第四幕:闇の情報屋
アガーテはフランスのマルセイユにある自身の自宅兼職場へと帰って来た。
3日間はバイト生に任せておいた。
バイト生だがしっかりしているから心配は無い筈だが後で確認の為に訊く事にする。
店のドアを開けて中に入り奥へと進み階段を登った。
階段を登った所から自分の家になる。
部屋の構造は洗面所とバス・ルームが一緒という典型的な洋風の構造で寝室は厨房と一緒にしてある。
寝室兼厨房は右側にある。
右側のドアを開けて中に入る。
一気に脱力感を感じる。
ベッドに鞄を置いて、自身も横になる。
これから暇を見ては、射撃場などで銃の練習をしようと思った。
格闘技は些か苦手な面もあるアガーテだが、射撃は得意な方だと自分でも思っている。
彼女の姉弟子に当たる女豹の異名を持つ女殺し屋は格闘技も射撃も得意だ。
殺し屋としての経歴も自身より上で年下でありながら、確実に生きる術を知り尽くしている。
だが、射撃ならば自身の方が上という気持ちだった。
自惚れではなく本当に自信があるのだ。
それは周りも同じ意見だった。
自分の主とその相棒も以前こう言っていた。
『あいつは滅茶苦茶に撃つ癖が時々だがある。殺し屋は無駄撃ちを好かん』
それに対して自分は、違うと二人は言った。
『お前の場合は、一発一発にまるで、自身を乗せるようにして撃つ。一撃必殺を旨とする狙撃手ならではだ』
つまり、射撃に関しては自分の方が優れている、と遠回しに言われたのだ。
これが自信だった。
しかし、3年のブランクは大きい。
先日から3日ほど射撃の練習をしたが、これからはもっとしようと改めて思う。
それと同時に今は、獲物が何処に居て、何をしているのか、なども詳しく知らなければならない。
資料には経歴と特技などを詳しく書かれているだけで、現在の情報は無かったのだから。
「先ずはあの人の所に行って情報を収集しないと」
今日は休みだ。
それならば今の内に行こう。
アガーテはベッドから立ち上がり、上着などを脱いだ。
洋服棚を開けて黒いレディースのスーツを一着取り出した。
それを着た。
白いYシャツの上から革製のホルスターを右腋に吊るした。
棚の中から木製の箱を取り出して蓋を開けた。
中には一丁の拳銃が鈍い色を放っていた。
小型の拳銃でシリンダーが横からはみ出ているからリボルバーだ。
S&W M36チーフススペシャルだった。
アメリカの老舗銃器メーカーS&W社が開発したリボルバーでコルトのデェクティブスペシャルと並び小型リボルバーの代名詞と知られている。
しかし、精度的に言えばS&Wの方が遥かに上だ。
このM36は38スペシャル弾を使用する5連発。
これは1発分犠牲にしながらも可能な限り・・・限界まで小型化した代償である。
この銃がアガーテの愛銃でもある。
主から勧められてこれを手にした。
リボルバーは初心者でも扱い易い上にジャム---弾詰まりが少ないからだ。
しかし、今の時代ならジャムなどそう簡単には起こらない物だ。
かと言って装弾数が多過ぎるとなぜそんな物を持っている?と訊かれた時に困る。
だから、敢えてリボルバーにしたのだ。
何より5発以上の相手をしない事も想定されている。
S&W M36チーフススペシャルをショルダー・ホルスターに入れた。
今回は特にバックアップガンを持つ必要は無いと思い持たなかった。
予備弾は纏めて装弾できるスピード・ロッダーを3個ほどショルダー・バッグに入れた。
金糸の髪を頭の上で団子状に纏めて、サングラスを掛けて部屋を出て階段を降りた。
またドアに鍵を掛けて、ルノーに乗り込んで出発した。
目指すのはパリの喫茶店だ。
そこに自分と同業者でこちらも年下だが兄弟子が居る。
その喫茶店のオーナーは女性で、情報と武器を裏では扱っている闇の何でも屋でもあり自分も贔屓にしている。
何時もなら予め連絡を入れるのだが、今日は連絡なしで行く事にした。
パリまではかなり距離があったが、ドライヴは好きなので楽しい一時であった。
港街のマルセイユに比べてパリは『芸術と花の都』という異名を取っている。
ルーヴル美術館には、絵画、彫刻などがあるし、香水、音楽なども一際目立っているのが理由と言える。
パリ生まれの男子はパリ・ジャン。
