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金曜日の恋 ~ 週末に終わる恋、始まる恋 ~

作者: 一ノ瀬 航

お台場にあるビルを一歩出ると、猛烈な熱気が襲ってきた。


「もう、夕方4時過ぎなのに、やれやれ」圭介は思った。ビル正面のゆりかもめの高架を見ながら、台場駅に行くか、お台場海浜公園駅に向かうか、迷った。

合理的に動くことが多い圭介は、いつもならば迷わずお台場海浜公園駅に向かったはずだが、その日は迷った。

顧客との打合せが1時間も延びて、16時半からの社内ミーティングを別の日に延期、直帰することにしたので、時間に余裕ができてしまった。次は18時30分に汐留へ行けばよかった。


ミーティングの延期を電話で連絡したとき、まだ新人の(しかし、結構優秀な)小枝子が元気に「承知しました。全員のスケジュールを確認して週明けに設定しなおしておきます!」と言ってくれたが、きっと、週末の今からだと参加者のスケジュール調整に苦労するだろう。

来週水曜日までに済ませば良いミーティングだったので、小枝子が調整しきれなければ、自分がなんとかすれば良い、と圭介は思い、任せた。


「まだ、早いな」圭介は時間を潰すつもりで台場駅の方へ向かった。

8月の金曜日、夏休み期間という事もあり、平日なのに台場は親子連れで賑わっていた。

いつも思うが、この賑やかさは嫌いではない。圭介同様結婚していない同僚は、鬱陶しいと言うが、圭介はこの賑やかさが微笑ましく思えていた。

親の後を小走りについていく兄弟、愚図る子供を引っ張っている父親、疲れ果て子供と旦那、両方に文句を言っている母親。どれもが、微笑ましい。

もしかして、一種の結婚願望? ふっと、頭をよぎったが、深くは考えなかった。


あまりにも暑いので、以前、訪れて雰囲気が好きだった台場のロングボード・カフェで自由の女神を見ながらPRIMOを呑んで時間を潰した。


1時間ほど時間を潰して、駅に向かった。

今日は汐留のCホテルに部屋を取っていた。千尋とはロビーで待ち合わせをしていた。まだ早いが、あとはロビーで待っていよう、と思った。待ち合わせはいつも圭介が早めに行って待っていた。


千尋とは付き合ってもうすぐ3年になるが、最近、あまり上手く行っていなかった。

別に喧嘩しているわけではなく、なんとなく仲がしっくりしていなかった。


この春、圭介が忙しく、圭介が落ち着いてきたころに千尋が忙しくなっていた。今日は、1ヶ月ぶりに時間を合わせて、この週末を一緒に過ごすことになっていた。思い起こせば、付き合ってから、1ヶ月も会わなかったのは今回が初めてだった。

以前は、週末の金曜夜から~日曜日までほとんど一緒にいたし、平日のちょっとしたショピングにも付き合ったので、週に3~4日会う事もあったが、それが用事があるとかで、週末の土日どちらかになり、さらに仕事が忙しくなってからは2~3週間に1回程度になって、今回は1ヶ月ぶりになった。


上手く行かなくなって来たのは、あまり会えなくなったからでは無いことを圭介は感じ取っていた。


圭介は、よく千尋のショッピングに付いて行った。

「女性の買い物に付き合うなんてイヤじゃないの?」よくそう訊かれた。

圭介はイヤではなく、千尋に色々試着させ、素敵になっていくのを楽しんだ。千尋は圭介が選んで買った服やアクセサリー、フレグランスなどを喜んで身にまとっていた。圭介が選んだものは自分では選べないものだと言った。違う自分を見つけるようだと、喜んでいた。圭介も自分が買ったものを千尋が身につけてくれるのは嬉しかった。


ところが、千尋は最近、あまり一緒にショッピングへ行くことを望まなかった。

「一緒に行くと、いつも買ってくれるじゃない。申し訳なくて」

そう言って、ひとりで買い物へ行き、デートでも圭介の知らない服を着てくることが多くなっていた。


今日はどのような服を着てくるだろうか。

前回、会ったときは髪をショートボブにしていて、(2~3歳若く見えた)似合ってはいたが驚いた。それまでは、圭介が好きだと言っていたミディアムの長さだった。


嫌われてきているのか?

