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マッチが売りの少女

このお話はタイトルからも推測されるように、マッチ売りの少女が下敷きとなっております。

ただしモチーフにしているだけで、本編とは割と関係ありません。

とあるトップアイドルが奔走する物語です。

「いかがかしら、今ならお安くしておくわ」

 とある繁華街の薄暗闇に、占い師のようにフード付きのローブ――否、それはよく見ればパーカーだった――を羽織った少女が一人。傍らには山積みの段ボール箱。彼女は行きかう人々に、何やら言葉を投げかけているようだった。しかし、彼らはまるで少女がいないかのように、無視して通り過ぎる。

――本当、何やってるんだか。

 彼女は、何故自分がこのような状況に置かれているのか分かっていなかった。ただ、逃げ出したかっただけ、現実から目を背けたかっただけ。それなのに。

「……あたしはどうして、こんな所でマッチを売っているんだろう?」

 全ては、数日前に遡る。



「もういや!」

 とある地下駐車場にて。肩口で髪を切りそろえた、少しつり目の愛らしい顔立ちをした少女が、喉をからさんばかりにわめいていた。それだけならばまだ救いようもあった気がしないでもないのだが、彼女はかっちりとスーツを着こんだ眼鏡の男にひきはがれそうになっており、抵抗してワゴン車のドアにしがみついている。それも、周りを大勢の警備員に囲まれて。……出来れば、見たくなかった光景である。その少女が、レースとリボンで彩られたフリフリのステージ衣装なんか着ちゃってたもんだから、尚更だ。

「はいはい、次の仕事行くよー」

「いーやー」

 掃除機も吃驚な力で必死にはがされまいと、顔を真っ赤にして歯を食いしばる少女。彼女はこの物語の主人公にして、現在その愛らしい見た目と十六歳という年齢からは想像もしえないような毒舌で一世を風靡している、小悪魔女王キャラの大人気アイドルである。ほうら、シュールさが増しちゃった。

「そんな事言ったって仕方がないだろう? こんなタイトなスケジュール、今だけなんだから。後一年も経ったら、お望み通りの平穏な日々がやってくるよ。そののんびりライフを送るにもお金は必要だ。いつ干されるかも分からないこの芸能界という荒波で、せいぜい立てるうちはのさばっておきなさい」

 その少女をひきはがす為に相当の労力をかけているはずなのにもかかわらず、涼しい顔で正論を吐くのは、彼女を育て上げた、業界では名の知れた敏腕マネージャーである。

「言ってる事は正しいんだけどねっ。でもあたしはその一年後が待ち遠しいのよう」

 売れっ子のぜいたくな悩み、と一蹴してしまえばそれだけだが、睡眠時間が平均四時間以下、休みは勿論当然のごとく存在せず、移動や休憩の間もマネージャーがつきっきりという超過酷生活を送っていると知ったら、多少は同情してくれるだろうか。

「それはデビューしてすぐ爆発的に売れた者の嫌味だよー。ほら、某先輩を見てご覧。彼女は君の年ぐらいの芸歴を持つけれども、未だにゴールデンはおろか、地方局にすらめったに出られず、最近じゃ年も年だからグラビアの仕事も出来ず、今何をやっているかは……君の方が知っているよね?」

「……あいさー」

 未成年であり、デビューからまだ二年ほどしか経っていない少女の耳にも届くほど、その先輩アイドルの没落は周知の事実であった。それを出されてはたてつく事が出来ない。

「で、でもそれとこれとは別問題で」

 しかしここで反論しなければ。

――今日こそはドタキャン、そうでなくとも遅刻して、評判を下げてやる。

彼女はそう、心に決めていた。なんとこの少女、その芸風の割には遅刻、欠席をした事がなく、果てはモデル、歌、ドラマは勿論、バラエティまで仕事の選り好みをほとんどしないという評判の良いアイドルなのである。もっとも、それはマネージャーが片っ端から仕事を受けているからなのだが。

「はいはい、今納得したでしょー。行くよー」

 そんな彼女の思いとは裏腹に、彼は少女が一瞬ひるんだすきをすかさずついて、べりっとドアからひきはがした。そしてあろう事か、そのままの流れでひょいっと抱き上げてしまう。やはりこの男、只者ではないようだ。

「このっ、人攫いー」

 確かに、そう表現するのが最も的を射ているような連行の仕方である。

「何とでも言いなさい。今に僕に感謝する事になるんだから」

 やけに自信満々に意味深長な発言をして、彼は自慢のアイドルを小脇に抱え、テレビ局の中へと足を速めた。


 そんなこんなで、どうにかこうにか仕事を休みたい少女は、ある日、一大決心をした。

――そうだ、休めないなら辞めてやろう。

 しかしそうは考えても、例のマネージャーのせいでなかなか実行に移れない。葛藤を抱えたまま、彼女は日々に忙殺されていった。

それから一週間程経った頃、突然、彼女は社長に呼び出された。

「社長……。あら?」

 軽くノックをしてから入ったものの、室内には猫の子一匹いなかった。

――あれ、これってもしかして……。

 ようやくチャンスが巡ってきた。少女はそう確信する。

 念の為、もう一度辺りを見回してから、彼女は前々から用意していた封筒をそーっと、音を立てないように置いた。重厚そうな机に、白い紙がまぶしい。その中央にはでかでかと丸字で、“辞表”と書かれている。

「……ふ、ふっふ、ふふふ」

 こんなにも簡単にいくものなのか。あんなに苦労していたのに。こうもあっさり、呪縛から逃れられるものなのか。こみ上げる笑いを抑える事が出来ない。

「あんた、何やってんの?」

しかしそんな達成感も、どこからか聞こえてきた声にかっさらわれる。

「!?」

――しまった、ばれたか!?

