星が増える世界の話
「むかーしは、この世界に星なんてなかったんだよっ」
まるで誰かの弟みたいな、その少年は人の形をしたその星のような瞳をゆっくりと細めたのだった。
世界には、教会が点在している。
創造神を唯一の神とし、神の作ったこの世界を慈しみ大事にするべく、敬虔な信者たちが集まっていた。
なかには世界各地に存在している教会で奉仕をしていれば、まず食いっぱぐれないというような理由で教徒になる者もいないことはなかったが、そういった者はどういうわけか神官や教皇にはなれないのだった。
神に好かれた者が教会を支えていく、それは至極当然のことでもあった。
だって、創造神がすぐそばで行いを見ているのだから、当たり前といえば当たり前だが。
「おーい、アリーチェ〜! こっちだぞ〜!」
少年と呼ぶにはあどけない彼は、短い腕を元気にブンブン振っている。
新米女神官であるアリーチェはそのあとを慌ててついていく。
「走っては転んでしまいますよっ…!」
「だいじょぶだいじょぶ、神はケガなんてしないから〜っ!」
笑うように足早に走っていく少年は、風よりも風だった。
アリーチェは息を上げながら一生懸命追いかけるが、重力も何もない神は軽々走っていくのだから、人の足で追いつこうなんて難しい話である。
人間の幼い子のような姿をした神は、形容し難い幾重にも重なったなみなみの光の瞳をニヤリと細めていた。
この少年が神だと知る者は、地上ではあまりいないだろう。
絵画には神々しく描かれることも多いし、成人男性のように描かれることもあって、このような小生意気そうな少年に姿を変えて、気まぐれに地上を歩いているなど想像もしないものだ。
先入観がそうさせるのか、人間と区別のつかない彼を神だと認識するのは難しい。
それに大抵は気に入った人間の前にしかひょっこり現れない創造神だから、見えた者も誰かにわざわざ吹聴したりもしない。
そうして自然と、ただの教徒と教会を支えていく神官たちの間で明確に意思も変わっていく。
神を信じる者の集まり。
それは、熱心な心が先だったか、神が見えたのが先だったか。
きっと、神様だっていちいち確認などしていない。
「アリーチェ、見てみろ! 僕が作った太陽は沈む時もいっとう綺麗だなあ〜!」
小高い丘のてっぺんに軽々と着いた神は、アリーチェの様子を心配することもなく、オレンジ色の夕日を指さしてキャッキャっとはしゃいでいる。
「……はあ、はあ、はあ、神様、……お待ちください」
「なんだ、アリーチェ。体力がないなぁ」
「最近は、教本のお勉強だけで、教会にこもっておりましたから」
「ならん、この世界はそなたらを閉じ込めるために作ったのではないのだぞっ!」
両腕を真上に挙げて抗議する神の横にようやく追いついたアリーチェは、神官衣装を裾を払って、息を整えた。
この丘から見る夕焼けは、子どもの頃から変わらず世界をオレンジに染め上げている。
それが一番落ち着く瞬間だと、アリーチェは思っている。
「今日も綺麗ですね、神様」
「ああ、他の世界を参考に太陽を作ったのは正解だった!」
満足げに頷いている少年に、アリーチェは頬ましいような気持ちで口元を緩める。
その横顔は絵画のように均整のとれた横顔ではなかったが、親しみのあるかわいさだった。
まるで、今から母親が迎えに来そうなどこにでもいる少年のようで。
そして、何者とも思えない不思議な色の瞳だけが、人ではないと知らせている。
アリーチェは、教会に併設されている孤児院育ちだった。
教徒や神官に育てられながら、成長とともに神を信じるのはいたって流れの通りだった。
教徒にはならずに孤児院を出て就職していった子どもたちももちろんいたが、アリーチェはそうはならなかった。
成人とともに教会に入り、つい先日神官へと上がった。
その頃にはもう神は姿を現していた。
この世界で今一番のお気に入りは、どうやらアリーチェらしい。
孤児として教会から神はいると教えられてはいたが、それが目に見える存在だとは思っていなかった。
なぜ気に入られたのかもわからない。
だけれど、不思議と畏怖の念に駆られて怯えてしまうということもなかった。
地上に現れる神様が、あまりにも少年らしい少年だったからだろう。
アリーチェは、神と言葉を交わせるようになっても特に変わらなかった。
見えるから、お付きの者としてそばにいることは増えたが、そのくらいだ。
この丘だって、神を追いかけなくてもよく来る場所だった。
世話係の教徒に叱られた時、成長期の子にパンを譲って自分がお腹を空かせた時、何かあった時にはアリーチェもこの丘をのぼってきていた。
今、神様と見ている景色は、隣に神がいたとて馴染みの景色だった。
夕日が街へと吸い込まれていく様子をぼんやり眺めていたが、街の端が暗くなり始めたのが視界に入って、アリーチェは神様を見た。
「そろそろ教会に戻りましょうか、神様。空も暗くなってきましたよ」