考えたくはなかったが、他に好きな人ができたのかもしれない、と思っていた。近頃の服や髪形は新しく好きになった人の好みかもしれない、と思ったら、最近の傾向も筋が通る。

しかし、会ったときに嫌な素振りはないし、毎回、抱かれるのも嫌がらない。

好きな人ができたのではなく、単に、そういうタイミングなのかも知れない、とも思った。


どちらにしろ、単に勘違いなら良いが、もし、千尋に好きな人が出来ていようが、嫌われようが、仕方が無い事だと思っていた。人の心を文句を言って引き留めることなどできない。要は、自分に一番好かれるだけの魅力が無いだけなのだから。と納得はしていた。


まあ、とにかく、今日会えるのだし・・・。ただ、今までのような「会える」時の高揚感が無かったので意外だった。


ゆりかもめの台場駅に賑やかな親子連れに混ざって並んでいると、「圭介さん」と後ろから声をかけられた。


振り返ると、恵子の笑顔が見えた。

「おや」

「どうしたのですか? こんなところで。プライベートなお出かけではなさそうですよね」圭介の格好を見ながらそう言った。

恵子は何度か仕事で協力してもらっている会社の営業だった。よく聞いてみると、同時に在籍はしていなかったが、大学の後輩だという事が分って、それから話をするようになった。

最初、大人しそうな印象で、本当に営業が務まるのかと思ったが、無理に売り込むこともなく誠実に対応するので、ある種の顧客には信頼を得ていて、決してトップクラスにはならないが、そこそこの成績は常に上げているようだった。

「うん、お客様との打合せでね」

「台場で?」

「いや、どちらかと言えば、海浜公園かな」

「ああ、あっちの方は色々会社がありますものね」

「君こそ、どうしたんだ?」

「当然、営業です。捺印した書類を届けに」

「台場で?」

「ええ、出張でヒルトンに宿泊されているというので。明日、戻られるというので、今日中にお渡ししようと思って」郵送で済む物をわざわざ届けるこの姿勢が顧客に好まれているのだろう。

「ところで、圭介さん、なぜ台場駅なんです?」

説明するのが邪魔くさくて

「何故か足が向いてね」と言ったら、「予感っていうものですか? ラッキーかな」と言って笑った。


ゆりかもめが来て、多くの親子連れと共に乗り込んだ。車内は賑やかだった。

「賑やかだね」

「ええ、賑やかですね。でも私、この雰囲気嫌いじゃないです。なんだか楽しそうで」

「うん、僕もだよ」

「ホント? 嬉しい」

何が嬉しいのかは解らなかったが、突っ込みもしなかった。

とりとめの無い話を聞きながら、ゆりかもめに乗っていた。話は、仕事のことをはじめ、今日は金曜日なのに、いつも一緒に遊んでいる友達もデートで相手にしてもらえず、つまらない週末になりそうだ、という愚痴まで聞いた。

聞いてもいないのに彼氏もいないと言っていた。


千尋と違い美人ではないが、可愛い雰囲気の娘だし、性格もいたって素直で優しく、おそらく男性にはもてるだろうに、なぜ彼氏がいないのか不思議だった。

「この間のプロジェクトの打ち上げで、今度は二人で食事に行こうって言ってくれたのに、全然、声かけてくれないんですね」

「ああ、ごめん、ごめん」と言いながら、そんなこと、言ったかな? と圭介は思っていた。

まあ、でも、酒の席では挨拶代わりに色々な人と「今度一緒に食事でも」なんて言っているからなあ。きっと、話しの流れでそんな事をいったのだろう。

もっとも、その「今度」は、ほとんどの場合、二度と無い「今度」なのだが。


レインボーブリッジを渡りきってループを回っている時に、千尋からメールが届いた。

今日、急用が入って行けなくなった、という内容と、直前のキャンセルを真摯に詫びる内容だった。時計を見ると、まだ18時前だった。


「ふう」

圭介はため息をついたが、何故か、気持ちの半分で想定できていたので、あまりショックは無かった。が、さて、ホテルはどうするか?

