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正義感あふれる侯爵令嬢に「殿下に近づくな」と怒られましたが、私は殿下の婚約者です

作者: 百松あおい
掲載日:2026/08/14

王都にあるオーガスティン王立学園は貴族子息令嬢が通う学び場である。

この学園では週一回、生徒が集まるサロンが開かれ、貴重な社交場となっていた。


エレノア・バウアー男爵令嬢はこのサロンを運営する担当の一人である。

ここでの仕事は卒業後の社交場におけるお茶会時のマナーや作法、開催の段取りを身につけるため有志が集まって執り行っているのだ。


今日もまた学園内の有数な貴族が社交の場としてサロンに集まり、思い思いにお茶を楽しんでいる。


本日進行を任されているエレノアは一人の男性生徒から声をかけられた。


「エレノア嬢、今お話ししてもいいだろうか?」

「こんにちは、ギルバート様。本日はどうされましたか?」


エレノアはスカートの裾を軽く持ち上げ、優雅に挨拶をした。


「先週、僕の婚約者が地方から王都に引っ越してきてこの学園に転入したんだ。今日は初めてサロンに来てもらおうと思ってね。勝手が分からないかもしれないから、よければ気にかけてくれないだろうか?ベアトリス・グラウザー侯爵令嬢だ」


「承知いたしました、ギルバート様。ベアトリス様がいらっしゃいましたら、ご案内のうえお声がけさせていただきますわ」


ギルバート――ハルトヴィッヒ侯爵家の嫡男であるギルバート・ハルトヴィッヒは「助かるよ」と微笑み、サロン奥にある高位貴族のための特等席へ向かった。

侯爵家の子息である彼の隣に座っているのは、幼馴染でもある第二王子、レナード殿下の姿があった。


しばらくして一人の令嬢がサロンを訪ねてきた。


「ここで本日サロンが開かれていると伺ったのだけれど。私の婚約者であるギルバート様はこちらにいらっしゃる?」


令嬢は入り口付近にいたエレノアに声をかけた。エレノアが給仕のような恰好をしているのが分かりやすかったのだろう。


「ギルバート様の婚約者さまですね。ベアトリス様、お待ちしておりました。ギルバート様よりお話を伺っております。お席へご案内いたしますわ」


エレノアがベアトリスをギルバートのもとに案内する。特等席ではギルバートとレナード殿下が談笑していた。


「ギルバート様、ベアトリス様がお見えになりました」

エレノアは優雅にお辞儀をして、会話の邪魔にならないよう少し離れた。


「エレノア嬢、ありがとう。ベアトリス、サロンまでの道は迷わなかったかい?紹介しよう。こちらが第二王子のレナード・グランヴェール殿下だ。殿下、こちらは僕の婚約者のベアトリス・グラウザー令嬢です」


ベアトリスはぎこちなくスカートの裾を持ち上げ、深々とカーテシーを捧げた。 地方の領地育ちで、本物の王族などお目にかかったこともない。指先まで固まるほどの緊張感だ。


「ベアトリス・グラウザーと申します。レナード殿下、ご拝顔の栄を賜り恐悦至極に存じます」


緊張しながら顔を上げると、そこには楽しそうに笑うレナードの姿があった。

精悍な顔立ちに鮮やかなブロンド髪。圧倒的な気品に呑まれそうになりながら、背すじをピンと伸ばす。


(これが本物の王子殿下……ギルバート様のご友人とはいえ、絶対に粗相は許されないわ)


だが、ベアトリスが肩に力を入れたのも束の間、レナードはあっさりと手を振った。


「ではギルバート、私はお暇するよ。二人でごゆっくり」

殿下は颯爽と席を立ち、風のように立ち去ってしまう。


ぽつんと取り残されたベアトリスは、脱力しながら席に着いた。無事に終わって心底ほっとしたものの、そのあまりの呆気なさに拍子抜けしてしまうベアトリスだった。


ふとレナード殿下を目線で追うと、先ほど給仕した令嬢と馴れ馴れしく談笑しているのが見えた。


(レナード殿下…なんであんな給仕と話しているのかしら?確かレナード殿下は婚約しているはず...)


