第一話 異世界転移
俺、如月暢人は死んだ。
死因は寝ている間の心筋梗塞らしい。
高校二年、十六歳の若さで死去ということになる。
まぁ、あんまり関係ないけれど。どうせ死んだわけだし。
一見して眠っているようにしか見えない自分の体を見ながら、俺はこれからのことについて考えた。
今の俺の状態は幽体離脱状態というか、魂だけの状態のようだ。
この状態になってから半日。
体に戻れないか試してみたけど、無理だった。
泣いている両親を見ていると、罪悪感が沸いてくるけど、俺の意思では甦れないし、しょうがない。
俺が死んだことを聞いて、パラパラと親戚やクラスの友人がやってくる。友人といってもそこまで仲良くないけれど。
親に頭を下げるクラスメイトたちが言う言葉は、決まって、よく寝ている人でした、だった。
それに対して、両親も泣き笑いを浮かべながら、あの子らしいでしょ、と答える。
俺の趣味は寝ることだった。それこそ、一日中だって寝てられた。
心配になった両親に病院へ連れられて行ったけど、異常はなかった。単純に人よりも長い睡眠が必要な体で、睡眠が好きなのだ。
そんな俺が睡眠中に死ねば、そういう話題になるわな。
しかし、死んだら普通は天国とかに行くんじゃないだろうか。
善行を積んだ覚えはないけれど、悪さをした覚えもない。たぶん、天国に行けるはずだ。
天国という響きは非常にいい。
絶対、毎日寝て暮らせるはずだ。
なにせ、天国なのだから。
やりたいことを好きにやれるはず。
そんな期待を抱いていると、俺は何かに吸い寄せられるようにして、空へと浮かんでいった。
どうやら、神様からのご招待らしい。
◆◆◆
「死んでまで寝たいとか、お前は相当なアホじゃな」
呆れた表情を浮かべたのは、立派な白い顎ひげを持つ老人、自称、神様だ。
今、俺がいる場所は真っ白な空間で、そこでその老人と向き合う形を取っている。
俺も老人も椅子に座っているが、老人のほうには、大量の書類がのった机がある。
なんだか、面接みたいだ。
「えっと……いけませんか?」
天国で何がしたいかと問われ、寝たいと答えたら、呆れられたわけだが、俺としてはとても真面目な回答だった。
できるなら、快眠仕様の豪華なベッドもほしいところだ。
「妄想しているところ悪いんじゃが、天国には〝寝る〟という概念はない。なにせ、肉体が無いからのぉ。必要性もないし、やろうとしてもできない」
「なっ……」
自分が死んだとき以上の衝撃が俺を襲った。
睡眠という概念がないとは。天国の人たちは、一体、何を楽しみに生きているんだろう。
「天国は極楽じゃぞ。睡眠や子作りはできないがの。そこで現世での疲れを癒し、また人は生を歩む。お前が好きなゲームもアニメも漫画もあるぞ? 新作は入荷せんがな」
「なんて中途半端なんだ!? 寝ることもできず、アニメや漫画の新作も見れないなんて、そんな生殺しの世界に誰が行くか!!」
「そうは言っても、転生は順番待ちじゃからな。天国で暇つぶししてもらわんと困るんじゃ。ただでさえ、人間が多くなっておるし、今は結構、規制が掛かっておるんじゃよ」
転生を規制するって誰が?
っていうか、規制とかずいぶん人間じみてるな、天界って。
疲れたようにため息を吐いた老人は、ふと、なにかを思いついたように両手を叩いた。
「そうじゃ! 如月暢人。お前は異世界に興味があるかの? あるじゃろ?」
「異世界? まぁ興味はありますけど……」
異世界と聞くと、剣と魔法のファンタジーを思い浮かべてしまう。
いや、もしかしたら、巨大人型ロボットが戦うSFかもしれない。
もしくは、血で血を洗うヒャッハーな世紀末かもしれない。
世紀末だったら、天国のほうがマシだな。いやでも、寝れないのは痛すぎる。けど、世紀末で寝たら死んじゃうかもしれないし。
あれこれと考えていると、老人が立ち上がった。
「異世界というのは、多種多様じゃ。といっても、それぞれに神がおり、その世界を管理しておる。儂は地球を管理する一人ではあるが、同時に、もう一つの世界も管理しておる。名はアーウェルサ。お前に分かりやすく説明するなら、剣と魔法が混在するファンタジーと言ったところかの。基本的に科学より魔法が発展しておる世界じゃ。いい世界じゃぞ?」
「それで、その世界になら俺は今すぐ転生できるんですか?」
「半分正解じゃ。転生には順番がある。それはアーウェルサも同じこと。じゃから、お前の体も記憶もそのままに転移させる。それならば、問題はないじゃろ」
それは願ってもない申し出だった。
ぶっちゃけ、赤ん坊からやり直すというのは非常に不安だった。