「どうかしたんですか? 何かトラブルでも?」恵子が圭介の表情を読みながら訪ねて来た。

「大丈夫、なんでもないよ」


「圭介さん、新橋ですか? 会社に戻るんですか?」恵子が圭介の様子を気にしながらも話題を変えた。

「うん・・・」曖昧に答えた。

本当は汐留で降りるつもりだったが・・・・。新橋ですか、には答えず、「会社には戻らない。直帰だよ」とだけ言った。

「君は、新橋乗り換えの大宮かい? それとも会社に戻るの?」

恵子は確か大宮に住んでいたハズだ。

「はい、新橋です。今日は、私も会社には戻らないので・・」

「京浜東北に乗れば一本だね」

「ええ、40分かかりません。まだ、明るいなあ、きっと。大宮に着いても」


まだ、帰るには早い、と言っているのかな・・・。

少し考え迷いながら圭介は、すでに予定は無くなってしまったし、一応前の約束(覚えは無いが、したらしい)もあるので、恵子に「時間があるなら、今日、食事にいかないか?」と誘ってみた。

「はい! 是非!」間髪入れない即答だったので圭介は驚いた。大抵の人には、OKの場合でも、こんなに突然誘うと、「えっ?」と言ってから「良いですよ」と言われるのが常だった。

「ふふっ、頑張ってみるものね」小声で恵子が呟いた。

「え?」

「なんでもないです」


ゆりかもめが竹芝を出た。

「汐留で降りよう」

「はい!」元気に恵子が答えた後で「え? 汐留?」


汐留で降りて、Cホテルに向かった。

「新橋の居酒屋だと思った?」

「ええ、てっきり」

落ち着いた雰囲気のロビーに着いたとき、

「ごめんなさい、電話一本だけいいですか?」

「どうぞ」

恵子は少し離れ後ろを向いて小声で「今日は、直帰する」と電話で伝えていたが、何か言われたようで少し話し込んだ。そして、電話を持ったままこちらに向かって来て、

「ごめんなさい。10分だけ待って下さい」と言った。

「全く問題ないよ。どうぞ、ごゆっくり。僕は荷物をクロークに預けてくるから、ここで待っていて」

「はい、ごめんなさい」恵子は僕が仕事の邪魔をしないように席を外したと思った様だ。

恵子は電話で少し話をした後、電話を切り、ロビーの椅子に座ってノートPCを広げた。

恵子愛用の鮮やかな赤色をした富士通LIFEBOOKだ。恵子に似合っている。


圭介は恵子から離れ、チェックインの手続きをした。

二人宿泊で申し込んでいたので、カードキーも2枚渡された。お部屋までご案内しましょうか、と言うのを断って、荷物だけ部屋に運ぶように頼んだ。


食事の後、恵子を帰してから、今日はひとりでお酒を呑みゆっくり過ごそう、と思っていた。半分想定していたとは言え、千尋との予定が急に無くなり、今日は少し気持ちが落ち込んでおり、中野の自宅に帰るのも億劫で、このまま泊まろうと決めた。そんな計画を決めたら、なんだかワクワクした。


戻ってくると、恵子も丁度パソコンの電源を落としているところだった。結局、15分ほどかかっていた。何か資料を送って、内容を説明していたようだった。

恵子は圭介に今日は直帰です、と言っていたけれど、どうやら圭介に会って急遽、直帰にした様子だった。

「大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫です。すみません。」

「じゃあ、行こうか。このホテルにはフレンチ、中華、和食があったと思うけど、何がいい?」

恵子は少し考えて「お食事はお任せします。お酒が呑みたいです」と言った。

どのレストランでもお酒は呑めるが・・・、圭介は、恵子がお酒に強く、食事よりもお酒を楽しんでいたのを思いだし、28階のバー&ラウンジに誘った。


バー&ラウンジは早い時間だったこともあり、窓側の二人席に案内された。

まだ陽は落ちていないので、窓からは東京湾が一望できた。

「素敵!」恵子は感嘆したようにつぶやいた。

夕陽とレインボーブリッジが見られればと思い、西側が見える席に恵子を座らせた。

シャンパンで乾杯した。一口呑んで、「おいしい」と恵子が満足そうに微笑んだ。

食事は数種類のタパスとグラタン、パスタなどの軽食をオーダーした。

「フリーフローだから遠慮しないでね。」

「あら、嬉しいです。では、遠慮無く」と言って少しピッチが上がった。やはり少し遠慮していた様だ。


陽が落ちる前にと思い、圭介はお手洗いに立った。お手洗いの鏡で服装を整え席に戻ろうとした時に電話が入った。小夜子からだった。

時間を見ると18時40分過ぎ、定時は17時30分だから1時間は残業している。

「まだ、仕事しているのか?」

「いえ、もう帰ります。週末ですし」

「デートもあるしね」言ってから、セクハラ発言だと少し焦ったが、小夜子は気にもせず、「そんな相手いません。残念ですけど。あら、そう言えば、なんだか落ち着いた雰囲気そうですね。演奏が聞こえるし。どこかのBarかラウンジですか?」

