第十一話 そして冒頭へ
というわけで、冒頭に戻る。
中等部の子たちを助けるために、なぜか安全圏内から飛び出してしまった俺は、絶賛、絶体絶命というわけだ。
俺を追い込むのは兵士姿の黒霊。
黒い靄を体に纏わりつかせ、ぎこちない足取りで俺に迫ってくる。
彼らの虚ろな赤い目が俺をしっかりと見据えている、ような気がする。
実際、その目が本当に目としての機能を果たしているか怪しい。
彼らは怨霊。自我はなく、ただ近場の人間を襲う憎しみの集合体。
人の負の感情から生み出され、さらに負の感情を増やす災厄の連鎖の権化。
人の形はしているが、人とは違う何か。
そんな奴らが数百体。俺に迫ってきている。
空を見上げて、現実逃避もしたくなる。
逃げられるなら逃げたいし、倒せるなら倒したいが、体力も魔力もゼロ。
足に力が入らないし、指だって動かすのは億劫だ。
このままだと、ここでへたり込んでしまうだろう。
それくらい、俺の体はギリギリだ。風邪のときに、似たようなダルさを感じた覚えがある。
今のほうが何倍もダルいけど。
「あーあ……こりゃあ、正義の味方は間に合わないか……?」
頼みの綱の正義の味方。
剣一つですべて解決。
学院最強の剣士で、学院最強の魔導士。
およひ非の打ちどころのない完璧人間にして、究極のおせっかい。
たぶん、道端に捨てられている子犬を見捨てることができないタイプだ。だって、可哀想じゃない、と言って、結局自分が苦労する羽目になる。
それでも彼女は胸を張るだろう。
間違ったことはしていない、と。
そういう少女だ。だから期待した。
生徒の安全を守る生徒会長として、死に物狂いで駆けつけてくれることを。
まぁ、俺は生徒じゃないし、特別親しい間柄というわけでもない。
中等部の子たちが助かった今、彼女が死に物狂いで駆けつける理由はないのだけど。
「それでも来てくれるあたり、正義の味方って感じだなぁ」
俺の後方。
聞こえてくる足音がある。
けれど、足音というにはあまりに速い。そしてそれはさらに加速して。
俺の横を通り過ぎ、俺に迫っていた黒霊に襲い掛かった。
俺に迫っていた黒霊は八体。すべて武器を持った人型だ。単純に人間の兵隊と同じ戦力と思っていいだろう。
その八体が瞬時に真っ二つにされ、姿を保てなくなって、霧散していく。
それを成したのは、一人の少女。
赤い髪が特徴的で、とてもかっこいい王女様だ。
「やぁ、エミリア。来てくれて助かったよ……」
「――呆れたわ。ええ、心の底から呆れたわ。千体の黒霊を相手に立ち向かうなんて、どうかしてる。戦った経験なんてない癖に」
エミリアが黒霊のほうへ銀剣を向けながら、こちらを見ずにそういってきた。
その声はなんだか怒っているようで、俺は肩を竦めた。
「ごめん。なんとなく、体が動いてさ」
「何となくで死にかけたの? もう、本当にあなたって馬鹿ね。もう救いようがないわ。普通、助けを待つわよ?」
「間に合わないと思ったんだ。まぁ、エミリアが来たタイミングを考えると、別に俺がなにかする必要はなかったかもだけど……」
実際、エミリアはとんでもない早さで駆けつけてくれた。
あのまま中等部の生徒たちが走っていても、ギリギリのところで間に合ったと思う。
「そうね。あなたが何もしなくても、あの子たちは助かったかもしれない。でも……それは結果論よ。間に合わない可能性だってあった。あなたはその可能性を潰すために体を張った。誇っていいことだと思うわ」
「……あれ? 怒ってるんじゃないの?」
「怒ってるわ。戦う心得もないのに、飛び出したこと。自分の命を軽く見たこと。この二つについてはね。けど……同時にあなたを見直している私もいる。いいえ、違うわね。私はあなたを見直した。あなたはとても立派よ。キサラギ君。あなたはあなたがしたことを誇っていいわ」
そう言うとエミリアはこちらを振り向き、笑みを浮かべた。
褒めてくれるのは嬉しいし、怒られないのも助かる。
けど。
「そりゃあどうも。けど、褒める前に、そいつらなんとかしてくれないかな?」
「言われなくても倒すわよ。この学院の領土内に勝手に現れて、生徒を襲ったのだもの。どう考えても万死に値するわ」
もう死んでるよ、とは口が裂けてもいえない。
それくらいエミリアが浮かべている笑顔が怖かった。
どうやら、今回のことはエミリアの逆鱗に触れているらしい。
「でも、数が多くて面倒ね。一体ずつ斬ってたら時間がかかるわ」
