第26話「霧中、しかして止まぬ」:A1
「………」
イナはPLACE日本支部の自室にて、ベッドの上で沈黙していた。
『日課』をする気にもなっていない。……元々、この世界に来てから殆どしていなかったが。
帰還から数日が過ぎたものの、一切の状況が分からないのだ。
否、さすがに世界に動きがあったのは知っている。
ファイド・クラウドの再来と、彼による侵略の開始。
それが、新たな『敵』の出現であることは明確だ。
だが。
(……自分で、どうすればいい?)
もはや指揮系統もボロボロなのだろう。何の命令も下ってこない。
今まで彼が動けたのは、上からの指示があったことが大きい。
独断で行動することもあったが、あれはすぐ手の届く範囲にあったからだ。
今回は違う。別に、日本支部は攻撃を受けていない。
(ああ……クズなんだな、俺って)
ニュースで外国の紛争や、県外の残酷な事件を見聞きしても、異世界の話に思えていたように。
今もそうなのだ。
自分に火の粉が降りかからなければ、他人事。
降りかからないように見ないふりをしていれば、心を乱さずに済む。
その間に、誰かが死んだとしても。
「……ッ」
有りもしない胸の痛みに、シャツを握り締める。
それが嫌なのは、自分でもわかっている。
それでも、彼は一歩を踏み出せずにいた。
――もう、私達の為に戦わないで。
ミュウの言葉が、頭の中で反響するのだ。
彼女をはじめとする、PLACEに保護された恩を可能な限り返そうとしていたのに。
それが自分の役目だと、ようやく見つけた輝かしい生き甲斐だと思っていたのに。
否定されてしまったのだ。
「……入るよ、イナ」
控えめなノック音ののち、イナの返事を待たずにドアが開かれる。
イナが拒むわけがないと知って入室したであろう彼女は、チカ。
「アヴィナって子と、ディータさんに色々聞いてきたよ。やっぱり、今はどうにも動けないって。通信も繋がりにくいみたいで」
「……そっか」
頭の重みを感じながら体を起こし、イナは彼女と目を合わせる。
違和感があった。
ずっと、平和な生活の中で交流してきた彼女が、こんな殺伐とした世界の自分の目に映ることに。
おまけに彼女の希望とはいえ、テロ組織の基地内をうろつかせるなど――ただの避難民に見えていたかもしれないが――そう思うと途端に気が引けてくる。
「私のことは気にしないで。……それより、ここから移動しようかって、ディータさんから」
「移動って、どこに?」
「わからない。けど、ここにいても仕方ないって、二人とも思ってるみたいだった」
それは、イナも漠然と思っていることだった。
ミュウにああ言われたからといって、戦いに完全に否定的になっているわけではなく。
戦うために帰ってきたのなら、戦闘発生の可能性が低い日本支部に留まっていても仕方ない。
本来、そう考えるのが自然だが。
「……わかった、いまから聞いてみる」
「そー言うと思って既に来ているのだーっ!」
PLACEフォンを取り出して電話をかけようとしたその時、どばん、と無駄に音を立てて扉を開けたのは、アヴィナ。
その隣にディータもいた。
チカは知っている素振りを見せているが、そうではないイナは突然のことに心臓をバクバクと鳴らしている。
「そんなビックリした? ごめんねぇ」
「ともあれ、伝わっているのなら話も早いでしょう」
「…………どこまで決まってる?」
イナは乱れた心拍を抑えてなんでもないフリをしながら、話を続ける。
「敵の戦力・目的が不明である以上、なにもかも博打になりますが。イギリス支部かフランス支部に向かう予定です」
「ちゅーか、そこら辺しかちゃんと動いてなさそうなんだよねぇ」
「イギリスって……たしか、本部?」
ディータが静かに頷く。
「直近の韓国支部とも連絡が取れない中、備える為に行動を起こすならば、早い方がいいでしょうから」
「まあ、途中で撃ち落とされない保証はないけどね~」
「連合軍も同様に混乱していると予想されます。必要以上に警戒している中、そこを強攻突破するのは得策ではないでしょうね」
二人の話を聞きながら、シャウティアに命じて頭の中で世界地図を開く。
日本からイギリスへ行くのは、直行でも半日を要する。
だが、左右どちらから直線で繋げても、連合軍の主要国を避けることはできない。
右にはアメリカ。左には中国とロシア。
どう考えても迂回するほかない。飛行時間が増えれば増えるほど、的になる時間が増えることになるが。
「……ふと、疑問。ふたりや、俺……レイアさんやシエラは、どうやって日本に?」
こんな危険な航路を、ふつうは何度も往復するものではない。
「韓国支部による広域の電子攻撃と気象条件の合わせ技での直行が基本でした。後者はほとんど願掛けみたいなものでしたが」
「で、その韓国支部はいまウンともスンとも言わな~い」
「じゃあ、まず韓国支部に行くっていうのは」
「悪い提案ではありませんが、韓国支部はこれまで、他支部の隊員であってもその侵入を許していないと聞いています。真偽はどうあれ、今はあまり当てにしない方が良いかと」
明らかに怪しいが、こちらにとって都合が悪いからそう考えてしまうのだろう。
ひとまずはないものとして考えるべきだ。
「急がなきゃいけないかもわかんないし、ゆっくり行ったらいいんでね?」
「しかし敵の出方が分からない以上は、なるべく急いで合流して態勢を整えたいところです」
意見が二つに分かれ、このままでは答えが出なさそうだ。
チカはもとより発言が難しいため、実質的に求められているのは――イナ。
「……何が正しいのか分からないなら、とりあえず安全な方を選びたい」
「分かりました。そのようにいたしましょう」
