第五話 学院長
二つある城の内、正門から見て右側の最上階。
こちらは高等部の校舎であり、高さや大きさも左側の中等部のものよりやや大きい。
やや大きい程度で、どっちも大差はないくらい大きいところがややこしい。大きすぎて、違いがあんまりわからないのだ。
まぁそんなことはどうでもいいか。
今、大事なことは、その最上階に部屋を構える、学院最高の権力者が俺の前にいるということだ。
「当学院で学院長を務めています。コーネリア・マクスウェルです」
椅子にゆったりと腰かけている初老の女性が、そう自己紹介をした。
白髪の混じった金髪に、皺の入った顔。やや細長い顔立ちのせいか、少々怖そうに見えるが、どこにでもいるお婆さんだ。
しかし、身にまとっている雰囲気のせいか、上品な印象を受ける。実際、家柄とかも相当高いんだろうな。こんな学院の学院長をやるくらいだし。
そんな学院長が俺を窺うように視線を向けてきた。
隣にいるアダムスとエミリアが畏まる。
エミリアは良いとして、アダムスまで畏まるあたり、本当に偉い人で怖い人なのだろう。なにせ、アダムスは王女であるエミリアすら適当に扱う男だ。
「あなたが、二人が見つけてきた翻訳家、ノブト・キサラギさんですね? 随分、若いようですが、年は?」
「じゅ、十六です……」
「高等部の二年生と同い年ですか。まぁ、黄文字を一瞬で翻訳したとエミリアが書いていますし、実力は問題ないのでしょう。ときたまいるものです。若くして才能を発揮する人は」
「では、彼を採用するということでよろしいですか?」
エミリアが念を押すように確認する。
学院長は軽くうなずき、手元にあった書類を見る。
どうやら、エミリアが作った報告書のようだ。
一緒に馬車で移動してきたときは、そんなものを書いている様子は見えなかったから、ここに来る前に少々、待合室で時間を取ったときあたりに作ったんだろう。
仕事が早い上に正確とは、恐れ入る。流石はマンモス校の生徒会長というべきか。
「ええ。エミリアが危惧するように、彼は身元不確かで、怪しいですが、実力はありますし、素行も……見たところ問題はありません。それになにか目的があったとしても、我が校に実害を与えるようなことはできないでしょう」
「その根拠をお聞かせ願えますか?」
「魔力は測ったわけではありませんが、並かそれ以下。体も鍛えているようには見えませんし、動きも素人同然。翻訳能力以外は普通の少年です。そんな少年に我が校のセキュリティーは破れませんよ。たしかに、我が校は貴重な魔道具や書物を保管していますし、各国から貴族の子息も預かっています。用心に用心を重ねて、彼を雇わないという選択もありえますが……彼の翻訳能力はデメリット以上の価値があります。ですから、あなたを雇いましょう。ノブト・キサラギ」
そう言って、学院長は、別の書類を手に取り、慣れた手つきで羽ペンを持つとサインをした。
おそらく、俺の採用を決定する書類だろう。
しかし、これで終わり?
これといって、なにかしたわけでもなく、あっさりと終わってしまった。
エミリアの言葉から、学院長は厳しいという印象を受けていたせいか、かなり覚悟を決めていたのに、こうも簡単に終わってしまうと、なんというか……拍子抜けだ。
そんなことを思っていると、
「では、二人は下がってください。私は彼と少し話をしてみます」
学院長がそう切り出してきた。
エミリアが少々、驚いた様子を見せているから、珍しいことなんだろう。
「学院長が二人でお話しを……? わかりました。学院の敷地を案内するのに人が必要でしたら、お呼びください」
「ええ。彼も見知った人間のほうが気が楽でしょう。話が終わったら、案内をお願いします」
「では、私は失礼します」
「じゃあ、自分も」
エミリアに任せっぱなしだったアダムスは、エミリアが退出すると同時に、自分もさっさと部屋を出て行った。
本当に教師かよ。残って、俺のフォローするとか、気の利いた言葉をかけるとかあるだろう……。
アダムスの対応に不満を残しつつ、俺は学院長室を見渡す。
見た限りでは、これといって変わった所はない。
探せば、地球にも似たような部屋があると思う。
ファンタジックな動く絵とか、勝手に動くペンとかはない。ごくごく普通の部屋だ。
魔法学院の学院長室の割りには、なんというか、大人しめだ。
「珍しいものはありませんよ。必要なモノ以外は持ち込んでいませんから」
「あ、はい。そうですよね。仕事の場所ですもんね」
「ええ。〝異世界から来た〟あなたには、いささか残念でしょうが」
「はい。そうですね……はい?」
さらりと学院長が告げたせいで、俺はその言葉を流しそうになる。
それくらい自然に、学院長は〝異世界〟というフレーズを使った。
それが当たり前かのように。
「驚きましたか? 私も驚きました。あなたの反応を見るに、異世界というのは実在するらしい」
「いや、あの……話が見えないんですが……?」
一人で完結しないでほしい。
とにかく俺は考えた。
まず、なぜ、この人は俺が異世界から来た人間だと知っていたのか。
それを知りえるのは、俺自身と神様だけだ。
俺はありえない。異世界という言葉は使ってはいない。
では神様か?
