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第24話「決断の水沫」:A3

「イナっ!」


 伊奈の意識を引き戻したのは、チカの涙ぐんだ声と――その体温だった。

 次第に明瞭になる中、自分が横たわり、知らない天井の下にいるということを認めていく。

 左腕にも不快感に似た違和を覚える。何か細いもの……点滴が固定されているようだった。


(……何が?)


 チカは本物だろうが、それ以外が何もわからない。

 なぜ自分がここにいるのか、何をしていたのかが思い出せないのだ。

 それに応えるように、チカが口を開いた。


「……イナは、気を失ってたの」

「……熱中症?」


 ひどく乾いた口で、なんとか発音する。

 実際、身体はだるいし軽い頭痛もあった。


「お医者さんはそういうことにしたみたい」


 彼女は本当のことを知っているような口ぶりだ。


「……何か、妙な夢を見なかった?」


 その言葉で、泥濘の中にあった記憶が引き戻される。

 あまり思い出したくはないが、おそらくあれは。

 遺品に残った被爆者の記憶が、イナに当時の情景を大雑把に見せた――そう考えるほかない。

 実感があるわけではないが、このごろ鼓膜を通さずに聞こえてきていたのは他者の想いだろう。

 推測の域は出ないが、それはおそらく意志のない物からも伝わってくる。

 物に残された持ち主の想いというやつだったのだろう。


「……チカは、どうしてここに?」


 伊奈が何も言わずとも察したのだろうと、別の話題に切り替える。

 何か周りを気にして言いづらそうにしながら、チカは答えた。


「イナに伝えたいことがあって来たの。ここに付き添ってきたのはたぶんイナの学校の先生で、今はおじさまとおばさまに連絡してるんだと思う」

「………」


 つまり、忍び込んでいるということか。

 遠くからでも伊奈を感じるというのなら、今更先回りされていても不思議ではないが。


「私のお母さんとお父さんも来てる。……落ち着いて聞いてほしいの」


 再々そう言いながら、どことなく焦っているのが分かる。

 すると病室に、この間見たばかりの人影が二つ入ってくる。

 チカの両親、悠里夫妻だった。


「目が覚めたか、イナ君の調子は?」

「……なんとか」


 誠次の問いかけに、少しだけやせ我慢をして答える。

 正直なところ、近くに用意された水を飲みたくて仕方なかったのだが――あのような出来事があった後では、いくら乾いていても喉を通らない。


「なら、チカを継いで手短に話そう。君は早退という扱いで、これからご両親が迎えに来る。到着までそう時間はかからない」


 それだけを伝えるには、誠次の声音はやけに焦っているようにも聞こえる。


「予定は狂ったが、まだ調整できる範囲だ。だから詳しいことはさておき、君に聞きたいことがある――あの世界に戻れるなら、戻りたいか?」

「え……」


 勿体ぶることもなく投げかけられた質問は、予想外のものだ。

 あの世界、というのならば、伊奈の思い浮かぶものはただ一つだけ。

 同じものを意図しているのであれば、それは?