ディータはイナに気を遣わせないようにか、普段あまり見せないような柔和な笑みを浮かべて頭を下げる。
どちらの方に賛同しても責められることはなかっただろうが、それでもイナは気にはなってしまう。
「……それより。勝手に出てっていいのか?」
「良いか悪いかで言えば悪いですね。ライルフィード様は容認するかもしれませんが、本来許可もなくこんなことをすれば、組織への背反行為ととられても仕方ありません」
悪びれもなく言うディータに首をかしげると、アヴィナが肩をすくめた。
「司令さんも連絡取れないしぃ。でもまあ残念なことに、イーくんを疑ったりする人もいちゃうんだよ」
あまり聞きたくないことだったが、イナ自身もなんとなく感じ取っていたことだ。
自分を非難する者を守りたいかと言われれば――ポジティブな答えは出せそうにない。
「理解を得るのは難しいため、それを利用して、ミヅキ様をイギリス支部へ更迭する……というシナリオで日本を離れます。準備中は余計に居心地の悪い思いをさせてしまうかもしれません」
「……気にしなくていいよ。部屋にこもってればいいんだろ?」
ディータは、今度は申し訳なさそうに頭を下げた。
幸い、日本支部の居住区は放棄されたホテルを利用しているだけあって一部屋で事足りる。食料もヒュレプレイヤーの能力で同様だ。
「指揮系統の崩れているPLACEは崩壊の一途をたどっているため、罰する力もないに等しいのですが。それでも無用な騒ぎは避けたいので」
(……ほっといても暴動は起きるだろうし。今は辛うじて理性を保てているから、大事になってないだけか)
イナが子供であるから。あるいはAGアーマーを纏えば、多人数でかかっても勝ち目はないから。
だが、それもいつまでもつか。
そう考えれば、多少悪者扱いされるくらいは安いものだ。
ディータも、アヴィナも。勿論、チカも。彼女らが本心でイナを疑っているとは思わないほどには、彼女らを信じていた。
「そういえば、シエラは?」
ふと、ここに戻ってから顔も合わせていない、もう一人の仲間のことを思い出す。
するとディータもアヴィナも、明らかにばつが悪そうなそぶりを見せた。
「……色々あったっしょ? ちょっと一人にしてほしいみたいで」
レイアの失踪、新たな敵の出現。
無力感に襲われ続けていた彼女の心中は、察するに余る。
だが、彼女を置いて日本支部を出るという選択肢は選び難い。
「できることならご一緒していただきたいところなのですが」
説得にしろなんにしろ、今すぐにシエラをどうにかできる策が思い浮かばず、イナの思考はまた別の、思い出されたものに向く。
「……俺が頼んでイギリスから来てもらってた人は?」
「騒ぎを起こしたりという話は聞いておりませんが、可能ならば本部に戻りたいと考えていることでしょう。なので、やや大所帯での移動になるかと」
結局呼ぶだけ呼んで、日本支部の危機は杞憂に終わっただけということだ。
何もなかったことを喜ぶべきではあるのだが、彼らから責められるかもしれないと思うと、顔を合わせるのも億劫だ。
「……イギリスのエイグ乗りと通信はできないのか?」
あれは独自の通信を行っており、今の混乱の影響は受けていないはずである。
しかしアヴィナは無理と言わんばかりに渋い顔をした。
「あれもなんか、実はけっこう不便でねえ。あんまし離れてると仲良しさんとの間じゃないとうまくいかないみたい」
「じゃあ、PLACEフォンは」
すぐに代案を出せて賢くなった気分だったが、アヴィナは口をすぼめて腕を交差させる。
「ブー。通信の中枢が韓国支部にございます」
「何もかも勢い任せか……」
猫の手も借りたいが、なるべく綱渡りは避けるべきだろう。
現時点で綱どころか紐の上に立とうとしているようなものだが。
沈黙が流れ、空気が次第に重くなっていく。
それを破ったのはディータだ。
「ひとまず、こちらでイギリス支部の応援部隊の方と連絡を取りつつ、私の責任で準備を進めます。何かあればまたご連絡差し上げますので」
話を纏めるということは現状、これ以上話せることはないということだ。
イナが気にするような事はあるのだが、それもすぐに答えが出せることではない。
おそらくこの場は、チカの為に用意したものでもあるのだろう。
「ほんじゃ、ボクもそのへんほっつき歩いて来ようかなぁ」
「途中までお送りします。ミヅキ様も、ユウリ様も、御用の際はいつでもお呼びください」
丁寧にお辞儀するディータと、顔のそばで控えめに手を振るアヴィナを見送り、部屋は再びイナとチカだけになる。
「……大変なんだよね、イナ」
彼女はこの短い会議の間、ずっと何も言えずにいた。
表面的な世情は把握しているかもしれないが、すぐに理解して適応しろという方が無茶だ。イナでも全てをわかっているわけではない。
しばらく彼女には負担を強いることになるであろうし、役割を与えるなど以ての外だ。
何があっても、彼女を守らなくてはならない。
その為には、やはりイナが戦う必要がある。
これまでのように指示を受けるばかりではなく、自分の考えで飛び出すくらいの姿勢で。
シャウティアは、その覚悟に応えてくれるであろうから。
「……私ももう少し歩き回って、この世界のこともっと知ろうと思う。……私に出来ることがあったら、何でも言って」
彼女も、イナと同程度のことしか知らないとは言っていたが。この状況のことも、どこまで把握しているのか?
人の思考が聞こえる例の現象はいま機能していないが、イナが認める限りでは彼女が嘘や隠し事をしているようには見えない。
彼女の暗い表情は、ただ――無力を嘆く、シエラのそれと重なるところがあった。




