不細工な王子様
今回のモチーフは何なのか、是非考えながら読んでいただければと思います。
肩の力を抜いてお楽しみください。
今はむかし。ここよりずっと、ずっと遠い国の、それはもうたいそう立派なお城の中でのこと。この国の王様が目に入れても痛くないほど可愛いと、とても大切に育てられたご息女、つまりはお姫様の声が、今日も高らかに響きます。
「汚らわしい!」
それは、城中を震わすほどの大きな声でしたが、使用人をはじめ、実の家族である、国王だって、王太子だって、気に留める者は一人としておりません。何故なら、今日はある意味記念すべき、姫の百回目のお見合いの日。姫が見合いをする時、それは必ずと言っていいほど、怒号が聞こえる時なのです。
「そのような容貌で、よくもまぁ私の前に現れたものですわ。鏡を見て出直しなさい!」
唯一、その事実を知らない男性は、可哀想に身をすくめてしまいます。町を歩けば誰もが振り返るほどの、愛らしく美しい顔からは想像も出来ないほど大迫力の怒鳴り声に、わざわざ隣国からやってきたという貴族の男性は、すごすごと逃げ帰っていくしかありませんでした。
その頃城下では、すでに此度の噂が広まっていました。
「ねぇ、聞いた?」
「お姫様、また殿方の求婚をお断りになられたらしいわね」
「これで何人目かしら」
食材を買いに来たはずの主婦たちは、見知った顔を見かけるたびにその場で集まって、店の主人の迷惑そうな顔など我関せず、こそこそ話をしています。
「お美しい方だけど、あんまりじゃない? 今日お見えになった方も、隣の国一番のイケメンだそうじゃない」
「前見えた方も、とても凛々しくて素敵な方でしたのに」
「それでも、殿方がひっきりなしにいらっしゃるんですもの。うらやましいわ」
どうやら、姫君のお見合いがうまくいってないことは、国民全員の知るところのようです。
「天国の王妃様も、さぞかしご心配でしょうね……」
「姫のお眼鏡にかなう方なんて、この世界にいるのかしら」
不安そうに、城を見上げる国民たち。彼らは姫が生まれた時から、ずっと彼女の成長を見守り続けてきました。だからこそ、皆は願っているのです。どこからか素敵な殿方が現れて、姫を幸せにしてくれることを。
時を同じくして、この国にまた、一人の男性が数人の臣下を連れてやってきました。
「ここか……」
彼は城をちらりと見上げ、そして再び、白馬を走らせました。美しく気高い姫の待つ、城の方へ。
これは心根の清らかな王子が、麗しい姫君を心まで澄み渡らせる物語。
「はぁ……」
――また、か。
姫は自室に戻ると、小さく溜息をつきました。窓の外、街の方に、新たな客人を目ざとく見つけてしまったからです。
「今日は日に二回も、不毛で生産性のない謁見をしなければならないのね」
ぼそりと、独り言のように不満を漏らす姫。それを耳ざとく聞いた使用人たちは、彼女をなだめます。
「そんなことおっしゃらずに。次こそ、素敵な方かもしれませんよ」
「そうですよ。それに、溜息なんて、姫には似合いませんわ。美しさが曇ってしまいます」
「お世辞は結構。私なんて、兄様や父様に比べれば、石ころも同然ですわ」
このような会話は、日常的に行われているのでしょう。彼女たちの慰めの言葉も、姫はぴしゃりと振り払います。
しばらくして、ドアをノックする音が聞こえました。
「姫、客人がお着きになりました」
「分かりました」
気が進まないこととはいえ、彼女は一国の姫君です。ここで自分が駄々をこねれば、国同士の関係にひびが入りかねないことも、きちんと理解していました。彼女ももう十九。来月で二十歳の誕生日を迎えるのです。いつまでも、我がままを言っていい年でないことは、重々承知していました。
「分かっては、いるのよ」
――でも、仕方ないじゃない。私の前に現れるのは、張り付いたような笑顔の、不細工しかいないんだから。
加えて、彼女の兄、つまり王子がまだ独り身であることも、彼女をその気にさせない原因の一つでもありました。まだ大丈夫、また断ればいいだけだ。そう自分に言い聞かせ、姫は重たい足を引きずるようにして、広間へと向かいます。
「失礼します」
応接間に入ってきたのは、栗色の髪をした、背の高い青年でした。
