Prologue1「彼は《戦えた》」:A
……どうやら、遅かったらしい。
俺が辿り着いた時には既に、徐々に地獄が世界を蝕み始めていた。
視線をどこに向けても、味方であることを示す青と白で塗られた機体は破壊されている様が見える。人型であるせいか、生々しい人間の肢体に見えて仕方がない。
それも一つだけではなく、この広大な荒野のそこら中に転がっている。
既に目からは光が失われ、二度と動く気配はない。
いずれも胸が貫かれていた。拳や実体剣による物理的な破壊なら搭乗者もあるいはと思ったが、装甲には溶解し焦げたような跡が見える。
焼かれたのだ。
悔しさで歯を食いしばる。そいつはいつしか言葉を交わしたことのある誰かだったかも知れないし、全く知らない誰かだったかもしれない。
いずれにせよ、この場から――この世界から消え去ってしまったという事実が、俺の理性を崩し始めていた。
「シャウティア……。みんな……みんなはどこにいる……?」
震える声で、愛機に縋るように問いかける。
この場に、共に戦ってきた仲間はまだ生きているのかと。
しかしAIは残酷なほどに素直で、瞬時に返事が伝えられた。
――いずれも機体を残したまま、既に機能を停止していると。
仲間の生体反応も、その一切が認められないと。
「……俺のせいだ……。戦えないなんて、馬鹿なことを言っていたから……!」
膝から力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
40mを超える巨体の衝撃の受けた地面から、派手な音が響き砂埃が巻き上がった。
自責の念と絶望が、俺の足を掴んで他界へ引きずり込もうとしているかのように、体に重くのしかかる。
「そんなことを言っていたから……本当に戦えなくなっただろうが……!」
自分の拳が壊れかねないほどに握りしめても、怒りと悲しみを拭うことはかなわない。
後悔が心の中で津波となって、精神を乱していくのがわかる。
――あの時と同じだ。
二度と起こしたくない。見たくないと思ったあの時と。
そう誓ったはずなのに。
――よくも。
「……やりやがったなッ!!」
感情のままに叫び、何かに操られたかのようにゆらりと立ち上がる。
いつの間にか、濃緑色の機体が地平線を覆い隠していた。肩には白で描かれた、蛇の頭を模したエンブレム――明確な《敵》である証だった。
そのいずれもが、黒い銃口を俺に向けていた。
ただ鉛弾ならば恐れるに足らないだろう。しかし俺は、打ち出されるものが光速あるいはそれに近い速度の熱線だということを知っていた。
引き金を引かれれば、間違いなく当たる。それがわかるほどの理性は残っていた。
そして、今何をすべきかも。
「――叫べ!」
呪文を唱えるように叫んだのち、俺は手近の敵を目がけて駆け出しすぐに飛び上がった。上空にいれば、仮に今引き金を引かれたとしても当たることはない。
俺に向けられていた銃口はいずれも、時が止まったかのように俺を追ってはいないのだから。
どう見ても隙だらけの敵の一機を見据え、拳に薄緑色の光を纏わせて推進器を思い切り噴かせ突っ込んでいく。
「失せろッ!」
そして敵に触れる直前、再び唱える。
金属同士の衝突音どころではない爆音が暴風にかき消されながら、隊列をなしていた内の一機が戦場の外へと吹っ飛んでいく。
すかさずもう一度叫べと唱え、隣にいた敵機に襲い掛かろうとしたその時――俺が急にこの世からいなくなったかのように、全身の感覚が消えた。
否、機体と身体は確かに残っていた。地面を抉るように転がりながら、その際の揺れで何とか意識を保つことができた。
――何が起きた?
よろめきながらも立ち上がれば、濃緑の隊列に守られるかのように、至極色の巨人が立っているのが見えた。
既に巨人たる機体に乗っている状態でそう思うのだ、生身ならば山が目の前でそびえ立つかのように見えるに違いない。
加えて、その巨体から繰り出されたであろう攻撃の仕方が理解できずにいた。
見た目だけで判断するならば、飛び道具の類は見られない。おそらく殴られたのだろうが、そうだとすれば異様なほどに速かった。
何せ、誰よりも速く時間を流していた俺に、リアルタイムで攻撃を当てたのだ。
普通ではない――異常な相手だと、すぐにわかった。
それでも、俺から戦意は失われていなかった。
正直なところ、もはやこの戦いに勝とうが負けようがどうでもよくなっていた。
これで奴らを倒せなければ、自分はその程度の人間だった。選ばれた人間などではなかっただけだ。
だがもし、この場で奴らを倒せたとしたら――その先を考える余裕までは、なかった。
「叫べよッ! もっとッ、もっとだッ!!」
己を鼓舞しながら絶叫し、指揮者と思しき至極色の機体に向けて突貫する。
動きはない。やはり、先ほどの一撃はマグレか?