 てっきり部屋の中に誰か入ってきたのだと思った少女は、ばっと後ろを振り返る。だが、そこに人影は見当たらない。

「あれ? 今の声は」

「こーこーだっ」

「きゃあっ」

 ぬぅっと窓の外から現れたのは、二十代ぐらいの青年である。つなぎを着て命綱をつけ、ゴンドラのような物に乗ってモップを持っている所を見ると、どうやら窓ふきをしていたらしい。

「おお、あんたでも女の子みたいな可愛い声、出すんだな」

 その口ぶりから、彼は彼女の正体を知っているようである。まぁ、毎日のようにテレビや雑誌、広告に出ているのだ。見覚えがあって当然だろう。

「失礼ね。いきなり湧いて出たから、ちょっと驚いたのよ」

 動揺こそしたものの、会社の人間ではなかったので少しだけ安堵し、少女はいつものような態度に戻った。

「で、本当、こんな所で何やってんだ?」

 ここ社長室だろ、と呆れたように呟く青年。どうやら、悪い人間ではなさそうだ。

「ああ、ここに辞表を」

 そこまで言って、彼女はしまった、と思った。はっきり言って油断し過ぎたのだ。後悔先に立たずとは、まさにこの事である。しかし彼は

「ふーん」

と、さらりと流すだけだった。どうやら、彼の興味を引いたのは理由ではなく、

「って、じゃああんた、ここからどう抜け出すんだよ」

彼女の浅はかさだったようだ。

「あ」

 突発的な行動には、必ず穴が開いているものである。その反応を、彼は半ば予想していたらしく、

「仕方ねぇなぁ……。ほれ、乗りな」

かなり迷惑そうではあったが、青年は彼女の方に手を差し伸べてくれた。その光景は、ここがビルでなければ、あるいは彼の服が作業着でなければ、王子様と囚われの姫のようだったであろう。べたべたなシチュエーションにややためらったが、少女はその手を取り、頼りなく揺れるゴンドラの中に乗りこんだ。

「よし、じゃあ下りるからな。しっかりつかまっとけ」

 こくりとうなづき、彼女は言われた通り、縁にしがみついた。

「あ、こ、この事は……」

 そこで少女は、“告げ口される”という今最も警戒しなければならない可能性を忘れていたのに気が付いた。

「言わないよ。俺の方が悪者扱いされちまう」

 しかし青年の方が一枚上手のようで、そんな事は最初から承知の上だったらしい。

「……そう」

「……礼の一つぐらい、言ったらどうだよ」

「う」

 この芸風にしてからというもの、少女は素直になれなくなってしまった。そんな自分が腹立たしくなり、腕の中に顔をうずめる。

「ま、良いけどさ」

 だから彼の優しさに、彼女はありがたく甘えさせていただく事にする。

 ほんの数分で、ゴンドラは地上に到着した。

「そら、行きな」

 俺と君との関わりはここまでだ、と引き際をわきまえるように、彼は少女をうながした。

「助かったわ」

 顔も見ずそっけなくそう言うのが、彼女の精一杯だった。

「おっと、そうだ。ほらよ」

 走り去ろうとする彼女に、青年はふわりと布を投げかけた。それは予期せず、もしかしたら狙っていたのかもしれないが、少女の頭に着地する。

「!?」

 突然前が見えなくなり、慌ててはがすと、それは先程まで彼が腰に巻いていたパーカーだった。

「そんな格好じゃ目立つだろう?」

 この男、どうやら相当気障らしい。ではなく、そこそこ気の効く奴のようだ。

「……恩に、着るわ」

 少しだけ頬を緩め、さっとパーカーを羽織り、風のように彼女は街へと消えた。

「なんだ、普通に笑えんじゃんかよ」


「やった! 私は自由だ!」

 その後、少女はただがむしゃらに、道という路を駆け抜けた。周りの目なんて気にせず、化粧が崩れ髪が乱れるのも構わず、ただただ走る。あてどなく、だが明確な目的を持って、足がもつれて倒れるまで、力の限り彼女は逃げた。

「ふふ、ふふふ……。あっははははははははははは!」

 真夜中、薄暗い路地裏で。限界まで体を酷使したから何度も転び、ついでに地べたに座ったから白を基調にした美しい衣装も真っ黒になってしまったのに。全然綺麗じゃなくなってしまったけれど、それでも。彼女は久しぶりに心の底から、全身の力を抜いて笑った。

 その日は今後の資金を考慮し、節約の為に漫画喫茶に泊った。

 これからどうするか、どこに行くか。今まで出来なかった事をしよう、行けなかった所に行こう。そんな事を考えながら、個室に備え付けのパソコンで調べながら夢を膨らませ、狭い部屋で体を縮こませながら、ぐっすりと眠った。

 しかし世の中、そんなに甘くは無かったのである。

「え、どういう事……?」

 あの紙は果たして、どのように扱われたのだろう。もみ消されたか、それとも受理されたのか。あるいは、まだ気が付いていないのか。やはり気になってしまい、朝起きぬけにネットで動向を調べてみると、予想外の単語が狂喜乱舞しているではないか。ネットニュースの見出しはこうだ。

“大人気アイドル、突然失踪。行方不明。誘拐か?”