「このような格好で申し訳ありません。何卒ご容赦ください。先ほど到着したばかりで、身なりを整える暇もなかったのです」
「存じておりますわ。長旅でお疲れでしょうに、先にお休みになられた方がよろしかったのではありませんか」
「約束の時間に遅れる訳にはまいりません」
「しかし……」
姫が言いよどんだのも仕方ありません。青年は、髪はぼさぼさ、眼鏡にも泥が跳ねており、服は土煙で埃まみれ、靴も勿論泥だらけ。豪華な部屋に不釣り合いなほど、みすぼらしい格好でした。これが仮にも、一国の王子なのでしょうか。皆は首をかしげます。一度は気を使って言うまいとした姫も、しびれを切らしたようで、思い切って言いました。
「失礼ですが、王子様がそのようなお姿で他国の城に、王女である私にお会いになるとは、どのような教育をお受けになられたのでしょうか」
青年は、そのはっきりとした物言いに、流石に少し戸惑ったような顔をしました。けれども、彼はなかなかつかみどころのない人物のようで、
「私の家庭教師は、とても優秀な方でしたよ」
のらりくらり、論点をずらしてしまいます。姫は姫で、少し苛立ちを覚えながら問い返します。
「ならば、尚更、何故」
「何故って、約束の時間に遅れる方が、問題があるでしょう。男が女性を待たせるわけにはいきません」
「それは、そうですけど」
「無礼は承知の上です。身なりは煤けているかもしれませんが、少なくとも、心は透き通っております」
なるほど。青年の言葉に、間違っているところは一つもありません。しかし、使用人たちの手前、姫も引くわけにはいきませんでした。
「とにかく、今日のところはお引き取り下さい」
そう強く命令しましたが、姫も調子を狂わされていたのでしょう、ほんの一言、余計でした。
「はい、ではまた、伺います」
そう、“今日のところは”、というただ、それだけ。その言葉があったから、隙を突かれ、次の約束まで取り付けられてしまったのです。
「なんなのかしら……」
柳に風、暖簾に腕押し。この風変わりな青年に、姫はすっかり参ってしまいました。
しかし、国民にとっては大きな出来事でした。何故なら、今日は姫がお見合いを始めてから、初めて城から怒号が聞こえなかった日なのですから。ついに姫のお眼鏡にかなう男がやってきたという噂は、あっという間に国中に広まりました。
「姫、どうであった」
その日の夕食にて。国王も王太子も、使用人から青年の噂は聞いていたので、気が気ではなかったようです。姫は姫で、突然現れた青年にたいそうペースを乱され、ご立腹のご様子。おまけに、勝手な噂まで流されたのです。せめて父と兄の誤解は解こうと、今日起こったことを全て話しました。
半分愚痴交じりではありましたが、噂が嘘であることは誰が聞いても分かりました。国王は念の為、怒りの冷めやらぬ彼女に問いかけます。
「では、その青年を気に入ったわけではないのだな」
「ええ」
当然だとばかりに、姫は白身魚のソテーを食べながら熱弁します。
「あんな失礼な方、私初めてです。やっぱり、父様や兄様のような身も心も麗しい方は、なかなかいらっしゃらないのね」
楽しそうに、笑いながら話す姫の顔を見ないようにして、どこか後ろめたい風に、国王と王太子は同意しました。
「そ、そうだな」
あくる日。姫が城内を散歩していると、後ろから声を掛けられました。
「姫、参りました」
それは昨日やってきた、あの青年でした。まさか本当にやってくるとは思わなかったので、彼女は目を丸くして驚きます。
「……確かに、少しは見られるようになりましたのね」
青年は昨日とは打って変わって、真新しいシャツにズボンという爽やかな装いでした。昨日は泥だらけだった編上げのブーツも、綺麗に磨き上げられています。けれども、姫は納得がいかなかったようで、
「でもあなた、その髪や服は、どうにかなりませんの」
はっきりと物言います。ようやくまともに見られるようになったのもあり、よくよく観察すると、髪はまだぼさぼさのままですし、牛乳瓶の底のような分厚いレンズの眼鏡にも、ひびが入っているようです。それに、今日の彼の格好は清潔になったとはいえ、正装とは程遠い恰好でした。
「では、選んでいただけませんか」
「え?」
「出かけましょう」
