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第三幕:雨と風

熊を仕留める事に成功したアガーテだが、その巨体を運ぶのに苦労した。


どうせなら熊ではない鹿などが良かったと今さら後悔しても遅いが後悔する。


何とか苦労して一人で夜を通して小屋へと帰った。


ドアを開けて熊の死体を直ぐ様、解体して水風呂に内臓などを入れて冷やした。


よくて3日間は、冷やさないと肉が臭くて不味い。


しかし、適当な部分を見つけては軽く火で炙ってから食べた。


生でも食べれなくないが、火を通した方がやはり衛生的に良いからである。


熊の肝臓などを食べながらアガーテは今の自分と昔の自分を比べて見た。


昔の自分は何も知らないただの庶民でしかなかった。


夫の仕事が仕事なだけに危険があるのに、だ。


では今はどうか?


今は危険な仕事を生業としている。


昔とは偉い違いだ、と自分に苦笑しながら変われば変わる物だ、とも思う。


そしてふとマルセイユの白い丘に建つ家に住む主を思い出していた。


『あの方は・・・今頃は何をしているのだろうか?』


今頃は酒を飲んでいるのか?


それとも自分以外の・・・・牝を抱いているのだろうか?


アガーテが仕える主---伯爵は一人身だ。


一人身だが、女と無縁という訳ではない。


だから、恐らく女を抱いているかもしれない。


それを考えると身も心も狂いそうな気持ちに襲われる。


今からでも戻って伯爵に身を委ねたい気持ちだ。


しかし、何やら外がやけに煩いと思って窓を見てみた。


雨が降っていた。


「・・・・・泣いているわね」


きっと雨の中を一人で、泣いている事だろう。


子供のように大声で、涙を流して、泣いている事だろう。


その傍に自分が居ない事に少しばかり歯痒い気持ちを感じた。


主の傍に居ず、泣いていると知りながら何も出来ない自分。


そんな自分に嫌になる時がある。


あの時もこんな雨が降っていた。


雨の中、彼は自分に傘を差してやり、自らはずぶ濡れでいた。


その時は、分からなかったが泣いているのだと今は解かる。


帽子を取っていたから顔にも水が上から滴り落ちる。


だから泣いていると分からなかった。


だが、今は解かる。


『あの方は泣いている。嗚呼、慰めて上げたい』


自らが赴いて、思いのままに自分の胸で泣かせて上げたい。


きっと服は水び出しになるだろうが、それで良い。


あの方の涙を受け止められるのなら服の一着位は安い物だ。


アガーテは降り続ける雨を見ながら、熊の肉を食べ続けた。


食事を終えてもまだ雨は降り続ける。


風呂は熊の肉を冷やしているから入れない。


ならば、どうしようか?


