人里に降りてみようとした話
ゴドル王国の人間達を助けてから、一ヶ月が過ぎた。
その間、暇を見つけては次の暇つぶしを考えたりしてコソコソしていた訳だが、メインイベントであるねこ勇者レイシィの育成にだって抜かりはない。
いつも通りである。
我が家庭、もとい弟子であるレイシィとの生活は順風満帆で、毎日の修行とそのストーキングを行っているという訳だ。
だがそれだけで全てが完結するかと言われれば、そうでもない。
確かに修行の方は順調と言えば順調なのだが、さすがに低レベル帯だった時と比べてその成長速度は緩やかになってきたのだ。
一ヶ月前、素のレベルが10程度だった彼女の実力は、少し成長してレベル11に差し掛かったところだろう。
聖剣のステータス上昇効果を加算し、レベル21と見て相違ない。
そう、一ヶ月でたった一つしかレベルが上がっていないのだ。
いやでも、この辺のレベルって難しいラインなんだよね。
これだけ成長してしまうと森の雑魚敵相手では経験になりにくいし、かといって少し強い魔物が相手だと命の危険が付きまとう。
まあ魔物に殺されて直ぐくらいならば、ギルドホールの課金アイテムでどうにか蘇生できそうな気もするんだけど、それでも彼女が命を落とすようなところは見たくない。
なによりもし失敗した時の事を考えると、試す気にもならないというものだ。
故に、そろそろ森での修行も頃合いなのだろうという事が窺える。
という訳で、俺は彼女の修行のために新たな決断を下した。
「よし、町に行こう」
「はい? 町ですか?」
そう、町である。
俺はようやく、50年ぶりにこの森を出て人里に降りる事を決意したのだ。
不老の最高位魔導士である【ねこふんじゃった】がついに、文明人になるという訳である。
この50年、本当に長い道のりだった。
いや、異世界にきてからという事を考えると1000年ぶりだろうか。
とにかく、そういう事だ。
「うん、そろそろこの森での修行も限界だと思ってね。確かにレイシィは強くなったけど、神王の剣を手にしてからというもの、苦戦らしい苦戦をしていないだろう? それではこれ以上成長する事は難しいし、なにより俺はレイシィに色んな事を体験してほしいんだ」
いままで引き籠っていた奴がどの口でそれを言うかといった具合だが、言っている事は事実だ。
まだまだ経験が浅く、社会に出た事の無い彼女には人との触れ合いが不可欠だと判断した。
俺には衰える事の無い体と、向こうの世界での人生経験があるから急ぐ事はないのだが、彼女には人間としての寿命がある。
そんな短い時間の中で、大切な幼少期をこんな森奥深くの何もないところで過ごしてしまうのはもったない、俺はそう思うんだよ。
うん、完璧な理論だ。
これでようやく、次のイベントを始めることが出来る。
い、いや、決して何か新しい事を思いついたからとか、そういう理由ではない。
それに先ほど懸念していた事は紛れもない真実だと思うよ。
「で、ですが」
「うん?」
「それでも私は師匠と……、アースさまと一緒がいいです。この聖剣を託された者として、成さなければならない事があるのは分かります。でも今だけは離れ離れに、……なりたくありません。わがままでしょうか?」
うーん?
ふむ、彼女は何か勘違いしているようだ。
なぜか町へ行くのと、俺と離れ離れになるのがイコールだと思っているらしい。
「離れ離れ? まてまて、そんな馬鹿な事がある訳ないだろう」
「え?」
「俺は決して、(育児放棄などという)無責任な事はしない。絶対にね」
「…………っ」
だってレイシィはまだ10歳の子供だし、こんな幼い子を一人で放りだして自立しろとかないわ。
そんなのは最早、鬼畜の所業である。
いや、悪魔の所業といっていい。
故に、悪魔に騙された経験のある俺としては、育児放棄などもってのほかなのだ。
それになにより、それでは新イベントが始められないではないか。
「だからレイシィがこの森を離れる時には、俺も一緒に出ていく事にするよ」
「そんな! この地はあの聖剣と共に生きた、師匠達の思い入れの地ではないのですか!? 私のために、師匠が身を削るような思いをするなんて、受け入れられません!」
「思い入れか……」
「そうです!」
まあ長い間サバイバルしてたから多少の思い入れはあるんだけど、所詮はその程度かな。
ねこ勇者誕生のための聖剣イベントを消化した今、ここに留まる理由も特にない。
まあ確かに、見方によっては聖剣と共に50年生きたとも言えるどね。
でもその聖剣、今はレイシィがもってるしなあ。
「大丈夫、だって聖剣はレイシィに託したんだ。だから森を降りる時は、全部が一緒だ」
「師匠……」
そう言うと彼女は少し涙目になり、目を見開く。
……ははーん、分かったぞ。
もしかしたらレイシィは町に行くのが怖かったんだな?
全て理解した。
なにせこの世界の人間に連れ去られ、いままで怖い思いをしてきたんだ。
まだ幼い少女である彼女の心に、人間へのトラウマがあっても不思議じゃないだろう。
きっとそれは、俺という保護者が一緒でもそう簡単に癒えるものではないのかもしれない。
しかしだからこそ、このままにはしておけない。
彼女の未来のためにも、少しずつ克服していくべきなのだ。
「大丈夫だよ、俺がついてる」
「ぁぅ」
それからは安心させるため、しばらくの間子供をあやすように抱きしめ頭を撫でると、顔を真っ赤にしたレイシィが大人しくなった。
どうやら彼女のトラウマを少しだけ和らげる事ができたらしい。
しかしレイシィにはトラウマなど無い。