「ちょ、ちょっと」
彼は了承も得ぬまま姫の手を引くと、従者も連れず、街の方へとずんずん歩き始めました。
「まだ買い物に付き合うなんて、私一言も言ってないわよ」
「では、このままでよろしいのですか」
「……終わったら、帰るわよ」
放っておくこともできたでしょうに、やはり彼にペースを乱されているのか、姫は買い物には付き合うことにしたようです。彼女はつかまれていた手を振りほどき、先を進みます。青年はそれを見て満足そうに笑い、少しだけ歩みを早め、そして、彼女の横に並びます。
こうして、二人は城下町まで下りていくことになりました。
とはいえ、一国の姫君と王子が城外に出るのです。あまりにも急な事だったのと、姫がまた誤解され、噂になるのを恐れ、自分のお付の者でも連れていくのをためらったため、仕方なく、口の堅い門番を一人だけ、荷物持ちに連れていきました。それでも御身が不安だと門番が言い張るので、二人はスカーフとマントで軽い変装をします。
「ふふふ、顔を隠して歩くなんて、まるで父様と兄様みたい」
姫は不謹慎にも、なんだか楽しくなってしまい、くすくすと笑いました。
「そうでございますね」
それにつられて、門番も笑っています。けれども一人、意味の分からなかった青年は、姫に問いかけます。
「姫、普段国王と王太子は、民の前では顔を隠しておいでなのですか」
「ええ、そうよ」
「御身をお守りするためでございます。普段から顔をお隠しになれば、替え玉も容易ですから」
「成程」
やっと意図が理解できた青年は、この国の王様はとても用心深いのだなと思いました。しかし、それでは何故、姫は顔を隠していないのかと怪訝に思っていると、
「それだけじゃないのよ」
姫は楽しそうに、誇らしそうに言いました。
「民はね、父様と兄様の顔が美しすぎて、皆が倒れないように隠しているんだって思っているのよ」
「なんとまぁ」
「大袈裟よね。確かに、父様と兄様は麗しい方々だけれども」
この美しい姫君が言うのです。国王と王太子はどれほど美麗なのか、そちらの方が気になり、青年は尋ねました。
「それほどまでに素敵な方々なのですか」
「ええ。父様や兄様が花だとしたら、私なんて、その辺の草と変わらないわ」
「またまた、ご謙遜を」
「謙遜なんて……。私も、お父様に似たかったわ」
「すると、姫君はお妃様に」
「着いたわ。ここよ」
話の途中ではありましたが、丁度目的地についてしまい、そこで打ち切られてしまいました。青年は、なんだか姫がわざと話を切り上げたように思いましたが、深く詮索はしませんでした。
さて、一行が訪れたのは、王家御用達の呉服店です。
「いらっしゃいませ」
「ご無沙汰ね」
「おお、姫様でしたか。やや、これはこれは。呼びつけていただければ、こちらから出向きましたのに」
「急用でね」
挨拶を済ませるや否や、姫は後ろに控えていた青年を紹介します。
「客人なの。身なりを整えて差し上げて」
「かしこまりました」
「少し、奥で待っていただける?」
「勿論」
彼が引っ込んだのを見て、彼女は店の主人と一緒に、彼の服を選び始めました。その様子を、青年はこっそりと陰から見て、思わずにやけてしまいます。
しばらくして、店主が彼の元に、選んだ服を持って行きました。
「では、こちらにお召し変えください」
しわ一つない紺のジャケットに、黒のパンツ、中には白のベストと、ワンポイントの入ったシャツ、首には赤いスカーフを合わせた、いかにも王子らしい、しかし華美ではない格好。着替えを終えた青年は、見違えるように格好良くなりました。
「どうですか」
「悪くないわ」
「ありがとうございます。これほどまでに素敵な服は、私見たことがございません」
「当然よ。この国の職人はとっても腕が良いんだから。それに、私が選んだのよ。これでも、目は鍛えてあるつもりなんだから」
「姫自ら選んでいただけたとは。光栄です」
この青年の言葉で、ようやく姫は自分の失言に気が付き、しまったという顔をしました。にこにこと微笑む青年から視線をそらし、それを誤魔化すために、彼に自ら提案します。
「お、お向かいに理髪店もあるわよ」
「いえ、それには及びません。あと数日すれば、我が国一の美容師が来てくれます」