“仕事中に突然蒸発。家族連絡とれず”

“安否確認できず。今日にも捜索届提出”

「あのマネージャー……。やってくれるわね」

 有名新聞社が出している記事を粗方読み終えると、彼女は事態を把握した。

 つまり、彼女の願いはもみ消され、あろう事か利用されてしまったのだ。大方、事務所側で先に少女の身柄を確保し、口裏を合わせ誘拐事件をでっちあげ、悲劇のアイドルとして再スタートさせるつもりなのだろう。流石、転んでもタダで起きない男と評されるだけの事はある。

「そんな誘いに乗るかっつーの」

 だが、彼女の方にも意地があった。自分のささやかな願いが、まさかこんな大事にされるなんて。しかも、戦略の材料にされるなんて、耐えられなかった。

「良いわ。この勝負、受けて立とうじゃない」

 ぺろりと唇をなめ、少女は勢いよく立ち上がった。

「まずはここから逃げないと」


 戦況が変わった以上、一所に留まるのは危険であろう。そこでとりあえず、潜伏先を変える事にしたのである。

「やっぱり、か……」

 そこで、彼女が最初に向かったのは自分の家だった。彼女には父と母、それに姉がいるのだが、特に姉には“辛い”“辞めたい”と泣きごとを常日頃から言っていたので、事情を話せばかくまってくれると思ったのだ。

「えー、こちら自宅前です。未だ彼女の姿は見えません……」

しかし、やはりそこには大量のカメラマンと記者が待ち構えていた。

「家には帰れないな……」

 半ば予想はしていたのですぐに諦めは付いたが、それでも、資金調達が出来なかったのは痛い。一応、通帳のカードは持っているが、それにしたって下ろせばばれてしまうだろう。財布の中に入っているのはせいぜい数万円。いつ終わるか分からない追いかけっこをするには、心もとない金額である。

「さあて、次はどこに行こうかしら……」

 気休めにと買ったキャップを少し目深にかぶって、少女はそっと踵を返した。


「ま、灯台もと暗しって事で」

 そう思い、次に向かうは、逃走劇のスタート地点である所属事務所本社ビルであった。現在人が出払いきっている(と予想した)為、舞い戻ってきたのである。

「お金……は流石に持ってったら駄目よね」

 その目的は資金調達であったが、罪を犯す気はさらさらない。

「うーむ、でもなんかないかなー。金目の物金目の物……。って、それも犯罪だっつーの」

 誰もいないのでセルフつっこみを華麗に決めつつ、何かタダっぽくてお金になりそうな、という矛盾した物を探す少女。

「ふむ、マッチか……」

 山積みの段ボール箱がなんとなく目についたので、無いよりマシかと思い、彼女は持てるだけ失敬する事にした。

ファンファンファンファン……

 すると、遠くの方でサイレンの音が聞こえるではないか。

――しまった……。

 警報は段々近づいてくる。監視カメラは避けたつもりだったが、どこかに映り込んでしまったのかもしれない。どうにかなるだろう、何とか出来るだろうと楽観視していた結果だった。自業自得である。

「それでも、まだ捕まる訳にはいかないのよ」

 今警察に保護されてしまえば、少女はまたあの生活に戻される。マネージャーにも弱みを握られた事になり、もう逆らう事は出来ない。

――さぁ、考えろ。まだ足掻けるはずだ。

 下で鍵が開き、ドアが乱暴に開けられた音がした。

「一か八か……」

 足音からすると、彼らは階段で上がってきているようだ。念の為窓から外を覗くと、白と黒の車が見える。つまりは正面玄関が使えないという事だ。だったら。

「地下か」

 私はするりと、エレベーターに飛び乗った。

 地下に降りたったは良い物の、段ボール箱を抱えていては走れない。やはり置いていくべきか、等と思案していると、

「乗れ!」

黒塗りの車から伸びてきた腕に、彼女は捕まった。


「なんで……」

 無事に車に乗り込み、警察の車も見当たらなくなってから、少女は後部座席から運転席に向かって尋ねた。

「ニュースで見た。あんたの事だろうから、奇襲をかけたは良いものの、逃げられなくなると思ってな」

 そう答えるのは、以前にも彼女を助け出してくれた、若き清掃員である。

「いや、そうじゃなくて……」

 どうしてよく知りもしない小娘にここまでしてくれるのか。彼女は不思議で仕方が無かった。

「ああ、そりゃあ、決まってるだろう?」

 緊張感からか、車内には今までエンジン音だけが響いていたのに、彼女が呟いた時にはわざわざ後ろを振り向いて、笑顔でこう言い切るのである。

「騎士はお姫様のピンチにゃ、馳せ参じるのさ」

 ウィンクをしながら言う姿が妙にはまっていて、やっぱり気障な男だと再確認したのであった。


 そうして、再び青年の力を借りて、彼女は危機を脱した。



 それから適当な所で下ろされ、ここなら何か売っていても問題ないと太鼓判を押され、彼とは別れた。なんなら当面の生活まで補助してくれても良かったのに、と甘えそうになったが、見ず知らずの人間にそこまでしてもらうのは申し訳なかったし、何より少女のプライドが許さなかった。そこで、事務所から持ち出した大量の段ボール箱――の中身、マッチが登場する。


 そういう訳で、最初の場面に戻るのであった。

「はぁ……」

 しかし、この便利さに特化した社会の中で、マッチなどという骨董品は、もはや学校での実験ぐらいにしか用途が無い。おかげでここに立ち始めてから三時間ほど経つが、一向に売れる気配も、それどころか声を掛けられる事すら皆無であった。

