16. 薔薇の意味
アレから結局翌朝まで眠り続けたリタは、僕が朝食の用意をしているとひょっこりと起きてきた。
もう起きても大丈夫なのかと尋ねれば、
「大袈裟だな~もう十分寝たからもう大丈夫だよ」
と笑っていた。
食欲もあるようで、朝食も普通に食べていた。
それでも心配ではあるので、買出しは僕が一人で行くことにしてリタは家で大人しくしているように言う。
「私がいないと転移門使えないじゃない」
「別に転移門が無くても麓の町位ならすぐですよ」
自分もついていくと言うリタをそういい含めれば、リタは少し不満そうな顔をしたので、なにか買ってきて欲しい物はあるかと尋ねると、リタは町で買い食いするような軽食を次々と上げる。
ここ一週間食べられなくて恋しかったらしい。
「……明日一緒に町に行きましょう。少なくとも今日だけはゆっくり休んでください。今のは全部僕が買ってきますから」
リタは確かにもうすっかり元気そうではあるけれど、それでもやっぱり心配で、結局今日までは家で大人しくしてもらうことにした。
きっとリタならこんな時に決闘を申し込まれても律儀に応じてしまうだろうから。
「本当にもう大丈夫なんだけどな。でもヨミがそこまで言うなら今日は大人しくしてるよ。じゃあ、おみやげはお饅頭だけでいいよ。一緒に食べよう?」
リタは少し不満そうではあったけれど了承してくれた。
そしてやっぱりこれだけでいいと言われたおみやげは僕の好物だった。
買出しの帰り、僕はまた赤い蕾の薔薇を買って帰った。
リタはどんな反応をするだろうか、タイミング的にお見舞いと間違われそうな気もするが、毎日送り続けたら流石にリタも違う意味があるんじゃないかと思うはずだ。
そんなことを考えて僕は家路についた。
家に帰った僕は早速リタに薔薇を贈った。
リタはとても喜んでくれた。そこまでは良かった。
しかし、全くもって悪意しか感じないタイミングでその人は現れた。
リタが僕の送った薔薇を花瓶に入れてテーブルの上に飾り、和やかな雰囲気でそれじゃあ饅頭でも食べようかと話していると、轟音が響き渡り、僕達に来客を知らせた。
昔はこの結界の壊される音は危険を知らせる物だとばかり思っていたが、実際は敷地の外に取り付けられた呼び鈴を鳴らさなくても結界を破って入ることが出来る高貴な身分の者の来訪を知らせる物らしい。
魔族は戦闘力の高い者=より高貴な身分とされているので解らなくも無いが、庶民の出の僕にはよく解らない感覚だ。
こういう風習を目の当たりにすると、以前リタが言っていた、貴族は脳味噌が筋肉で出来ているような社会で生きているという見解にも納得できる。
リタの実家とこの家は転移門で繋がれているのでローザさん達は外の結界を破る必要は無い。
そしてたまにリタを尋ねてくる求婚者で結界を破ろうとした者は何人かいたが、実際に破れた者は一人も居ない。
だから結界を破ってこの家を訪れる人なんてリタの親友で王都との橋渡し役をしてくれているヴィクトリカさんしかいなかった。
この日までは。
窓の外を見れば、黒い蝙蝠のような翼を広げて庭に降り立った魔王様の姿があった。
しかもその手には真っ赤に咲き誇る薔薇の花束を持っている。
そんな魔王様と目が合って、僕は大層驚いたが、どういう訳か魔王様も驚いたような顔をしていた。
「リタさん、体の方はもういいのか? それと、君はヨミ君なのか……?」
家に招き入れて紅茶を出せば、魔王様は随分困惑した様子で僕達を見た。
僕の身体の成長が人間のように早くて驚かれるのはもう慣れているが、魔王様が今のリタの様子にそこまで驚くなんて、もしかしてリタは相当酷い状態だったのではないかと心配になる。
リタは僕と魔王様との面識があることに驚いていたが、魔王様が何か耳打ちをすると、二人で何かこそこそと話した後、仕事でお世話になっているカミルさんだと僕に魔王様を紹介してくれた。