軽いつもりで言った言葉ではありましたが、青年ににべなく断られたのもあり、自分の国を馬鹿にされたと思い込み、つっけんどんに言い返します。
「この国の技術は、あなたの国には及ばないと、そうおっしゃられたいの」
「いえいえ、とんでもない。こちらの国の方が、服の素材も上等ですし、腕の良い職人もたくさんいます」
だったら、とさらに追及しようとする姫を制して、青年は言います。
「でもね、姫。僕は王子なんですよ」
きょとんとする彼女に、彼は畳みかけました。
「申し訳ありませんが、見も知らない方に、髪を、鋏を向けられるのは、お互いにとってよくないでしょう」
それを聞いて姫は、自分がどれだけ無神経だったかを思い知りました。心から反省し、肩を落としながら謝罪します。
「……軽率でしたわ。どうか、お気を悪くされないで」
「ええ」
青年のにこやかな笑顔に、彼女は心底ほっとしました。
そして、この一件で、青年が考えなしの馬鹿ではないと知り、彼女の心が少し、彼へと傾いたようです。
帰り道、今日の会話を思い出しながら、青年は姫には聞こえないように、ぼそりと呟きました。
「あなたをからめとる糸は、存外複雑にからみあっているようだ」
その日の夕食の話題は、青年の話で持ちきりでした。
「今日もあの男と会ってきたのかね」
「ええ。あの方、思ったよりも良い方ですわ」
「そうなのかい? 昨日は散々」
「私、勘違いしていましたの。よく知らない方を悪く言ってしまうのは、悪い癖ですわ」
ようやく、姫が殿方に興味を持ったのです。喜ばしいことではあるはずなのですが、何せ第一印象が芳しくありませんでした。皆、複雑な気持ちで、楽しそうに話す姫を見守っています。
一方の姫は、そんな視線に気が付いていないのか、尚もにこにこと、彼のことを褒め称えていました。
「あの方はきちんと、ご自分のお立場も分かっていらっしゃる、思慮深い方ですわ。何より、眼鏡が素敵ですの。勿論、父様や兄様にはとても及びませんが」
「あ、ああ」
突然引き合いに出された国王と王太子は驚いたようで、顔を見合わせました。
姫が食事を終えて部屋に戻った後、国王と王太子は小さな声で、ひそひそ話を始めます。
「どういうことだ」
国王の手には、一枚の写真が握られていました。どうやら、話題の彼のお見合い写真のようです。王はそこに写った、青年の姿を見て言います。
「写真と全く違うじゃないか」
「今までにも、このような事はありましたが……」
「最近の画像加工の技術には、目を見張るものがあるのう」
プリクラに始まり、写真を撮り、その上加工するという技術が誰にでも簡単にできるようになった昨今では、もはや写真というのは本人を現すものではなくなってしまったのかもしれません。
「原形を留めてすらおりませぬ」
王太子のこの言葉の通り、その写真の青年は、爽やかという言葉を体現したような、清潔感あふれる精悍なイケメンでした。どことなく面差しが似ていると言われれば似ているかもしれませんが、渦中の彼と同一人物かと問われれば、百人が百人、皆違うと答えるでしょう。
「素材を生かすとはよく言われたもの、この者の場合、せいぜい色くらいしか合ってはないではないか」
「このような者のところへ、姫を嫁がせるわけには……」
「うむ」
「しかし、外交の問題もあります。我々が追い帰すわけにはいきません」
「なんとかして、あの子から断るように仕向けなければ」
その後も、二人は夜遅くまで、ぼそぼそと話し合いを続けていました。
その次の日。今日も青年は、姫のところへ足しげく通います。
「姫!」
「ごきげんよう」
姫も少し、青年に心を開いたようです。きちんと挨拶を返され、彼も嬉しそうに笑います。
「ごきげんよう。本日も麗しく」
「ねぇ、突然なのだけれど」
けれども、素っ気ないのは相変わらずのようです。話もそこそこに、彼女は一通の手紙を、彼に差し出しました。
「なんですか、これは」
「中を見れば分かるわ」
そう言うと、姫は封筒を一度手元に戻し、封を開け、中の手紙だけを広げて、彼に見せました。
「剣術大会、ですか」
「ええ。父と兄がどうしても、あなたの腕前が見たいと」