「これでも半分くらいにはしたんだけど?」
「ああ、そういえば、さっき流星が降ったわね。やっぱりキサラギ君だったのね。あとで、たっぷりと聞かせてもらうわよ?」
うわぁ。藪蛇だった。
言わなければ、気づかれずにスル―できたかもしれないのに。
古代語の本に書いてあった魔法と説明しても、じゃあその本を見せてみろと言われると困ってしまう。
翻訳しないと決めた本だからだ。
ま、エミリアなら説明すればわかってくれるか。
「わかったわかった。ここを無事に乗り切れたら話すよ」
「約束よ? 破ったら、明日の朝に酷い目に遭わせるから」
そんな恐ろしいことをエミリアはさらりという。
エミリアはやると言ったら、絶対にやる。明日の平穏のためにも、今日中にしっかりと説明しよう。
そう俺が決意していると、エミリアもなにかを準備し始めた。
エミリアは、右手に持った銀剣を口元まで持っていき、軽くその鍔元にキスをする。
それが合図だったのか、いきなり銀色の剣が赤い光を発し始めた。
「流麗たる銀。静謐なる銀。輝ける銀は封魔の象徴。銀閃纏いし、光焔の剣よ。纏いを破りて、その姿を現さん!!」
詠唱と共に、エミリアの銀剣の刀身から、銀が剥げていく。
そしてその内側から光輝く炎が姿を現した。
炎は一際大きく燃え上がり、エミリアの周りを炎で包み込むと、一瞬にして、その身を赤い刀身へと変えた。
そのままエミリアはその剣を黒霊へと向ける。
「行きなさい。レ―ヴァテイン。私は敵の炎滅を望むわ」
その言葉が引き金となり、まるで鎖が解かれた猛獣のような勢いで、エミリアの剣、レ―ヴァテインから炎が伸びていく。
その炎は、黒霊たちをことごとく飲み込み、エミリアが望んだとおり、炎によって滅していく。
すべての黒霊を滅するのに、そこまで時間は掛からなかった。
エミリアはすべての黒霊がいなくなったのを確認すると、数回、剣を振って、剣を元の銀色の剣へと戻した。
「どう? あなたも私を見直した? 私が戦っているところ見るのは初めてでしょ?」
したり顔というか、ドヤ顔というか。
とにかくエミリアが自信満々な笑みを俺へと向けた。
それに見合うだけの功績をエミリアは上げたし、たしかに、やっぱり凄いなぁ、と見直したりもした。
けれど、俺の口から出たのは称賛ではなかった。どうしても言わなければいけないことがあったからだ。
「エミリア……」
「なに? 褒め言葉なら短めでお願いね?」
と言いつつ、何だかんだご機嫌なエミリアに対して、俺はやや引いた眼差しを向けて。
「そんな危ない剣を、馬車の中で俺に向けたのか……?」
そう言った。言ってやった。
エミリアは虚を突かれた表情を浮かべ、やがて顔を真っ赤にして反論してくる。
「い、今、わざわざそんなこと言わなくてもいいでしょ!? だいたい、封印状態だったから危なくなんてないわよ!」
「でも、猛獣みたいな炎を飼ってる剣を向けたことは事実だろ!? 暴走したらどうするつもりだったんだ!? 馬車ごと俺を丸焼きにするつもりだったのか!?」
「失礼ね! アストルム王家に伝わる宝剣よ! 暴走なんてしないわよ! だいたい、飼ってるんじゃないわよ! 意思を持つ炎を使役してるの!」
「似たようなものじゃないか! 今後一切、俺にそれを向けるなよ!? 気づいたら、燃えてましたなんてオチはやだ!」
俺の言葉にエミリアは眉を逆立てて、手に持った銀剣を向けてきた。
くっそ。今、言ったばかりなのに。
「馬鹿! こっち向けるな!」
「馬鹿!? 私に馬鹿って言ったわね!? 訂正なさい! 訂正しないと、明日からこれで起こすわよ!?」
「わぁ!? 近い近い!? 起こさなくていいから! だいたい、困ったら力で脅すって行為に走るのは、エミリアの悪い癖だぞ!」
「脅してないわよ! 人を犯罪者のように言わないで!」
そうは言いつつ、エミリアは剣を俺へと突き立ててくる。
もう当たる寸前だ。
どう考えても、言葉と行動が真逆だ。
「ああもう! いいから鞘にしまえよ!」
「訂正! 訂正しなさい! 馬鹿なんて言われたのは、生まれて初めてよ! 助けてあげたのに、ありがとうも言えないなんて、失礼極まりないし! もう! 信じられない!!」
「はいはい。いい経験したな。まぁ、ありがとう。助かったよ」
「お礼が軽い! それと訂正!!」
俺はその場でへたり込み、エミリアの言葉を左から右に受け流す。
それからしばらく、エミリアの小言は続いたのだった。