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歌ってレディバード  作者: 瀬川月菜
Chapter 4
14/31

13

 風を受け、イリスは息を吸い込み、目を細めた。

 海も風も文句のつけほどのないくらい良好で、空は鮮やかに晴れ、太陽は焦げ付くくらい熱い。エンジン音が足下を揺らし、イリスは、遠ざかっていく陸地に眺めているノイを、それ以上身を乗り出さないように見守っていた。白く光る粒になる波を、少年は嬉しそうに眺めている。魚が跳ねたと言っては、イリスに愛おしさばかりを呼び起こす無邪気な顔で振り向いた。

「その帽子、初めて見ます。とてもよく似合ってます」何度目かの振り向きで彼は言い、イリスは大きなつばをはためかせながらくすくす笑った。

「ありがとう。あなたも新しい帽子、とてもよく似合ってるわ。まるでイグレンシアの紳士みたい」

 トゥンイランのプライベートリゾートへの招待を受けることになったため、イリスはノイに、いつどんな身分の人間と会っても恥ずかしくないよう、服飾の一揃えをプレゼントしていた。今、トゥイ人の少年は白いブラウスに身体に見合った小さなベストを着て、貴族の令息のような格好をしている。一昔前なら、イグレンシアとの貿易で財を成した家のお坊ちゃんと間違えられるだろう。

「何が見えるの?」

「島が」ノイは弾んだ声で言って指で示した。「まるで亀みたいですね!」

 後ろを見ていたかと思えば今度は舳先へ身を乗りだしと忙しい。緑色の小さな島が行く手に見え、イリスは感嘆のため息をついた。青すぎる空に豊かな緑の島は、宝石の中にベルベットを広げたような美しさがあった。

 新しいところへ行くことは勇気がいるものだ。ティファニーを亡くして、ユースアからトゥイへ、トゥイの中でも見知らぬ資産家が所有している島へ。一人だったのに二人に、いつの間にか三人だけで過ごしている。半年も経たないうちに、イリスの環境はめまぐるしく変わっていた。休まるときがほとんどない気がする。

「マティス島です」操舵席からフラムの大きな声が響いたとき、イリスの鼓動は高鳴った。彼のそんな張り上げた声を初めて聞く。いつももの静かに低く話すため、大声は少しかすれて艶があった。

 私は決めなければならない。フラムとの関係を、距離を。恋人や、婚約者、他人といった適切な名前を与えなければならない世界にままならぬものを覚えたが、堪える。あの島で、イリスは自分を見つめなければならないのだ。




 トゥンイラン専用の港には、他に二隻のボートが泊まっていた。氏の持ち物なのだろう。もしかしたら本人が来ているのかしら、と考え、イリスは緊張でこわばったが一方で胸を撫で下ろした。服装を整えてきてよかった。今日イリスは黒のセミフォーマルなワンピースを着ていた。船には礼装から普段着まで幅広く取り揃えた荷物が積んである。決して外に出られないことはないのだが、不便なのは確かなので大荷物になっていた。彼女は自分の荷物が少なくしたい人間だったけれど。

 港には海の上の船の他に、陸の上に大きなワゴンが停まっていた。側に立っているのは浅黒い肌に白髪を撫で付けた初老の男性で、この暑いのにスーツ姿で微動だにしていない。

「ようこそ、マティス島へ」イリスとノイが近付くと、しかし彼はにこやかに、深みのある声で歓迎を示した。「ミス・カナリーとノイ君ですね。トゥンイランからお世話を申しつかりました、スウと申します」

「初めまして、ミスター・スウ。イリスと呼んでください」握手をしながらイリスはやはり聞かずにはいられなかった。「トゥンイラン氏のご好意に甘えてしまってすみません。ご迷惑だったのではないでしょうか」

「いいえ。こちらこそ突然のお申し出がご迷惑でなかったことを祈るばかりです。トゥンイランは、これと決めたら絶対に譲らないところがあるので」

 主に対しては親しみがにじむ口調だ。きっと長く氏の側にいるのだろう。得体の知れなかった人物が、人に嫌われるような性格をしていないらしいことに不思議と安堵するイリスだ。

「余計なことを言っていませんか、スウ」船を繋いでフラムがやってきた。

「いいえ。普段通りですよ」スウは笑顔で応じた。

「イリス、彼の言うことはあまり真に受けてはいけませんよ。トゥンイランをいじめるのが生き甲斐というような人なんですから」

「トゥンイランだけにですよ」

「〝だからそう言っているじゃないか〟」

「〝困りたくなければ大人しくなさることですね〟」

「二人とも、荷物を運ばなくていいんですか?」ノイが言い、二人は笑顔で彼を振り返った。イリスはそれを手伝いながら、フラムに言った。

「スウさんとは昔からの付き合いなのね」

 フラムはびっくりしたように目を見開いた。「どうしてそう思うのです?」

「敢えて言うなら、空気、かしら。少なくとも、お互いのことを尊敬しているし、信頼しているでしょう?」

 イリスがスーツケースを下ろそうとするとそれを押しとどめたのはスウだった。「お持ちします」とにっこり笑ったかと思うと、軽々ケースを持ち上げて行ってしまう。いかにも老執事といった容貌に反して、隆々とした力強さに、イリスは面食らってしまった。

 フラムは、くす、と笑い声を漏らした。

「頭が上がらないんです」

「でしょうね」

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