そう、姫が渡した手紙とは、この国の猛者たちが参加する剣術大会への招待状だったのです。それも、国王陛下直々の。流石の青年も、一国の王子としては参加しないわけにはいきません。
「承知しました。必ずや、優勝をあなたの手に」
「内輪の大会だから、優勝も何もないけれどね」
「また意地の悪いことを」
青年のおべっかにも、姫は慣れてきたようで、その言葉に毒が戻っています。しかし、こんなところでめげないのが、彼の良いところ。
「では姫。もし優勝したら、一度正式にデートしていただけませんか」
にこりと微笑みながら言われ、たじろぐ姫。また隙を突かれたと、一瞬焦りましたが、今度は青年の方が一言余計だったようです。
「……正式って、何よ」
彼女に反論する余地が生まれてしまいました。
「この間のは数に入れない、という意味です」
「そりゃそうよ」
付き合いきれないとばかりに、彼女はそのまま、青年に背を向けて歩き出してしまいます。やっぱり駄目だったかと、青年が落胆しかけたその時、ぼそりと姫が呟きました。
「……考えておくわ」
姫はそのまま、大会が開かれる城の中庭へ、足早に向かいました。
「父様!」
中庭には、すでに大会の参加者とその審査員たちが集まっていました。勿論、そこには主催者である国王もいます。姫は一応、青年を紹介しようと、父に声を掛けました。
「おお、姫よ。すると、あなたが」
「このような姿で失礼いたします。剣術大会へお誘いいただき、光栄至極にございます」
「儂こそ、こんな格好ですまぬ。この国の国王と王子は、代々皆の前には顔を明かしてはならぬという掟があっての」
「掟ならば、致し方ありません」
国王の仮面姿を初めて間近で見た青年は、そんな含みのある言い方をしました。そして一礼をしてから、準備のためその場を立ち去りました。
「では、只今より、剣術大会を始める!」
大会の参加者は、十数人ほど。決して少なくはありませんし、皆、腕に覚えのある者ばかりなのです。国王も姫も、口にこそ出しませんでしたが、勝ち進むことは難しいと思っていました。ところが、
「勝者、西の国、セイジ王子!」
この青年、剣術もなかなかのものでした。ひらりひらりと相手の攻撃をかわし、一瞬の隙を突く。戦い方も普段の彼そのものでしたが、おそらく初めて見るのでしょう、他の国の剣技に、この国の者は翻弄されてしまいます。一回戦、二回戦と次々に勝利し、みるみるうちに決勝戦へと、駒を進めることになりました。
「あなた、すごいじゃない!」
「このぐらいは」
最終試合前、姫は青年に声を掛けます。彼はその言葉通り、連戦にもかかわらず、それほど疲れてはいないようでした。
その様子を遠くで眺めるのは、国王と王太子。
「まずいぞ……」
「次は私です。問題ありません」
彼は自他ともに認める、この国一番の剣の使い手です。父親の心配そうな視線にも、どこ吹く風。颯爽と試合の場に向かいます。けれども、その仮面の下に隠れた表情は、読み取ることは出来ませんでした。
「では、決勝戦を始める」
「兄様、頑張って!」
「始め!」
西の国の王子とこの国の王太子の対決の火蓋が、切って落とされました。
二人の実力は、ほとんど拮抗しているように、他の者からは見えました。かろうじて目で追えるぐらい、ほんのわずかでも目を離すと追いつけなくなってしまうような速度で、彼らの戦いは続きます。鈍い金属音が幾度となく響き渡り、彼らの足運びで土煙が舞っています。
しかし、戦っている当人たちだけは、気が付いていました。西の国の王子が、手を抜いていることに。
「私を愚弄しているのか」
戦いの最中、王太子が問いかけます。
「いいえ、ただ気になることがありまして」
皆には聞こえないように、青年が答えます。
「それで本気で戦うというのであれば、言うてみよ!」
王太子が会心の一撃を放ちますが、青年はひらりと後ろに飛んでかわします。そして勢いをつけて間合いを詰めると、彼はこう囁きました。
「どうして、この国の王族は、仮面を着けることになったのでしょうね」
「黙れ!」
よほど触れてはいけないことだったのでしょう。怒りに任せ、ありったけの力を込めて振るった剣が、青年の顔をかすめました。あと一歩間違っていたら、傷を負っていたことでしょう。間一髪で逃れたものの、ぽーんと、眼鏡が弾かれました。
