第二十一話 帰還
気づくと俺は書庫にあるベッドの上に腰掛けていた。
書庫の中でもさらに慣れ親しんだ場所だから、ここに飛んできたんだろう。
このまま横になって眠ってしまいたい欲求が沸き上がる。
なにせ、昨日の午後三時くらいに出発して、それから馬車を飛ばしに飛ばして、約半日の道のりを十時間ちょっと馬車に揺られて、砦に到着。
その時点で日を跨いでいたが、そこからあと半日くらいは寝てられるはずだった。なのに、到着してすぐに黒霊が登場して、流星を使う羽目になった。
そこで俺の役目は終わりだったはずなのに、神様に起こされて、フィリスに杖を渡されて、今に至る。
眠っていた時間が二時間くらいらしいから、現在時刻は深夜の三時くらいか。
馬車の中でちょっとは寝たとはいえ、熟睡とは程遠い。なにせ、車と違って振動がもろに来るし、道も塗装されていない。いくら俺でもあそこで熟睡するのは厳しい。
当然、魔力切れの睡眠も同じだ。あれは睡眠というよりも気絶だし。
「マジで眠い……睡眠不足ってこういうこと言うんだな……」
寝れない状況でも断固として寝てきた俺としては、この状況は初体験だ。
だから、ベッドの心地よさを感じると、思わず寝そうになってしまう。
だけど。
「寝るのはいろいろと片付けたあとか……」
寝るなら別に砦でも寝てられた。
それでも来たのは、助けに行かずに寝たら目覚めが悪いから。
そして借りがあるからだ。命の借りだ。命より寝ることのほうが大切だけど、それでも返さなきゃいけないモノは返しておくべきだ。
意思の力を総動員して、俺はベッドから立ち上がる。
ベッドへの誘惑を断ち切ると、まずは現状の把握を優先した。
【探査】
ケリュケイオンで地面を軽く叩き、俺は自分の周囲を知ることができる言葉を唱える。
頭の中に学院中の光景が入ってくる。
城壁付近ではエミリアとアダムス先生が奮戦してる。ただ、エミリアは二対一のせいか旗色が悪そうだ。
それ以外の場所でも生徒たちが黒霊相手に戦っている。
ただ、エミリアたちが対峙してるような、強力な個体は城壁にはいないようだ。
城壁にはだけど。
「しっかり侵入されてるんじゃんか……なにやってんだよ、エミリアとアダムス先生は」
中等部の子たちがいる城の入り口で、小競り合いが起きていた。
少数の黒霊が城に入ろうとしているのだ。
その中には服装が周りと違う奴がいるから、エミリアたちが戦ってる奴らと同種だと思う。
けど、中等部の子たちの防御魔法に苦戦しているようだ。
中等部の子たちの中心にいるのはシャルロットだ。
シャルロット自身と、中等部の子たちの連携でなんとか持っているといったところか。
「どっちも拙いけど、まずはシャルロットたちか」
そう呟き、俺は探査で頭に入った光景をイメージし、そのあとに自分自身をイメージする。
自分の転送はさっきのでコツは掴んだ。
自分をイメージするのはそんなに難しくないから、場所されわかればそんなに難易度は高くない。
【転送】
呟き、右手で指をはじく。
視界が一瞬で暗転し、平衡感覚がなくなる。
そこで問題に気づく。
この状態で敵の前に姿を現したら、拙いのではないかと。
けど、もう遅い。
魔法は発動してしまっているのだから。
◆◆◆
床に足がつく感覚と共に、俺の視界も安定する。
同時に、俺の視界に黒霊の靄のかかった顔が飛び込んできた。
「げっ!?」
どうやら嫌な予感は的中したらしい。
目の前の黒霊が手に持っていた剣を振りかぶる。
こうなったら、もうしょうがない。
できることをやるしかない。
【強化】
超次元魔法言語は基本的に世界に働きかける魔法だ。
けれど、この強化は自分に作用する。
一定時間、身体能力や体の頑丈さが上がる。それも飛躍的に。
ただ、魔力の消費が多いというのと、使った後に反動として筋肉痛が来るのが欠点だ。
もちろん、使って試したわけではないけれど、わざわざメルランが本に書いておくくらいだから、相当きついんだろう。
だから強化だけは使いたくなかったんだけど。
「しかたないか」
言いながら、まるでスロー再生のように迫ってくる剣を横に移動して避ける。
身体能力だけじゃなくて、知覚速度も強化されるらしい。
まぁ、身体能力だけ上がったら対応できないし、当たり前か。
後ろを見ると、中等部の生徒たちが張った防御魔法があった。
どうやら、防御魔法を破ろうとしている黒霊たちの目の前に出たみたいだ。
「ま、間に合ったし、よかったとしようか」
ようやく剣を振り下ろしおえた黒霊へ、右足で蹴りを放つ。
武術の心得がある人たちのような、畳んで蹴るような真似はできない。
サッカーボールを蹴るような、不格好な蹴りだ。
けれど、強化によって得られた脚力が、それを達人以上の威力へと跳ね上げる。
俺の蹴りを胴に食らった黒霊が、真っ二つになり、霧散していく。
強化中であれば、打撃でも倒せるというのは新発見だ。
これで魔力を節約できる。
「何者だ!?」
突然現れた俺に対して、厳しい視線を向けるのは、数十体ほどの黒霊たちの最後列にいる男。