――そうよね。こんな物、買わないよね。

 あまりにも暇なので、実演販売でもしてみようかと、彼女はマッチを手に取った。

「って、どうやって点けるんだっけ?」

 だが、なんとこの少女、持ち出した割には使う事が出来なかったのである。

「こうやるんじゃよ」

 すると、どこからともなくボロボロの身なりのおじいさんが現れ、いつの間にか彼女の手から奪ったマッチで、持っていた提灯にすっと火を灯した。

「え? もう一回」

 まるで手品のような手際の良さに、彼女は見蕩れた。

「ほっほっほ、とんだマッチ売りの少女もいたものじゃの」

「仕方ないじゃない……。やった事無いんだから」

「ふむ。まぁ良い。ではまずはイメージトレーニングじゃ。箱の中のマッチの頭が腹に来るように持って」

「なんで?」

「燃え移った時に危ないからじゃよ。次に、茶色の面でマッチをこすり、火が点いたら右利きなら十一時の方向、左利きなら一時の方向で斜めに持つのじゃ」

「え、まっすぐ縦に持つんじゃないんだ」

「縦に持つと燃える物がないから、火が消えやすい。それに、燃えカスが手に落ちるかもしれないしの。逆に、横だとすぐ木に燃え移って危ない。だから斜めじゃ」

「ふーん」

 教えを受けながら、そういえばこの人は一体何者なのかと、彼女は思いを巡らせていた。よく見れば身なりの割には物腰はきちんとしているし、別に清潔感が無い訳でもない。それどころか、何故か気品が溢れ出している。

――ああ、そうだ。身分を隠して全国周って世直しをしている、時代劇のおじいさんに似てるんだ。

 そんな良い人オーラ全開のおじいさんは、やっぱり期待を裏切らなかった。その証拠に。

「ところでそのマッチ、もらおうかの」

 お客様第一号になってくれた。

「い、一個百円よ」

 久々に人と喋れた事と、その優しさが嬉しくて、少女は照れ隠しに乱暴な口調になってしまう。

「高いのう」

「仕方ないでしょ。私みたいな美少女が売ってるんだから」

「ほっほっほ、よく言うわい」

 それでも、ほれ、とピカピカの百円玉を差し出してくれた彼は、親切以外の何物でもなかっただろう。

 しかし、テレビの中よろしく、おじいさんのおせっかいはまだまだ留まる事を知らない。

「ところでお嬢ちゃん、行くあてはあるのかい?」

「いいえ、ないわ」

「じゃあ、一緒においで」

 出会ってまだ数分だが、不思議と彼の背中に後光が見えたので、彼女は段ボールの箱を抱え、ふらふらとした足取りでついていった。


「お帰り。じぃさま」

 着いた先は、そこからほど近いトタン屋根のプレハブ小屋だった。辺りにも同じような小屋が乱立している所を見ると、差し詰めここは家が無い人の集合住宅地、といった所なのであろう。

――あれ、誰かいる。

てっきり老人は独り暮らしだと思っていた少女は、少々面食らった。

「やはりまだ起きていたか。……ああ、とりあえず荷物は端にでも置いておくれ」

「分かったわ」

 そうは言っても、これからしばらく厄介になる身である。その場は大人しく従い、流れに身を任せる事にした。

「おややー?」

 そこでようやく少女の姿をとらえた女は、おじいさんに尋ねる。

「その可愛い子だあれ?」

「まぁ待て待て。今紹介してやるからな。皆を集めておいで」

「はーい」


 そして再び数分後。彼女は二人の男性を連れて、小屋に戻ってきた。

「さて、ここの皆じゃ。紹介しよう」

「はいはーい。俺、新聞配達やってんの! 飛脚って呼んで」

 最初に名乗ったのは、四人の中では一番若く、少女より少し年が下ぐらいの少年であった。スポーツ刈りにTシャツ、ジーパンというラフな出で立ちが、かえって爽やかさを与えている。

「あたしは占いやってんだ。魔女とでも呼んで頂戴」

 続いては、先程小屋にいた女性。年は20~30代ぐらいで、ポニーテールが良く似合う。快活な笑い声といい、はきはきとした物言いといい、どうやら姉貴分的存在らしい。なんとなく、彼女だけには敬語を使っておこう。そう決心させる何かがあった。

「俺は頭領。ここの兄貴分的存在だ。おっと、職業は聞くな。でも、困った事があったら俺に言え」

 がっはっは、と豪快に笑うのは、魔女に連れられてやってきたもう一人の男である。本人が自己紹介でも匂わせているように、“いかにも”という感じで、もう深夜だというのに、サングラスにオールバック、スーツをだらしなく着込んでいた。

「そして、わしは一応ここの長をしておる。普段は提灯を作ったり、そういう伝統工芸のまねごとで何とかしのいでおるよ。皆からはじぃさまと呼ばれておる」

 最後に、彼女を拾ってきた老人が挨拶して、これでここにいる全員の渾名は明らかとなった。まぁ名前なんて、呼べるものがあれば困らないのだし、彼女にとっては都合が良かった。

 一通り挨拶を終え、しばしの静寂。すると、魔女が思いついたようにこう言った。

「あ、名前どうしようか?」

「そうだな……。じゃあ、あれはどうだ?」

「奇遇じゃの。わしも今とびっきりのが思いついたところじゃ」

「僕もー」

「じゃあ、せーのっ」

『姫!』

 四人の声はシンクロした。

――なんだそれ、流行ってんの!?

