十匹の草食動物
今回は元ネタを探す方が難しいかもです(笑)
という訳で、ネタ用に二つの童話を使用させていただきました。
怪盗を目指す狼さんのお話です。
俺は怪盗ウルフ。自称、世間を賑わす大怪盗だ。月に煌めく銀色の髪、鋭い爪に牙、哀愁を帯びた瞳。自分で言うのもなんだが、そこそこ、いやかなり格好良い部類に入ると思う。何故これが人間に受けないのか、はなはだ疑問である。今奴等の間では“草食系”とかいうのが流行っているらしいが、俺からしたらそんなの論外だ。男はやっぱり、一家の大黒柱としてどしっと構えて、家族を守るものだろう。……まぁ、奴等の優しさまで否定する気はないけどな。そうだ、世の中の風潮が悪いだけなのだ。好きになるっつーのは流行りとかそういうんじゃなくて、好きになった奴が自分の好みな訳で。んー、なんか言いたい事が分からなくなってきたぞ。元々、俺は考えるのには向いてないんだ。じゃあ何で今回俺が語り部なのかっていうと、これは俺の武勇伝になるはずだからだな。うん。一回自伝とか書くのが、夢だったんだ。それに、知名度が高くなるっつーのは悪い事じゃないだろう。それだけ出逢いも増えるかもしれないしな! モテる為にも、俺の名が早く全国区、いや世界的に広まると良いと思う。このままじゃ、ただのコソ泥どころか、ただの非リア止まりだ。
……自分で言ってて悲しくなったので、先に進める。とまぁ、そんなイメージを払拭する為、実はこれから、俺はある会社に盗みに入ろうと思っている。その名も“KOBUTAカンパニー”。名前ぐらいは聞いた事があるかもしれないが、その昔、知恵をフルに利用して極悪非道の狼を返り討ちにしたとされる、伝説の子豚三兄弟の子孫が経営している会社だ。彼らはその利口さから次々と事業を成功させ、今や一流企業に上り詰めている。最近では世界進出を果たした、という噂もある。そこの本社に忍び込むのだ。数々のセキュリティシステムは覚悟しなくてはいけない、が。彼にも俺は大泥棒。それに、俺も狼のはしくれ。仲間を作らない孤高の存在、などと言われはするが、実は情に厚い生き物なのだ。
そんな訳で、先代の汚名を返上する為にも、俺はこうして綿密な下調べの後、草木も眠る丑三つ時を待って、忍び込もうとしているのだ。ちなみに、最近ではインターネットだけで手に入れた情報を元に盗みを働く輩もいるらしいが、俺は断然、アナログ派である。だから実際に会社の周りを歩いて測量、中も歩き回って構造を読み取り、内部情報まで手に入れている。勿論、その際の格好は清掃員だ。会社に潜入する時の正しい変装と言えば、やはりこれだろう。先輩のおばちゃんのあの厳しさ……。俺が粗方の下調べを終え、辞める時にはそっと、
「あんたはもうどこに出しても恥ずかしくない、立派な清掃員だよ! 他の職場でも頑張りな!」
と送りだしてくれた。あの笑顔、俺は忘れないぜ……。
「おばちゃーん!」
思い出すだけで、涙が頬を伝うぜちくしょー。
……話がそれた。さて、そんなこんなで今回の作戦だが、まず獲物は社長室にあると言われている巨大な金庫、その中に隠された莫大な資金である。なんでも、社員曰く、社長は現金しか信じない主義なので、運営資金は丸ごとそこに入っているという話だ。清掃員の良い所は、誰にも怪しまれずに各地へ潜入出来る所にある。この会社は各部屋に入る時には全て、IDカードと暗証番号が必要になるのだが、清掃員にはそれも与えられる。こんなんでこの会社大丈夫か、とも思ったが、重要なデータは全てPCにデータ化されて入っており、それにしたってやはりカードとパスワードが必要になるらしいので、情報管理は完璧のようだ。そういえば、最近はお掃除ロボットが進化していて、部屋の隅々まで綺麗にしてくれるらしいのだが、社長曰く“掃除は人の手でやるもので機械なんかに頼るのは無粋”らしい。そんな幸運が重なって、俺は無事潜入を成功させた訳だが。
