閑話 神様の思惑
天界でルシアが真剣な顔つきで水の中を覗き込んでいた。
そこには黒霊の軍団が映っていた。
「私たちのときの魔王は、このような攻撃手段は取りませんでした」
「そうじゃのぉ。力任せの馬鹿じゃったのぉ」
ルシアの後ろで、椅子に座って寛いでいるメルランが欠伸をしながら答える。
そんなメルランの態度にルシアはいちいち、突っ込みをいれない。
言っても仕方ないと思っているのだ。
「今回は千年も力を蓄えていたせいか、知恵を身に着けた魔王が誕生したのかもしれませんね」
「それ以外にも懸念すべき点はあるのぉ」
そういって、メルランは立ち上がり、ルシアが見ていた水に手をかざす。
すると、水の画面が切り替わり、一人の男を映し出す。
体から黒い靄が漂っている以外は、一見して人と見分けがつかない。
腰には剣を差し、鎧で身を固めている。
だが。
「軍団の中央にいるこやつも黒霊じゃ。儂らのときには、自我に目覚めるような黒霊……奴らは貴族と名乗っておったかのぉ。その貴族は一人か二人。じゃが、今回はその程度では済まぬようじゃのぉ。自我に目覚めた強力な黒霊が、現段階で四人、ないし五人はいると見たほうがよい」
「側近が増えていると?」
「そうじゃ。そして側近が増えたがために、戦略的な行動を取れるようになっておる。黒霊の大軍が発生したのは、大陸で三か所。どれも有力な魔法学院の近くじゃ。ゆえに教師たちが駆り出されておる。手薄な学院を貴族に攻められれば、将来有望な若者たちの命が散る。寿命のない魔王にとってはありがたい話じゃろうな」
メルランは魔王の狙いを看破しつつ、溜息を吐く。
大局的な目で見れる神ならば気づけても、突如として現れた黒霊の大軍に対処を迫られている者たちには、気づきようがない状況であることがわかっているからだ。
「私は教会にお告げを伝えます」
「ルシア教会。教会騎士団なんてモノすら保有するお主を信望する会か。便利じゃのぉ。最近じゃお主の再来と言われる聖女もいるとか。その子を通じて動かす気か?」
「ええ。狙いが分かった以上、黙って子供たちの命を散らすわけにはいきませんから」
「じゃが、今から間に合うかのぉ」
メルランは黒霊の進軍速度と教会の戦力を瞬時に計算して、小さくつぶやく。
メルランの中では、どう考えても三つの学院を救うことはできなかった。
教会だけでは。
「では、見捨てろと?」
「そうは言ってはおらん。もう教会側も動いているようじゃし、お主はアカデミア以外の学院に援軍を出させるがいい。アカデミアには儂の翻訳家がおる」
「彼は戦士ではありません。あなたのように膨大な魔力を持ち合わせていない以上、黒霊と戦うのは無理です」
「そこでじゃ。少し頼みがある。儂の翻訳家に、お前さんとこの教会が保管している魔道具を譲ってくれんか?」
ルシアはメルランが言っている魔道具に、すぐに思い至った。
当たり前だった。
それはルシアがまだ人間だったころに使っていた道具だったからだ。
「私は構いませんが、教会の者たちが私の言葉を受け入れるかは……わかりません」
「それを受け入れさせるのが神じゃろうて。あれがあれば、儂の翻訳家はそれなりに戦えじゃろ。そうすれば、三つの学院が救える。どうじゃ?」
「……もしかして、その取引を持ち掛けるために、魔王への対処をしなかったのですか?」
ルシアが目を細める。
メルランの優秀さはルシアが一番よく理解していた。
そのメルランが今頃になって、魔王の意図に気づくのは遅すぎる。
そんなルシアの言葉にメルランは首を横に振る。
「いやいや、偶然じゃ。たまたまじゃよ。儂もまさか魔王が知恵を使うとは思い至らんかった」
「……そういうことにしておきましょう。では、私から教会を動かします。メルラン様は魔王の監視をお願いします」
「承知した」
メルランの真面目な言葉にルシアは不安を覚えた。
不真面目な者が突然、真面目になると不安になるものだからだ。
しかし、ルシアはなにも言わなかった。
仮にも神になった男。
世界への不利益はしまいと信じたのだ。
実際、メルランは真面目に人々を救う方法を考えていた。
ただし。
「さて、この状況で儂の翻訳家が活躍すれば、文句なしに儂の魔法は広まるじゃろ。頑張るのじゃぞ! ノブト!」
あくまで自分の利益を追及するついでではあるが。