「そこまで!」
勝負あり。王太子の勝利です。彼も審判の声にはっと我に返り、剣を収めます。
優勝こそ逃したものの、彼が予想外の活躍を見せたのは事実でした。健闘を称えようと、落ちた眼鏡を拾い上げ、彼に渡します。
「ご苦労様。大丈夫?」
「ええ。ありがとうございます」
青年は眼鏡を受け取り、掛け直そうとしました。その時です。
「綺麗な瞳」
姫が初めて、青年の目を見て、見惚れるように言いました。彼の瞳が、澄み渡る青空と同じ色の、透き通った水色をしていたからです。そんな姫の様子を見て、彼も驚いて手を止めます。そうして、しばしの間見つめ合っていましたが、姫の方が先に我に返ったようで、
「でも、眼鏡をかけている方が、男前よ」
そう笑って、彼の手から眼鏡を奪い取って掛け直すと、自分の兄のところへ、とてとてと向かってしまいました。
「……成程。そういうことか」
勝利を手中に収めることは出来ませんでしたが、それ以上に重要なものを、青年は手に入れたようです。
「あ、そうそう!」
青年がにやりと笑っていると、先ほど立ち去ったはずの姫が戻ってきました。
「何か良いことでもありましたの?」
「ええ」
「じゃあ、もういいかしら」
「何がですか?」
「大会の賞品の話よ」
まさか、姫の方から蒸し返されるとは思っていなかった青年は、ややむくれたように、
「私は、優勝することは出来ませんでしたよ」
と言いました。約束は優勝したら、でしたので、姫が自分をからかいに来たと、そう思い込んでしまったのです。対する姫も、
「だから、デートはなし」
というものですから、青年はがっくり肩を落とします。けれども彼女の次の言葉で、青年は顔を明るくしました。
「その代わり、私と正式にお付き合いできる権利をあげるわ」
「本当ですか」
それは願ってもないことでしたが、今までの対応が対応だっただけに、ついつい問い返してしまいます。そんな彼に、姫は今まで見せたことがないようなにこやかな表情で、きっぱりと言います。
「二言はないわ。私、貴方の事をすっかり気に入ってしまったみたいなの」
そして、ややためらいがちに、自信なさげに、こう付け加えました。
「だから、こんな私で良ければ」
初めて見る姫の様子に若干戸惑いながらも、青年はいつものように笑いかけます。
「何をおっしゃいます。姫ほど美しい方には、この世界中どこを探しても出会えませんよ」
「……本当に?」
「ええ」
これは、青年の本心でした。姫もそれが分かったようで、
「そうね、貴方となら、お似合いなのかもしれないわ」
ぼそりと、呟きました。そして、吹っ切れたように、青年に言います。
「私、この顔嫌いなの。父様も兄様も、侍女も庭師も調理人も門番も、皆、皆、私の事を綺麗って褒め称えるけど、私にそんな価値なんて」
「姫」
彼はこの時再び、決意を新たにしました。この姫君を救う、決意を。
「私が、貴女にかけられた魔法を解いて差し上げます。貴女が自分に自信を持てるように、本当に美しい姫君に、そしてゆくゆくは僕の妃にふさわしい方になれるように」
歯の浮くような気障な台詞でしたが、青年らしい物言いに、姫は笑ってしまいました。
「随分ずうずうしい王子様ね」
そうして、今後のことを少し話した後、姫は自室へ、青年は滞在先へと戻っていきました。
またまたその日の夕食にて、姫は自分の父と兄に、ある重大な報告をしようとしていました。
「父様」
嫌な予感がしたのでしょう。国王だけではなく、王太子まで、食事の手を止め、彼女の方を向きました。
きりりといつになく真剣な顔をして、姫は宣言します。
「私、あの方ときちんとお付き合いしようと思いますの」
予感は的中。時がぴたりと、止まります。そばに控えていた使用人たちも、固唾を飲んで見守っています。
静寂を破ったのは、重苦しい国王の声でした。
「ならぬ」
「どうして」
「それは……」
「僕が冴えない男だから、ですよね」
言い渋る国王の言葉を遮り、ばーんと、派手な音を立てて扉を開けて入ってきたのは、渦中のあの青年でした。
「無礼じゃないか。突然入ってきて」
「失礼。しかし、姫から許可はいただいております」
「私がお呼びしておいたのよ。父様と兄様のお許しが出たら、すぐにお知らせできるようにと」