と、俺の数カ月にわたる苦労を振り返っているうちに、目的地に着いた。都内某所の一等地。高層ビルが立ち並ぶオフィス街でも、最も高く、最も荘厳なのがここ、KOBUTAカンパニー本社ビルであった。俺は用意してきたカードとパスワードを頭の中で反芻しつつ、扉に近づく。この会社、清掃員は人を使う癖に、警備員は信用できないと、そこは全て監視カメラと赤外線センサーを使用しているのであった。だからまず裏口に回り、監視カメラの死角を通り、配電室へ侵入。そこで電源を落として初めて、俺はようやく内部に侵入出来るのである。ちなみに、自家発電のシステムも勿論搭載してあるので、そちらも丁寧に切っておく。その辺りはぬかりない。この日の為に、電気系統にも強くなる為、電気工事士の資格まで取ったのだから。
各種仕事を終え、ようやく俺は重厚な硝子戸をくぐる。
「しっかし、いつ見てもすげえよな……」
吹き抜けのエントランスホールは、中央から放射状に道が繋がっていて、ある種美しさすら感じさせる程であった。薄クリーム色の壁、チョコレート色の扉、観葉植物の癒しの緑。昼間はガラス張りの外壁から漏れ入る光が、柔らかく中を照らし、中に入った物にここはこの世の楽園ではないか、と錯覚させる。いやいや、本当なんだって。俺も、最初に入った時はぽやーっとしてしまって、なかなか仕事に身が入らなかったものだ。
「おっと、見蕩れてる場合じゃなかった……」
俺は社員と先輩のおばちゃんに聞いた情報を元に、社長室があると言われている地下への階段を捜す。応接室という名の他社との契約用の部屋ならば、大方の期待を裏切らずに最上階に設置されているのだが(そこには一度だけ入った事があるが、どこぞの塔の展望スペースみたいに眺めは最高。足がすくむほどだった)、そこは仮の姿である。というか、ここのシステムを知ってからはむしろ、会社の頭脳とも言える部屋に部外者を入れる他の会社の方が、俺はどうかしていると思った。成程、確かにここの社長は優秀らしい。
「ここか……」
あっちへぐねぐねこっちへぐねぐね、距離としてはそこまで歩いてはいないのだろうが、何せ出口の見えない迷路を進んでいるのだ。体感としては、何時間も彷徨っている気分である。若干不安になりながらも、それでも先輩を信じて進んだ先には、レンガ造りの扉があった。ごくりと息を飲んでから、俺は扉を開ける。
「ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんぱかぱーん」
薄暗い廊下から突然、煌々と蛍光灯に照らされた部屋に入ったからか。目がくらみながらも、それでも確かに、ファンファーレ、に見せかけた機械の声が聞こえた。
「おめでとう! よくぞ辿り着いたね!」
光にようやく目が慣れてくると、そこは一面白い壁に覆われた広めの部屋だった。何故か目の前には紅の重厚そうなカーテンがひかれ、まるで司会者でもいるように、キャスターつきのスタンド型マイクが置かれている。
「さて、君はここの社員かな? それとも、盗みに入ったコソ泥さんかな? まぁ、どっちでも良いけど」
そしてこれで、さっきっからさくさく進行していた声の主が、そのスタンドである事が判明した。おそらく、あらかじめ声が吹き込んであるかパターンを組み込まれているロボットなのだろう。という事にしておく。俺の頭では、ぶっちゃけそのぐらいしか思いつかん。
「ちなみに、僕がこの仕掛けを作ったのは、噂を聞きつけてやってきた君に、少しでも楽しんでもらう為だよ」
“僕”という事は、これを作った奴は男だという事か。まさか僕っ子ではあるまいし。
「え、なんでかって、だってここに来るもっと簡単な方法が、この会社には存在するもの。許可を得て入ろうとする人は、わざわざ20分もかけて薄暗い迷路を進んだりはしないのさ!」
成程。確かに言われてみればその通り。って事は何か? まさかこの噂まで嘘だとか言わないよな……?
