第十五話 ようやく
俺はシャルロットに翻訳済みの本を何冊か渡すと、暇つぶしに適当な本を読み始めた。
もちろん、まだ翻訳はしていない本だ。
それは現代魔法について書かれた本で、書かれている文字は青文字だ。
現代魔法は属性ごとにレベル1からレベル10までの十段階に分かれており、魔導師は大抵、二、三種類の魔法を取得する。
ただ、高レベル、レベル7以上の魔法を複数使える者は少なく、大抵は得意な属性でのみ高レベルの魔法を使える。
逆に、複数の高レベル魔法を使えるのは優秀である証拠であり、学院の教師ほどにもなれば、三つくらいは高レベルの魔法を使えるらしい。
「シャルロット。質問があるんだけど?」
「なんじゃ?」
「君はレベル7の魔法を使える?」
「使えるぞ。水と炎じゃ」
「優秀なんだね」
「妾なぞ、エミリアの足元にも及ばぬ。エミリアは全属性でレベル7以上魔法を使える、正真正銘の天才じゃからな」
「……はい?」
ちょっと、それは初耳だ。
優秀だとは聞いていた。なにせ、教師が学院屈指の魔導師というぐらいだから、相当な実力者だとは予想していた。
けれど、全属性でレベル7以上とは思わなかった。
どの属性でも高レベルの魔法が使えるということは、魔法を用いた戦闘では隙がないということになる。加えて、エミリアには達人級の剣術と、あの馬鹿みたいな威力の剣がある。
そりゃあ、アダムスも戦えば負けると言うわけだ。
「エミリアって凄いんだね」
「今更じゃのぉ。ま、この学院にはもう一人、全属性でレベル7以上の魔法を使える者がおるがの」
「もう一人? 学院長?」
「学院長も優秀な魔導師じゃが、全属性は使えぬ。お主も知っておるじゃろ? メイド長のクリスじゃ。あの年でこの学院のメイド長を任されているのは、伊達ではないということじゃ」
「身近なところに二人も全属性がいるとは……もしかして、結構いたりする?」
「馬鹿をいうでない。この学院の生徒でも、複数の高レベル魔法を使える者はごく少数。全属性でレベル7以上など、大陸でも両手の指で数えられるほどしかおらぬのじゃ」
一応、聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。
半ば予想できたけど、エミリアとクリスはとんでもない人物だったらしい。
というか、本当にクリスはなんでメイドなんてやってるんだろうか。
それこそ、教師にだってなれただろうに。
流石は学院の七不思議。いつかこれも訊ねてみるとしよう。
そんなことを思いつつ、俺は手元にある本に視線を落とす。
気になる質問を終えたから、また読書モードに入ったのだ。
ただし、ちらりとシャルロットの様子を伺うことを忘れない。
俺が質問しているときは、しっかりと答えるシャルロットだが、さきほどからうつらうつらと、首が縦に動き始めていた。
この分じゃ寝てしまうのも時間の問題だろう。
シャルロットは苦手な風の魔法を使って、二階の窓を叩いていたらしく、どうやらそのせいで精神的に結構、消耗しているらしい。
疲れたというのも嘘ではないのだろう。
疲れてしまったのは、俺のせいと言えなくもないし、寝たなら寝たで、しっかりと寮まで連れていくとしよう。
そう思っていると、シャルロットが持っていた本がシャルロットの膝に上に落ちる。
見れば、シャルロットは心地よさげに眠っていた。
「まだまだ子供ってことかな」
言いつつ、シャルロットを起こさないように本をそっと取り上げる。
シャルロットはかすかに身じろぎしたが、そのまま気持ちよさそうな寝息を立て始めた。
「さて、どうするかな」
寝たのはいいが、この子をどうするべきか。
いくら小柄な子供とはいえ、俺の腕力じゃ馬鹿でかいこの学院の中等部寮まで運ぶのは不可能だ。
かといって、誰かを呼ぼうにも連絡手段がない。
この子を一人残して、誰かを呼ぶっていう手もあるけれど、もしもこの子が途中で目を覚まして、俺がいなかったら、不安がるかもしれない。