記憶が消えれば、自我も消失する。
自我が消えれば、それはまったく別の誰かということになる。
そうなると、寝ることが趣味の俺とは、正反対な人間になる可能性もあるわけだ。
それならそれで割り切れるかもしれないけれど、できるなら記憶は保持したままでいたい。
人生が十六年で終わったのだから、これくらいは許されるはずだ。
そんなことを思っていると、老人が指を一本立てた。
「ただし」
「ただし?」
「儂からの些細な願いを聞きいれるのが条件じゃ」
「条件?」
「そうじゃ。儂は元々、アーウェルサの人間じゃった。大魔導師メルランと呼ばれ、そこで魔法の発展に貢献し、その優秀さから神の座に上がったのじゃが、儂が作り上げた魔法は、今の世には広まっておらん。儂はそれが悲しくて仕方がないのじゃ……」
ひどく憂鬱そうな表情を老人は浮かべる。まぁ確かに、後世に自分が成し遂げた偉業が伝わらないのは、悲しいことかもしれない。
けれど、本当にすごいことなら伝わるような気がする。たぶん、何らかの問題を抱えていたんだろう。
「ちなみに原因は?」
「儂は当時のすべての技術と知識を本に纏めた。じゃが、そのとき使った文字が問題じゃった……」
「文字?」
「そうじゃ。儂が使った文字はその……ちぃっとばかし難しくてのぉ……。後世の者が読めんかったんじゃ」
恥ずかしそうに老人は頭を掻くけれど、そんなことで誤魔化せる問題じゃない。
なにせ、知識を伝えたいのに、ほかの者が読み解けない文字を使ったんだ。
この老人はとんでもないアホだ。天才となんとかは紙一重というけれど、やっぱり天才っていうのは、だいぶズレているらしい。
「それで? 俺に翻訳しろと?」
「そうじゃ! 今、アーウェルサでは、儂の後輩にあたる女神が開発した魔法や言葉が使われておる! 魔法の力じゃ儂が上じゃったのに、女神のほうが人気なんじゃ! というか、儂の名前はほとんど知られておらん! 儂は悔しくてたまらんのじゃ!!」
白いヒゲを振り回しながら、老人は地団太を踏む。
これが神だというのだから、驚きだ。よくもまぁ、神になれたものだ。たぶん、神様たちも人手不足だったんだろう。
「なるほど。それが交換条件ですか……でも俺は翻訳できるほど頭は良くないですよ?」
自慢じゃないが、学校ではいつも寝ていたから、成績は2とか3ばかりだ。英語に至っては基礎ができてないから、1にかなり近い2だ。教師がそう言ったのだから間違いない。
勉強はしてなかったし、これからもしたいとは思えない。そんな俺に翻訳なんて高度な作業を頼むのは間違っている気がする。
あ、でも、ほかの世界に行けなくなるのは困るな。
「そこは安心せい。儂がお前に翻訳スキルを授けよう。そのスキルがあれば、お前は知らない言語もすぐに理解でき、それを翻訳できる天才じゃ。もっとも、それだけじゃから、翻訳やら通訳程度しかできんがの」
「いやいや、それがあれば十分です。翻訳作業でお金を稼いで、毎日寝て過ごせます。ええ、いいですよ! 実にいい! その話、受けさせてください!!」
翻訳やら通訳というが、それを努力もなしにこなせるなら、万々歳だ。
今まで翻訳できなかった本を翻訳できるなら、非常に貴重な人材だろう。
どこも喉から手が出るほど欲しがるはずだ。
「おお! やる気になってくれたか! では、さっそく行くとしよう! お前を今からアーウェルサで最も魔法が発達しておる国、アストルムに送る。その王都アルタルにある魔法学院、通称アカデミアの門を叩き、翻訳家をしたいというがいい。そこに儂が書いた本がたくさんある。それらを翻訳し終えて、余裕があるならば、世界中にある儂の本も翻訳してくれ」
「ええまぁ、余裕があれば……。それと断っておきますけど、翻訳して、復活したあなたの魔法が流行らなくても責任は負いませんからね?」
「それは問題ない。流行るに決まっとる。なにせ、儂が作った魔法たちじゃ!」
俺はそれを胡散くさげに見つめる。
この老人のことだ。たぶん、めちゃくちゃ難しい魔法に違いない。
自分にできることを、他人もできると勘違いしたり、凡人の力量を読み間違えるのは、天才によくあることだ。
流行らないんだろうなぁ、と心の中でつぶやきつつ、俺は老人に促されて、椅子から立ち上がった。
「では、異世界への転移を始めよう!! さぁ、困難にめげず! 立ちはだかる者を討ち倒し! 己の欲望を叶えるがよい! 行け! 我が翻訳家よ! 儂の魔法を広めてまいれ!!」
そんな、とても自分の欲望に忠実な言葉に送り出されて、俺は突如として浮かび上がった魔法陣の中に飲み込まれて行った。