第25話「離別、それとも」:A1
「伊奈……」
愛機の差し出した手に向かう息子の背に、孝一が呼びかける。
イナは背を向けたまま、けれども何かを期待して足を止めた。
しかし言葉に詰まった父の口から、何かが続くことはなかった。
「……父さん、母さん」
それに耐えかねたイナが、聞こえるかといった声量で語り始める。
「今まで、ありがとう」
迷って振り向いてしまわないように、足を再び動かし。
「俺は……行くよ」
どこか、逃げるように。
愛機の――シャウティアの手に乗り、一つずつ思い出すようにしながら胸のコアに潜り込む。
ハッチが閉じられ暗闇に包まれるが、外での戦闘の音がわずかに聞こえてくるのが分かる。
(………)
《BeAGシステムオールグリーン。動作拡大率、再測定――更新》
(……お前も、全部知ってたのか。……いや、知ってて当然か)
イナは立ったまま、起動プロセスを進めていくシャウティアに問う。
《……それでも、イナが少しでも幸せになれたら良いって、ずっと思ってる。だから、その為になら……いつでも、いくらでも手を貸すよ》
本心か否か――機械の心をはかることもできないまま、イナはシャウティアに溶けていく。
久しい一体化の感触だ。
そして目を開いた瞬間、とてつもなく高い視点に切り替わる。
イナは感覚を思い出しながら立ち上がり、黒龍とエイグの組み合う方へと駆け出す。
水面を波立たせていると、明確に黒龍の紅い瞳と視線が合った。
狙いは間違いなく、自分だと悟る。
「代われッ! 海の方でやる!」
内心で燻るものを乱暴な声音でかき消しながら、エイグに指示を出す。
自由になった黒龍が自分の方に向かってきたのを確認して、推進器を噴かせた。
(結局なんなんだよ、こいつッ!)
街からずいぶんと離れた海辺に出たところで、ようやく黒龍と対峙する。
遠慮もなく吼えながら向かって来、大きく顎を開き腕を振り上げて攻撃しようとしている。
《待って、イナ!》
(なんだよ!?)
すぐにシャウティアから――チカの声で制止され、意図を伝えられる。
シャウティングバスタードを実体化し叩き斬る、とイナは考えついたものの、これが生物ならば断面から体液が噴出することだろう。
この存在自体が未知のものだ、倒したことで海水が汚染されたとしたら。
(じゃあ、どうしろって!?)
《……分解するしかない!》
「分解!? ――グッ!」
話している間に黒龍に組み付かれ咄嗟に身構えるが、装甲に触れようとした瞬間に黒龍は驚いたように身を引いた。
それでイナは、シャウティアのバリアの存在を思い出す。
(これ……分解してるってことなのか?)
シャウティアが頷く感覚が届く。
思えばこれまで銃弾を消滅させてきたのも、それが具体的にどうなっているかは考えたことがなかった。
消滅ではなく、分解だというのなら――バリアにはじかれた物は何に変わっている?
(……お前を信じればいいんだろ!)
相変わらず言葉の足りない愛機に嫌気がさしながら、その通りにすれば無害なのだと信じて拳を握り直す。
「消えろォッ!!!」
翡翠色の光を纏わせて突き出すが、黒龍は素早く身をよじらせて回避した。
(避けた……野生の勘!?)
《違う、読まれてる!》
「だったらッ! こういうこともできるだろッ!」
今度は喉奥に光を集め始めた黒龍の様子を伺いながら、イナは思いついたことをすぐに実行する。
周囲にいくつものシャウトエネルギーの球体を作り、同時に追尾の指令を出す。
シャウティアの補助もあり軌道に個性を持たせながら黒龍を狙い、一度の命中を皮切りに避けられた球もすべて命中していく。
それで、終わるはずだった。
イナのシャウトエネルギーに大量に触れたはずなのに、黒龍はその形を保っているままだった。
(なんだ……どうなってる!? 間違えたのか?)