 推測ばかりが先行して、理解が追い付いていない。

 つまり、つまり誠次は。


「僕は君の身に起こったことに、多少関わっている。君を観察し、必要に応じてこのように情報を伝える――メッセンジャーのようなものだ」


 どこかで予想していた、というのは嘘だが。

 なぜかそれを受け入れられている自分に、伊奈は気付いた。

 怒りを覚えるわけでもなかった。そんな余裕もなかったと言うべきか。

 ただ、次の言葉を待った。


「今ここで選べなくてもいいが、すぐに選択を強いられる時が来る」

「……何かあるんですか」


 望ましくないことであるのは確かだ。

 だが、選択する猶予があるだけマシだろう。

 否――伊奈からすれば、強いられた方がまだ気が楽かもしれないが。


「突飛な話をしても混乱を招くだろうから、なるべく簡潔にするが……君を狙って、異次元から刺客が現れる。さしあたっては1体だが、これから増える可能性も十分ある」

「刺客って」

「君の存在を消そうとするナニカ。巨大なモノ。対抗するならば、エイグを用いるほかない」


 はぐらかす一方で、明言していないあたりエイグではないのだろう。

 ならば、わざわざ伊奈を狙ってくる超常的な存在。

 ……一つだけ、思い当たるものがあった。


ia(イア)……」


 無意識に零した言葉に、誠次が少し驚いたような表情を見せる。

 しかしすぐに、納得したように目を伏せた。


「……そうか、あれを見たのか」

「iaでは、ないんですか」

「詳しくは僕も知らないが、iaそのものではないことは確かだ。同質のものではあるらしいけれど……気にしなくても問題はないだろう」


 謎は残ったが、誠次の反応であの小説が本物であることが確かとなった。

 ならば、あちらの世界でもiaが何かをしようとしている可能性は大いにある。

 その警告をするべきだと、伊奈は思ったが、しかし。


(……あっちでiaの攻撃があるとするなら、それを忠告したりしないのか?)


 あるいはそれ自体はさしたる問題ではないのだろうか。

 混乱の余り、誠次が敵か味方かがはっきりしない。


「お父さん、イナをあんまり困らせないであげて」

「だが、切迫しているのは事実だ。聞きたいことがあれば答えられる範囲で答える」

「………」


 急に言われても、何を聞けば適切なのか分からない。

 一方、そうして思考を混濁させて時間を浪費するべきでないとも思い、一向に思考が前に進まない。


「……戻るかどうかを聞くということは、どちらかにいなければならないということではないんですか?」


 ゆえに、伊奈の口をついて出た言葉は半ば無意識のものだった。


「僕もそう伝えろと言われただけだ、事情は分からないがそうなのだろう、としか言えない」


 逆に言えば、どちらでもよいということか。

 では目的はいくらか果たせているのではないか。

 ならば――ここでどちらかの世界を選択させる意図は何だ?

 聞きたいところだが、これは答えられる範囲に入っていそうにはない。


「……なら、片方を選ばなかったことで何か悪いことは起こりますか」

「起こらない……と言うほかない」


 案外と隠し事が下手なのか、明らかに含みのある言い方だ。

 ただ、起こらないという点に関しては真実なのだろう。


「……俺は、何をすればいいんですか」

「何かをさせるべきだという事項は聞いてない。でなければこうして選択権を与えてもいないと思うよ」


 それが本当のことかはわからない。暗にどちらかに誘導されていないとも限らない。

 だが、疑ったところで進むものもなく。


「すべては君にゆだねられている。君が『選ばれた』のは、最終的に『彼ら』とって望ましい行動を取ると思われたからだ」

「………」


 なにも、分からなかった。

 ただどうしようもなく、虚無感に襲われていた。

 結局いまどう悩もうとも、それすらも無意味であるかのように。


「選択に意味がないと思ったか? それは違うな」


 選択する気もなくなりかけた頃、凛とした声で声を発したのは――チカでも誠次でもなく。

 今まであまり声を聴くことのなかった、悠里玲衣だった。


「時折大きな苦難を強いられたのは確かだろう、だがそれ以外の選択は全てお前のものだ」


 伊奈は玲衣をただの美人な主婦くらいに思っていたが、こんな風に話していた記憶はない。

 別人を疑うほどだ。

 否。彼女も誠次の言うメッセンジャーだとすれば、こちらが本性ということになるのか?