いつの間にか、青年は姫の隣に佇んでおり、目配せして笑い合う姿は、もう付き合っているカップルのようでした。
そんな姿が癪に障ったのか、国王は冷たく突き放します。
「出ていきなさい。君との交際を認めるわけにはいかない」
しかし青年も、ここでおずおずと尻尾を巻いて逃げ帰る訳にはまいりません。
「それは、我が国に対する宣戦布告と、とらえてもよろしいのでしょうか」
少々意地の悪い手ではありますが、これには国王も慌てざるを得ませんでした。
「そうではない。君の国とは、これからも友好な関係を築いていきたいと考えている」
「では、何故」
「それは……」
先程までの威勢はどこへやら、国王は口をつぐんでしまいます。そりゃあ、いくら国王だって、流石に本人の目の前で、面と向かって“顔が悪いから”とは言えません。けれども、姫も王子も同意の上、加えて、青年は第二王子とはいえ、れっきとした他国の王子。家柄にも文句の付けどころはありません。国王は困ったように息子を見て、助けを求めますが、彼も上手い言い訳が思いつかないのか、視線を明後日の方向に向けています。
このままでは埒が明かないと思ったのでしょう、青年は実力行使に出ました。
「まどろっこしいことは、止めましょうか」
そう言うと、彼は姫にこう尋ねました。
「姫、今日の僕と、こちらの写真の僕、どちらが良いですか」
かたや、身なりは整っているとはいえ、相変わらずの瓶底眼鏡に、整髪料でがちがちに固められ、ぴっちり分けられた七三の青年。かたや、誰もが王子と聞いて思い浮かべるような正装をした、透き通った水色の瞳が美しい、爽やかな無造作ヘアーの青年。
答えは明白だろうと、その場にいた誰もが思いました。ただ二人、青ざめた顔をしている、国王と王子を除いては。
「そんなの、決まっているじゃない」
それぞれの思いを知らない姫は、ただ純粋に、心の赴くまま、迷わず指をさしました。
「眼鏡をかけている方が、男前よ。髪型もよく似合っているわ」
「だ、そうですが」
国王は頭を抱え、王太子も膝をつきました。事情を知っていた使用人たちは、どこか安堵したような複雑な顔を、何も知らなかった使用人たちは、長年の謎が解け、青ざめた顔をしています。
どうして、彼女は自分の容姿を褒められることを嫌がるのか。どうして、でっぷりと太った父親と、ねずみのように痩せこけた兄の事を、格好良いと言うのか。その答えが今、国王の口から明かされます。
「姫よ、よく聞いてくれ」
ただ一人、状況の飲み込めていない姫の為に、国王は意を決して言いました。
「世間では、写真の彼、すなわち、髪を自然に整え、鼻筋は通り、目がぱっちりしている人間、そちらの方が格好良いとされるのじゃ」
「え……」
「儂や、倅は、細工が整っておらぬ」
「世間から見れば、僕らの方が不細工なんだ」
姫は訳が分からず、頭を抱えて座り込んでしまいます。
「騙していて、すまなかった」
「そんな、どうして……」
姫も青年も使用人たちも、何故ここまでしなければならなかったのか、さっぱり分かりませんでした。皆の戸惑いの表情を見て、国王と王太子は潮時だと言わんばかりに、全てをさらけ出します。
「きっかけは、二十年前のことじゃ。儂が、軽い火傷を負ってしまっての。一時期仮面を着けていたのじゃ」
「それを僕が面白がったんだ。父様格好良い、って」
「儂も調子に乗っての。今までそんなこと、言われたこともなかったものでの。舞い上がってしまったのじゃ」
「それで、仮面を」
「倅もこんな見てくれじゃ。これじゃ妻を迎えることも難しかろうと思って、せめて、と」
「それが、いつからか、仮面の下の素顔はとても美しいと、妙な噂がたっての」
「いつか誤解が解ける日が来る、そう思って、そのままずるずると」
「気が付いたときにはもう、手遅れだった」
「もう、儂らは仮面を脱ぐに脱げなくなっていた」
軽い怪我と、幼い少年の一言。きっかけは、たったそれだけだったのに。小さな誤解が長年にわたって積み重なったことで、その嘘はもう、背負えなくなるほどに膨らんでしまいました。
「そんな時さ。お前の母に出会ったのは」
「じゃ、じゃあ、私と、兄様は」