ベアトリスは地方にいたため、自分が知っている王家や貴族に関する情報が少ないことは感じてはいたが、少なくとも王家のご子息たちには婚約者がいることは知っていた。


「ギルバート様、レナード殿下と話すあの方は...少しマナーが悪くないでしょうか」


ベアトリスがレナード殿下と話すエレノアに対して困惑した表情を浮かべていたことに気が付いたギルバートが、

「あちらの令嬢は…」

と説明しようとしたタイミングで、別の給仕係がお茶の注文を聞きにやってきてしまった。


ベアトリスの好きな茶葉とお菓子を注文している間に、レナード殿下はサロンを出て行かれたようだ。聞きそびれてしまったベアトリスだったが、すぐに気分を切り替え、ギルバートと学園生活や王都について談笑し始めた。


(まあ...言わなくてもそのうちわかるか…)

ギルバートは心の中でそう呟いた。





ベアトリスは、学園内で度々以前サロンで給仕をしていた令嬢の姿を目撃するようになった。


どうやらその令嬢はエレノア・バウアー男爵令嬢といい、他の生徒たちから厚く慕われているようで、見かけるたびに誰かしらと笑顔で言葉を交わしている。そしてその中には、あのレナード殿下の姿もあった。


(なぜあの方は男爵家の身分でありながらお立場を弁えていらっしゃらないのかしら?)


ベアトリスの胸の中に、ふつふつとした正しい憤りが湧き上がってきた。


王室への敬意と、幼い頃から叩き込まれた貴族のマナーを重んじるベアトリスにとって、エレノアの行動は看過できるものではなかった。


ふと中庭へ視線を向けると、テラス席でレナード殿下とエレノアがまたしても楽しそうに談笑している姿が飛び込んできた。


居てもたってもいられなくなったベアトリスは隣にいた友人に尋ねる。


「あそこでレナード殿下とお話しされている令嬢は、少しマナーに反していらっしゃるのではないかしら? 私は王都で過ごした時間が浅いのですが、こちらでは婚約者のいらっしゃる男性と、あのように親しくお話しするのが普通なのですか?」


どれほど皆から慕われていようと、貴族として最も重んじるべき「王室への敬意」や「節度」が欠けていては意味がない。周囲が彼女の優秀さばかりに目を奪われ、その過ちに気づいていないのなら――。


(社交界の秩序を守るためにも、私がしっかりとお伝えしなくては…)


ベアトリスの友人が、テラス席のエレノアを見て、

「あ! あそこにいらっしゃるのは……」

と何かを伝えようとした瞬間。


「ベアトリス!」

とギルバートが焦った様子で駆け寄ってきたため、友人の言葉は遮られてしまった。


「ごめん、急ぎの用事で声をかけてしまって。今少し話をしてもいいかな?」


ギルバートの慌てた様子に「ええ...いいですよ」と、ベアトリスは頷くしかなかった。

友人に軽く会釈をし、彼女はその場を後にしてギルバートと共に歩き出す。


結局タイミングが合わずに友人が言いかけたことを聞きそびれてしまった。


(ギルバート様も以前、エレノア嬢について何か言いかけていらっしゃったわね……もしかしてエレノア嬢にはなにかあるのかしら…少し調べてみようかしら)


そう心に決めるベアトリスであった。





自分の思い込みだけで人を判断してはならない。そう考えたベアトリスは、放課後一人で図書室へ向かっていた。


目的は、図書室にあるであろう『王国貴族名鑑』だ。

貴族名鑑を見れば、レナード殿下の婚約者の詳細やエレノア嬢に関する情報も得られるだろうと推測したのだ。


司書に頼み、鍵付きの棚に保管されていた分厚い『王国貴族名鑑』を借り受けると、ベアトリスはすぐさまレナード殿下の婚約者について調べた。

だが、そこには「ベルシュタイン公爵家令嬢」とだけ記載されていた。


(あれ……? お名前の記載がないわ?)


疑問に思ったが、貴族間の婚約は正式に発表されるまで伏せられることも多く、確定するまでは名鑑に名前が載らないルールなのだろうと納得した。


次に「バウアー男爵家」について調べると、子息令嬢の欄にしっかりとエレノア嬢の名前が書かれていた。


(やっぱり、エレノア嬢は男爵家の出身なのね……。だからサロンでも給仕係をしていたんだわ。高位貴族の侍女になるための練習として……)


最後に「ベルシュタイン公爵家」のページも開いてみたが、そこは空白になっていて記載がなかった。


(王都で新しく授爵された家柄なのかしら……?)


