3. まどろみの中で
温泉に浸かりながらリタさんが出した氷や水の球等で遊んでいたら、いつの間にか陽は傾き始めていた。
風呂から上がり、リタさんから
「体はこのタオルで拭いてね~」
と渡された布は肌触りがとても良かった。
かなり上等な物なのだろうことが窺える。
そして風呂上りの着替えにと出された服は、一言で言うならば『裕福な家の子供』の服だった。
ここで目を覚ましてからずっと思っていたが、もしかしてこの人は物凄くお金持ちなのでは無いだろうか。
まあ生活に余裕があるからこそ、僕のような得体の知れない子供を簡単に家に置くなんて言えるのだろう。
服自体も僕の住んでいた村の物とは全然違うが、こんなに質の良い手入れの行き届いた服を着られるのは少なくとも家に何人もの女中を雇って洗濯や掃除を丁寧にかつ頻繁に行える家の人間と相場は決まっている。
そういえばリタさんも小奇麗で品の良さそうな服を着ていた。
それにしてもこの服は僕が住んでいた地域の物と違いすぎてどう着たらいいのかわからない。
僕が戸惑っていると、リタさんが
「大丈夫?着方わかる?」
と聞いてきたので素直に解らないと答えると、リタさんはどうやって着るのか教えながら着せてくれた。
僕は手間をかけさせてしまって申し訳なくなったが、
「ヨミ君の着てた服って民族衣装っぽかったし、デザインが全く違う服いきなり渡されてもわかんないよね~」
とリタさんは笑っていた。
そうしてリタさんから渡された服を着てみると、なんだか布が体をがっちりと覆っているようで少し窮屈に感じた。
「わあっ、とっても可愛い!」
だけどリタさんが嬉しそうにそう言っていたのでまあこれでも良いかと思った。
「じゃあさっぱりしたことだし、少し早いけど夕ご飯にしましょうか」
リタさんの言葉に少し僕の心は沸き立つ。
まともなご飯を食べるのはいつぶりだろう。
リタさんには席に座って待っているように言われたけれど、ここに置いてもらえることになったのだから僕も何か手伝いたいと言うと、リタさんは少し考えた後、
「ヨミ君は料理とか家事とかってお母さんと一緒に住んでる時はどうしてた?」
と尋ねてきた。
「家には僕と母さんしかいなかったので、いつも二人で家事を分担してましたよ。でも母さんはあまり体が強くなかったので水汲み等の力仕事は僕がやってました」
そう答えると、リタさんはなる程一般的にはそういうものなのかと呟きながら頷いた。
「じゃあヨミ君にも色々手伝ってもらおうかな。あ、水汲みはそこに井戸があるからそれ使ってね」
リタさんはそう言って台所の流し近くにある小さい鉄の柱のような物を指差した。
これは、井戸なのだろうか。僕の知っている井戸は地面に大きな穴を開けてそこに桶を入れて水を引き上げる物だ。
僕の疑問をよそにリタさんはその鉄の柱についていた取っ手を上下させる。
するとしばらくしてその鉄の柱から大量の水が出てきた。
触ってみると冷たい。
「この井戸は温泉を汲み上げる時に魔法石の力を使って冷やしてるらしいの」
いちいち魔法を使わなくてもそんなこと出来るなんてすごいよね~と、リタさんは笑っていたけれど、そんなどれ位すごいのかよく解らない技術云々よりも、わざわざ汲みに行かなくてもいきなり台所で水が出るということの方が僕には衝撃だった。
ふと竃の方を見れば、すすや汚れが全く無く、まるで作られてから一度も使ったことがない様子だった。
「じゃあヨミ君は井戸の水でこの野菜洗ってくれる?」
リタさんはそう言って僕に何種類かの野菜を手渡すと棚の上に置かれていた鍋を取り出した。
竃を使わずに、どうやって調理をするのか。なんとなく気になって野菜を洗いながらリタさんの方を見る。
リタさんが蓋を開ければ、鍋の中には既にスープが入っていた。
そして彼女はおもむろに鍋の下の方を持ったかと思うと、次の瞬間には鍋の中のスープがぐつぐつと沸騰していた。
あっけに取られる僕をよそに、
「じゃあ、その葉物野菜は洗い終わったらこのお皿にちぎって敷き詰めてね」
と、スープを皿によそいながらなんでもないように指示を出す。
今のもきっと魔法で、スープを温めるだけなら火を起こすよりこっちの方が早いということなんだろう。
まるで違う世界に来てしまったかのような感覚になりながら、野菜を皿に盛り付ける。
盛り付け終わった所でリタさんはこちらにやってくると、今度はさっき僕が洗った野菜を持ち、葉物野菜を敷き詰めた皿の上にその野菜を持ってきたかと思うと、それらを一瞬にしてバラバラにしてしまった。
バラバラになった野菜を見れば、まるで刃物で切ったかのようにきれいな切り口だった。
そんな調子でもう一種類の野菜も一瞬で切り刻まれて皿の上に乗せられた。
「じゃあ、付け合せのサラダも出来たことだし、このお皿を並べてね」
ニコニコと笑いながらリタさんはサラダをテーブルに運ぶ。
きっと、いつもリタさんはこんな風に料理をしているのだろう。
リタさんは僕を小間使いとしてここに置いてくれることにしたのだろうが、果たして僕はこんなことが出来るようになれるだろうか。
しばらくするとリタさんはテーブルに、大きな肉の塊が乗った皿を持ってきた。
煙の匂いと何か木のような香りが混ざっている肉。
「これね、ヨミ君がいた山の大きなドラゴンのほっぺの肉の燻製なんだ」
こともなげにリタさんが言った。
ドラゴン……あの僕の体より大きなドラゴンの肉を料理したのか。
「ドラゴンを倒すのって大変なんじゃ……」
驚いている僕に、リタさんはこともなげに言った。
「う~ん、倒したり運ぶのは簡単だったけど、ドラゴンの肉を加工してもらうのが大変だったよ。わたし一人じゃできないから、村の人に頼んだの。元の量が多いから燻す場所足りなくて、残った分はおすそ分けしたりその場で焼いて皆で食べたりしたよ」
ドラゴンを倒すのが簡単だって?