 昼間、名も知れぬ男に言われた事を思い出し、思わず顔が赤くなる。

「な、なんでなのよっ!?」

 慌てて反論するも、

『なんか姫っぽい』

息のあったチームプレイの前に、あえなく撃沈。

「満場一致だし、良いよね」

「……まぁ、仕方ない、の、か?」

 どこか納得はいかなかったが、つけてもらえただけましだと思おう。少女は腹をくくった。

「わーい、じゃあ今日から姫ね♪」

「うぐぅ……」

 それでもまだ不服そうな彼女の気を紛らわせるべく、頭領が話題を無理矢理変える。

「ああ、そうだ。まだここのルールを教えてなかったよな?」

「ルール……?」

――ああ、なんだ。結局、世の中どこに行っても縛られるのか。

自由なんてどこにもないのではないか、と落胆しかけるが、それもすぐにとりさらわれた。何故なら。

「一つ、家族を裏切らない」

「二つ、困った時は皆で協力」

「三つ、夕飯は一緒に食べる」

「四つ、おはようとおやすみは忘れずに」

「五つ、出ていく時も笑顔で挨拶!」

「これを守って、初めて俺達は仲間でいられるんだよ」

『ようこそ。このろくでもない自由な世界へ』

 魔女、飛脚、頭領、じぃさま。ああ、ここは村なんかじゃない。家族なのだ、と改めて温かい気分になれたのだった。



「さて、じゃあもう遅いし休みなさい。ついておいで」

 そう言われて着いた先は、じぃさまと魔女の家の間にある、掘立小屋だった。

「家具は前の住人が残していった奴だからの、好きにお使い」

 じぃさまが言うように、そこには箪笥や机、調理器具など、電化製品こそないものの、充分生活できるだけの家具は備わっていた。

――なんかこの匂い、どっかで嗅いだ事のあるような……。

 そんな、前の住人の痕跡を保存しまくった家であった。

「何かあったら、わしか魔女を呼ぶんじゃよ」

「壁薄いし、ここら辺には身内しか住んで無いんだから、とりあえず大声で叫びなさい」

 若干先行きが不安ながらも、とりあえず野宿をしないで済んだのが何よりもありがたかった。


「ひーめー」

「んにゅ」

 翌朝。耳元で誰かに囁かれたと思ったら、女の人の声だった。

――ああ、そうか。昨日は私……。

 徐々に頭が冴えてきて、目を開ける頃には全てを思い出せていた。

「おはよ、姫」

「おはようございます。魔女さん」

 昨日はかなり夜遅くなってしまったはずだったが、魔女は相変わらず元気そのものだった。一応朝だという事で音量は落としてあるが、声のトーンは相変わらず高いままである。

「あんた、意外と寝起き良いのねー」

「まあ、ええ」

 実は今まで四時間以下の睡眠時間で、深夜に寝て早朝起きるを繰り返している、なんて事は流石に言えなかったので、曖昧に濁しておく。

「さぁ、今日から忙しくなるわよーっと、そうだ。その前に」

「なんでしょう?」

「服脱ぎな」


「ひーめー。……って、なんだその格好!?」

「はぁ、そう言われても」

 そんな格好じゃ動きづらいだろうから、と先程魔女に着替えさせられた彼女。確かに、昨日はどろどろのステージ衣装の上にパーカーという奇妙なスタイルのまま寝てしまったから、当然と言えば当然。だが。だけれども。しかし……。

――今時赤ジャージって……。

 そう。渡されたのは今ではなかなかお目にかかれない、えんじ色のジャージだった。

「魔女の仕業だな……。待ってろ、頭領のおっさん呼んでくるから」

 ところが。

「ジャージ萌え~」

 飛脚に連れられてやってきた頭領は、開口一番鼻の下をこれでもかとのばしまくって、そう言った。

『えええええええええええええええええええええ!?』

 あまりのギャップに、私達は叫んだ。心なしか、声が大きかった気がするのはそれだけの衝撃があったという事だろう。

「魔女……たまにはお前、良い仕事すんじゃねえか」

「えへへー。まぁねー」

 魔女と頭領が手を組む。こりゃあもう駄目だな、と諦めかけた時である。

「仕方ないな……。ちょっと待ってて」

 そう言うと、飛脚はつむじ風を起こしそうな速度でどこかへ駆けていき、何やら荷物を抱え、すぐに戻ってきた。

「はい、これ。俺ので悪いけど」

 差し出された紙袋を手に取ると、シンプルなTシャツとパーカー、スウェットが入っていた。それは普段私が着ているものとは雲泥の差で、パジャマ同然の格好だったけれども、それがかえってここの仲間になれた気がして、