「ああ」鋭いと思いながら言った。

「いいなあ、圭介さんこそ、誰かとご一緒ですか?」

「いや、違うよ。ひとりだ」何故か思わず嘘を言ってしまった。

「Barいいなあ」また繰り返した。「私も連れてって下さいよ」

「うん、今度ね」

小夜子にも呑みに連れて行ってくれと言われた。これはモテているのだろうか?

いや、小夜子はさすがに一回り以上離れて若すぎる。彼女が付き合う相手の歳には入っていないだろう。モテていると言うよりも、若い小夜子からは歩く財布に見えているのかもしれないな。と苦笑した。

「で、どうしたんだ」

「あっ」思い出したような声を出した。「ミーティングの件ですが、月曜は調整が難しく、水曜日午前中に入れました。水曜日でも大丈夫だと思うのですが、もし、支障あれば再調整します」

「いや、それで大丈夫だ。ありがとう」小夜子もなかなか優秀だ。やって欲しいことを的確に理解して対応してくれている。

「よかった、では失礼します。ところで、ホントに連れてってくださいよ」

「判った、判った」

「期待して待ってます。」

なんだか、あながち、財布に見られてないかもと思いながら、席に戻った。


圭介は飲み物をビールに変えていた。

恵子はシャンパンをお替わりしながら、「あそこはどこになるのかしら」と外を指さすので、いちいち、圭介が解説していたら、陽が暮れて来てた。


西の空が濃い橙にそまり、海や街全体のトーンが濃くなって、お台場方面の明かりがその暗がりの中で美しく輝き始めているのに、その上の空がまだ青さを保っていて、とてもすばらしい、グラデーションを見せた。


恵子は言葉無くその景色を眺め、本当に綺麗、と呟いた。

圭介は、ここからの眺めは、夜のレインボーブリッジの明かりも綺麗だが、一番美しいのは、この時間だと思っていたので、恵子がその眺めに見入ってくれて嬉しかった。


陽が完全に落ち、夜景になると、恵子は少し饒舌になった。

圭介はなぜ彼氏がいないのか訊いてみた。

実際、今まで何人かとは付き合ったがなぜか長続きしないのだと言った。

今までは、すべて男性側から声を掛けられた。そしてどの男性も素敵な人なので、付き合い始めるのだが、どうしてもときめかず、そのうちに会うのが億劫になってきて、会う回数が減り、会わないことに対して男性が不機嫌になり、そのまま、あるいは喧嘩して別れる事になる、と言った。

それを何度か繰り返すと、男性と付き合うのが邪魔くさくなるのだと言う。


「でも、決して、男性と付き合いたく無いわけでは無く、真剣に彼氏は欲しいと悩んでるんですよ。何とかして下さい」

「何とかしろと言われてもなあ・・・」と言ったとき、ジャケットのパスポートポケットに入れていたスマホが震えた。


「あら、メールですか? どうぞ、確認して下さい。私、お手洗いに行って来ます」

そう言って、立ち上がったら少しふらついたので、圭介は腰を支えようとした。確かに、かなりの量を呑んでいる。

「大丈夫です」その後はしっかりとした足取りで歩いて行った。


メールは千尋からだった。

簡潔に、しかし丁寧に、何度も推敲したであろう文章で、別れたいという内容とその理由が書いてあった。


付き合い始めた頃は、今まで自分が知らなかった面を色々と引き出してくれ、とても新鮮で嬉しかった。しかし、最近は圭介の好みに合わせようとしている自分があり、本当の自分が解らなくなってきた。圭介は何一つ強要などせず、とても自由にさせてくれるのに、勝手に自分で自分を束縛してしまっておりとても窮屈だと。