そう促したはずなのに、神は暗くなっていく街を見下ろしている。
何も返事がないからといって置いていくわけにもいかず、アリーチェはその横で佇んでいた。
日中より少し涼しくなってきた頃、アリーチェは指先を握った。
それを見逃さなかったように、神は少年の顔で、顔だけゆっくりアリーチェの方を向いた。
「夜はまだ怖いか、アリーチェ」
その声はしんと静かな空気に飲み込まれそうであり、よく響く声だった。
こんな声は、神様でしか聞いたことがない。
その声が、何もかも知っていると頭で考える前にわかってしまう。
オレンジが色をなくし、紺色が世界を支配していくなか、アリーチェと神様は互いの目を見つめあっていた。
創造神の瞳が夜空に浮かんだら、それこそいっとう綺麗なのだろう。
「……夜は、静かなので」
「人間は眠るからな」
「眠れなかった日の空は、とても暗くて、子どもの頃はずっと怖かったです」
「寝なくて怒られるしな」
「ふふ…、神官様にお手を煩わせてしまいましたね」
「僕の子どもたちが夜も満喫しているだけだ、気にすることはない」
ニカリと笑ってみせた神様に、歯はなかった。
それなのに、星ほどに白く輝いているようだった。
「アリーチェ、上を見上げてごらん」
神様は促すように先に顔を上げた。
アリーチェは少し躊躇ってから、追うようにゆっくり顔を上げていく。
顎を持ち上げ、その顎を星につけるような、そんな動作で。
そこには、一番星が顔を覗かせていた。
日暮れも終わりを迎えていた。
「むかーーしな、僕がこの世界を作った時、星なんて一つもなかったんだよっ」
少年のような高い声をカラカラさせながら、神様は笑顔でそう言った。
「そうなのですか?」
「ああ、他の世界を真似して太陽は作ったが、星は作らずにおいたんだ」
「では、どうして今は星が見えるのですか?」
「人がこの地から旅立っていくからだよ」
凛とした声が、少年の声ではなくなっていた。
見つめる先に、本当に一番星を見ているかはわからない。
定まっていない視線が、空全体を捉えている。
「最初に作った人間が死んだ時、この世界に星が生まれた」
まるで神話の絵本を耳元で語られているようだった。
アリーチェだけは空から視線を外して、自分よりもうんと背の低い神を見た。
空を見上げたままの神様の目は、嬉しそうにキラキラしている。
まるでこの広い世界の中から宝物を見つけたみたいな表情だった。
星一つ一つを慈しむような目で、星空を見ている。
それはあたたかくもあり、流れ星のように消えていきそうでもあった。
「人が死んでいく、そうすると星が増えていく。そういう世界に設計したからな、徐々に星が増えていったのさ」
「人が死んだら、星が増える……」
「人は地で生き、そのあと星となって空で生きる」
「星は、人なのですね……」
「ああ。僕の子どもたちはいつだってどこに居たって、綺麗だろうっ?」
ふふんっと鼻を鳴らして自慢するように破顔して、少年はめいいっぱい腕を広げた。
それは空を丸ごと包んでしまいそうだった。
その御腕に抱かれて、人は眠りにつき、星々も眠りにつく。
そうやって、世界は夜も光っている。
「ほら見ろ、こんなにも満天の星空だ! みんな、おるぞっ!」
夜にもかかわらず大声ではしゃぐ神様は、誰よりも星を見ていた。
アリーチェはつられたようにもう一度、空を見た。
そこには、点々と見えるようになってきた星が浮かんでいる。
あれらが『彼ら』だったのだとしたら、星は人を見守っている神様と似たような存在かもしれない。
そうはじめて思えたアリーチェは、冷たくなってきた空気をすうっとか細く吸った。
夜の空気そのものは嫌いじゃなかったと思い出した気もする。
「一人ぼっちになるなど、どだい無理な話っ!」
神様は夜空を背にくるりと体を回して、アリーチェと向かい合った。
両腕を広げたまま、ニッカリ笑っている。
神様が不機嫌だったことなど、一度もない。
「昼間は人の往来があり、夜は星がいる。アリーチェ、夜だって怖くないんだぞ」
「……ええ、そうなのでしょうね。そうみたいです」
「それでも怖かったら、僕が手を繋いで寝てあげるからなっ」
「ふふふっ、それは神様がお一人なのがお嫌いなだけなのでは?」
「そりゃあそうだっ、一人は退屈だからな!」
「あははっ」
アリーチェは、神様越しに紺色の空を見た。
たしかに、子どもの時よりももう怖くないかもしれない。
「星、素敵ですね」
「そうだろう? どんどん増えていくからな、賑やかになるぞっ!」
えっへんと幼児のように、神様は腰を逸らした。
その様子が可愛らしくて、アリーチェはまた笑ってしまう。
「あっ、また星が増えたぞ」
神様の幼い子のようなぷくぷくの指が、明るい夜空を指差したのだった。
了
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