どうやらこの人が魔王陛下本人であることは僕に隠す方向で行くらしい。
なんで既に僕も魔王様のことは知っているのにそんなめんどくさいことにするのだろうと魔王様を見れば、僕に対して何とか現状を取り繕おうとするリタをうっとり見つめて、
「実に君は可愛いな」
なんて呟いていた。
肝心のリタにはその呟きは届いていなかったが、僕にはばっちりと聞こえており、僕の心をを苛立たせた。
「あの、リタはそんなに心配されるような状態だったんですか?」
「ああ、そのはずだんだがな……」
何とか心を静めてリタの事を尋ねてみるが、魔王様の答えはなんとも歯切れの悪いものだった。
僕は魔法の事はよく解らないが、極端に魔力を消費すると命に関わることもあると以前ローザさんに聞いたことがある。
今回は一週間も帰ってこられないくらい緊迫した状態だったらしいし、リタがそんな魔力を極端に消費するような大魔法を使わざるをえない状況になってしまってもおかしくない。
一体リタがどんな魔法を使ったのかは知らないが、魔王様の心配の仕方から察するに相当魔力を消費する魔法を使ったらしい。
当のリタは昨日は少し疲れていたようだが、今はそれが嘘のようにぴんぴんしているし、特に無理をしている様子も見られない。
「大丈夫ですよ、昨日は流石に疲れて途中で寝てしまいましたが、魔法石から魔力を吸収して回復できればそれを元手に使い切った魔力も回復できますし」
「………………は?」
リタは心配要らないと笑うが、魔王様はなぜかリタのその言葉に一瞬固まった。
「ですから、魔法石の魔力を使って私の中の失われた魔力を補填して、その魔力で失われた私の魔力を回復させるんです。そうすれば体の怪我も治せますし、何も問題は無いですよ?」
「魔力で魔力を回復?何を言っているんだ?」
訳が解らないという顔をする魔王様に、リタが噛み砕くように説明するが、魔王様は眉間にしわを寄せて更に首を捻った。
僕はと言えば、魔法のことは最初から解らないので魔王様が何に疑問を持っているのかさえもよく解らなかった。
「ああ、これはお爺様が昔考えた魔法式の理論なのですけど、一言で言いますと自身の体内に宿る魔力を魔法によって操作する事により爆発的にその総量を増やす物なんです。今回のはその応用ですね。使用するにも条件は付きますので、いつでもどこでも好きなだけとは行きませんが」
のほほんとした顔でリタは語るが、ますます深刻そうな顔になっていく魔王様の顔を見るに、もしかしてこれは結構すごいことなんじゃないのか?と僕はよく解らないなりに思った。
「待ってくれ、それではグレイシー家の者は既に皆この術が扱えるのか?」
「いえ、これを実現するにはどうも元々の適性に加えて幼少期からの肉体改造が不可欠なようで、私は幸い適性があったのですけど、お爺様がこの理論を確立された時には既にお父様もお爺様もそれを行うにはお年を召していましたし、妹や弟達には適性が無かったようなのでこれが出来るのは私だけです」
焦ったように魔王様が椅子から立ち上がれば、リタが世間話でもするかのように軽く答える。
「そうか……」
魔王様は気の抜けたようにまた席に座りなおした。
「あの、それってつまり何がどうすごいんでしょうか?」
話が落ち着いた所で魔王様に説明を求める。
二人の様子から何やらリタが物凄い事をやってのけた事はなんとなくわかるが、それがどういうことなのかいまいち僕は解らない。
「簡単に言えば、普通の魔術師は魔術を使える総量が決まっていて、それを超えて魔法を行使することは出来ないんだが、リタさんの場合、その総量を操作する魔法を確立している。つまり、どんな強力な魔法も使い放題、しかもその回復まで自由自在。というところかな」
魔王様が肩をすくめて言う。