一見華奢に見えるリタさんは、そんなに強かったのか?
僕は、少しリタさんに恐れを感じた。
先程のスープとサラダにパン、ジャムとハムとチーズを加えて僕はこの日、初めての食事を食べたが、その食事の豪華さに驚いた。
パンは白くて柔らかい。ジャムも数種類あった。ハムとチーズもサラダもスープも、どれもとてもおいしかった。
僕があまりのおいしさに感動していると沢山あるから好きなだけおかわりもしていい言ってくれた。
「やっぱり、誰かと一緒に食べるご飯っておいしいね」
楽しそうにリタさんが笑う。
「リタさんは、ずっとここで一人で住んでいるんですか?」
「ここに住むようになったのは二年前だけど、この土地に来てからはずっと一人だよ」
食事をしながらリタさんの様子を窺う。
リタさんの食事をする姿は随分と優雅で品のあるもので、マナーについてはよく解らない僕が見てもリタさんの育ちのよさが感じられた。
ここに来てからは一人ということは、少なくとも以前は誰かと住んでいたのだろう。
「こんな広いお屋敷に一人で住んでいるのに、今まで誰か雇ったりしなかったんですか?」
リタさんは家柄が良さそうだし、暮らしぶりを見てもお金に困っている様子は無い。
だったらなぜ、今まで使用人を雇わなかったのか。何か別の理由があるのだろうか。
「この家そんなに広いかなぁ?十分ささやかな住まいだと思うけど。それに、私は貴族でもなんでもない一般人なんだから使用人は雇ったりしないよ」
リタさんの基準において、この家はささやかな住まいらしい。僕の村だとこんな家に住めるのは村長位のものなのだが。
それに、貴族じゃないから使用人は雇わないという基準もよく解らない。
この辺ではそういうしきたりなのだろうか。
いや、ある程度裕福な家庭で広い家に住むようになれば、やはり使用人を雇って家事などの雑事等を任せるのが普通だろう。
第一今の話ではリタさんもこの土地ではよそ者のはずだ。
というか、なぜ今貴族の話しが出てきたのか。もしかしてリタさんは相当な資産を持った貴族の家の出身なのではないだろうか。
そうすると色々と納得もいく。
「……リタさんは貴族なんですか?」
「ち、違いますよ、何言ってるんですかもう、私はただのしがない魔術師ですよ」
急に口調が変わった。そして物凄く目が泳いでいる。
理由は解らないが、どうやら出自のことは伏せたいらしい。
「そうなんですか」
「そうなんです!」
「……」
「……」
ここまで動揺されると隠す気があるのか逆に怪しいが、本人が聞かれたがっていない以上あまりつっこんで聞くことではないだろう。
「あの、リタさんって今みたいに洗濯とか掃除とかも魔法で済ませているんですか?」
沈黙が続いたので別の話をしてみる。
「そうできたら一番良かったんだけど、色々試してみても洗濯も掃除も失敗続きで、今は週に一回実家のメイド……じゃなくて専門業者の方に委託して代わりにやってもらっているの。料理も煮たり焼いたり切ったりは出来るけど、一から料理作ったりは得意じゃなくて、ほとんどお店で食べたり、出来合いの物を買ってきたり、知人からいただいたりが多いかな」
一応、魔法も万能という訳では無いらしい。恥ずかしそうにリタさんは笑うが、きっと一人で暮らし始めるまでは何から何まで使用人がやっていたのではないだろうか。
そもそも使用人を雇う余裕も無い一般家庭に育って、特に女の人でここまで家事に疎いということはありえないのではないかと思うが、それを言うとまたリタさんが動揺しそうなので黙っていることにした。
しかし、週に一度実家からメイドが派遣されて家事を片付けているということは、家事関係はリタさんよりもそのメイドさん達に聞いた方が良いかもしれない。
心配なのはその人達もリタさんのように家事をするにしても魔法を多用しているのではないかということだ。
普通の家事だったら教えてもらえれば出来ると思うが、魔法なんて全くの未知だ。
「あの、僕もリタさんのように魔法を使えるようになるでしょうか?」
「魔法は生まれ持っての資質に左右される所が大きいからなぁ……出来るようになるかはわからないけど、一緒に練習してみる?」