地方にいたベアトリスには王都の最新情報が少なく、それ以上推測することはできなかった。


(明日、ギルバート様に聞いてみましょう)


ベアトリスは『王国貴族名鑑』を司書に返却し、図書室を出た。





翌日、ベアトリスはギルバートにも確認を行った。


「ねえギルバート様、同じ学年にエレノア嬢がいらっしゃるじゃない? ほら、以前サロンで給仕をしていた……エレノア嬢は確か、バウアー男爵家で間違いないかしら?」


「そうだよ」


「じゃあ、レナード殿下の婚約者はベルシュタイン公爵家の令嬢と言われているけれど、これも本当かしら?」


「そうだよ。あ、以前言い忘れていたけれど、ベルシュタイン公爵は最近爵位を受けたばかりの家柄で――」


ギルバートが言いかけたところで、「ギルバート様、お屋敷からのお迎えです。旦那様がお呼びです」と使用人に声をかけられてしまった。


「あ、ごめんベアトリス! 父上に呼ばれてるのを忘れてた。先に帰るけど、ベアトリスはゆっくりサロンで過ごしてから馬車で帰っておいで」


とギルバートは去っていった。


ベルシュタイン公爵が誰なのかは聞きそびれてしまったが、ベアトリスの中で確信は深まった。


(やっぱりエレノア嬢はバウアー男爵家で、レナード殿下には別の婚約者がいらっしゃるわ……!)


一度は落ち着いていた持ち前の正義感が、再び激しく燃え上がった。


(今度エレノア嬢にお会いしたら、レナード殿下との談笑についてしっかりと苦言を呈さなくては!)


そう心に固く決意したベアトリスであった。




中庭のテラスで、ベアトリスはエレノアが一人で座っているところを見かけた。もしかしたらレナード殿下を待っているのかもしれない。


(レナード殿下との距離感について、直接苦言を呈するチャンスだわ……!)


ベアトリスは同行していた友人に「先にサロンで待っていて」と伝え、まっすぐエレノアの方へ向かった。


しかし、どこか思いつめたベアトリスの様子がおかしいと気づいた友人は、心配になってこっそり後をつけてみることにした。

見守っていると、ベアトリスがエレノアに話しかけているのが見えた。


(あれ……? ベアトリスって、エレノア様と仲が良かったかしら……?)



「エレノア嬢、ごきげんよう」


ベアトリスが声をかけると、エレノアはしなやかに立ち上がり、優雅にスカートを持ち上げて美しい礼をした。


「あなたは、ギルバート様の婚約者のベアトリス様ですね。ごきげんよう」


「今、少しお話ししてもよろしくて?」


「ええ、レナード殿下をお待ちしているところですので、その間でしたら……」


「そのレナード殿下について、あなたに苦言を呈したいのです」



ふと、友人は以前ベアトリスと交わした会話を思い出した。


『レナード殿下と馴々しくお話しされるなんて、男爵令嬢としてマナー違反ですわ。今度お見かけしたら苦言を呈さなくては』


その時は、侯爵令嬢としての高い規範意識や正義感から出た言葉なのだろうと流していたが、まさか本当に直談判しに行くなんて思いもしなかったのだ。


(まさか、ベアトリス……!?)


青ざめた友人は、事態を止めるべく大急ぎでギルバートを探しに走った。



エレノアは思わずきょとんとしてしまった。まさか自分ではなく、殿下に関する話を切り出されるとは思ってもみなかったのだ。


「ええっと……私、殿下に何か失礼をしてしまいましたでしょうか?」


焦った様子で尋ねるエレノアに、ベアトリスはぴっしゃりと告げた。


「あなた、自覚がないのですか? レナード殿下には婚約者様がいらっしゃるのですよ。婚約者のいる殿方と人目をはばからず馴れ馴れしくお話しされるのは、マナー違反ですわ」


突然の言われように、エレノアは再びきょとんとしてしまう。


「あ、あのですね……」

エレノアが弁明しようとしたのを遮り、ベアトリスはさらに言葉を重ねた。


「レナード殿下は、ベルシュタイン公爵令嬢と正式に婚約されております。これからはご自身の身分を重んじ、殿下と親しくされるのは避けるべきですわ。これは侯爵令嬢としての私からの助言です」


