったところか。
これまでの彼女を見たことがないからはっきりとはしないが、あまり調子が良さそうには見えない。
「でも、知らないことがいっぱいだと思うな。それでも?」
「イナを助けるって決めて、帰ってきたから」
今度は突き放すような厳しさは感じなかった。ゆえに、明確に意志を強く伝える。
するとアヴィナはまた表情を、今度は弱弱しさを色濃く変えた。
先ほどが反省なら、今度は諦めに近い感じだ。
「……ボクらのやってることは、なんとなくわかってるよね?」
「うん。人を傷つけることもあるんだよね」
テロ組織だからというばかりではなく、ここからは綺麗事では済ませられない状況になる。
だとしても、その先にある結果にイナを導くことを、チカは託されたのだ。
「だから、知れることは知っておきたいなって。傍にいればそれでいいってものでもないと思うし」
「立派だなあ」
声音はともかく、茶化す意図は感じられなかった。
チカからすれば、自分より子供にしか見えない少女が、戦禍に身を投じることも十分立派で――歪なことだ。
「うん、わかった。何が知りたい? と言っても、今の状況じゃあんまり動き回れないけどさ」
彼女のことだ、ざっくりとした世界情勢も説明はしてくれそうだが、この混乱した状況では一般知識は大して頼りになりそうもない。
組織についても同様だ。であれば、ある程度質問の内容は絞られてくる。
個人の事など、急いで知るべきことでは決してないことは承知だが。
「……じゃあ、シエラって人のこと、教えてほしいな」
イナを通して何となくは知っているが、会ったことはない。
そこまで『脅威』と感じているわけではないものの、彼が気に掛ける人物について知っておきたい気持ちはある。
しかしアヴィナは、少し困ったように首を傾げた。
「紹介かあ、あんまりやったことないなあ。呼ぶのは難しいだろうし」
「……ケガとか、したの?」
イナにしろディータにしろ、先ほどからどうにも、シエラに対して接触を控える様子がある。
こちらから赴けばいいのでは、という提案も的外れなのだろう。
「カラダっていうか、ココロをちょっとねえ。真面目で、こんな組織にいるのが勿体ないくらいだったんだけど」
真面目過ぎるあまり、無力感に蝕まれ心を病んでしまった――そんなところか。
聞けばこの日本支部は、戦闘をほとんど経験していないという。
その中で力みすぎたのだろう。
「自分が頑張る意味ないじゃんってね。イーくんが強すぎたせいかも」
「………」
イナも、戦意を削ぎたくてそういうことをしたわけではない。
自分に出来ることを必死で探して、やれることをやったのだ。
であれば、善意が溝を生んだのか。
心を読んだように、アヴィナが頷いた。
「みんな、イーくんに全部頼るのがよくないのはわかってる。わかってるけどね、ボクらじゃどう頑張っても届かないところにいるんだよ」
そう語るアヴィナ自身、一歩踏み間違えればシエラと同じようになってしまう危うさがあった。
イナとシャウティアの特異性については、知らないわけではない。
それに挑む敵が現れたとなれば、同じ特異性を持たない彼女らがどこまで通用するか。
ある意味、シエラや――イナに戦うなと言ったミュウという少女の反応は正しく、イナを支え続けるアヴィナらは恐れ知らずと言える。
ただ、少なからず不安を見せる彼女は、別の理由があることをうかがわせる。
(……イナの傍にいることで、何かを探そうとしてる?)
幼い姿で戦禍に飛び込むことになった、根本的な理由であるとか。
あるいはもっと別の何か。いずれにしても、悪意で利用しているという気配はない。
彼を利用していることへの後ろめたさや、生き残れるかといった不安はあるようだが。
総じて、悪い子ではなさそうだった。
アヴィナも、シエラも、ミュウも。差はあれど、皆イナを想っているのだろう。
誇らしくもあり、安心もした。
「ごめんごめん、話が逸れて――むぎゅっ?」
アヴィナを遮って、抱きしめる。
そうしなければならないと思った。
小さな子を宥めるためだけでなく、これまで自分の想い人を支え続けてくれていたことに感謝するために。
「……ありがとう。ありがとうね」
アヴィナは、抵抗も、茶化したりもしない。
黙って抱かれたまま、少し経ってから弱弱しく抱き返してきた。
思えばこの少女は――真剣に抱擁し合う経験に乏しいのではないだろうか?