「あ、ありがとう」

素直に本音が出た。

「なんだ。あんたちゃんとお礼言えるんじゃん」

 話と全然違う、良い子じゃん。とまるで自分の方がお兄さんのように語る飛脚に、

「こら。姫はお前より年上なんだから、ちゃんと気を遣え」

「そうだよ飛脚ー」

いつの間にか後ろにいた二人がつっこみを入れた。

「えー」

 だって俺の方がここには先にいるじゃん、と言いたそうな口ぶりだった。もっともだ、と彼女も思った。だからだろうか。

「べ、べつに」

『?』

「別に良いわ。敬語なんて」

 だって、皆が家族のように対等に話しているのが羨ましかったから、なんて口が裂けても言えなかったけど。でも、何か伝わる所はあったようで。

『うん、姫!』

 にっこりと並んだ笑顔は、少女にはまぶしすぎたようだ。


 新居に戻り、どうも生活感が漂い過ぎて居心地の悪さを感じていると、

「姫ー。暇でしょ? ちょっと手伝ってー」

魔女に呼ばれた。

「何をですか?」

 相変わらず、何故かこの人だけには敬語を使ってしまうなぁと思いつつ、少女は尋ねた。

「ビラ配り」

 輝かんばかりの笑顔で、彼女はそう言い放った。


 連れて行かれたのは、そこからほど近い路地。そこは昨日、少女がじぃさまに拾われた場所でもあった。

「ほい、じゃあ姫の分ねー」

「ってこれ全部ですか!?」

 どさっと抱えきれない程のビラを渡され、たまらず文句を言う彼女。

「にゃははー☆ いや、それでもあたしの半分の量だかんね?」

「ま、マジで……?」

 しかしそんなのどこ吹く風。飄々とかいくぐるのは流石魔女である。

「はっはっはー。じゃ、とりあえず配ってみよー」

 ところが。少女の持っていた山がいつまでも減らないのに対し、魔女の持っている山はみるみるうちに消え、あっという間に無くなってしまったではないか。

「な、何故だ……」

 技を盗もうと観察してみるものの、ただ普通に配っているようにしか見えない。何か、それこそ魔法でも使っているのではないか、と疑いかけたほどだった。

「あんねー。ビラ配りにもさー、コツがあんのよ」

 自分の分を配り終えたからか。得意げに魔女はそう語る。

「コツ?」

「そ。この人だったらもらってくれるなー、とか、この人絶対受け取らないなーとか、雰囲気で感じ取るわけ」

「なるほどー」

「まぁ、もらってくれそうなら二、三枚一気に渡しちゃうのも手よ☆」

「そんなんありかよ!?」

 それは、少女が初めて、魔女に全力でつっこんだ瞬間だった。


「お、帰ってきたの」

「ただいまー」

――ってあれ? なんでじぃさまがここに?

 てっきり、少女は自分が間違えてそちらに入ってしまったのかとも思ったが、しかしここは紛れもなく彼女の家だった。

「では行くぞよ」

 挨拶もそこそこに、湯呑み茶碗を机に置くと、少女に靴も脱がせないでそのまま出掛けようとする。

「えー」

 さっきまでビラ配りに出ていた事を知っているだろうに。意地悪かとも思い抵抗を試みようとしたが、そうではない事を後に彼女は気付く事になる。

「買い物ぐらい付き合わんか」

「はーい」

 結局はその一言に押され、少女はしぶしぶ、じぃさまのお供をする事となった。


「ここじゃよ。買い物はいつもここでするんじゃ」

「へぇ~」

 彼女は知らなかったが(当然だ)、そこは近所では有名な激安スーパーであった。しかも大手チェーン店のショッピングモールや代々続く商店街など強豪ひしめく激戦区の中で生き残っているのだから、この規模にしては相当な経営努力が行われているのであろう。その人気っぷりは、外にあふれ出した客の人数ですぐに分かった。

――なんだか、あたしのコンサート会場みたい。

 久々に大勢の人を見て、ふと懐かしくもなったが、ここにいるのは彼女のファンでもなければ、設営スタッフでもないのだ。少女は気を取り直して、スーパーの自動ドアをくぐる。

「え、この中で買い物できるの……?」

 中に入ると、単位面積当たりの人の密度がえらいことになっていた。そんな中を、

「うむ。はぐれんようにな」

とだけ言い、すいすいと人並みに乗ってかき分けていくじぃさま。よほど慣れているのか、その姿は東京のサラリーマンも顔負けだった。

「シールがついているのを目印にするんじゃよ」

 じぃさまは時折、波に流される彼女を助けつつ、コツを叩きこんでいく。

「え、じゃああれは!? いっぱいついてるよ? しかも五十って!」

「それは創業五十周年を宣伝してるシールじゃ……」

 そのように時折知識のなさを露呈させつつ――しいて言うならじぃさまとおばさんの壮絶な牛肉争奪戦騒動などはあったが――、買い物自体は滞りもなく終わった。

 その帰り道、てくてくと来た道を戻っていると、ぽつん、ぽつんと道路に水玉模様が描かれ始めた。

「きゃ、雨!?」

 当然、傘など持ち合わせていない少女は焦り、慌てふためく。普段ならすっと傘を差してくれる付き人がいる

「落ち着け、ほれ」

「へ?」

 しかしこんな時でも慌てず騒がず。懐から何か取り出すと、それを少女にも渡す。

「し、新聞紙……?」

「その場しのぎだけどな、ほれ、走って帰るぞ!」

「新聞紙ってあったかいだけじゃなくて、傘にもなるのね。知らなかった……」

 ここでの生活の苦労をさりげなく匂わせながら、彼女はぼそりと呟いた。

「わしらの業界じゃ常識じゃよ。世の中、便利な物があふれとるのに皆それに気付かん」

「本当だね……」

 世の中が豊かになると古き良き時代の人々の知恵はないがしろにされる、とはよく言った物だが、しかしこの場合、新聞紙の使い方としては二人とも大いに間違っている。しかし、そこにつっこもうとする無粋な輩は誰一人として存在しなかった。

「安心せい。わしらが姫に、生きていけるだけの術は叩きこんでやる。あとは、自分でしっかり生きろ」

――とか何とか言って、なんだかんだで面倒見てくれる癖に。

 そんな風に少し嫌味も言いたくなったが、それを嬉しく思う自分がいたので止めておいた。

 そして、じぃさまのこの言葉は、少女にあるひらめきをもたらした。


「魔女さーん!」

「どうしたの姫? 朝っぱらから……」

 翌朝。彼女は居ても立ってもいられず、朝一番で魔女の家を訪ねた。

「私ね、良い事思いついたの、協力して!」

「へ?」

 それはここに来てから彼女が初めて見せた、自信たっぷりの満面の笑みだった。


 そんなこんなで、魔女の仕事場。この間こそビラ配りのバイトをしていたが、あれはあくまで副職であり、彼女の本業は占い師である。意外と何故だか好評で、今日も行列にこそなりはしないが、営業を行っている間、彼女の前に客がいない事は無かった。

「あの……私……」

 この日の客は、占いというよりは人生相談を持ちかけてくる方が多かった。普段はあんな適当な性格であるが、衣装に着替え薄紫のベールを被った途端、人が変わったように、菩薩様のような深い心の持ち主になるのである。

 この時の女性客はよっぽどため込んでいたらしく、最後には涙を流しながら懸命に彼女に訴えた。そして、粗方話し終えたタイミングを見計らい、

「安心なさい」

客の目を見て、ゆったりと語りかけ始める。時に叱責し、時には慰め、とにもかくにもこれで気分を鎮めてもらい、晴れやかな気分で帰っていただくというのが普段のパターンだった。しかし、今回は。

