第25話「離別、それとも」:A2
不安の声が入り混じる中で、車両を降りたイナは目的の人物を探し始める。
付近の道路にまではみ出した人ごみから見つけるのは至難だったが、ふいに視線を感じた方を向くと、見知った顔と目が合っていた。
両親ではなく、誠次だったが。
「……一人ですか?」
「家内もやることがあるからね」
イナの合流を確認すると、少し急ぐように誠次は振り向く。
行き先は分からないが、おそらく両親のところへ案内しているのだろう。
「君がその選択をした以上は、責任を持って送り届ける」
「……誠次さんは来ないんですか」
「いてもいなくても変わらないし、少しばかり事情があってそっちには行けない」
何かを繕う言い訳に聞こえなくもなかったが、そうして誤魔化している風ではなかった。
しかしこのまま戻って、拭えない孤独感があるのではないか――そう思ったところで、無意識に俯いていた顔を上げると、今度こそ会いたかった人々の姿を見つける。
ただ、直視は難しかった。
「チカ、少し頼む」
そんなこともお構いなしと言うように去る誠次に、チカは控えがちに頷く。
残された4人は――何を言えばいいのかと、押し黙ってしまっていた。
「伊奈」
だが、すぐに孝一が沈黙を破った。
その表情はとても複雑そうで、伊奈は油断すればすぐにでも涙が溢れそうになってしまっていた。
「時間があるなら、わしの部屋に行け。渡したいものが机の上にある」
「………」
違うだろ。
言いかけた言葉を飲み込んで俯くと、母の瑠羽が歩み寄り、伊奈の頭を包むように抱き込んだ。
最後にこうしてもらったのはいつだったか。もう覚えがない。
この温もりも、もうここで離したら二度とは。
そう思うと、途端に涙が堰を切って溢れた。
吐息が抑えられず、嗚咽しながら体が強張って震えていく。
何を言えばいい。
これが最後になるのだという感覚もない。
戻れる可能性があるのなら、「さようなら」は違うのか?
しかし次に帰るのがいつになるのかわからない。
生まれたのがこの世界でないのだとしたら――この世界には、帰るべきでないのかもしれない。
イナがいない間、この世界はどうなっている?
前回の転移から帰還まで、時間の経過は特に確認できなかった。
もしも――もしも、静止しているのだとしたら。
帰らないことで、この世界は死ぬということになるのだろうか。
迷いが生まれるが、それは同時に、今から帰ろうとしている世界もまた死んでいるということになる。
それを考慮した上で選択したわけではないが、この世界の存在が歪なのだとしたら、やはり。
(……同じ歪なものの中で過ごした方が、この世界の為になる)
家族の情に流されて、戦いとは無縁の社会に迷惑をかけ続けるよりも。
そういったものが有耶無耶になる中の方が、行動もしやすいだろう。
だが。
少なくとも公的に認められ、これまでの人生を過ごしてきた場所を急に手放す決意をするというのは、あまりにも過酷すぎる。
それでも、もしこの家族が戦いに巻き込まれ、怪我を負い、死ぬようなことがあったら。
――なら、あっちの奴らが死ぬのはいいのか?
(……違う)
そういうつもりはない。だが、そう解釈することもできる。
完全に否定できるほど、イナの意思は固くない。
決めた後で、自分で納得する理由を探すことしかできない。
少しずつ、後悔を忘れながら。
「母さん、あんまりわからんけどね、大変なのはわかるんよ」
不器用な男二人を見かねてか、母が声をかける。
誠次らからある程度は聞いているのだろう、妙な納得があった。
「母さんら、なんもできんで、ごめんね」
親なのに――その言葉が、イナの涙腺をさらに震わせた。
「……ちがう、ちがうよ、かあさん」
力があれば、どうにかなるものではない。
おそらくは誠次の言う通り、イナでなければならないことなのだ。
だがそれを、うまく言葉にすることができない。
「いい」
そこへ、父の声が割って入る。
「そんな風に泣ける優しい子に育ってくれただけで、言うことはない」
記憶にある中で、経験のないこと。
イナの父はその大きな手を伸ばし、ゆっくりと息子の頭に乗せた。
「神様に愛された子が、実り多い人生になるようにと。決められた名前の中で、振り絞って字を選んだ」
涙で滲み、父の表情を伺うことはできない。
それでも、普段とは違うことはその声音だけで十分に伝わっていた。
「わしらにとって、お前は本物の子だった。それだけ覚えていてくれればいい」
割れ物に触れるように、父は泣く子を撫でる。
それを遠目に見るチカは、入りづらそうにそのやり取りを見つめていた。
彼女もまた、この泣き合う家族をどうすることもできない無力感に苛まれているのだろう。
涙こそ流しておらずとも、その拳は今にも握力に耐えかねて血を出そうとしている。
「都合のいい親と罵られても構わん。ただ、強く生きなさい。それが一番の願いだ」
父のそばで、母も共感するように頷く。
ふいに、母の抱擁が弱まった。
見れば胸元の服が少し、イナの涙で汚れてしまっていた。
いよいよ別れるのだと、悟る。
しかしこのタイミングになってなお、イナは言葉が出ずにいた。
ただ顔を見ては、涙が溢れるばかり。
そこへ――彼の手に、チカが触れた。
一瞬驚きはしたが、そうと気づくや否や、暖かさと共にわずかな勇気が湧いてくるのが感じられた。
「……父さん、母さん。今まで、ありがとう」
それは、先ほども口にした言葉。
しかしその時とは、込められた思いがわずかに異なっていた。
状況に任せて、背を向け、逃げるようにして残した言葉ではなく。
確かに面と向かって、別れを告げるために。
「……行ってきます」
決意が固いわけではなかった。
半分、強いられている感覚もある。
それでも――そうして迷っている自分をいくらか納得させるように。
みずから逃げ場をなくしてしまうように、その言葉を伝えた。
両親は頷いてその言葉を受け止めたのち、
「行ってらっしゃい」
母だけが、そう返した。
「……イナ、先にお父さんのところに行ってて」
これ以上留まれば気が変わってしまうと思ったのか、チカが囁いた。
彼女の促す方を見れば、既に用意が済んだらしい誠次が隅に立ってこちらを見ていた。
「私もすぐに行くから」
彼女も、イナの両親と話したいことがあるのだろう。
一応は、彼を預かる役目を負うのだから。
誠次の方へと向かうと、彼もまた複雑そうな顔をしながらも、淡々とイナへ指示を述べた。
「用件があるのは聞いている。日が暮れるまでにあの公園にいてくれればいい。詳しい話はそれからする。チカも私が連れていく」
「……はい」
鼻を啜り、目元を拭い応える。
それ以上誠次は何も言わなかったため、イナは無言で公園を離れ、AGアーマーを纏って自宅の方へと飛び去って行った。