「あ、あの……私がその、レナード殿下の婚約者、ベルシュタイン公爵令嬢なのですが……」

エレノアが恐る恐る告白した。


そして、

「あっ...ベアトリス様は地方から最近来られたばかりだから、ご存じないのも無理はないですよね……」

とエレノアが一人でつぶやいた。


「え……? あなたがベルシュタイン公爵……!? でも、貴族名鑑にはあなたのお名前は『バウアー男爵家』の欄にありましたよ!?」


「あ、貴族名鑑は年に一度の改訂ですし、我が家の家系図調査がまだ間に合っていなかったのですね……。公爵位は、最近国王陛下から半ば強引に賜ったものですので……」


「で、ですが、あなた、サロンで給仕をしておられたじゃないですか! 王家の婚約者様であるなら、給仕などされる必要はないのでは……!?」


「あー、あれはもう趣味のようなものですね!王家に嫁いだ後も立派なお茶会を開催したく…王家の人間として皆の模範となりたくて」


えへへ、と恥ずかしそうに照れるエレノア。

ベアトリスは頭の理解が追いつかず、激しく混乱した。


(エレノア嬢が……ベルシュタイン公爵……!? え、じゃあ本当にレナード殿下の婚約者……!?

…………私、王家に嫁がれるお方に、とんでもない不敬を働いてしまったの……!?)


理解した瞬間、ベアトリスの顔から一気に血の気が引き、真っ青になった。


そこへ、息を切らせたギルバートが駆け込んできた。


「ベアトリスがエレノア嬢に関して勘違いをしているかもしれないと君の友人から聞いて――って、ベアトリス!?」


そこには、見たこともないほど顔を真っ青にし、目に涙を浮かべているベアトリスの姿があった。

近づいてきたギルバートを見るやいなや、ベアトリスは堪えきれずに彼の胸へ思わず顔を埋めてしまった。


「ギルバート様……っ! 私、王家への不敬罪で処刑か幽閉です……っ! ごめんなさい……!」


「えっ、えええっ!? 一体どういうことだい!?」


全く状況が飲み込めないギルバートだったが、自分の胸にしがみついて泣くベアトリスがあまりにもしおらしく愛らしかったため、思わずそっと彼女の頭を引き寄せて抱きしめてしまった。


「あの、エレノア嬢……これは一体どういう状況なのでしょうか……?」


ギルバートが混乱しながら尋ねる。

思わずベアトリスが抱きついてしまったことで、中庭にはいつの間にか生徒たちの野次馬ができ始めていた。


エレノアが困ったように口を開く。


「ええっとですね……ベアトリス様が少し勘違いをされていたようなのです。『婚約者のいるレナード殿下と親しくするのは貴族としてどうか』とお叱りを受けたのですが……ええ、私が殿下の婚約者だとご存じなかったようで……」


それを聞いたギルバートは、同時に心の中で(あああーーーっ!!)と絶叫した。

誰もベアトリスに「エレノアが殿下の婚約者であること」も「最近公爵位を賜ったこと」も事前に説明できていなかったのだ。


(だから、未来の王妃殿下に説教をしてしまったと思って、不敬罪で泣いているのか……)


ギルバートはようやく事態を把握した。知らなかったとはいえ、王家の婚約者に苦言を呈したのは紛れもない事実。エレノア嬢の寛大な性格なら許してくれるはずだが……と思案していたまさにその時、のんきな声が響いた。


「やあ、ギルバートにベアトリス嬢。みんなどうしたんだい? ……というか、本当にどうしたの!?」


タイミング悪く現れたレナード殿下も、中庭の修羅場(?)と人だかりに目を丸くして困惑するのだった。





遅れてやってきたレナード殿下にも状況説明を終えると、ギルバートがバウアー家について静かに補足した。


「バウアー家は代々王家に多大な貢献をしてきた家柄で、本来なら公爵の位についていてもおかしくないんだ。ただ、先代から『男爵のままでいい』と爵位の昇格を固辞し続けていてね……これは王都の貴族間では周知の事実なんだよ」


続いて、レナード殿下がどこか苦笑いを交えて付け加える。


「今回、私とエレノアの婚約にあたり、王家の体裁として男爵令嬢を迎えるわけにはいかないと父上がお怒りになってね。半ば強引に公爵位を授与したのだよ。ただ、慣れ親しんだバウアーの名を残したいという彼らの希望を汲み、エレノアの母上の故郷の名を冠した公爵位を新設したというわけだ」


「……そうだったのですか……」


ベアトリスは深く納得すると同時に、己の知識不足と暴走に冷や汗を流した。

すると、それまで静かに聞いていたエレノアが、優しく微笑みながら口を開く。


「ベアトリス様、どうかお顔をお上げになってくださいませ。男爵家が実は公爵家だったなど、前代未聞の出来事ですもの。ベアトリス様は何も悪くありませんわ。 むしろ侯爵令嬢として、下位貴族を正すために自ら助言を呈することは、なかなか真似できることではありません。ですから殿下、ベアトリス様を不敬罪に問わないでいただけますか?」