答えは直ぐに出た。


衣服を脱ぎ出して、全裸になる。


無駄な肉一つない裸体を惜しげもなく晒したアガーテは一本に纏めていた髪を解いた。


音を立て金糸が靡く。


ドアを開けて雨が降る外に出た。


雨がアガーテの身体を濡らす。


その雨を利用して、身体を洗った。


1時間も雨のシャワーを浴び続けたアガーテは冷えた身体のまま小屋へと戻りタオルで丹念に身体を拭いた。


元の衣服を着てSG550を持ったまま2階へと登って寝室に向かった。


そしてベッドに入る。


ベッドはシングルだ。


シーツを肩まで掛けてSG550を抱き締める形で眼を閉じる。


こんな日は、ライフルを抱えて眠ると安眠できる。


主は雨が嫌いだ。


自分は雨が好きだ。


嫌な事も全て流してくれるから。


だから自分は雨が好きだ。


主は、嫌な事も好きな事も全て流すから雨が嫌いなのだ。


幾千、幾万もの年月を生き続ける彼には、確かに雨は嫌いな物だろう。


だが、自分は恐らく幾千、幾万と年月を生きようとも雨が嫌いにはならないだろう。


これは断言できる。


ライフルを胸に抱いてアガーテは夢の世界へと旅立った。


アガーテは夢を見た。


何も無い暗い世界で、一筋の光が輝いていた。


その光に足を進めると、主が居た。


とても小さな身体で子供のようだ。


子供サイズにまで縮んだ主だが瞳だけは澄んでいたが、それでいて鋭い刃物のようだった。


そして自分が膝を着くと抱き付いてきた。


温かい感覚を夢の中で覚えた。


主は自分を小さな両手で抱き締めてこう言う。


『アガーテ。嗚呼、愛しい我が女にして、我が親友の妻であった女』


そう自分は、亡き主の親友の妻であった。


歳の差があったが、夫婦は円満で子供も二人できた。


しかし、一気に失った。


主は泣いていた。


背中越しから流したのであろう涙が伝って来る。


それを自分は背中で受け止めて、主を強く抱き締めた。


『嗚呼、我が主にして愛しい人よ。どうか泣かないで。貴方が泣いては、私は哀しい』


嗚呼、主よ。


泣かないで。


泣いては私も哀しい。


故に泣かないで、笑って下さい。


貴方は悪くない。


誰も悪くない。


貴方の業は、私の業。


貴方が地獄に堕ちるのであれば、私も付いて行き、共に地獄へと堕ちましょう。


地獄へ堕ちても、我が身は貴方様の物。


何時如何なる時も、私は貴方から離れない。


死しても魂は、貴方と共にある。


ソプラノの声で言いながら主を抱き締め続けた。


主の嗚咽が止んだ。


そして自分から離れて・・・笑った。


屈託のない笑顔で。


『嗚呼、アガーテ。貴方は、私を護ってくれるのか?』


『命が尽きようとも、我が身は貴方様と共にある事を誓いましょう』


『何に誓いますか?』


『貴方様の眼と同じ色の月に掛けて誓いましょう』


『月は気紛れです。どうか別な物に誓って下さい』


『ならば、この銃に掛けて誓いましょう』


何時の間にか手に持っていたクラシックな銃を持ち、目の前に翳す。


『月とは違い気紛れではありません。この銃に掛けて、貴方様を如何なる災難からも護り通して見せます』


『ありがとう。アガーテ。我が愛しい女よ』


主が自分の両頬を両手で包み込み、口を近づけて来る。


自分はそれを閉じて、待つ。


そこで夢は終わった。


アガーテは夢から覚めて、ベッドから起き上がった。


カーテンの隙間から光が自分を照らしている。


カーテンを移動させると明るい光が部屋を照らす。


闇の世界に生きる自分には、余りに明る過ぎる光だ。


片手で光を防ぎながら、窓を開ける。


清々しいまでの風がアガーテを包み込む。


まるで主に抱き締められた感覚と同じだ。


『嗚呼、愛しい我が主。貴方は風となり、私を抱き締めてくれるのですね』


風になり、自分の所まで来てくれたという錯覚を覚える。


否。


錯覚ではない。


主が風となり、自らの元へと来てくれたのだ。


だから、きっとあんな夢を見たのだ。


きっと自分を試したのだろう。


愚問な事をしたと思うも、何処で嬉しいという感覚がある。


試されているのであれば、証明してみせよう。


『我が銃は、弓にして、槍であり、剣なり。その刃は我が主に仇なす者を一名も残さず葬り去る破壊の爪牙なり』


どうか、ご安心を。


誰も貴方に向けて、この破壊の爪牙を振り翳したりはしない。


この破壊の爪牙を振り翳すのは敵対者のみ。


もし、仮に翳したのであれば・・・・自ら命を断とう。


それが自分なりの忠誠であり誓いだから。


アガーテはSG550を持ち2階から降りた。


ドアを開けて昨夜、試射をした的に立つ。


『静かに・・・清らかに』


SIG SG550を立射の姿勢で構えた。


右目をスコープにやり狙いを定めた。


人差し指に引き金を掛けて・・・ゆっくりと引いた。


弾は空を切り回転して的の中心に当たった。


風がまた吹き、腰まで伸びた金糸を揺らした。


撫でられた気持ちになり、アガーテは眼を閉じて余韻に浸った。


『嗚呼、貴方様に撫でられる感じです』


あの夜と同じ感覚だ。


アガーテにはそれが堪らなく嬉しかった。


その日から2日掛けてアガーテは、ずっと狙撃の練習を繰り返しては感覚を取り戻す事に徹した。



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