パリ生まれの女子はパリ・ジャンヌ。
こう言われて、他国からは憧れと羨望の眼差しを受けているが、現実はそれほど甘くないというのが世の常だ。
何処の国もそんなものだが、パリは世界屈指の観光地という事もあり、その衝撃は並大抵の物では無い。
パリの12区ある内の8区、シャンゼリゼ通りの片隅にある喫茶店に到着したアガーテ。
ルノーから降りて目的地の喫茶店の中に入った。
パリの喫茶店にしては、外にテーブルを置いたりせずに中だけにしてあるのもこの店の特徴と言える。
「こんにちは」
「あら、アガーテさん」
白いエプロンをしてカップを磨いていた、パリ・ジェンヌがアガーテを見て微笑んだ。
年齢はアガーテより3、4つほど年下で愛嬌がある娘だ。
「いきなり来て御免なさい」
「貴方なら大歓迎よ。内の“宿六”より御贔屓様だから」
「そんな風に言っては駄目ですよ」
あの子にはあの子なりに考えがある、とアガーテは庇った。
「そうなの?私には行き当たりばったり的に見えるけど」
「そうなんですか?私には何時も優しくて、凛としていますけど・・・・・・・・・・」
「まったく・・・・・外面だけは良いんだから」
パリ・ジャンヌは呆れながら愚痴を零した。
「それで今日は何かしら?新しい弾丸?それとも情報?」
「情報の方です」
アガーテは一枚の写真を取り出した。
「あら、この男が今回の獲物なの?」
「知っているんですか?」
「えぇ。最近、警察を辞めて殺し屋になったフリーの駆け出しが居るって聞いたから」
「その男の情報が欲しいんです」
「良いわ。私の今持っている情報だと、この男に依頼する者は殆どチンピラ上がりの雑魚ばかりよ」
「でも、GIGNに所属して現に射殺した過去もあるんですよ?」
GIGNはあくまで人命尊重をモットーにしているが、いざという時は犯人を射殺する事もある。
現に過去数百件の内、10数名の犯人を“処理”してきた経歴がある。
「でも、それは警察と言う組織の中だけ。この世界での実力は未知数よ」
確かに、それは言えている。
警察で射殺の経歴を持っていようと、それが本当かどうかも怪しいし、何より警察という組織から出身者と言う事もあり、アンダー・カバー(潜入捜査)の可能性も捨て切れない。
そのため、チンピラ上がりの組織でしか未だに雇ってもらえないらしい。
「私の読みでは、この男は焦っている筈よ」
「焦っている?」
「えぇ。警察を辞めて恐らく殺し屋となり一攫千金でも夢見たんでしょうね。現にこのヨーロッパで殺し屋になり一攫千金を得た者たちは数多いから」
言わば、アメリカン・ドリームならぬヨーロッパ・ドリームなのだ。
闇が最初に付くが。
「でも、現実は甘くなかった」
「そういうこと。大方、何処の組織に自分を売り込んでもてんで相手にされずに、3流殺し屋に収まったって感じね」
それでどうにかして大物組織に雇われようと焦っている。
「ここで質問。どうやったら大物組織に雇われる?」
「このヨーロッパで仕留めれば、直ぐに名を上げられる人物を倒す事」
「その通り。では、このヨーロッパで、それだけの価値がある人は?」
「我が主・・・・伯爵様ですね」
アガーテの答えにパリ・ジャンヌは笑った。
アガーテの主は、ヨーロッパを中心に闇の世界の帝王とも言われている、伯爵だった。
名前は不明で、年齢も不明。
しかし、その瞳は見る者を威圧し、声で相手を殺せるとも言われている。
いつ生まれたのかも知らないが、かなり古い時代から生きているという事は解かっている。
そして、この男を倒せば裏世界で一躍有名になれる事としても有名である。
「恐らく今回、この男を始末しろと言うのも、伯爵様の命を狙っているからでしょうね」
「・・・・・・・・・・・」
1ヶ月の期日とは、恐らく彼と彼の命の期日なのだ、とアガーテは今更になって気付いた。
「私の知っている情報はここまで。ここからは有料よ」
つまりここからは調べるという事だ。
「金に糸目は付けません」
キャッシュで即日払い、とアガーテは言った。
「毎度♪それじゃ今から調べるわ。今日はどうするの?」
「これから射撃場に行って、銃の鍛錬です」
「そう。それじゃ、分かったらそっちに行くわ」
「分かりました」
アガーテは喫茶店を出て、射撃場へと足を運んだ。