《わからない……けど、動きは止められてる!》
しかしその一瞬の動揺を突いて、黒龍は収束した光をイナに向かって放とうと顎を開く。
明らかに他に害をなすといった風の、至極色の光。
そこから闇を生まんとばかりに禍々しさを孕んだそれを、防御しようとは思うまい。
(やられる前にやる!)
まだ光は放たれていない。
ならば、こちらが先手を打てる。
「シャウトォッ!!!」
イナはブランクを誤魔化すように力任せに叫び、時間の加速、絶響現象を起こす。
自分だけが優位に立てる、戦場のバランスブレイカー――そのはずだったが。
《ダメ、避けて!》
動きを止めたはずの黒龍の口から、金切り声のような音とともに光が放たれた。
寸前でシャウティアに呼びかけられ避けることはできたが、それだけでは終わらず、光は先ほどシャウティアがしたように急旋回をしてイナの背後を狙う。
(話が違うだろ……ッ!)
悲鳴を上げながら迫るその様は、どこか助けを求めるようでもあり。
資料館での出来事が一瞬頭をよぎるが、生存本能が直撃を避けるべきと叫ぶ。
しかし回避に意味がないのだとすれば――防ぐほかない。
「シャウティングバスタードぉッ!!!」
手先に集中し、ヒュレ粒子を集束させて見慣れた刀身を形成していく。
触れることでどのような影響が出るか分からないため、光を斬ろうとはせずに刀身で防御する体勢をとる。
意志を持つような動きをする光だ、またイナの背後を狙わないとも限らないが――そうはならなかった。
至極色の光は強い圧力とともにバスタードに衝突し、イナを弾き飛ばそうとする。
強い熱量を感じるわけでもなく、バスタードやシャウティアの装甲に異変が起きている様子はない。
しかし、ただの質量兵器というには。
(声……いや、意思……!?)
光が、イナに向けて叫んでいた。
物理的に聞こえるものではなく、思考を読み取ったときと同じような感覚だ。
となると、これは?
(この光が、シャウトエネルギーで……あの化け物がこう言ってるのか!?)
『死んでしまえ』『痛いのは嫌だ』『何をしても無駄だ』『何もしないからこうなる』――諦念と自己嫌悪と矛盾に満ちた言葉の数々が砂嵐を起こして頭の中で吹き荒れる。
イナにも覚えのある思考で、自分の黒い所を見せられているような感覚に陥る。
否、実際に分裂したもう一人の自分にそう叫ばれているような。
しかしそんなことを深く考えていられるほど光の力は弱くはなく、次第にイナの力を超えていく。
「くそ……ッ、たれぇッ!!!」
一瞬の叫びに力を込めてバスタードで斬り上げ、光の奔流を弾く。
今度は霧散し、再び追尾するようなことはなかった。
痺れそうな腕を誤魔化すように手首を振りながら、イナは黒龍の方に向き直る。
この隙に、黒龍は既に次弾の用意をしていた。
「させるかぁッ!」
イナはバスタードのグリップのトリガーを引き、刀身を真っ二つに展開する。
そうして姿を現した砲身は心もとない細さだが、ほとんど飾りだ、威力は関係ない。
銃口にシャウトエネルギーを集め、黒龍の口内を狙って連射する。
撃ち出しているものが同じである以上、先ほどの黒龍の攻撃とほぼ同じようなものだ、外れることはまずない。
問題となったのは――障壁だ。
(あいつ……シャウティアと同じ!?)
鱗の硬さではなく、明らかに何かを展開して防いでいた。
おそらくはシャウティアも同様のことをしているが、イナが外から見るのはこれが初めてだ。
――他にそう何体も使えるモノがあっていいとは思わないが。
(どうにかできるのか、アレ……!?)
少なくとも軽く思い返す限り、このバリアは無敵だった。
すぐにシャウティアから例外を提示されるが、条件は未だに不明瞭だ。
(……力押ししかない!)