髪をカットしたのも、自分の好みにしたのではなく、圭介が好まない髪型にしてみたかっただけだと。

圭介と別れると一生後悔すると解っているけど、どうしても今の状況が我慢できない。自分で自分を許せないと。

だから別れて欲しい、という内容だった。


千尋は素晴らしい女性だと、圭介は思っている。見た目も美人だし、スタイルも良い。何よりも精神的に自立していた。

その彼女が、悩むのだから、おそらく彼女の今までの経験から処理できない精神状態になっているのだろう。確かに、彼女と付き合い始めた時、本当は年下(彼女がリードすると言う意味であり、必ずしも年齢がしたという意味では無い)の男性の方が良いのでは、とは思った。何一つ、強要したことなど無いが、本来の彼女の性格を封印し、彼女なりに戸惑い我慢して、付いて来てくれていたのだろう。


圭介はすべてを受け入れ「承知した。今まで、悩ませ苦労をかけて申し訳ない。すばらしい時間を過ごせた。ありがとう」と言う趣旨の返事を返した。

メールを返すと、すぐに千尋から電話が入り、何度も泣きながら「ごめんなさい」と繰り返した。圭介も「大丈夫だよ」と何度も繰り返して言って、電話を切った。最後に声を聞けて、圭介もすべてが吹っ切れた。


ひとつの恋が終わったか・・・、予感はしていても寂しいものだ、と思い窓の外を見ると、レインボーブリッジが美しかった。


レインボーブリッジは恵子の席からよく見える。圭介の席は豊洲側を向いており、少し振り返らなくてはならなかった。なので、恵子が戻って、近づくまで気が付かなかった。

「レインボーブリッジ見てるんですか?」圭介の後ろに来たときに声をかけた。

「うん、まあ、何度見ても、きれいだなあ、と思ってしまうね」

「特に、何か、心の中に埋め込んだ思いを持っているときは沁みますね」そう言いながら、自分の席に座った。

圭介は、自分の気持ちを見透かされているのかと、恵子の表情を読み取ったが、どうやらそのような気配はなかった。だと、すれば恵子自身の事を言っているのか。


「何か、悩み事でもあるのかな? 仕事?」

「仕事は・・・、それなりに面白いですし、特に悩みはないですよ。でも、なんだか、生活に張りが無くて・・・。解る?」

「う~ん、なんとなく解る気がする」

「ホントかなあ。原因は解ってるんだけど・・・」恵子は、酔いが回っても、特に乱れることもないし言動もしっかりしているのだが、徐々にタメ口になってくる癖があった。

それを知っている圭介は、そろそろ切り上げようかと考えた。

時間を見ると、20時30分過ぎだった。ここへ来てから2時間半ほど経っていた。

しかし、実際にはそこから恵子の、恋愛談義が続いた。


「圭介さん、結婚しないの?」

「そのまま返すよ」

「だって、相手いないもん」

「不思議だよなあ。こんなにいい女なのに」

「私はいい女なの? 恋愛に向いてないのかも」

好きになり方は、人それぞれだ。確かに恋愛に向いていない人もいるかも知れないが、先ほどの話から、恵子の場合は、いい人には出会っても本当に好きな相手に出会っていないだけの様な気がした。

「そんなことは無いと思うよ」

「慰め言わなくていいです。じゃあ、いい女だと思うなら、圭介さん、付き合って」冗談っぽく恵子が言った。

「シラフの時に言ってくれ」

「圭介さんの付き合ってる人って、どんな人? 素敵な人なんだろうなあ。写真見せて」

数秒間をおいて「いないよ」と答えた。嘘ではない。確かに素敵な人と付き合っていたが、今しがた振られた。

「え?」恵子は驚きの、でも、明るい表情をした。

「ホント?」

「うん、いない」

「もしかして、男性が好きなんですか?」まじめに訊いているのか冗談か解らなかったので、「いや、おそらく僕は、今は女性の方がいい」と答えた。

恵子は少し考え「じゃあ、付き合って?」今度はかなり真顔で言ったので、酔った上での冗談かどうか判断しかねた。

「え? マサカ。本気なのかい?」

「本気です」

「どうした? 寂しいから」

「好きだから」

告白されたのは意外だった。なんとなく好意は持ってくれているような気はしていたが、それは学校の先輩、または仕事の取引相手としての好意で、恋愛感情では無いと思っていた。