エレノアがレナード殿下にそう提案する。


「君が許すのであれば、私は構わないよ。そもそも、地方におられたベアトリス嬢にとって王都の情報は手に入りにくかっただろう。……それにしても、貴族名鑑が1年おきの更新では遅すぎるな。情報が周るのが遅すぎる。今度父上に、改訂の頻度を早められないか提案してみるとしよう」


エレノアが不敬罪に問わないと言ってくれたことで、ベアトリスもギルバートも心の底からホッと安堵の息を漏らした。

だが、レナード殿下は腕を組み、今度はエレノアの方へと視線を向けた。


「……ただ、エレノア。君の行動にも大いに問題がある」


まさか自分に矛先が向くとは思っておらず、エレノアは驚いたように目を丸くした。


「え……? 殿下、どういうことでしょうか……?」


「私は君に、実家が公爵位を受理した時点で、早急に学園での登録名および爵位表記を変更するように伝えたはずだ。なぜまだ手続きをしていないんだい? もし君が正しく名乗っていれば、ベアトリス嬢だって勘違いをしなかったはずだ」


「それは……サロンの開催準備が忙しくて、ついつい後回しに……」


エレノアがしどろもどろに言い訳をする。


「そのサロンの運営もだ! 私は以前から、君は未来の王妃になるのだから給仕の仕事も程々にするようにと言っていただろう! 君がサロンで給仕をしていることも、ベアトリス嬢が侍女の練習だと勘違いする原因になっている。……それに、君が裏方の仕事にかかりきりになっていると、私と過ごす時間がなくなってしまうじゃないか」


お説教のフリをして、周囲の目をはばからず堂々と甘甘な本音を吐き出すレナード殿下。


これには流石のエレノアも言い返せなくなり、頬を赤らめて俯いてしまった。


「ええっと……名簿の手続きは、すぐに行いますわ。サロンの運営につきましても、近いうちに引き継ぎを考えます……。それとベアトリス様、今回の件は私の不配慮にも原因がありました。もしよろしければ、今度我が家のお茶会にいらっしゃいませんか? もちろんギルバート様もご一緒に」


「えっ……? 私が、ですか……?」


戸惑うベアトリスに、エレノアは目を輝かせて微笑みかけた。


「ええ! 王都と地方では、流行している茶葉やお菓子も異なるでしょう? ぜひベアトリス様の故郷のお話をお聞きしたいのですわ。もちろん、王都の流行や作法についても、たくさんご紹介させていただきますわね!」


未来の王妃様からの熱心で心優しいお誘いを、ベアトリスが断れるはずもなかった。

ベアトリスは「はい……!」と、今度は感謝と尊敬を込めて力強く頷くのだった。



この事件をきっかけに、サロンで給仕服を着て甲斐甲斐しく働くエレノアの姿は見られなくなった。

代わりに、サロンの特等席でレナード殿下と仲睦まじく談笑する、美しき公爵令嬢の姿が目撃されるようになったという。


そして後日談――。

エレノアとベアトリスはお互いのお屋敷を頻繁に行き来するようになり、王都や地方のお菓子、お茶葉、美しい食器について、いつも楽しそうに花を咲かせているのだった。



— ここからはおまけです—

(ベアトリス視点)


エレノアとの騒動を終え、居候しているハルトヴィッヒ侯爵家に到着したベアトリスは、部屋に着くとすぐさまベッドへ倒れ込んでしまった。


(ああ……今日は本当にとんでもないことをしてしまいましたわ……王家の婚約者の方にあんなことを……知らなかったとは言え、行き過ぎたことをしてしまったわ……)


クッションに顔を埋め、ベアトリスは今日の行いを深く反省していた。


(それと....酷く取り乱していたとは言え、ギルバート様に公衆の前で抱きついてしまって…)


今更ながら思い出して急に顔が真っ赤になり、抱きかかえていたクッションをぎゅっと力任せに抱きしめる。


パーティのダンスで密着したときとは違った…あの時は、どうしてもギルバートにすがりたい、頼りたいという一心だったのだ。


(でも……頭を抱きしめられたとき、あんなに安心するなんて……)