「御覧なさいな」

 雰囲気作りの為だけに置いている盆には、灰が敷き詰められていた。そこにマッチをかざすとあら不思議。何故か火が付くではないか。

「ほうら。こうやって灰の中からでも、炎は生まれるのです。そう、不死鳥のように。この火は貴女に差し上げますわ」

「あ、ありがとうございます……!」

 実はここの常連客だった彼女は、いつもと違う対応に少し戸惑ったが、それよりも神聖な物を直々にいただけたという幸福感で満たされていた。この客、かなり魔女に陶酔しているようである。

「貴女もめげずに前を向けば、きっと生まれ変われるはずよ」

「はいっ!」

 料金も通常と変わらず。結果的には晴れやかな気分で帰っていただく事が出来たので、魔女としても問題は無かった。

 しかし、少女の“思いつき”が暗躍するのはここからである。

 数分前とは打って変わり、足取りも軽く帰宅する女性客。鼻歌まで歌っているのは、先程魔女から譲り受けた炎のせいだろう。小瓶に入ったそれを、うっとりと眺めていた。すると、路地の片隅に何やら興味深い物を発見した。

「あれ、これはもしかして……」

 それを売っている少女は、最初自分に話しかけられているとは思わなかったようだ。しかし、彼女が立ち止まり続けているのに気が付き、ややためらいがちにこう言った。

「ああ、魔女様がお使いになられてたマッチですけど……」

「ください!」

 結局、女性は一箱百円のマッチを、ダース単位でお買い上げしていった。

 その後も同じ手口を用い、この日の売り上げは相当の物になった。

 それを影から心配そうに見守るものがあった。飛脚とじぃさまである。上手くいっているのを見てほっとしたが、同時に飛脚には分からない事があった。

「ねぇ、じぃさま。なんであのマッチ、こすってないのに火が点くの?」

「マッチの発火点は150度。で、あの灰の中には電球が仕込んであっての。白熱電球じゃと、表面温度は170~180度ぐらいまで上がるんじゃ。これなら簡単に火がつくじゃろ?」

「へぇ~、やるじゃん」

 マッチの点け方こそ、ついこの間まで知らなかった彼女だが、何故か発火点は知っていたのあった。若干霊感商法まがいではあったが、まぁマジックで人が救われて、その代償が数百円単位ならば安い物だろう。別に買えと言っている訳ではないし、事実買っていったのは数人だけだった。

 営業時間が終わり、魔女と一緒に少女も撤収してきた。覗き見るだけ覗き見るのも悪かろうと思い、その間じぃさまと飛脚は堂々と二人を待っていた。

「あ、じぃさまー」

 二人の姿に気が付くと、少女はすぐさまこう言った。

「なんじゃ?」

「明日はそっちに行くからね!」

「何?」

 うちにはそんな騙せるようなものはないはずだが、と言いかけてじぃさまは口をつぐんだ。何故なら、

「だって、じぃさまは工芸品を売ってるんでしょう?」

 少女の目の付けどころが、予想をはるかに超えていたからだ。

「提灯や行燈なんて、マッチが必需品じゃない!」

 これには一同唖然とした。なんとこの少女、商売の才にも恵まれているらしい。

「ほっほっほ。一杯食わされたわ」

 このように、朝はそれぞれの箱に装飾を施し、昼間はじぃさまのところで、夜は魔女のところでマッチを売り、彼女は生計を立てた。最初は慣れない客商売に手間取ったが、保護者二人の援護により、なんとか切り抜けた。


 そして、マッチのたたき売りにも慣れてきた頃、突然魔女に呼び出された。

「ねぇ、姫ってさー。この人だよね?」

 周りの目を気にしながら彼女が取り出したのは、スポーツ新聞の芸能面。そこにでかでかと写っていたのは、紛れも無く少女であった。

「!?」

「だーいじょーぶ。皆には言わないから。知ってるのもあたし一人だよ」

「良かった……」

 ばれたらここにはいられないと思っていたので、少しほっとする。

「でもさー。なんで逃げてきたの?」

 つまるところ、魔女はこれが聞きたかったために、皆には内緒にしてくれたらしい。まぁ、一流アイドルが突然こんな所に失踪となれば、色々詮索しても仕方のない事だろう。

「それは……」

 少女は、ようやく自分の境遇を話す気になった。仕事が辛くて休みが無い事、マネージャーが厳しい事、だから逃げ出してきた事……。色々喋ったら、少し肩の荷が下りた気がした。

「ふーん。そりゃあ嫌になるかもねぇ」

「でしょう?」

「でも、ならどーして姫は芸能界なんて入る気になったの?」

「え……」

「まぁ、立ち入った事を聞く気はないけどさー。でも、その辺よく考えてみたら?」

 そうすれば、何かがどーにかなるかもしれないよん。

 そんな、少女の事を見透かしたような事を言って、彼女は去っていった。

「きっかけ、ねぇ」

 人生相談のプロである所の魔女の言った事だ。少女は大人しくそれにしたがい、スカウトされた時の事に想いを馳せた。



「ねぇ、君」

「え?」

 あれは、二年ほど前の事だったか。友人と街を歩いていて、例のマネージャーに声を掛けられたのが最初だった。初めのうちこそ親が猛反対して、少女も芸能界なんて、そんな危なそうな所に入る気はさらさらなかった。当時の彼女は大人しく、そんなきらびやかな世界とは無縁の真面目ちゃんだったのである。しかし、彼は諦めなかった。あの手この手でその気にさせ、少女はついに、契約書に判を押してしまったのである。

