表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌ってレディバード  作者: 瀬川月菜
Chapter 5
25/31

24

 ホテルの中庭は人払いされた。飲み物だけが黙って汗をかいている。さすがは一流ホテルの庭だけあって、植木は丁寧に整えられ、訪れた者の邪魔にならず、木陰は心地よくなるよう配置されている。風もよく通っていた。

 気になるものを見つけたのか、あっという間にノイは庭の緑の中に消えていった。

 東屋の椅子に向かい合って座ったイリスは、まだ信じられない気持ちで彼を見つめた。

 穏やかな人だとは思った。物腰も、気にすれば不思議なくらい洗練されていた。うかつな自分が不思議だった。まるで、見たくないと目を塞いでいたみたい。


「目が覚めたらあなたがいなくて驚きました」トゥンイラン――フラムは笑いを含んだ静かな調子で言った。

「船が運転できたというのは予想外でした。あなたはいつも、私をとても驚かせる」

 イリスは気まずく身じろぎした。

「どうして黙っていたの?」

 ドレスが輝きを放ち、フラムはまぶしそうに目を細めた。

「言ってくれないと……私、失礼なことばかりしてしまって」

「構いません。でも、ノイには悪いことをしてしまいました。彼は私のことを知っていて、最初にあなたに告げようとしたのですが、私が黙っていてくれと頼んだのです」

 フラムの視線をたどってノイを探すと、彼は数匹の蝶に囲まれていた。まるで彼に呼ばれたように、蝶はくるくると彼と戯れている。ジャングルの子どもみたいね、とイリスはその光景を軽く受け入れた。

「その方が気が楽でした。私のことを知らない、私自身を見てくれる人に出会いたかったから。父の二の舞にはなりたくなかったのです」

「ミスター・コウイムはあなたのお父様だったのね……」

 彼は微笑みすら滲ませて言った。すでに消化を終えているのだ。

「父と同じように妻を愛さない人間にはなりたくなかった。富で誰かに愛されたくもなかった……私は、私自身を見てくれる人がほしかったのです」


 イリスは気付いていなかった。彼女は踏み込み始めていた。一歩ずつ、彼の内に。


「あの日、あの夜。私は生涯の伴侶と出会うことを、占いで予言されました。そこであなたと出会ったのです」

 あのとき、ノイが説明したことの補足を彼はした。トゥンイランはトゥイの古い一族で、占星術によって運命を見ることがある。今の若者にそれを頭から信じている者は少なく、自分もまたその一人だった、と。

「あなたと過ごしたのは休暇の一環であったことは否めません。でも、実に楽しかった。あなたは私をトゥンイランだとは知らないし、久しぶりの家事や庭仕事は楽しかったし」

 恥じ入るばかりのイリスだった。

 そんな彼女を、フラムは柔らかな眼差しで見つめている。

「あなたを放っておけなかった。最初、あなたのことを、単にバカンスに来たセレブなのだと思っていました。でもそれにしては家から出て行くわけではない。遊び歩かず、ノイを家族のようにしてひっそりと暮らしている。気になって、あなたを知りたいと思って、いつしかあなたが欲しくなっていた。だから、つい色々手を回してしまいました。あの島があなたの慰めになればと思ったのですが……傷つけただけでしたね」

 首を振る以外の示し方はできなかった。胸に吸い込んだ息は感謝に変わる。彼らとの日々にあったのは愛だった。穏やかな優しさだったのだから。

「あなたがしてくださったことは、とても嬉しかった。誰にも脅かされない日々を思い出しました。もう二度と味わえないと思っていたから」

「あなたさえよければ、いつでも用意できます。あなたの親戚は『説得』させていただきました。もう二度と、あなたに危害を加えることはないでしょう」

 ルイたちは、イリスとトゥンイランのつながりを知って、身代金を要求するつもりで彼女たちをさらったのだという。最後に従兄弟たちを見た状況を考えると、少し恐ろしかった。顔に出てしまったのだろう、フラムは察していった。命までは取っていませんよ、と。

 そして時間がただ過ぎた。イリスは己の膝の上の両手に目を落とし、言うべき言葉を考えていた。まだためらいがある。まだ恐れがある。でも……。


「イリス。どうか私にあなたを守らせてくれませんか?」

 フラムは手を差し伸べた。

「あなたの望む平穏な日々は約束できないかもしれない。ですが、あなたがすべてに堪えて傷つく前に、守ることはできると思います。あなたをひとりにはしません」

 どうか、と彼は言った。願いを、その言葉にすべて託して。


「勇気を出して、私を愛してください」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