シャウト『エネルギー』というのなら、単純な話ならばその総量が多い方が勝る。
博打もいいところだったが、シャウティアからも特に制止されることもなかったため、イナは行動に移していく。
「シャウトォ――――」
剣の形に戻したバスタードを構え、加速の勢いに叫びの力を乗せ、黒龍の口をめがけて思い切り突き出す。
それが易々と届かないのは想定内だ。
ゆえに、ここからが正念場。
「――ォォォォオオオオオオオオオオッッ!!!!」
イナは息継ぎをせずに、絶叫をし続けた。
そうすると、まるで黒龍が気圧されたかのように、段々と口内へと剣先を招いてしまっていた。
効果ありと認めたイナは、肺の中の空気をすべて吐き出しながら、最後の一押しをしてみせる。
すると何かを砕く感触のあとに、刀身が黒龍の喉を刺し貫いていた。
「……ッ!!」
その見た目から人間でないのは確かだが、もしも意志を持っているのなら――そんな迷いがよぎるが、自分の命を狙っているのだと思い出し、エネルギーを放出するトリガーを引く。
自身が吐き出そうとしていたエネルギーとともに内側に流し込まれ、許容量を超えた体が生々しく膨らみはじめる。
このまま破裂させれば体液が飛散する可能性があることを忘れてはいない。
イナは自身を中心にシャウトエネルギーの球を形成し、その中に黒龍を収めたのを確認すると、剣を空に向ける。
そこで再度トリガーを引き、エネルギーを勢いよく放出。花火を打ち上げるように、イナのシャウトエネルギーに包まれた黒龍が天へ昇っていく。
「――ブレイクッ!!!」
そして雲を突き抜けたのを見計らい、柄を強く握って破壊の意志を伝播させる。
カメラを拡大すれば見える範囲だが、それよりも先に、シャウトエネルギーの爆発によって黒龍が四散、消失したことが手元に伝わってきていた。
殺した、という感触が。
(……何か、周囲に影響は)
《戦闘の余波で波が荒れたり、一番近くにある建物や道路にヒビが入ったくらい》
今まで、そんなことを気にしたりはしなかった。
だが改めて報告を聞くと、多少なりとも後に傷を残していたのだと否応なく知る。
向こう側の世界でも。
《あっちでの戦いは、人が離れた場所がほとんどだったから……》
(それでも、力任せに叫んだら、シャウティアの口から拡大された声が辺りに響く。……生身の人間に、その振動が耐えられるのか?)
考えても詮方ないことだ。
だが一度気になってしまった以上、納得するまで心にくすぶり続けてしまうのがこの生き物だ。
《……今はいいよ。それより、避難場所に紛れ込んで一旦お父……さんたちと合流して。おじさまたちもそこにいるみたい》
(今さら何を話せって?)
《話したくないならそれでもいい。帰るにはどっちにしろ、お父さんたちを頼ることになる》
妙に流暢に喋る辺り、シャウティアも誠次たち仕掛けた側にいるのだと認めるほかない。
《乗ったところで降りて。近くで自衛隊が避難誘導してるはず》
(……お前はどうするんだ?)
《誰にも届かないところで待ってる。次に会うのは――帰ってからかな》
(……そうか)
話しながら、イナは自身が決意した場所で降りる。
そして蒼穹の彼方へ飛び去って行く愛機を見て、彼は静かな孤独につつまれた。
文字通り、人が一人もいない。
だが耳を澄ませれば、なにか拡声器で叫ばれているのが聞こえてくる。
(……渕崎公園に避難してるのか?)
あまりこの辺りに明るいわけではないが、知る中で近くに人が集まれるところと言えばそこしか思いつかない。
ひとまずそちらに向かおうと思った矢先、近くの料金所を通過した自衛隊の車両が目に入った。
車両はすぐにイナの傍で止まり、窓を開けて呼びかける。
「取り残されたのか!? 学生……いやいい、早く乗れ!」
男性の隊員に急かされ、流されるままイナは後部の荷台に乗る。
何が入っているか分からないコンテナには触れないように気を付けながら、逃げ遅れた住民に呼びかける音声が響く中、イナは揺られていた。
数分と経たないうちに、車両は目的の渕崎公園に着いた。