胸の奥がカッと熱くなるのを感じる。


触れられて嬉しいと思うなんて、貴族の淑女としてそれこそマナー違反ではないかとベアトリスは感じた。


(……ご迷惑だったかもしれないわ。お食事のあとに、抱きついてしまったことをきちんとお詫びしておかなくては)


ベアトリスは一人、ベッドの上で脚をバタバタとさせていた。



侯爵家での食事の後、ベアトリスは廊下でギルバートに声をかけた。


「ギルバート様、今日は大騒動を起こしてしまって本当に申し訳ありません。貴族としてマナーがなっていなかったのは、私の方でした……」


しおらしく首をすくめるベアトリスに、ギルバートは優しく耳を傾ける。


「それと……あんな公衆の前で抱きついてしまうなんて、ご迷惑をおかけしてしまって……本当にごめんなさい」


ベアトリスが深く頭を下げると、ギルバートは少し照れくさそうに笑った。


「迷惑だなんて……僕は全然思っていないよ。むしろ、ベアトリスが僕を頼りにしてくれて嬉しかったんだ……君が罰を受けなくて、本当に良かった」


そう言って、ギルバートは愛おしそうにベアトリスの頭をぽんぽんと撫でた。


触れられた箇所から体温が伝わり、ベアトリスの頬が一気に熱くなる。恥ずかしさのあまり、思わず顔を背けてしまった。


「おっと……ごめんよ。それじゃあ、おやすみ。また明日ね」


慌てたように手を放すと、ギルバートは爽やかに立ち去っていった。


一人自室に戻ったベアトリスは、今度こそ顔を真っ赤にしながら、再びベッドの上で身悶えするのであった。




(レナード殿下視点です)


ベアトリス嬢との事件があってから、エレノアが学園のサロンで給仕をする機会はなくなった。


実は、給仕に時間を取られるせいで二人で過ごす時間が減っていたことも理由だが、私が給仕をやめさせたかった最大の理由は別にある。


――以前、エレノアが給仕をしている際に、近くの男子生徒たちが口にしていた会話を聞いてしまったからだ。


『給仕をしているエレノア様は本当に可愛らしいな……笑顔で接客してくださるし。もしレナード殿下の婚約者でなければ、ぜひ結婚を申し出ていたのに』


それを聞いた時の私の嫉妬たるや、居ても立ってもいられないほどだった。 エレノアの愛くるしい笑顔を他の男たちに振りまくなんて...そんな姿は見たくない。彼女のあの笑顔は、自分だけに向けられていてほしいのだ。


だけど、そんな独占欲を伝えてしまえば、楽しそうに給仕をしているエレノアを悲しませてしまう。そう思って今までずっとサロンでの給仕をやめてほしいと強く言えずにいたのだ。


だから、ベアトリス嬢の勘違いをきっかけにサロン給仕をやめさせることができたのは、私にとって最高の好機だった。


ベアトリス嬢は酷く落ち込んでいたとギルバートから聞いたが、私はむしろ彼女に深く感謝しているほどだ。


今度エレノアとベアトリス嬢のお茶会がある際には、感謝を込めて王家御用達の最高級のお菓子と茶葉を持参しよう。



(レナード殿下とエレノアSSです)


サロン給仕をしなくなったエレノアは、放課後になるとバウアー家の屋敷でお茶を楽しむようになった。 今日は、次回のベアトリスとのお茶会でどんな装いにするかを二人で相談していたところだ。


「そういえばレナード様、うちの庭園で綺麗なバラが咲き始めましたの。次のお茶会で飾ろうと思っているのですが、よろしければ少し見に行きませんか?」


エレノアは可憐に微笑み、彼を誘って席を立った。 テラスを抜けた庭園の奥には、見事なバラ園が広がっていた。


「レナード様、こちらのバラをご覧くださいませ...とても可愛らしい小さなピンクのバラですわ。次のお茶会は、このピンクを基調にしようかしら……」


エレノアは熱心にバラを観察している。 このバラ園は、四方を綺麗に刈り込まれた高い生の垣根で囲まれていた。防衛のために近くに護衛は配置されているものの、この角度からなら完全な死角になっている。


バラに見惚れるエレノアの隙をつき、レナードは後ろからそっとその身体を抱きしめた。


「えっ……!? レ、レナード様……!? こんなところで抱擁だなんて……またマナー違反だとベアトリス様に叱られてしまいますわ」


突然のことに困惑しながらも、エレノアが彼を振り払うような真似はしない。 レナードは彼女の肩に顎を乗せ、耳元で甘く囁いた。


「ここからなら、私が君を抱きしめているなんて見えないよ。……後ろから一緒にバラを眺めているようにしか見えないさ。せっかく二人きりになれたのだから、少しだけこうさせてほしい」