詳しい事は解らない僕でも、それは魔法という物の概念を根本から変えるようなとんでもない事ではないのかということは解った。
確か一度使用した魔力を回復するには効果的な薬や道具も無く、使用した魔法によって程度の違いはある物の、静養して自然に回復するのを待つしかないと以前ローザさんが言っていた事を思い出す。
それをリタさんは肉体の損傷を治癒するのと同じ要領で回復させることが出来るのだ。
「それでも流石に今回のように連続で強力な魔法を打ち続けると回復が追いつかなくなるので、純粋に使い放題という訳ではありません。それでも回復は早いので、やはり便利ではあるんですけどね」
「はは、アレだけの力を便利、か」
言葉を失う僕に、誤解を解くような調子でリタが言えば、魔王様が乾いた横で乾いた笑みを浮かべた。
「リタさん、やはり君はすばらしい。どうか私ともう一度決闘をしてくれないだろうか」
再び椅子から立ち上がった魔法様は、今度はリタの前に跪き、手を差し出した。
それが求婚を意味する決闘の申し込みだということはすぐに解った。
「嫌です」
しかしリタはあっさりと笑顔でそれを断った。
僕はリタが申し込まれた決闘を断るのを始めて見た。
「理由を聞いても?」
魔王様が静かに立ち上がれば、リタもそれに合わせて椅子から立ち上がった。
「私が、人の上に立つのに向いていないからです」
そしてリタが困ったように笑いながら述べた理由は、最初から自分が魔王様に勝ち、次の魔王になることを想定した物だった。
魔王相手にとんでもない事ではあるが、確かにリタにはそれをやってのけるだけの力があるのだろう。
更に自分がわざと負けて結婚するなんてことは微塵も考えていないようだ。
まあリタの理想とする相手が自分よりも強い男なら、そんなわざと負けてやらないと結婚できない相手など論外ということなのだろう。
「全く君は手厳しいな。だけどそこがいい。これは私の気持ちだ。百八本ある。私は君が手を取ってくれるまで何度でも決闘を申し込むし、当然決闘となれば、何が何でも君を打ち負かすつもりだ」
魔王様はさっきから机の上に置かれていた薔薇の花束をリタに渡しながらそう告げると、今日はこれで失礼すると言って帰って行った。
百八本の薔薇の花の意味は、『結婚してください』だ。
そして何度断られても決闘を申し込み、打ち負かして何が何でも嫁にしてやるとあの男は言ったのだ。
自身も言葉を失う程のリタの強さを目の当たりにして尚、正面からぶつかってリタの心を勝ち取ろうとするその姿は気高く、また情熱的でもあった。
テーブルの上に飾られた僕の薔薇とリタの腕の中にある薔薇を見て、まるで魔王様と僕との覚悟の差を見せ付けられたような気がした。
「日頃の私の態度に不満があるなら、わざわざあんな古風なことしなくても直接言ってくだされば良いのに。決闘の結果で決まった上下関係があっても私が部下であることは変わらないのだから、カミルさんはもっと強く出ても然るべきだと思うのだけど」
しかしそんな情熱的なプロポーズを受けたリタだったが、反応がどうも普通すぎる。
まさか、今の呟きの内容からして、自分がさっき魔王様にプロポーズされたと気付いていないのか……?
「リタ、その花束の意味、解ってますか?」
「え? お見舞いでしょ? ヨミもありがとうね。カミルさんって、会うたび薔薇の花束をくれるの。薔薇が好きなのかな」
絶句した。
あまりにも魔王様の思いが伝わっていなくて、絶句した。
「リタ」
「なあに?」
「………………なんでもないです」
贈った薔薇の意味を伝えようとしてやめた。
僕の贈った薔薇の意味を教えれば、魔王様がリタに贈った薔薇の意味もリタは知りたがるだろう。
そうなれば僕の薔薇に込めた思いなんて霞んでしまうし、何よりリタの中で魔王様を見る目が変わってしまう。
卑怯だとは解っていても、それだけは避けなければいけない気がした。