「『奴ら』はお前を選んだ。お前の選択に賭けたんだ。私はそこに善意があると思ったからこそ、こうして手を貸している」

「……俺が、苦しんでも?」

「憎いのなら罰を受ける覚悟もしている。お前の親も、お前をそんな目に遭わせてまで守りたいものがあったんだ」

「……え?」


 彼女はさも当然のように言ったが、鈍感な伊奈でもさすがに気づくものがあった。

 言葉をその通りに受け取るならば、瑞月孝一と瑞月瑠羽が転移の引き金を引いているということになるが。

 どうにも、そういう風には聞こえなかった。

 まるで、別に本当の親がいるかのような。


「おい……!」

「構うな、遅いか早いかだけだ」


 妻に制止が効かず困ったように頭を掻く誠次を無視して、玲衣は話をつづけた。


「薄々気付いてはいただろう、自分はあの両親から生まれたわけではないのだと」

「………」


 彼女の言う通りだ。

 だが、これだけ特異なことが身に起きているのだから、こんな存在が偶然生まれてしまっただけなのだと、抵抗したくもなる。


「……でも、その本当の親っていうのは、俺を捨てたんですね?」

「違うな」


 自虐的になる伊奈を、玲衣は通る声で強く否定した。


「苦難の末に産んだ子だ、手放すのは容易いことではなかったはずだ。その上で『奴ら』は、お前を含めた全てを救うことを目指したんだ」


 とても立派なことをしたのだと言うような口ぶりだ。

 しかし伊奈からすれば、正体も分からない誰かの話をされているだけに過ぎない。

 信用が、できなかった。何も。

 語られるすべての事実が、嘘であるように思えてしまう。

 そうしてすべてを否定しているのが、最も楽であるように思われて。


「……何も、分かりません」

「イナ……」


 伊奈を心配するチカは、おそらくこの話は事前に聞いていたのだろう、特に驚いている様子はない。

 彼女も――どこまで知っている?


「……私は、いまのイナと同じくらいのことしかわからない。どうしてこんなことになったのか、どうしてイナなのかも。ただ私は、イナを支えるようにって」


 ――自主性はないのか? 言われたからそれをすべて呑み込むのか?

 高まる疑念の矛先は、チカにも向く。


「違うよ、私がそうしたいと思ったの」

「……そう思わされてるんじゃないのか」

「それでもいいって思ったから、私はここにいる」


 この間の、伊奈の部屋でのことと同じだ。

 彼女は伊奈の悪意まがいの燻りに真っ向から対峙して反論する。


「……誠次さん」

「なんだ?」


 主に自分のせいで、この話に終わりが見えないことを悟り、伊奈は恥を承知でその問いを口にした。


「誠次さんは、俺がどっちに行ってほしいんですか」

「……答えを期待している様子ではないけど?」

「……分からないんですよ。いきなりああだこうだ言われて、どっちか選べって言われて。貴方たちの都合に付き合わせてるんなら、ここで好きに命令すればいいのに」

「なら何度でも言おう、君の選択が全てだ」

「――ッ」


 そこまで来てようやく、彼は寄る辺がなく自分で選ぶほかないのだと、悟った。

 それを表情から読み取れたのか、誠次は伊奈へ背を向けた。


「その時が来れば、接触の機会を作る。そう遠くはないだろうけれど」

「チカ、お前も来い」

「……うん」


 母に呼ばれた去り際、チカは伊奈の手を取って少しだけ力を込めた。

 言葉はなくとも、伊奈への想いを、身体に直接教えるように。

 どうあっても、自分はイナを支えるのだと。そこに、偽りはないのだと。


「……じゃあ、またあとでね」


 静かに言い残し、彼女も去っていく。

 訪れた静寂はしかし、伊奈の迎えに来た母・瑠羽によってすぐにやぶられた。


「大丈夫、伊奈? いま父さんが先生と話してて、点滴が終わったら帰るけんね」

「ぁ……」


 何かを言おうとして、それが空白であることに気付き口を閉じた。

 目の前にいるのが、本当の親ではないかもしれないという話が尾を引いていた。

 だが、瑠羽はあくまで伊奈を息子として扱っている。

 本来は、血のつながりなどどうでもよいのかもしれない。

 架空の世界においても、そんな関係を何度も見てきた。




 だというのに。

 伊奈には急に、両親が遠い存在に見えてしまっていた。

 あんなにも、誠次や玲衣の話を疑っていたというのに。





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