貴族のマナー上、婚姻前の男女がこれ以上の深い触れ合いをすることは許されない。だからこそ、二人きりになれるわずかな時間で、少しでもエレノアの温もりに触れていたいのだ。


彼の意図と切なさを察したのだろう。エレノアはおずおずと、自分に回されたレナードの手の上に、そっと自分の小さな手を重ねた。


(ああ……早く挙式を済ませて、これ以上のことをしたい……)


内心の焦れったい愛しさに胸を締めつけられながら、レナードとエレノアは柔らかいバラの甘い香りに包まれるのだった。




(ギルバートとベアトリスSSです)


学園からの帰り道、ガタゴトと揺れる馬車の中でギルバートとベアトリスは向かい合って座っていた。


「そういえばベアトリス、今週末に王都で第一王子の誕生日を祝う花火が打ち上げられるんだ。我が家のバルコニーからちょうど見られるよ……もしよかったら、一緒に見ないかい?」


ギルバートが少し照れくさそうに切り出した。 それを聞いたベアトリスは、パッと目を輝かせる。地方の領地にいた頃は花火を見る機会など滅多になかったため、心躍る思いだった。


(でも……いくら居候させていただいている身とはいえ、夜に結婚前の男性とお会いするのはマナー違反ではないかしら……)


葛藤するベアトリスの様子を察し、ギルバートが慌てて言葉を添えた。


「あ! もちろん父上にもちゃんと許可は取っているよ。それに部屋の扉は開けておくし、廊下にはメイドを待機させるから……」


昔からマナーに厳格なベアトリスのことだ。絶対に気にして遠慮するだろうと見越し、事前に用意周到な手はずを整えておいたのだ。


「あ……それなら、ぜひ拝見したいですわ」


不安が解消され、ベアトリスはホッと安堵の笑みをこぼした。


(ギルバート視点)


最近、ベアトリスが可愛くて仕方がない。 そう思うようになったのは、あの中庭での騒動の際、彼女がエレノア嬢に勘違いをして涙を浮かべた顔を目にしてからだった。


あの表情が、ずっと頭から離れないのだ。


ベアトリスとは幼馴染で、昔から正義感が強くマナーを重んじる令嬢だった。時にその真面目さが少し窮屈に感じることもあったが、まっすぐで嘘のない性格は、一緒にいてとても心地がよかった。


……ずっと、気心の知れた友人のような存在だと思っていたのに。


(普通に誘ったら、絶対に『マナー違反だ』と不安がるだろうからね……)


花火という絶好の口実を作って正解だった。今週末が楽しみで仕方がない。 ギルバートは一人、ニヤケそうになる口元を必死に抑えるのだった。



花火の当日。ギルバートとベアトリスはいつもより早めに夕食を終え、就寝の準備を済ませてから約束のテラスへと向かった。


先にテラスで待っていたギルバートは、足音に振り返る。


「ここ、段差があるから手をどうぞ」


「……ありがとうございます」


ベアトリスがおずおずと手を差し出すと、ふわりと甘い薔薇の香りが鼻をくすぐった。彼女が普段愛用している石鹸の香りだ。


いつものきちんとしたドレス姿とは異なり、今日のベアトリスはゆったりとした着心地のナイトドレスを纏い、豊かな髪をそのまま下ろしている。お風呂上がりなのか、その髪は少し湿り気を帯びていた。