それがいま、疑念を抱いている相手に自身を許させているのではないだろうか。
そう思った矢先。
このささやかな温もりを破るように、警報がけたたましく鳴り響いた。
「っ!?」
「敵……じゃ、なさそうだねえ」
咄嗟に拒むように離れ表情を険しくしたアヴィナは、虚空を見つめながら時折うなずく。
霊とでも会話しているかのようだ。おそらくは、自身の操るエイグと会話しているのだろう。
知識として知ってはいるが、いざ傍から見れば奇行にしか見えない。
「な、何が?」
「とりあえず、あんまし動かないで。よく分かんないけど、味方じゃないのは確かだよ」
こめかみに手を当て、また何かと交信を始めるアヴィナ。
一応、チカもエイグと契約を交わした以上は同じことができるはずなのだが、生憎と機能している様子はない。
そもそも、そのエイグが回収されたとは聞いているが、その後についてはわかっていない。
この場は大人しく、自分よりも経験のあるであろうアヴィナに従うべきだ。
「戻ろう、イーくんの所に」
「……うん!」
一番安全であるという意味でも、彼を案じるという意味でも、いの一番に行きたいのはそこだ。
しかし二人で駆け出したところ、それを察知していたかのように、窓を割って黒い球体が投げ込まれた。
「っ!?」
すぐに止まり反射的に顔を腕で覆おうとしたが、これでは安全は確保できない。
瞬時に頭を回転させるよりも先に、アヴィナは手を伸ばしていた。
どこからともなく握っていた拳銃を握った手を。
――耳、塞いで!
彼女の視線だけで意図を読み取り、可能な限り速く手で耳を覆う。
それとほぼ同時にアヴィナが引き金を引き、球体を遠くへ弾き飛ばす。
球体はその衝撃で爆発――することはなく、白い煙を吐き出した。
「離れるよ、こっちでイーくんを呼ぶ!」
「う、うん……!」
ひとまずすぐに害をなす様子はない煙から逃れ、今度は反対方向へと駆け出す。
突如始まったこれは、間違いなく戦闘。
しかしながら、イナから聞いていた話とは違う。
生身の人間同士がやるような――彼女の知る現実で起こりうるもの。
(何が起きてるの? 私にできることは?)
チカの想像通りならば、相手は銃を持っている。
アヴィナのように戦えるのならばまだしも、いまのチカはただの人間に等しい。
(イナに……頼るしかないの?)
敵がどうあれ、それが手っ取り早い。
少し前でチカを誘導しつつ通話をしているアヴィナも、そこまでは考えが及んでいるだろう。
だがそれは、下手をすればイナに生身の人間を。
かと言って、自分たちで対処するというのも、イナは黙っていないだろう。
(……これが、この子達の抱えてるジレンマ)
全員が納得する答えは、簡単には出せない。
これが続けば、確実に崩壊する。
この組織のみならず、イナを取り巻く環境も。
だったら、どうすればいいのか?
パッと思いつく手段は二つ。
戦闘をイナに依存すると認め、周囲はサポートに回る。主に精神的な――ケアを。
もう一つはイナと同レベルの能力を手にし、隣に並び立てるようになる。
後者は簡単ではないはずだ。であれば、前者。
チカとまったく同じとは言わずとも、そうした考えは少しはあっても、受け入れがたいのだろう。
無視して余りある、イナの負担があるからだ。
思考を巡らせるしかできることのなかったチカは、階段を駆け下りた先で、警報を聞いて部屋を飛び出していたPLACEの隊員と対面する。
大柄な男性の隊員で――焦りを見せつつも必要以上に取り乱してはいない。
どうやら、イナと関連があるらしいが。
「嬢ちゃん、何が起きてる」
「わかんない、けど相手はエイグじゃない」
「じゃあ人間だってのか? 外から侵入したってんじゃないんだろ」
「わかんないけど、とりあえずイーくんを……――っ!」
そこにいた全員が、その接近に気付く。
3人ほどの武装した兵士が、下から階段を昇って来ていた。
携行していた銃を向けられ、アヴィナとデルムが即座に変身する。
あまりに当然のように行われる異常事態にチカの思考は追い付かないが、更に畳みかけるように、周囲に知った声が響き渡った。
《日本支部の全PLACE隊員へ。戦闘行動を行っている場合はすぐに停止し、投降して格納庫前に集合してください》
基地の放送設備を通して、ディータ・ファルゾンの声が。
「……どこからお遣いを頼まれたかくらいは、聞いてもいいよね?」
放送を聞いたアヴィナは、銃口を下ろしつつ、兵士に尋ねる。
兵士同士で少し言葉を交わしたのち、先頭にいた者が口を開いた。
「敷島総理の命令だ。自衛隊のようなものと思ってくれればいい」