「お願いします」
リタさんは一瞬迷った素振りをしたけれど、頷いてくれた。
「やっぱり一番最初は基礎的な詠唱魔法かな……う~ん、もうずっと無詠唱で魔法使ってるからなぁ」
夕食の片づけをしながらリタさんが呟いた。
「今度簡単な魔術教本を持ってきてもらうからそれ見て練習しよっか。魔術の基本的に詠唱魔法と儀式魔法があるんだけど、私はそれの発展形ばかり使っててその辺全く憶えてないから」
僕が洗った皿を受け取って拭きながらリタさんが困ったように言った。
「あの、僕、字が読めないんですけど……」
あまり誇れた事ではないのだろうが、どうせ黙っていても後でばれることなので先に話しておく。
「ふふっ、大丈夫だよ。私が読んであげるから。それにヨミ君はまだ七歳でしょう?それ位の歳ならまだ長文をすらすら読める子の方が珍しいし。じゃあ魔術は追々教えるとして、今日の所は文字の勉強の方を先にしましょうか」
こっちならすぐにでも教えられるよ、とリタさんは笑う。
僕としては願ったり叶ったりだ。
それから外がすっかり暗くなっても、しばらく僕はリタさんの部屋で文字を教わった。
村に住んでいた時は、明りを灯す蝋燭や油は貴重だったので夜は早くに寝ていたし、母さんがいなくなってからは蝋燭や油を手に入れる手段もなくなったので日が沈むと共に眠り日が昇ると共に起きる生活をしていたせいか、外は暗くなったはずなのにリタさんの魔法によって常に昼間のように明るい室内は、より不思議な感じがした。
「もう、そろそろ寝ましょうか」
机の端に置かれた時計を見ながらリタさんは言った。
時計というものは、時間を計るための物でその時間の単位や読み方も教えてもらった。これを見て一日の計画を立てたり行動したりするらしい。
今まで時間なんて太陽の位置でなんとなく把握する程度だったので僕にはそこまで厳密に時間にこだわる感覚はよく解らなかった。
「僕はまだ眠くないので、もうちょっとだけ教えてくれませんか?」
これは僕のわがままだった。眠くないのも本当だったけど、少しずつ文字を教えてもらって今まで意味不明だった記号が指し示す意味が少しずつ解るようになるのが少し面白くなってきたのだ。
「続きは明日にしようよ。そうだ、眠れないなら眠くなるまで本を読んであげる。この前町の図書館で新しく本を借りてきたの。すっごく面白いらしいよ」
そう言ってリタさんはさっきから机の端に置かれていた本を僕に見せた。
緑色の表紙に金色の文字でタイトルの書かれた本だった。絵はなかったので内容は全く予想できなかったが、むしろそれが余計に僕に期待を持たせた。
すぐに寝られるように先に寝巻きに着替えようと言ってリタさんはまた弟さんのお下がりらしい服を僕に渡した。
今度は裾の長いゆったりしたシャツのような服だったので着方に困ることは無かった。
リタさんもすぐ隣で着替えていたけど既に一度一緒にお風呂に入ったからかあんまり気にはならなかった。
いつでも寝られるようにと本はベッドの中で読んで貰うことになった。
その時、母さんがよくしてくれた寝話を思い出して今の状態にそっくりだなとぼんやり思った。
その話は孤児だった少女がある男に武術の才能を見出されて弟子入りし、次第に頭角を現して実は貴族だったその男に求婚されるが、最終的にそれも蹴散らし、もっと身分の高い男と結婚するという話だった。
貴族の男は少女を自分好み女性に育てようとしたが、少女が強くなりすぎて、もっと身分の高い男性に少女を取られてしまうという残念な結果になってしまうのだ。
しかし、そのおかげで有力な貴族とのパイプを獲得し、事業に成功して傾きかけた家を再建している。
そんなことは起こりえるのかとリタさんに尋ねた所、貴族は特に戦闘力を重視する脳みそが筋肉で出来ているような社会だから、それもあって師弟の繋がりは親子のそれのように重視されるのでありえない話ではない……と説明した後で、
「き、聞いた話だからね!」
と慌てて付け加えていた。
まどろみの中で
「自分好みに育てるかぁ」
リタさんのそんな呟きが聞こえた気がした。