黒髪でやや細身。肌は白く、やけに装飾のついた服を身に着けている。
「お前こそ誰だ?」
「私は魔王様より男爵の爵位を頂くロイド! 黒き貴族だ!」
「……男爵? 貴族? 亡霊のくせに?」
俺は頭の中で黒霊の成り立つを思い出す。
たしか黒霊は、亡霊や怨霊の集合体。自我を持たず、人を襲う天災だったはず。
けれど、俺に名乗りをあげたロイドは、どう見ても自我を持っている。
謎だ。
「ノブト! どうしてお主がここに!?」
顎に手を当てて悩んでいると、後ろからシャルロットが声をかけてきた。
だいぶ魔力を消耗しているらしく、肩で息をしている。
「いろいろあったんだ、いろいろ。ま、もう休んでていいぞ。こいつらは俺がやるから」
肩をぐるぐると回しながら言うと、俺は一歩前に出る。
強化の効果はまだ続いてる。
だから、その一歩は鋭い一歩だった。
弾かれた球のように、俺は最後列のロイドの懐に飛び込む。
「誰だって言ってたな? 俺はノブト・キサラギ。ただの翻訳家だよ」
ロイドの顔の前に右手を突き出して、俺は自分の名を告げる。
そして、そのまま頭の中で砦の一室をイメージする。
「なっ!? 戦える翻訳家などいるかっ!」
「いるんだよ。ここに」
目を細めながら答える。
次のイメージは簡単だ。こいつの頭だ。
流石の黒霊も頭を吹き飛ばされれば消滅するだろう。
消滅しないなら、ま、それでもいい。
消滅するまで部位を飛ばし続けるだけだ。
【転送】
言葉と同時に指をはじく。
するとロイドの首から上が消し飛んだ。
念のため、さらに三連続で指をはじき、言葉を唱える。
腕や足も飛ばされたロイドの体から黒い靄が噴き出し、やがて霧散していく。
黒霊相手だからできるけど、生身の人間相手にはとてもじゃないけど使えないな。これはグロすぎる。
俺の感情が持たない。
自我を持ち、言葉を喋るロイドに攻撃できたのは、ひとえにロイドが血を流さないからだ。
これで何色でも血が流れたら、そこで俺の戦意は喪失してただろう。
その点については、人間離れしている黒霊に感謝だな。
そんなことを思いつつ、強化の効果が残っている内に、近くにいる数十体の黒霊たちに攻撃を開始する。
攻撃手段は打撃。不格好な蹴りを出したり、手刀で切り裂いてみたり、パンチを出してみたり。
ケリュケイオンでの打撃も考えたけど、強化しているのは体だけなので、ケリュケイオンがもしも壊れたらと思うとできなかった。
そんなわけでちょっと時間をかけて、俺は黒霊を掃討した。
「ノブト!」
黒霊を掃討し終えると、シャルロットが走って抱きついてきた。
「なにが起きておるのじゃ? いきなり黒霊が現れて……。黒霊は王都に向かっているのではなかったのか? まさか王都が!?」
「落ち着いて。黒霊は砦で止めているよ。ただ、学院にも襲撃してきた。だから俺が戻ってきたんだ」
混乱するシャルロットの頭を撫でながら、ざっくりと説明する。
今は細かいことを説明している時間はない。
「これから俺は外のエミリアたちを援護しに行く。その間は、ここにいるんだ。いいね?」
「行ってしまうのか……?」
「すぐに終わらせるよ。大丈夫。もうここには黒霊は来ないと思うし」
不安がるシャルロットを宥めつつ、俺は再度、探査の言葉を唱えた。
周囲の状況を確認しないことには、ここを離れられないし、飛ぶこともできないからだ。
とはいえ、さきほどからそんなに時間は経っていない。
だから状況は変わってはいなかった。好転もしていなかったが。
エミリアはいまだに二対一で、アダムスは黒霊の貴族と攻防を続けている。
エミリアの顔に焦燥がかすかに浮かび始めているのは、城壁に侵入してきている黒霊の数が増えているからだろう。
城壁の上にいる生徒の数は変わっていない。誰かがやられたわけじゃないけれど、手が追い付かなくなっているのは間違いない。
エミリアとアダムスが足止めを食らっているのがデカいのだろう。
ここは一気に黒霊の数を減らすべきか。
三層ある城壁の内、第二層の周囲には結構な数の黒霊がいる。
エミリアたちの援護に入ったら、こいつらへの対応が遅れかねない。
さっさと片付けるのが吉だろう。
そのための言葉を俺は持っている。
目標はすべての黒霊。そうイメージしておけば、黒霊以外には当たらない。
イメージする形は銃弾。周囲に被害は極力出したくない。なにせ、ここは学院内だ。被害を出したら、学院長に何を言われるかわかったもんじゃない。
それさえ済めば、あとは撃つだけだ。魔力切れの心配もない。
傍にいるシャルロットを中等部たちのところまで連れていき、距離を取る。
「ノブト! エミリアたちを頼んだのじゃ!」
「はいよ。すぐに終わるから、出迎える準備でもして待ってろ」
そう言うと、俺は空に手を掲げる。
目標は空よりもさらに上。宇宙という空間に浮かぶ、石たちだ。
【流星】
呟きと共に、指を弾く。
すぐには変化はない。だが、空から音を立てて降ってくるモノがある。
それは流星群。普通なら大気圏で燃え尽きるはずだけど、超次元魔法言語の影響で、決して燃え尽きず、俺の敵を排除する弾丸たちだ。