そんな俺の不安を読みとったのか、スタンドは更に喋る。なんて高性能な。
「ああ、でも噂は本当さ。この先にはだーれも知らない知られちゃいけない、この会社の心臓部、社長室が待っている。さぁ、知力と運をフルに利用して、この先に進んで、見事扉を開けてくれたまえ! あ、ちなみにちなみに、今ならまだ無かった事にして許してあげるからね。引き返すなら今だよ?」
「何を今更」
いつの間にかロボットと会話が成立しているが、その辺りは気にしない気にしない。それだけ、こいつが人間っぽいのだ。
彼の説明はまだまだ続く。まぁ新しいダンジョンに入る時の前振りが長いのは、半ば定石ではあるが。
「通りたいと思うなら、そこにボタンがあるでしょう? そのうち、黒い奴を押して」
「ほい」
言い終わるよりも早く、俺はボタンに手を掛けていた。こんな所でもたもたしている場合ではないし、そろそろ読者のみなさんも、この掛け合いに飽きてきているだろう。さっさと本題に入らねば。
ゴゴゴゴゴ、という音を立てながら閉まっていく扉を眺めながら、俺は気を引き締めた。退路は断たれた。もう、後戻りは出来ない。
「さーて、ここからは僕の知恵と、君の運が試される勝負だよっ。じゃあ早速、ルールの説明に入るね。君は“三匹の子豚”という話を勿論知っているよね? なんてったって、そのお話の子孫が経営している会社の関係者なんだから。さて、あのお話では藁の家、木の家、レンガの家が出てきたと思うんだけど、今回はそれになぞらえた問題を用意したよ」
――やっぱり、か。
何となく、そんな気はしていた。だってこの会社、事あるごとにそれを押すんだもん。例えば、所々に置いてある絵本のページを切り取った絵画や、宣伝用ポスターにいつも描かれているレンガの家など例を挙げればきりがない。だから、次の台詞は、大体見当が付いていた。
「これから君には計三回、とある三つの扉から正しい物を選んで進んでほしいんだ。ほら、三って数字、うちの会社じゃ重宝してるし」
そのまますぎて、若干拍子抜けした。だとしたら、すごく簡単なんじゃないか、と楽勝ムードを漂わせた俺に、機械は辛辣な一言を発する。
「ちなみに、選ぶのに失敗すると、一回目と二回目では突風が吹いて何百ヤードと飛ばされたり、最終問題三回目では、あげくの果てには熱湯釜茹でという、厳しい刑に処せられるから、くれぐれも注意してね!」
――なんだそれ、江戸時代の拷問方法かよ!
流石につっこんだ。一応、心の中だけに留めてはおいたけれども。
「……ねぇ、まさかとは思うけど、今これ聞いて、“江戸時代の拷問方法かよ!”とか、センスの欠片も無いつっこみとかしてないよねぇ? うちの社員だったら、そんなの許さないよー?」
……なんなんだろう、この会社。でも、ちょっと凹んだ。
「さてさて、君の貴重な時間を僕が食いつぶす訳にもいかないから、ちゃっちゃと最初の問題に行っちゃうね! 目の前にカーテンがあるだろう? それを引っ張ってごらん?」
確かに、スピーカーの後ろには長いカーテンがひかれていた。言われた通りにするしかないので、俺はそれをガッと引っ張る。
「・・・」
そこには、見ただけでそれと分かる、藁・木・レンガで出来た扉があった。
「さぁ、その中から一番丈夫n」
迷うことなく、俺はレンガの扉を開けた。
「ちぇー。せいかーい。人の話は最後まで聞くものだよ? もしかしたら、一番弱い扉は? とかかもしれないんだから」
どうでもいいがこのスピーカー、ただのスピーカーではなく、歩くスピーカーらしい。いや、それが搭載されたロボット、と言った方が正確なのだろうが。しかし、喋り方は機械のそれなのだが、言葉遣いや間合いなどは人間のそれである。中に人が入ってるんじゃないか、と思わせるほどに。このロボットをこんな趣味のような事に開発する所に、この会社のすごさを思い知る。
ただ。こいつずっとついてくるんだ、とちょっと憂鬱になったのは言うまでも無い。
扉を開けるとすぐ部屋とか、そんな味気ないマトリョーシカのような構造ではなく、おめでとう!って感じが漂う模造品の花のアーチをくぐると次の部屋に行けるようになっていた。
「ふ、ふーんだ。最初はこて調べなんだからね。次はそうはいかないんだから!」
いつの間にかツンデレになった奴を若干無視して、俺は再びカーテンをひく。そこには、