俺へのアシストのために、この人に俺のことを教えた。
うん、十分に考えられる。
それ以外だと、心を読む魔法なんてものがあったら、俺の心を読んだという線がありえる。
そこまで考えて、俺は思う。
異世界から来た人間だと知られても、別に困ったことはないのでは、と。
身元が不確かなことの説明もできるし、翻訳ができることの説明だってできる。
この世界のことを何も知らないってことを、この人が理解してくれていれば、なにかとフォローも期待できるだろう。
困るどころか、逆に助かる。
「数日前、私は夢の中で神と出会いました。もちろん、最初はただの夢だと思いましたが、それが何度も続くと、神からのお告げなのだと理解できました。お告げの内容は、異世界より少年がやってくる。その少年は翻訳の才能を持っているので、あなたの学院で雇いなさい、というものでした」
「それは老人の神様ですか?」
「いえ、見目麗しい女神でした。名前はルシア。かつて同じ名を持った聖女が、この世界にはおり、伝承では神になったと伝えられています。おそらく同一人物でしょう」
おや?
俺が出会った神様は間違いなく老人だったし、名前もメルランと言っていた。
性別も名前も違うとなると、俺の知る神とは別人ということになる。
けれど、俺のことを知るのは、メルランという神だけ。だとするなら、その女神もメルラン繋がりということだろうか。
深く考えるほどのことでもないため、俺は学院長の話に耳を傾けた。
「女神は、詳細な日にちと場所まで教えてくれました。つまり、今日という日と王都という場所です。半信半疑でしたが、翻訳家が必要でしたし、とりあえず王都に人を送ってみれば、あなたがやってきた。やはり神というのは実在するのですね」
「は、はぁ……」
言葉を聞く限りでは驚いているのだろうけど、表情がほとんど動かないため、その驚きは俺には伝わってこない。
神の実在を確認するってすごいことのはずなのに。魔導師ってのはみんなこういう人ばかりなんだろうか。それともこの人が特殊なのか。
出会ったことのある魔導師が少なすぎて、はっきりとは判断できないけれど、魔導師云々以前に、この人があまり感情を出さないタイプ、ということだと思う。
なんとなくだけど。
「どうして神があなたを送ったのか。理由は聞けませんでしたし、興味もありません。きっと神らしい理由があってのことなのでしょう」
いいえ。まったくもって違います。
自分が正当に評価されないことに憤って、完全に私情で俺を送り込んでます。
まぁ、俺は天国行きを拒否ったからであって、全部私情かというと疑問が残るけど、ほぼ間違いなく機会をうかがっていたことだけは確かだ。
まぁ、それは置いておいて。
「それで……俺の処遇は?」
「歓迎しますよ。ただし、このことは秘密です。神からの使徒だなんて、教会が好きそうですからね。穏やかに暮らしたいのであれば、大人しくしていることです」
「いやまぁ、言われなくても大人しくしてますよ……。そのためにここにいるわけですし」
「では、話は終わりです。仕事の内容はまた明日にしましょう。今日はエミリアから学院の敷地を案内してもらい、あなたの仕事場となる書庫を見てください。寝泊りする場所も書庫内にありますから、自由に使って結構です」
そういって学院長は俺に退室を促した。
かくして、俺の就活は完全勝利で終わったわけだ。
まったくもってイージーだ。