そう思うと、ちょっとこの場を離れるのは気が引ける。
起きるまで待つか、起こしてしまうか。どちらかの選択肢になるわけだけど、今、寝た子を起こすのも気が引ける。
「まいったなぁ……」
そう呟いたとき、扉がノックされた。
この書庫に来る人は限られている。その中で、しっかりとノックをして俺の返事を待つ人間は一人しかいない。
「ナイスタイミング」
呟き、俺はシャルロットを起こさないように扉へ向かい、静かに開く。
すると、扉の向こうには予想通りの人物がいた。
「あら? 珍しいわね? 寝ていないなんて」
「誰かさんの妹の相手をしてて、寝れないんだよ」
赤い髪の少女、エミリアは俺の言葉を聞くと、ホッと息を吐いた。
「よかったぁ。シャルはここにいるのね。どこにもいないから心配してたの」
「何も言わずに来たのか。まったく、いきなり来たり、寝たりと勝手な子だなぁ」
呆れたように呟くろ、エミリアが目を丸くしていた。
「シャルが寝た? あの子があなたの前で?」
信じられないといった様子で、エミリアが呟く。
わりとすんなり寝たけれど、そんなに意外だったんだろうか。
「今も椅子の上で寝てるよ。運んでくれる? ずっとここで寝かせておくわけにもいかないし」
「え、ええ。けど、シャルは一目を気にする子だから、人前で寝るなんてありえないはずなんだけど……」
呟きつつ、エミリアが足音を殺して書庫に入ってくる。
すぐに俺の机の近くで寝息を立てているシャルロットを発見し、また驚愕している。
「驚いたわ……。随分、あなたに心を許したみたいね」
「好かれるようなことは、なにもしてないけどね」
俺がそう言うと、エミリアがマジマジと俺の顔を見てくる。
どうやら疑っているらしい。
本当に好かれるようなことはしていない。一度は追い出したし、中に入れてからもそこまで優しく接した覚えはない。
俺自身、体も怠くて眠かったし、そこまで余裕がなかった。
これで心を許したなら、それは俺がどうということではなく、シャルロットが変わっているのだ。
「ま、シャルが心を許しているならよしとするわ。飛び級のせいで仲のいい友達もあんまりいないようだし、性格も社交的ってわけじゃないから。たぶん、また来ると思うけど、相手をしてあげて」
「気が向いたらね。俺が寝てるときは嫌だ。言って聞かせておいて」
「一応、言っておくけど、私の妹よ? たぶん、無理やり起こすと思うわ」
「なんなの? 君たちの家系は寝る人間に恨みでもあるの?」
げんなりとした表情を浮かべつつ、俺はヒラヒラと手を振って、エミリアに帰るように伝える。
正直、そろそろ体が限界だ。
また眠くなってきた。
「一応、お礼を言っておくわね。ありがとう」
「どういたしまして。お礼ついでに、明日も起こさないでね。ちょっと体がやばそうだ」
「本当に?」
「本当だよ。エミリアは魔力が空になったこととかないの?」
「ないわよ。子供のころから魔力量だけはあったもの」
出た、天才発言。
持たざる者の悩みは理解できないらしい。
「けど、魔力の回復には二、三日はかかるってことは知ってるわ。だから、明日は起こさないであげるから、しっかり寝てなさい。そのかわり、明後日からは朝、しっかり起きるのよ?」
「母親みたいなことを言わないでくれ……努力はするけど、期待しないで」
「期待なんてしないわ。どうせ起きないから、無理やり起こすから」
俺にとっては宣戦布告に近い言葉を残しつつ、エミリアは軽々とシャルロットを抱えて、書庫から出て行った。
意識のない人間って重いはずなんだけど、あの細腕でどうやって持っているのだろうか。
これも魔法の一種だろうか。
かすかな疑問を感じつつ、俺は時間をかけて二階へとあがる。
もう体が重くて仕方ない。
ああ、やっと寝れる。
ベッドに体を投げながら、俺は意識を手放した。