発砲スチロール、新聞紙、段ボールで出来ているのであろう扉が待っていた。ここで俺は、そういえばこの会社、エコにも力を入れてたな、と思い出す。もう一つ主力とも言える柱があるのだが、いやまさかそんな事ないだろうと考え直し、ロボットの反応を待つ。さっき注意されたので、今回はちゃんと問題を聞いてやろうと思ったのだ。
「さーて、第二回戦だ。今回は左からそれぞれ、発砲スチロール、新聞紙、段ボールで出来ているよ! さて、この中から一番重い扉を選んでね♪ ちなみに、厚みは一緒だよ」
ガチャ。
言い終わるや否や、俺は新聞紙の扉を選んだ。厚みが同じなら、発泡スチロールはとりあえず論外だし、段ボールだって空洞があるから、新聞より軽いだろうと考えたのである。
「ぴーんぽーん。だけどさー、もうちょっと余韻ってものはないのかなー。確かに全部聞いてくれたのは良かったけど、全然ドキドキ感がないじゃなーい。君が悩んでいる間に、会社の商品とか宣伝しようと思ってたのにさー、あてが外れちゃったじゃーん?」
「って、誰に宣伝するんだよ!」
ここには俺しかいないじゃないか、という意味だったのだが、
「えー、決まってるじゃーん。読者の皆さんにだよー」
と、あらぬ方向にウィンクを決めていた。どうでも良いけど、この機械なんで瞼とかあるんだろう。
「さぁて、お待ちかねの最終問題だよ! これが分かれば晴れて君も念願の社長室へ足を踏み入れられる訳だね!」
――いよいよ、か。
若干緊張しながら、最後のカーテンを開けた。その瞬間、俺は先程の予感が当たっていた事を知った。
「まじかよ……」
「そう、最終問題はうちの看板商品、金属加工にちなんで金属の扉だよ! それぞれ、鈴、鉛、それと最近ファミレス業界にも参戦したって事で、食塩で出来ているんだ」
確かに、目の前には銀色の扉二つと、半透明の扉一つがある。いや、でもまぁ問題を聞くまではまだ分からない。一応、俺はもはや相棒となってしまったロボット君の声を待つ。だが。
「融点が一番高い扉を選んでね♪」
「んなもん知るかああああああああああああああああ。誰か理科年表持ってこい!」
返ってきた答えは、やはり俺が予想した通りであった。まさか、そんな理不尽な問題は無いと思っていたのだが。(注:理科年表とは、化学・物理・生物・地学に関する様々なデータが載っている資料集のようなものである)
――くっ、考えるんだ。きっと、どこかにヒントがあるはず……。そもそも、なんで金属の中に塩が混ざってんだよ。塩化ナトリウムだろ? ……金属か、ナトリウムも。ちなみに岩塩は岩石の仲間なんだよ、って今はそんな事を考えている場合じゃねぇ! うーん、でも気になる。絶対、これには理由があるはずなんだ。だって異色過ぎるし。
「えー、ではここで我が社の宣伝でも。まずはポリシーから」
俺があーだこーだ悩んでいる間に、彼は本当に宣伝をしていた。もっとも、俺はちっとも聞いてやいなかったし、それを書こうとも思わないのだが。でも、あんまり無視するのも可哀相なので、さくっと決めてしまう事にする。だって気になるんだもん。これで行かなかったら絶対後で反省会するもん。選択問題って基本、最初に選んだのと違う方に行くと後悔するんだよ、多分。まぁ、変えなかったら変えないで結局後悔しちゃったりするんだけど。
「よし、行ってみるか!」
決断が揺るがないうちに、俺は思い切って、食塩の扉のボタンを押した。どうせ引き返せはしないのだ。だったら、思い切りよくいこう。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
雄叫びを上げながら、俺は扉へ突進した。そして、ぶち破るように扉を開けた。
「ぴんぽんぴんぽーん、せっいかーい」
そこに待っていたのは、煮えたぎる熱々の湯ではなく、光にあふれた勝者への空間だった。
「や、やった……! ついに俺にも運が向いてきた……!」
金色に輝く扉の奥へ、俺は足を進めた。
「じゃ、僕の役目はここまでだから、頑張ってねー」
「おう、ありがとな」
俺達は固い握手を交わして、ここで別れた。
「……ま、精々頑張ってくれたまえ」
にやり、と後ろで誰かが笑っていたのだが、俺には気付く由も無かった。
「着いた……」