千尋とは圭介から声を掛け、付き合いが始まった。

恵子は声を掛けられた付き合いはすべて上手く行ってない。

たぶん、圭介は惚れた相手よりも、惚れられた相手と付き合う方が上手く行くのだろう。

恵子は惚れられた相手より、惚れた相手と付き合う方が上手く行くのかもしれない。

そう、思うと、恵子との付き合いは良い組み合わせのような気もしてきた。

まあ、お互いいい大人なのだし、そんなに慎重になることもないか。

恵子も嫌になれば千尋のように離れていくだろう。

そう思い、「うん、付き合ってみようか」と答えた。

「ホント? 圭介、嬉しい」とうとう呼び捨てになった。


それからの恵子は、かなり「ハシャイ」でいた。そんな恵子の姿を圭介は今まで見たことがなかった。その嬉しそうは言動を見て、付き合いたいというのが本気だったのだろうと納得した。そして、そんな恵子をとてもかわいいと思い、付き合いを承知してよかったと思った。


フリーフローの時間は既に過ぎており、追加でオーダーしていたのだが、さらにオーダーしようとした恵子を押しとどめて、「さあ、そろそろ帰ろうと言った。」時間は、21時をかなり過ぎていた。


「はい」恵子は素直に応じたが、精算を部屋付けにしたら、絡んできた。しまったと思ったが遅かった。

「何故、部屋取ってるの? 誰か来るの?」誰も来ない、気分転換に部屋を取ったのだと言っても、聞かなかった。

「じゃあ、チェックに行く。チェックしたら帰るから」

絡むなんて、かなり酔わせてしまったのか、マズイな、と圭介は思った。大宮まで、無事に帰られれば良いが。寝てしまったら、折り返して横浜へ行くかも知れない。


Barを出ると、「ちょっとお手洗い」と言って、トイレの方へ向かった。その足取りは、結構しっかりしている。よく目にする酔っ払いとは全く違い、そんなに深く酔っているようには思えなかった。


部屋に入ると、照明を抑えているので、夜景が美しく見えた。大きく開いた窓側に置かれた長いソファーが特徴的な部屋だった。窓と平行に足を投げ出し座ると、夜景の中に浮いているような感覚になる。

圭介は、しばしソファーに座って水を飲みながら夜景を見てから、「さあ、誰もいないだろう。チェックが終わったら帰った方がいい。ロビーまで送るよ。よかったら、近々また会おう」と言った。


恵子はひとり暮らしだったはずなので、そのまま引き留めても問題はないのだが、千尋と別れたその日に、恵子とホテルに泊まるのは、今までの圭介の美学からは外れていた。

なので、とにかく、今日は帰そうと思っていた。


恵子はその言葉には反応せず、圭介と同じ方向に、寄り添うように、半分圭介の上に座るように、ソファーに座った。

圭介は自分の上に座り不安定な恵子が落ちないように、左手で後ろから抱きしめた。

恵子からパッションフルーツのような甘い良い香りがした。

「いい香りだ」

「ブルガリなの。オムニア パライバ」

「夏らしい香りだね」

「そうでしょう。私もそう思って。夏だけ使ってるの。・・・ねえ、帰らないとダメ?」

「ウン、その方がいいと思うけど」と言ってはみたものの、かなり迷っていた。


圭介の回した左手の上に恵子も両手を重ねた。そして顔を振り返るように圭介の方へ向け少し上を向くと、唇が圭介のすぐ前にあった。

圭介は、そのまま唇を重ねると、恵子の方から舌を軽く入れてきた。

しばらく舌を絡めるキスをしたあと、恵子は顔を圭介の胸に埋めるように、そして全てを委ねるように、しだれかかって来た。恵子の右首筋の上から胸の谷間が見えた。


圭介は恵子をしっかり後ろから受け止めていた。左手は相変わらず恵子の前に回していた。

自由な右手を恵子の右肩の横から伸ばし、ネックレスを避けながら恵子の首筋から左胸の膨らみへ這わせた。ブラジャーの下に手を滑らせると指に張りのある柔らかい感触を感じることができた。恵子はその間、一切、嫌がらず圭介の自由にさせていた。