「さて、君の芸風だけどね」

 そうなれば、あとはマネージャーの腕の見せ所。おそらく、彼女に目をつけてからというもの、売れるためにはどうしたら良いか、ずっと考えていたのだろう。

こうして作られた、“アイドル”としての少女。つり上がった目に、高圧的な態度。小娘の癖にやけに鋭く叩っ斬り、ついた渾名は女王様。しかしそれは、普段の彼女とは全くもって正反対で、演じるのは大変だった。そのうちキャラが板についてきて、気が付いたらそっちが地になっていた。それをやっと、思い出せた。

「私、私のままで良いんだよね」



「すみません。やっぱり私、戻ります」

 滞在時間こそ、一週間と短かったものの、この言葉を皆の前で切り出すのは、少し悩んだ。

「え……」

「ふむ」

「へぇ」

 集まってもらった皆の反応は、それぞれまちまちだった。だがそれは共通した想いからで、

「どうしても、なのか?」

頭領が皆の気持ちを代弁して言う。

「確かに、ここにいれば、飛脚は弟、魔女と騎士はお母さんとお父さん、翁のおじいちゃんもいて、本当の家族みたい」

「だったら」

「でも」

 飛脚の言葉をさえぎるのは辛かったが、これだけは譲れないのだった。

「私には、待ってる皆がいるから」

 本当の家族、今まで応援して来てくれたファンの皆、そしてマネージャー。あの人達に、これ以上心配も、迷惑もかける訳にはいかない。

「そっか……」

 分かったよ。誰かが呟いて、私の独り立ちは認められた。


「気をつけてね~」

「辛くなったら、いつでも戻ってきていいからな!」

「うん、ありがとう!」

 温かい言葉をもらうと、やっぱりこっちの方が良いんじゃないかと、決心が揺らぎそうになる。

「姫なら大丈夫じゃ」

「頑張れよ」

「うんっ」

 それでも、少女は決めたのだ。もう後ろは振り返らない。逃げるのはもう、止めにした。

「あ、そうだ。頭領」

 彼女は思い出したように、しかし前から気付いていたと言わんばかりに、言伝を頼んだ。

「ん?」

「“騎士”のバカによろしくね」

 思えばここに来てからというもの、全てが上手くいきすぎだ。あんな裏道に、少女のような美少女がいて声をかけられない訳が無いし、そこで親切なおじいさんに声をかけられる訳も、ましてや住む所や衣服まで与えられる訳がないのだ。でもそれがあの気障な男の仕業だと思えば、全て納得がいく。騎士なんて名乗るから何かと思ったら、ただのここの愛称だったのだ。

「ん、そいつは誰の事だい?」

「ううん。なんでもなーい」

――ま、そういう事ならそれでも良いや。

 あのお人好しは、ここ譲りだったんだなぁと今更ながらに実感して、彼女はまた一歩、また一歩と村を後にする。歩く度に、道路に水滴がこぼれ落ちる。

「ではでは皆様、お元気で」

 やや乱暴に目をこすって。最後は笑顔で、元気よく。

「行ってきまーす!」



「あーあ、行っちゃった」

「良い子だったのにねぇ」

 少女が去った村では、皆肩を落として残念そうにしていた。特に、この一週間ひたすらに姿を隠し続けた約一名は。そんな姿を見かねて、住人達は口々に言う。

「良いのか、これで」

「ばれてたみたいじゃしのう」

「さっすが、姫だね」

「ま、あたしが認めた女だからね」

「あー、もううっせーな」

 それに耐えきれなくなったのか、頭をかきながら出てきた青年はこう言った。

「良いんだよ、これで」

――だって、騎士は影から姫を守る者、だろう?

 そんな台詞を心の中で吐くとは、いやはやこの男、根っからの気障であるようだ。

 ちなみに、彼が少女を助けた理由は、至極単純明快。騎士が彼女のファンだったから、というのは口が裂けても言えない、しかし住人達は誰でも知ってる紛れもない事実であった。



 その後、少女はひっそりこっそりとまだ手薄な事務所へと戻った。しかし、そう何度も潜入が成功するはずも無く、今回はあっさりと警察の方に保護されてしまった。最初こそ取調室のような所に待たされ、刑事達に事情を聞かれていたが、それも例の敏腕マネージャーの手により、無かった事にされた。てっきりお仕置きが待っているかとも思ったが、それも無かった。どうやら此方は此方で、色々あったらしい。結果的に体調不良という事で落ち着いて、少女は無事仕事復帰した。ただ一つ、ある条件を出して。


 そして……

「ほら、さっさと次行くわよ!」

 丸眼鏡をかけた美少女が、スーツ姿の男に指図する。

「お前……俺の前だと昔のまんまだよな」

 何を隠そう、彼女は今時珍しく、素直で純粋な性格で大ブレイク中のアイドルである。そして傍らにつきそうは、新しい彼女のマネージャーであった。しかし、大荷物を抱え振り回されている姿は、それよりもぴったりとはまる言葉が他にある気がした。

「良いじゃない。だって」

 前を行く少女はここでようやく振り返り、

「騎士は姫の我儘を聞く者、でしょ?」

満面の笑みで、彼らの関係を率直に表す名言を吐くのであった。

「それじゃ下僕じゃねえかよ……」

 どうやら彼にも自覚はあったようだ。しかし、あはは、と楽しそうに笑う笑顔に、青年は嬉しそうにはにかむのであった。

 こうして、芸風を一変し、素直で愛らしい素のままのキャラクターになった少女は、多くの人に愛されるアイドルになったとさ。めでたしめでたし。


「ところで、次の舞台、“Den lille Pige med Svovlstikkerne”って、どういう意味?」

「邦題は“マッチ売りの少女”。君にぴったりの仕事だろ?」


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