苦労して辿り着いたそこは、噂に聞いていた社長室そのままだった。レンガ造りの内壁に、沢山のPCやファイルが並んでいる。きっとここには、特許ものの発明やこの会社の秘密などが隠されているに違いない。しかし、俺の興味はあくまでも莫大な資産をその中に内包する金庫であった。だから、それには目もくれず、俺は部屋の奥へと進む。部屋の中を見渡してもそれらしきものは見当たらなかったからきっと、どこか隠し扉のような所に隠されているのだと思ったのだ。案の定、壁の一部に妙にでっぱっているレンガを発見。すかさず押してみた。ぽちっとな。
すると、壁がずずずと音を立てて横に動いた。
「こ、これは……!」
なんとそこには、コヤギーズの最高傑作と言われる“七個の錠前”が存在していたのだ。これをクリアしなければ、肝心の金庫へは辿り着けない設計になっているらしい。
「まじかよ……」
口ではそうぼやいたものの、俺は闘志に満ち溢れていた。怪盗にとって、こんなに心が躍る仕事も無い。獲物は大きければ大きいほど、捕えがいがあるというものである。
ちなみに、コヤギーズとは、七匹の兄弟がこれまた自分達を食べにやってきた悪徳狼を返り討ちにしたっていう、あの有名な話の子孫である。彼らはその高い防犯意識を、大切な物を守る為の鍵や警備システムへと役立てたのだ。その中でも“七個の錠前”とは彼らの技術の粋を生かした鉄壁を誇る鍵の事で、七ケタの暗証番号解除から始まり、指紋・声紋・顔認証、カード、シリンダー錠、最後にはアナログの極みダイヤル式で締めくくると言われている。
「上等じゃねえか……」
俺はリュックの中から、用意してきた道具セットを広げる。まさか、これを使う事になろうとは。
「今こそ見せつけてやるぜ俺の猛特訓の成果ああああああああああああああああああ!」
特訓の成果はおいそれと見せつけるものではないですよ、というか貴方忍び込んでるの忘れてませんか?と誰かにつっこまれた気がしたものの、俺は構わず仕事に取り掛かる事にした。
暗号解読はそれ用のソフトを使えば良かったし、指紋声紋顔認証は、事前に一応用意してきた物があった。カードとシリンダー錠に至っては、これが解けなきゃ怪盗じゃないじゃん! という定番品なので、予習は完璧である。実戦では初めてだったが、それでも何とか開けることに成功した。この辺りの記述は詳しくしてしまうと俺の技術が盗まれる危険性があるので、割愛。泥棒が盗まれてちゃ、格好つかないもんな。
「ここが最後か……」
格闘する事三十分。ついに最後の砦までやってきた。手間はかかるが、手を動かしていればどうにか開くのがダイヤル式である。ただ根気を必要とするだけなのだが、最悪の場合何万通りと試さなければいけない事を考えると、少々気が遠くなりそうだった。
実際、少しの間余計な事を考えてしまった。それはどうして、俺がここに押し入る事になったか、という話である。とても情けない理由なので、今までは言わずに心の中にしまっておいたのだが。
*
俺には彼女がいた。同い年で、笑顔の可愛い娘だった。彼女は、俺がこのような事をしているのを知っていた。知っていて、格好良いと言ってくれ、ずっと付き合ってきたのである。それなのに……。
「おい、今のどういう……」
「聞こえなかった? あたしと別れてって言ったの」
それは、突然だった。
「なんで」
「だって、今のうーちゃん格好良くないよ。何が大泥棒なの? せせこましく盗みやって、そのお金でご飯食べて。それじゃそこらのコソ泥と変わらないじゃない。あたしは、悪徳政治家とかに立ち向かっていこうとする昔のうーちゃんが好きだったの!」
「……俺だって、そうしたいんだけどさ……」
彼女の言い分はもっともだった。しかし、世の中そう甘くは無い。俺みたいな三流が盗みに入れる所なんて、たかが知れている。それに……。
「もういいよ! ……あたし、結婚するから」
「はぁ?」
寝耳に水とはまさにこの事。その一方で、そういえば最近帰りが遅かったな、と冷静に思い出していた。
「うーちゃんには黙ってたけど、もう相手決まってるの」
「誰だよ」
「あたしの会社、知ってるよね」
「KOBUTAカンパニーだろ?」
「そこで知り合ったんだ」
彼女は一流企業に勤めるエリート。こんな俺と付き合っているという事の方がおかしいのだろうが、それにしたって。
「知り合うって……お前社長秘書だろ?」
秘書というものはよく知らないが、おそらくは常に社長のそばにいて雑用等をこなすものではないのだろうか。そんな役職で出会い……
