第三話 赤髪の少女
即採用となった俺は、馬車でアカデミアへと行くことになった。
アカデミアまでは馬車で二時間。当然、面接官であった二人と同乗する。
「自己紹介がまだだったわね。私はアカデミアの二年で、生徒会長をしているエミリアよ」
「俺はアカデミアで教師をしているグウェン・アダムスだ。よろしくな、ノブト」
「じゃあ、俺も。ノブト・キサラギです。年は十六歳。趣味は寝ることですかね。それで、質問なんですけど、あんな簡単に決めてしまってよかったんですか?」
馬車の中で自己紹介を受けた俺は、とりあえず、横に座るアダムスにそう問いかけた。
実力は見せたし、驚き具合から、俺の翻訳スキルが本当にチートであることもわかった。
けれど、流石に安易すぎる気がする。だからといって、今からやっぱりナシでとか言われると、困ってしまうけど。
「お前は自分がやったことの凄さが理解できないのか?」
「えっと……山奥でずっと翻訳の勉強をしていたので、普通の人がどれくらいでさっきのを翻訳できるのか、ちょっとわからないんです」
とっさについた嘘にしては上出来だろう。
エミリアはなんだか釈然としなさそうだが、アダムスは顎の手を当てて、なるほど、とうなずいている。
「さっきの黄文字は、古代語の中じゃ三番目に難しいって言われてる。一番は赤文字。二番は青文字。三番目が黄文字で、四番目が看板に使った黒文字だ。看板に黒文字を使って、読める奴だけ面接を受けさせるっていう案だったんだが、お前は黄文字すら瞬時に翻訳しちまった。古代語の中で解析が進んでいるのは黒文字だけで、黄文字はまだ研究段階だ。翻訳ができる奴なんて、片手の指くらいしかいないだろうさ」
なるほど。看板の文字も古代語だったのか。どうりでちょっと公用語とは違うと思った。
しかし、王都中にわざわざ古代語で書いた看板を立てたのか。俺以外から見たら、よくわからん言葉が書いてあったってことだ。
さぞや王都の人は迷惑だったに違いない。
しかし、黄文字の翻訳ってのはすごいな。いや、凄すぎる。
エミリアが厳しい視線を俺にぶつけてくるわけだ。
「問題は、そんな黄文字をあっさり翻訳したあなたが、何者なのか、ということよ。誰に学んだの?」
そうだよね。そうなるわ。
たぶん日本でも、マイナーな言語をあっさり翻訳できる奴がいたら怪しまれる。どこで学んだのか。どれくらい翻訳できるのか。根掘り葉掘り聞かれるだろう。
まいったなぁ。そうだと知ってたら、もうちょっと時間をかけたのに。
って言っても始まらないか。
「故郷にいた老人に教わりました。名前はメルランと名乗ってましたけど……」
「大昔の文献にちょっとだけ出てくる魔導師の名前ね。偽名か、それとも名前が一緒なだけか。どっちにしたって怪しいわね。あなたに教えたってことは、その人も古代語を翻訳できるということだけど、私はその人のことを知らないわ」
「エミリア。お前が知らないからって、信用に値しないってのは、ちょっと横暴じゃないか? いくらお前が優秀で、天才だからって、何でも知っているわけじゃないだろ?」
「怠け者の先生と一緒にしないでください。私は学院長が翻訳家を募集すると言ってから、今日まで著名な翻訳家のことはすべて調べたんです。けれど、メルランという翻訳家の名前はどこにもありませんでした。古代語をあっさり翻訳できる人が名前を知られないはずがありません」
「お前……そんなことしてたのか? 真面目だなぁ。っていうか、お前が知らないのは隠居してたからじゃないか?」
アダムスの言葉を受けて、エミリアのピクリと動く。
しかし、エミリアは静かに深呼吸をして、怒りを収めた。一応、先生ということで気は使っているようだ。
