第23話「明かされゆくもの」:A4
「……なんとなく、そんな気はしていました」
瑞月家の居間に、瑞月夫妻以外の人物がいた。
悠里千佳の両親たる、悠里誠次と悠里玲衣。
チカもいたのだが、先ほど伊奈の下へと飛び出した。
そうして大人が同じテーブルに四人も集まって話している内容は、決して互いの子の仲睦まじさを語っているものではなく。
――伊奈が瑞月家の本当の子ではない、という話だった。
「いえ、もとからあの子は私達の子ではありませんでした。不妊治療を諦めた私たちが、養子を取ろうって、施設の子を……」
「母さん、今それはいい」
衝撃から震えた声で回想を始めていた妻を、夫の孝一が止めた。
「……正直、突飛すぎて理解が及びませんが。悠里さんとは付き合いが長いし、妙に納得できる所もある」
「目、ですね」
誠次の言葉に、孝一が首肯する。
「あの目に惹かれて二人で決めた。ただ珍しいこともあるだろうと思っていたが、これまでの生活で、少しずつ普通ではないと認め始めていた」
実際に目の当たりにしたことはないが、時折瞳が光ったという話を聞いたり、そういった異常性が原因でトラブルを起こしたことも何度かあった。
孝一が県の教職に就いていたこともあり、名の通った孝一の子絡みで大事にしたくなかった学校と、下手に環境を変えられない自身の家庭に折り合いがつけられず、今に至るまで日和見するほかなかった。
彼自身、答えが分からないことを言い訳に問題を先送りし、伊奈をないがしろにしていなかったとは言い切れない。
「……伊奈にはこの話を?」
「いいえ、まだです。ですがいずれ彼自身で知り、選ぶ時が来ます」
「……っ」
今更あの子を連れて行くなとも言えず、しかし自分たちの子であったことは確かで、感情が上手く整理できずにいた。
妻の瑠羽に至っては耐えきれず涙をこぼしている。
「お気持ちはわかります、私達も娘を捧げなくてはならない」
「……なぜ、あの子達なのですか」
「そういう風に生まれたから、としか言えません。この事態を仕組んだ者にしてみれば、この世界も伊奈を都合よく育てるための嘘だということらしいのです」
「……元々、ここに伊奈はいなかったと」
誠次が頷く。
並行世界などの概念は、SF映画などで耳にする機会の多いもので知らないわけではないが。
いざ現実で持ち出されると、追いつかない。
「しかし、しかし。あの子はまだ15になったばかりの子供だ。あの子に正しく選択なんてできるのか? 自棄になって、あとで後悔をしたり……」
「……すべて、予定通りということだそうです」
「……ッ!」
孝一が机の下で拳を握り締める。
「その者がやればいいのではないかッ! なぜ、なぜ伊奈が!」
「………」
誠次は答えない。答えられないのだ。
何を言ってもこの事態は変えられず、孝一を納得させることもできないからだ。
「……私も、ただの連絡係です。それも娘を捧げることを、あの子が生まれる前から定められて。今でも納得していないのが正直なところです」
孝一は怒りを抑えたまま、理性を働かせて誠次の言葉に耳を傾ける。
「こうして話している我々も、所詮は盤上の駒に過ぎないのだそうです」
「……ならばなぜ、貴方はこのことを伝えに来たのですか」
「任せられたというのもありますが――息子さんも、我々が関せずともいずれこのことを知るでしょう。しかし彼が一人でこの事実と向き合うのは、きっと辛いと思いました」
妙な含蓄があるのは、既に誠次も娘のチカと共有しているからなのだろう。
それが分かったために、孝一も理不尽に怒鳴る気にはならなかった。
「しかし……私達に、何ができる」
「息子さんの意見を尊重すること。そして、息子さんを必要以上に困らせないこと」
無理に引き留めようとするな、ということだ。
おそらくだが、伊奈が決め、自分たちの手を離れるとして。
それを無理やり引き留めようとしたところで、伊奈が去った後は自分たちはそれを忘れてしまうか、なかったことになる。
しかしながら、伊奈にはその記憶が残ってしまう。
(私たちはまだいい。だが、伊奈にそんなことを強いるのか……)
なぜ、なぜ、なぜ。
絶えない問いは、決して解かれることはない。
問うべきものに宛てたとして、どうにかなるものでもない。
受け入れるほかないのだ。
自分は状況に取り残されたままに。
「……ひとまず、伝えるべきことは以上です」
「……わかりました」
中身のない形式的な返事をする。
受け入れられていたわけではないが、抗っても無駄だということはなんとなく分かっていた。
「それから」
まだ何かあるのかと、疲れた顔を上げる。
誠次の方もそれをわかっているのか、話を続けるのが申し訳なさそうにはしていた。
「しばらく娘が訪ねてくるかと思います。息子さんのケアをしたいだけですが、お邪魔でしたらすぐ帰るようにと伝えていますので」
「……私どもよりも気持ちが分かるでしょう。こちらからお願いしたいくらいだ。泊まっていただいても構わない」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
その実、まだこのことを知らない伊奈とどう接すればいいのかわからなかった。
別れを宣告され、何事のなかったかのようにふるまうなど。
いつまでもそうしているわけにはいかないと分かっていても、今は千佳に頼ることに逃げるほかなかった。
「……申し訳ない、これ以上は。考えを整理したい」
「わかりました。また何かあればご連絡ください。宿泊の件は娘に伝えておきます」
返事する気力もわかず、俯きがちに頷いた。
軽く会釈をして去っていく誠次と、丁寧に頭を下げて部屋を出る玲衣。
その背を見送るしかできず、これからのことを考えようにもうまく頭が回らない。
ただ時折、隣の妻のすすり泣く声が聞こえてくるばかりだった。
――なあ! 生み直してくれよ!
――俺を勝手に生んだ責任を取りやがれ!
――よくも。オレを生みやがったな……!
――だから否なんて名前を付けたのかよ!
『昨日』の伊奈の恨み言が不意に蘇り、孝一は頭を抱える。
生み直せるなら、ぜひそうしてやりたい。
だが生んだのは自分達ではない。
ちゃんと母親の腹から生まれたのかも定かではなくなっている。
名前を付けたのも、自分達ではない。
孤児として拾われた幼い伊奈も、『イナ』とだけ書かれたメモが残されていたらしく、だから伊奈という字も自分達で勝手に当てたものに過ぎない。
ゆえに名前の真意を問われても、わからないのだ。
伊奈を拾ったことが間違いだった――そう思いかけて、すぐに振り払う。
苦難こそ多かったが、後悔が上回るほどではない。
世界を救う、などという突拍子もない話が本当だとすれば、それは他と比べようもない。
(比べようも、ない……)
そう考えている自分が虚勢を張っているようにしか見えず、ため息が漏れる。
(しかし、全てが定められているというのが本当だとして……)
定められた結果が分からない以上は、無知と同義である。
言わば台本があるが、その台本を渡されていない演者と言ったところか。
監督が文句を言わないのであれば、自分はアドリブと思ったまま演じ続ければいいだけのこと。
自分に言い聞かせながら、孝一がある考えを行動に起こしたのは、数日が過ぎた頃のことだった。