「ってまさか」
「そう、あたし、社長夫人になる」
そう言って、彼女は去っていった。俺は、その背中を追いかける事すら、出来なかった。
恥ずかしい話だが、要するに俺はそれでここに入る事を決意したのである。彼女を盗られたというのもあったし、心を盗り返したいというのもあった。ここだけは、俺の怪盗としてのプライドが見えた所かもしれない。
聴診器を持つ手を握り直した。
*
そして、待望の音が響く。ガチャリ。
「やった……!」
ついに俺は、難攻不落と言われていたKOBUTAカンパニーの警備システムと、誰にも破れないと言われていた七個の錠前に打ち勝った。この時の達成感は、計り知れないものがあった。もう動機とかそんなものはどうでも良くなっていた。ただやり遂げたという思いだけが体を支配する。
さて、後はご褒美とも呼べる報酬をいただくだけだ、と巨大な金庫に手をつっこんだところ、そこには一枚の紙切れが入っているだけだった。
「なんだ、これ……」
冷や汗が背中に伝うのを感じながら、俺はその文面を読む。
“やっほー。よくここまで辿り着いたねー。いや本当、拍手ものだよー。ぱちぱちぱち。でもさーあ、こんなとこに大事な資金を置いておく訳がないじゃないか。僕が流した噂を鵜呑みにするなんて、間抜けだなぁ。本当は全部スイス銀行に預けてあるんだよー。まぁ、ここまで来られたというガッツと、運と実力だけは称賛に値するかな。どうして、そんな才能を犯罪なんかに利用するんだか。我が社だったら、結構良いポストにつけたかもしれないのに。ではでは、御苦労さんだったね、コソ泥君”
読み終わったのを見計らった頃に、けたたましい警報が鳴り響き、警備隊が駆けつけた。
いや、正確には切っておいた電源が、朝六時に出勤してきた社員によって点けられたからではあったのだが。まさかそんなに時間が経っているとは……。時計をしてこなかったのが失敗だったっていうか時計持ってないし、そもそも格好付けて?丑三つ時から作業したのが運のつきだった気もする。
「どこだー!」
「まだ遠くへは行ってないぞ、探せ!」
「くそっ!」
この危機的状況にもかかわらず、頭は何故か冴えわたり落ち着きはらっていて、それが益々体の焦りに繋がっていく。背中の傷は男の恥、と言うが、この時ばかりは踵を返し、脱兎のごとく逃げ出した。
俺は怪盗ウルフ。人呼んで、世間から追われる、ただのコソ泥だ。
「次は絶対、成功させてやるうううううううううううううううううううううううううう!」
***
とまぁ、いつもだったらこれがオチになるのだが、今回の話は少しだけ続きがあるのである。べ、別に主人公をへたれに書き過ぎた挙句にこのオチじゃ可哀相だよ、とか思って救済してあげる訳じゃないんだからね!
こほん。そんなこんなで、図らずも待望の指名手配犯になったウルフはその後、日本各地をある時は無人島、またある時は山奥へ、と転々としていた。しかし、そんな生活がいつまでも続くはずもなく。彼はついに、ノイローゼになってしまった。
ただ、彼女の愛を取り戻したかっただけなのに。彼の手には、小さな箱が握られていた。婚約指輪であった。彼は本気で、彼女を愛していた。だからこれは、彼が空き巣に行ってくると偽って昼夜を問わず懸命にバイトして稼いだ努力の結晶なのである。彼は愛する人が出来てからというもの、その技術を磨く事だけは忘れなかったが、一度たりとも実際に犯罪を犯してはいないのだ。それは、一流企業で働く彼女の経歴に傷を付けない為でもあった。
「みーちゃん、ごめんよ……」
手先は器用だったので、そこら辺の木の皮をはいで即席のロープを作ると、輪っかして枝にひっかける。そして、自分の首をそこに通そうとした。
――あそこの会社だったら、木の枝だったら何百ヤードってふっ飛ばされるんだったっけ。でも良いよな、誰も見てないし。
「さよなら」
ぽんと枝の上から飛び下りれば、それで全てが終わるはずだった。それなのに。
「うーちゃんのばかああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶妙のタイミングで叫びながらやってきたのは、他ならぬ彼の彼女であった。
「え、なんで」
思わぬ来客に、ウルフは首からロープを外し、木から下りる。
「ばかばかばかばかばかばかー」