吼えながらその拳を突き出そうとして――再び、全身に衝撃が走る。
今度は先程よりは些か弱かったが、それでも小さくないダメージであることに変わりはない。
――そもそも、ただのエイグに俺に触れられるはずがない。
にもかかわらず、この至極色の機体は俺を確かに掴み、動きを封じていた。
ミシミシと、体の節々が不快な音に合わせて壊されていく感覚が伝わってくる。
痛みを訴える声は、もはや空気を無駄に震わせるだけの振動にしかならない。
「がッ!?」
このまま潰されると思っていたところに、不意に浮遊感が体を襲う。
投げ飛ばされたと理解した時には、俺の体は再び地面の上を転がっていた。
「……クソが……」
俺の口から、悪態と共に乾いた笑いが出てしまう。
仲間もいないこの状況で、どう戦えというのか。
叱咤してくれる者も。
背中を押してくれる者も。
道を拓いてくれる者もいない。
彼らは、俺の戦う意味を象徴するものでもあった。
それを無くして、なお、戦えというのか? この世界は……。
抵抗の意志が一転し、激しく削がれていくのがわかる。
体から温度が失せていくこの感覚。不快ではあるが、その感情すらも消えていく気がする。
反面、なけなしの理性が再生をはじめ、俺の心が絶望に染まっていくのが鮮明に感じ取れる。
――どうせ、立ち上がった時には光線銃の引き金が引かれているに違いない。
なら、もう何をしたって同じだろう?
そろそろ、休んでもいいんじゃないか。
この世界のすべてから目を逸らしたくなり、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
――お前はそうは思わないか?
《………》
俺の問いかけに、AIは否定も肯定もしなかった。
所詮は機械なのに。いつもは、即座に答えを返してくれていたのに。
だが、今はなんだかそれが可笑しいほど人間臭く思えて。
今一度立ち上がる意志を、僅かにでも燃やすことができた。
「……どうせ、死ぬんなら」
せめて、自分らしく。
例え次の瞬間には、全身を撃ち抜かれるのだとしても。
半ば自棄になっているのは否めなかったが、それでも意を決して仰向けになり、推進器を噴かせて強引に上体を起こす。
敵の隊列は既に組み直され、構えられた銃口の奥に光源が見える。
だが――俺に見えているのなら、俺が先手を打てる。
「抗えッ!」
俺に流れる時間を速める絶響と共に今一度飛び上がり、今度こそ至極色の機体に一撃を加えるべく突貫する。
同じ手ではあの機体に通じることはないと考えていいだろう。
ゆえに今度は、遠距離からでも届く攻撃で仕掛ける。
両手を天に伸ばし、その掌から薄緑の光を溢れんばかりに放出する。
そして直感でタイミングを計り――激しい火柱のようなそれを、可能な限り速く振り下ろした。
当たれば破壊に至らずとも、確実なダメージにはなるはずだ。
その確信を持った刹那、右半身に違和感が走った。そこには体があるはずなのに、体内にあたる部位が風を感じていたのだ。
何事かと本能がAIに問えば、単純な答えが返ってきた。
蒸発したのだ、一瞬で。痛みを感じるまでもなく。
エネルギーの供給を絶たれた光の奔流は虚空に溶け、至極色の機体を撫でるだけに終わる。
今のが、この時の俺に出せる限界だった。
にもかかわらず、敵が人知のみならず俺の常識も超えていたのなら、やはり勝てはしないらしい。
力なく倒れると、俺の意図を汲んでくれたのかAIが操縦システムをダウンさせた。
痛みは失せ、冷たい闇に包まれた場所へ視点が切り替わる。
外からは、世界を焼く音が聞こえていた。
空気を引き裂く甲高い音が通過したかと思えば、地面が火を吹くようにめくれ上がるのが伝わってくる。
「……なあ、シャウティア。コアを開けてくれ」
返事はない、だが聞き届けたのだろう。俺の言った通りに搭乗口が開放され、外の光と温度が入り込んでくる。
装甲の上に立ち、眩さに目を細めながら開けば――そこは、先ほどよりも絶望的な地獄が広がっていた。
辺りを炎が包み、濃緑の機体や、至極色の機体がじわじわと歩みを進めている。
前者が下僕ならば、後者は支配者か、悪しき神と言ったところか?
一歩ずつ進むごとに、誰かが引き金を引き、荒野に火を放つ。
誰がそれを聖なる存在だと思うものか。
――ああ、なんだ。やっぱり勝てっこなかったんだな。
例え仲間が全員生きていたとしても。
俺には、何かが足りなかったんだ。
世界を救いうる力を与えられただけでは、世界は救えなかったんだ。
悪だと分かっていても、俺の正義じゃ太刀打ちできないんだ。
その何かが何なのか、知っている者が都合よく近くにいないものだろうか。
こういう時ばかりに頼るのは良くないと分かっていても、今は神にも問いたい気分だった。
無論、答える者はない。
吹き荒れる熱風に身を晒していた俺は諦めたように、顔を俯かせ、目を閉じた。
「……いま、行く」
これがせめてもの手向けとでも言うように。
至極色の機体から発せられた光線は、俺の認識する世界を真っ白に染め上げた。
まるでこの世界のすべてが、原初へと戻ったかのように――