「そうだとしても、そのメルランという人物は古代語を誰かに教わったはずです。それならば、名前くらい残ります。なにせ、ここまで優秀な人間を育て上げる人ですからね。翻訳家自体の数も多くありませんし、名前が売れていないけれど、優秀な人というのは考えにくいと私は思います」
「まぁ、一理あるな。で? 結論、お前はどうしたいんだ?」
「アカデミアに迎え入れるのは止めたほうがいい……と言いたいところですけど、翻訳家が必要なのも事実ですし、信用できるまでしっかり監視といったところでしょうか」
本人の前で監視とか言うの止めてほしいなぁ、と思いつつ、俺は内心、ホッとしていた。
話の流れ的に、やっぱり雇うの止めますとかって感じになりそうだったからだ。
しかし、怪しいと思っていても雇うあたり、翻訳家ってのは本当に貴重なのかもしれない。
最初は結構、監視されるかもしれないけど、問題はないからいいか。俺の目的は、神様である大魔導師メルランの本を翻訳しつつ、気ままに寝ながら過ごすことだ。
なにか悪だくみしているわけでもないし、監視くらいどうということはない。
「それじゃあ、雇ってもらうってことでいいですか?」
「ええ。けど、なにか不審な行動をしたら……」
言いながら、微かにエミリアが手を振った。
その瞬間、エミリアの手に細い両刃の剣が出現した。刀身も柄もすべて銀色の美しい剣だ。けれど、その切っ先を眼前に突き付けられると、美しさなどどうでもよくなる。
先の鋭さは間違いなく、他者を傷つけるためのモノだ。断じて、美術品などではない。
「生徒会長の名において、私があなたを斬るわ。アカデミアは諸外国かも留学生が来る場であり、優秀な魔導師を育てる学び舎でもあるの。些細な問題でも即外交問題になりかねない場所だと心得ておきなさい」
「は、はい……肝に銘じておきます……」
おっかねぇ……。
不審な行動をしないようにってのも肝に銘じたけど、エミリアを怒らせないようにしようってのも肝に銘じておかないと、命がいくつあっても足らない気がする。
なにせ、何もないところから剣を取り出した女だ。すれ違いざまに切り刻まれる可能性すらある。
俺は冷や汗をたらしつつ、何度も頷き、それを見てエミリアは剣を消した。
「怒らせないほうが身のためだぞ。アカデミア歴代でも三指に入る魔導師で、かつ剣も達人級の女だ。実際に戦えば、教師陣だって敵わないだろうさ」
「なぜ、そんな人が学院に……?」
「なぜって、そりゃあ義務だからだな」
アダムスの言葉に俺は首を傾げた。
聞いた限りでは、アカデミアは義務教育ではない。なにせ魔法を教えている学校だ。魔法の素質の無い生徒はどうあっても入学できない。
魔法の素質のある人間は、絶対に魔法学院に行かなければいけないとかって法律でもあるんだろうか。それなら教師も強いのに学校に通っているのも納得できる。
アカデミアは日本でいう東大のような場所だ。選べる範囲で最高の学校を選んだということだろうか。
そう考えていると、隣のアダムスが予想の斜め上の答えを告げた。
「ああ、義務ってのは教育を受ける義務ってことじゃないぞ。アカデミアに行く義務だ」
「アカデミアに行く義務? アカデミアって最高クラスの魔法学院って話じゃ」
「ああ。そうだ。それが義務なんだよ。この国の王族のな。この国の王族はやたら高い魔法資質を持っていて、それゆえに王族なんだ。だから、アカデミアで力の使い方を学ぶ。まぁ、エミリアはその必要がないくらい優秀だがな」
「……王族?」
「ああ、そうだぞ。お前の目の前にいるのは、エミリア・アストルム。このアストルム王国の第二王女だ」
目の前にいる赤髪の少女を見て、俺は愕然とする。
偉そうなんじゃなくて、本当に偉い子だった、と。