「腹違いさ。僕の母、前の妃も、僕を産んですぐに亡くなっているんだ」
「そうだったのね……」
見目麗しいと、今まで信じていた、信じ込んでいた父と兄。彼らに何故似なかったのか、不思議で、そして悲しくて仕方なかった姫。どんどん謎が解けていき、その速度に置いて行かれそうになりながらも、国王の独白は続きます。
「美しかった。その時にはすでにいい年だったが、一目惚れじゃった。儂は必死に、彼女にアプローチした。最初は渋っていたんじゃが、直に恋仲となった」
ここまで熱烈に思ってくれた人は貴方が初めてだったから、そう後で言ってくれたよ。自分の母との馴れ初めを、国王は照れくさそうに話します。
「そして、生まれたのがお前さ」
彼は姫に、彼女の亡き母の面影を重ね、寂しそうに微笑みました。
「これほどに美しい娘じゃ。自慢せずにはいられなくてのう」
「でも、僕らへの民衆の期待を、裏切ることもできない」
「かと言って、お前に嘘をつかせるわけにはいかぬ」
「だからって……」
混乱からか、優しさからか。追及できない彼女の代わりに、青年が言葉を引き取ります。
「価値観まで挿げ替えることは、なかったでしょうよ」
「いつか分かる時が来る、そう思っていたのだが」
「幼い頃から、周りにずっと騙されていたんですよ。疑うなんて、そんな事思いつきもしないでしょう。あなた方はそんな事も分からずに!」
「もう止めて!」
自分が初めて好意を持った男性に、大好きな家族が責められているのを、聞いていられなくなったのでしょう。姫は悲鳴のような声を上げ、それから、何かを悟ったように、静かに話し始めます。
「いいのよ。本当は、分かってはいなかったけど、でも、おかしいなって、思っていたの」
そして、父と兄の方を向いて、それから、使用人たちを見渡してから、彼女は無理に笑顔を作って言いました。
「だって、父様は王様なんですもの。もし母がみすぼらしかったらきっと、周りの方が許さないわ」
それは、自分の母の名誉を守り、尚且つ父を傷つけないように、最大限の敬意を払って紡がれた言葉でした。そんな彼女の立派になった姿を見て、王太子と国王は、涙を流しながら、彼女に謝ります。
「嘘に嘘を重ねて、もう君に真実を言うことさえ、僕らはためらうようになっていた」
「本当に、本当に、すまなかった。許してくれとは言わない、だが……」
「いいえ。許します」
姫は、父と兄に頭を上げるように促してから、今度はとびきりの笑顔で言いました。
「だって父様も兄様も、民の期待を裏切らないために、必死だったんですもの」
その眩しい笑顔に諭された国王と王太子は、堰が切れたように大粒の涙を流し、使用人たちももらい泣きをしてしまいました。
広間が涙に包まれる中、ちゃっかり者の青年は、こそっと彼女に尋ねます。
「さて、姫。これで貴女は、外の世界の価値観を知ったのです。いかがなさいますか」
彼の打算を知ってか知らずか、彼女は少しだけ間を置いてから、こう答えました。
「じゃあまずは、眼鏡でも買いに行きましょうか」
これには青年も苦笑い。けれども、彼女の遠回りな表現に気が付くと、にこやかな表情に変わります。何故なら、姫は彼をデートに誘ったのですから。
「喜んで!」
嬉しそうに手を取り合う二人を邪魔するものはもう、何もありませんでした。
その後、国王と王太子は、民衆の期待で塗り固められた仮面を外し、本当の姿を民にさらしました。格好いい王様という幻想は粉々に砕け散りましたが、なんとなく察していた国民たちには、特に違和感なく受け入れられたようです。むしろ、長年騙していたことによる不信感をぬぐう方が大変なようで、彼らは西へ東へ、謝罪の旅に出ることにしました。
一方、不細工な王子様は本物のイケメンへと変わり、その姿を一目見ようと、連日女性たちがひっきりなしに訪れます。姫はその度にやきもきしていますが、晴れて交際を許された二人です。まずは仲睦まじく眼鏡を選びに行くところから、始めるようですよ。
というわけで、裸の王様をモチーフにしてみました。
あの話は自分の愚かさがばれるのを恐れ、誰もが言い出せず見栄を張った、というように解釈をしております。
ので、それを発展させ、恐れるあまりに認識までもを挿げ替える、というような内容にしてみました。