圭介の指が恵子の左胸の乳首を捉えた時、恵子が「あ・・・」という甘い小さな声を出した。その声を聞いた圭介は、そこから先を自制することなど出来なかった。


恵子は軽く寝息を立てて、圭介の左腕を腕枕にして良く寝ていた。その安心したような表情の寝顔を見ていると、とても愛おしくなる。

もう、30分ほども寝ているのだろうか、時計を見ると、22時30分を過ぎている。

圭介が時計を見るために上体を少し起こした気配を感じたのか、恵子が目を覚ました。

あきらかに寝ぼけ眼でこちらを見ている。

「圭介さん・・・・・?」小さな声で呟いた。

その後、ハッキリと目を見開き、驚いた様子で「え? ここは? 私、どうしてここにいるの?」と言った。

お互い裸でベッドの中で肌寄せ合っている状態と、ベッドの周りに脱ぎ散らかした二人の服を見れば、誰だって何があったかは解る。それは、記憶が無い恵子も同じだった。


「え~? 何も覚えてないの? ホントに?」今度は圭介が慌てた声を上げた。

圭介は一瞬、もしかしてマズイことになったのかと、思った。

その様子を見て、今度は恵子が慌てた。

「あっ、あの大丈夫です」

「えっ、大丈夫って何が?」

「いや、ですから大丈夫です。私、最近、酔うとその時の記憶が跳んじゃう事が多くて。でも、みんなそんな風には見えなかったと、言ってます。話している内容も、態度もほとんど変わらないって。だから、その・・・記憶が無いだけで、私の意思です。」

こうなったのは自分が望んだからだと言いたかったのだろう。

圭介の心配(つまり、酔いつぶれて抵抗できない恵子を圭介が抱いたと疑われる)を払拭したかったのだが、話す内容がしどろもどろだった。


恵子は「シャワー浴びてきます」と言ってバスルームへ向かった。


圭介は少し唖然としていた。あんなに腰を浮かすほど感じていた行為もまったく覚えてないのだろうか?

圭介は、自分がそんなに酒に強くないため、酔いつぶれる事がなく、記憶がなくなる経験も無かったので、その感覚が解らなかった。


恵子に続いて、自分もシャワーを浴び、ベッドに戻ってくると、ベッドの周りに脱ぎ散らかしていた服がきちんとクローゼットにしまわれて、恵子はバスタオルを身体に巻き付けたまま、ベッドの中にいた。

圭介は自分のバスタオルを脱いで、ベッドに潜り込んだ。

恵子を近くに抱き寄せ、バスタオルを脱がせた。恵子は身体を浮かせて、圭介が取りやすいようにした。


先ほどと同じように、圭介は左腕で恵子に腕枕をした。

足を絡めてから、少し話をした。


「どこから覚えてないの?」

「夕日の綺麗な景色は覚えています。レインボーブリッジの夜景も」

「部屋に来たことは?」

「覚えていません」少しづつ、さかのぼることにした。

「Barを出た後、お手洗いに行ったことは?」

「覚えていません」

「部屋付けで精算したのを知って、部屋をチェックすると言い張ったのは?」

「そんなこと、言ったのですか。すみません」

恵子が圭介を好きだと言った事を聞こうと思ったが、もし、覚えてないなら、なんだか聞くのが卑怯な気がして、さらに1つ前を尋ねた。

「僕に恋人はいるのかと聞いたことは」

「それは覚えてます。いないと聞いて、嬉しくなっちゃって、あとハシャイだ気がします。私、圭介さんの事を好きだっていったんですよね。圭介さん、付き合おうって言ってくれたんですよね」

「うん、その通り」完全ため口になった、あのあたりか・・・と圭介は思った。


「嬉しいです」そう言って、一層身体を寄せてきた。形の良い乳房が圭介の胸に押しつけられた。

「E?」

「Dです」笑いながら答えた。


「あした、ドライブしようか?」

「ホント?」

車を取りに戻るのは億劫だ。新橋あたりでレンタカーを借りよう。

「海に行こうか。伊豆か館山」

「はい、泳ぎたい。」

「水着も買おう」きっと恵子の水着は似合うだろう。

「はい、嬉しい」


そう言って恵子が抱きついてきた。とてもきめ細かい肌で触れているだけでしっとりして気持ちよかった。


「あの・・・」

「はい」

「もう一度、抱いてもいいかな・・・」

恵子は笑いながら

「もちろんです。私には初めての圭介さんとのセックス。一生忘れない」

「僕は二度目だけれど・・・・ね」

今度は、ふたりで笑った。


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