下りてきた彼の胸にすがりつき、彼女はそう言いながら泣いていた。ぽかぽかと殴られているよりも、其方の方がウルフの心を揺さぶる。
「あんなの嘘に決まってるじゃない」
「だってお前」
「まぁまぁ、彼女を責めないでやってくださいよ」
「あ、あんたは……」
そこに現れたのは、古府田家の三男坊であるところのKOBUTAカンパニーの社長であった。後ろに車が控えている所を見ると、どうやら彼女をここまで連れてきたのも彼らしい。
「私が提案した事なのですよ」
眼鏡をくいっと上げながら、彼はお得意のセールストークで話し始める。
「彼女が最近浮かない顔ばかりしているから、どうしたのって聞いたんです」
「あたし……ずっとうーちゃんと一緒になりたいって思ってたけど、きっとうーちゃんがまともに働かないと無理なんだろうなって思ってたの」
確かにそうだった。一流企業の社長秘書となれば、かなり給料は良い。ウルフが今更中小企業で働くよりかははるかにもらっているだろう。しかし、それでは駄目なのだ。男としてとかそういうんじゃなく、単純に人として駄目になる気がするのだ。だから、就職活動に明け暮れ、念願の指輪までゲットした訳だが……。結果は空振り。誰も高卒の三十代を雇おうとは思ってくれないらしい。だからむしゃくしゃしてつい、今日はどこそこに空き巣に入ったーとか今日は何万かつあげしてきたーとか、そんな嘘をついて彼は自分を誤魔化していたのだ。しかし、そんな虚勢も、彼女には全てお見通しだったようである。
「そこでだ。うちで働かせてくれないかと打診があったのだよ」
――知らなかった。俺の為に、彼女がそこまでしてくれていたなんて。
社長秘書とはいえ、彼のような粗忽者をいきなり世界を股に掛ける一流企業の正社員にしてくれ、というのはいくらなんでも無理だろう。
「勿論、彼女の推薦だ。通りやすくはなるだろう。しかし、私も一経営者として勝手に通す訳にはいかなかった。だから、コヤギーズに頼みこんで金庫を借りてきたという訳さ」
「……それが、入社試験という事なのか?」
まぁ、泥棒を試すのにこれ以上の試練も無いだろう。それをたかが一匹の狼に出来ちゃうのが、KOBUTAクオリティという事か。
「ああ、そうさ。君は私のテストに見事合格した。……正直、半年も逃げ回られるとはおもっていなかったよ。益々合格だ。でも君は、最後に一番やってはいけない事をした。なんだか分かるかい?」
なんとなく、社長が言わんとしている事を、彼は分かった気がした。しかし、あえてウルフはご高説をたまわる事にする。誰かに説教されたい、そんな気分だったのだ。
「大切な人を、一人にしようとしたじゃないか」
何故か社長は、怒っているような、でも悲しそうな、そんなやり場のない感情をぶつけているようにも見えた。
「君にとって本当に彼女が大事なら、離れるべきではないよ。そばで守ってやれ」
「おう」
ウルフは、もたれかかっている彼女の手を、そっと握った。
「という訳で、明日から君、清掃員として雇ってあげるから、頑張ってね♪」
――そこまでお見通しだったんかい!
「うーちゃん、良かったね!」
――まぁ、晴れて指名手配犯の身分からはおさらば。こうしてまた、こいつの笑顔が見られたのだから、よしとしよう。
木々から漏れる幾筋もの光が、彼らを祝福していた。
「……まぁ、彼が意気地無しだったら、彼女は僕の物になっていただろうけどね☆」
そんな負け惜しみのような呟きも、幸せな二人の耳には届かなかった。
こうして、ウルフは社長の粋な計らいにより正社員として採用され、彼女と結婚し幸せな人生を送っているんだとさ、めでたしめでたし。
その後、とある雑誌記事にこんなタイトルのものがあったそうな。
“肉食系男子を従える、最強の草食系、KOBUTAカンパニー社長”
この記事を読んで送られてきたファンレターに社員は埋もれたりするのだが、それはまた別の物語。
「大事なのは種族じゃないって事だよね」
キラーン、と効果音が付きそうな見事なウィンクを決めた写真が、この会社の日本支部のポスターになっている事は、もはや言うまでも無い。
はい、という訳で、“三匹の子豚”と“七匹の子ヤギ”をモチーフとさせていただきました。
二つの童話をネタとして使用した関係で、文体もいつもとは異なり、一人称視点で(まぁ後半の話は三人称なのですが)お送りしてみました。