ギルバートは彼女の手を引いたまま、テラスの縁へと案内する。


「ここは王都でも高台にあるから、街全体を見渡せるんだ。夜景がとても綺麗でね、たまにここで考え事をしているんだよ」


「わぁ……っ」


ベアトリスは思わず息をのんだ。 地方では決して見ることのできなかった景色だ。街の明かりがまるで宝石のようにキラキラと輝いている。


「本当に素敵なところです......! この景色を見られただけでも、胸がいっぱいですわ」


興奮を隠しきれない様子のベアトリス。 テラスには、夜のひんやりとした心地よい風が吹き抜けていた。


「外は少し肌寒いだろう? 体を冷やすとよくないから」


ギルバートはあらかじめ用意していたブランケットをそっと彼女の肩にかけてあげる。


「あ……ありがとうございます、ギルバート様」


薄暗がりのため気付かれないが、気遣われたベアトリスの顔はすでに真っ赤になっていた。


「そろそろ、打ち上げの時間だと思うのだけれど――」


そうギルバートが口にした瞬間、テラスから見える夜空へ一筋の光が昇り、大きな音と共にパッと鮮やかな火花が弾けた。


「わっ……! 綺麗……!」


ベアトリスは目を丸くし、空へと釘付けになった。次々と打ち上がる色鮮やかな大輪の花火に、ただただ息をのむ。


「こんなに素晴らしい花火、生まれて初めて見ましたわ」


夢中になって夜空を見上げていたベアトリスだったが、ふと隣へ視線を向けると、自分をじっと見つめるギルバートと目が合ってしまった。


「ギルバート様……花火をご覧にならないと勿体ないですわ。こんなに美しいのに……」


その時、ギルバートは少し強引に、ベアトリスの華奢な体を自分の方へと引き寄せた――。ベアトリスの肩にかけられていたブランケットが、ハラリと足元へ滑り落ちる。


「……っ!? ギ、ギルバート様!?」


思わず声を漏らすベアトリスだったが、至近距離で見つめ返してくるギルバートの熱い瞳に息をのんだ。


「君があまりにも無防備で……花火にはしゃぐ姿が可愛くて、つい……」


そう囁くギルバートの耳たぶはほんのりと赤く、いつも爽やかな彼の瞳には、どこか余裕のない切なさが滲んでいた。


「で、でも、誰かに見られてしまいます……っ」


「外は薄暗いし、ここならテラスの扉が死角になっているから、廊下からは見えないよ」


「で、でも……っ」


困ったように照れ、顔を真っ赤にさせるベアトリスを見て、ギルバートはふと我に返り、少し寂しそうに手を放した。


「ごめん、やっぱり嫌だったよね……本当にごめん」


その場に、夜空を彩る花火の音だけが空虚に鳴り響く。気まずい沈黙のあと――。





「……………嫌じゃないです」


ベアトリスが、消え入るような声でぽつりと呟いた。


「最近、なんだか私、変なんです。ギルバート様に抱きついてしまった時も、頭を撫でられた時も……思い出すたびに、胸の奥が熱くなって、心臓がうるさいくらい跳ねて……」


ベアトリスはしおらしく胸中を明かす。 それを聞いたギルバートは、自身の顔が一気に熱くなるのを感じた。


耐えきれなくなったように再び彼女の体を抱き寄せると、愛おしさを込めておでこに唇を押し当てる。


「えっ……!?」


突然のキスに、ベアトリスは感極まって顔をぐしゃぐしゃにした。


「僕だけが君を愛おしいと思っているのかと思っていたのに……こんなの、反則すぎるよ」


ギルバートは愛おしさに溢れた瞳で彼女を見つめ、今度はその柔らかい頬へ優しく口づけを落とした。


温かく口づけされた頬から一気に熱が広がり、ベアトリスはかっと顔を赤くして、思わずその場所を自分の手でそっと覆った。あまりの甘さに、鼓動が一層早くなるのを感じた。


「君の想いが聞けて、今日は最高の日になったよ。……すっかり花火は終わっちゃったけれど」


二人が甘い会話を交わしている間に、夜空を飾っていた花火はフィナーレを迎えていた。


「ごめんね、せっかくの花火を堪能させてあげられなくて。……僕が我慢できなかったばかりに」


申し訳なさそうに謝るギルバートに、ベアトリスは少し恥ずかしそうに、はにかんで見せる。


「花火は、また次の機会でも大丈夫です。……あの、私もまた、ここのテラスへ夜景を見に来てもいいでしょうか? ええと……また、ギルバート様と一緒に見たいです…」


思いもよらぬ甘い提案にギルバートは歓喜で心臓が大きく跳ね上がり、思わず彼女を抱きしめ返したくなりそうだった。


「もちろん良いけれど……あ、そうしたらまた父上に許可を――」


言いかけたギルバートの唇に、ベアトリスがそっと自身の小さな手を重ねて制した。


「……たまたま通りがかっただけなら、許可はいりませんよね?」


ベアトリスがいたずらっぽく微笑む。 ギルバートはその言葉の意味を理解し、ぱっと表情を輝かせた。

澄んだ夜風が、幸せな二人を優しく包み込んでいくのだった。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

初めての短編投稿となります。

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