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おかしなやしき

お久しぶりです。今回はヘンゼルとグレーテルがモチーフです。

バレンタインに間に合わせたかった……!

肩の力を抜いて、お楽しみください。

「えー、ではこれから、今年度第一回企画会議を始める」

 つかの間の晴れ間。暖かな日差しが降り注ぐ、とある冬の昼下がり。皆あくびを噛み殺し、真面目な顔を装って円形のテーブルに大人しく着席している。それもそのはず。今日は月に一度、全部門の企画担当が集まる定例会議の日、なのだから。

 会議はもはや定番となった、専務の開会宣言から始まる。

「今回はこれから春先、特にバレンタインデーに向けて、目玉となるアトラクションをひねりだすことを目的とする」

 やっぱり。私はこっそりと溜息をつく。毎年この時期になると、かきいれ時であるところの年度末に向けての準備に取り掛かるのだ。他所と比べてややどころか大幅に遅いと思うのだが、ここのような動物園に併設されている小さなテーマパークでは仕方のないことであった。しかも、彼はあえて“バレンタイン”という六文字をはっきりと滑舌良く発音し、強調した。正月休み明けのたるみきった顔をしてこの場に着いている全員が、顔を引きつらせるほどに。これが何を意味するか、ここのメンバーであれば考えなくとも、脊髄反射的に理解せざるを得なくなる。つまり。

 “リア充に媚を売り、奴らを手の中で転がせ。それすなわち、この不況を制することである”

と。頭では分かっているし、これまででも何度も議題に挙がっている案件であり、勿論ある側面から見れば正しいとは思うのだが……。

「では、皆さん。何か意見はありますか」

 司会が周囲を見渡すようにして意見を求めるも、皆一向に口を開く気配はない。それもそのはず。彼らの多くは非リア……ではなく、会社の為自分の為家族の為給料の為と、こんな会議に出席できるまでせっせと働き続けた、仕事人間なのだから。それでも、基本的には人を楽しませることが好きな人間達の集まりであるからして、わざと意見を出さなかったり、ましてや貶めたり爆発させるようなことは、しないだろうけれども。多分。

私の働いているのは、一応ある程度の規模がある、言ってしまえば、大企業を母体に持つグループ企業である。けれども、ここ数年の不景気で、近頃は全く新入社員をとっていない。これも、上が求める“活発な意見交換”が滞っている原因である。そりゃあそうだろう。なんたって、この会議に参加する人間自体が、入れ替わりもせずのうのうと居座り続けているのだから。

『うーむ』

という訳で。もはやその年の目玉となるような良いアイディアなど、絞りつくされたあと。凝り固まったおっさんの思考力では、思いつく訳もなく。困ったような唸り声だけが、無駄に広い会議室にこだましていた。

――そろそろ、かな。

 当たらないといいなぁと思う予感ほど、よく当たるもので。

「魔女さん、最近なんかいいのないの?」

――きた。

 顔馴染みの課長から、ご指名で話を振られてしまった。身構えていたとはいえ、私も特に意見があったわけではないので、

「目下考え中でございます」

定型文でお茶を濁す。

そうかそうか、君でも出ないか。仕方がないなぁ。くっくっく、ともれる周りの失笑が痛い。自分だって考え付かないくせに、人を蹴落とすことだけは一流のおじさんたち。彼らにかかれば社会人七年目の私も、まだまだひよっこの小娘同然なのだ。

――まったく。魔女が聞いて呆れるわ。

 自身に付けられた御大層なあだ名に、思わず苦笑がこぼれる。いや、御大層なのは待遇もか。キャリアで言えばまだ彼らの足元にも及ばない、加えて女である私が、この会議に出席することを許されているのだから。

嗚呼、申し遅れた。私は七年前、この会社が採用した最後の社員にして、入社から数年は、奇抜なアイディアと若さゆえのセンスから、企画会議の“魔女”と呼ばれた女である。


「はい、では一旦休憩。十分後に再開します」

 前半戦ではこれといってぱっとせず、後半戦へもつれこむこととなった。のんびりとお茶を飲みながら、ほんの少しだけ、昔を思い返す。

最初にそう呼ばれたのは、もはやいつだか覚えてはいない。けれども、無から有を生み出す様が、魔法のように見えたのだろう。まだ新人だった私には不釣り合いなほど、仰々しい称号ではあったが、甘んじてそれを受け入れた。自分で言うのもなんだが、当時の私のアイディアは、そのぐらい神がかっていたのである。

それが今じゃ、このありさまだ。なんとかしなくては。邂逅にふけるほど年老いたつもりはないのだが。頭を切り替えるために、目の前にあったチョコレートに手を伸ばす。糖分糖分。

「えー、では、皆さんおそろいのようなので、企画会議を再開します」

 へいへい、と舌でチョコを転がしながら、その甘さを堪能していた。その瞬間、ふとひらめくものがあった。降りてくればこちらのもの。私はすぐに案をまとめ、思いついたそばから口に出す。

「お化け屋敷、なんてどうでしょうか」

「いや、それならもう出たでしょうよ」

「魔女さん。しっかりしてよ」

 ……思いつきで言葉を発した弊害である。全くもって上手く伝わらない。助け舟を出してくれたのは、私の直属の上司だった。

「何か秘策があるのかね」

「はい」

 上司のおかげで、追加の攻撃は回避された。糖分補給で頭もすっきりしている。何も、チョコレートは愛を伝えるための姑息な手段としてのみ使われるわけではないのだ。すうっと息を吸い込み、私はプレゼンを始めた。

「皆さんはヘンゼルとグレーテルという童話をご存じでしょうか」

「あの、お菓子の家が出てくる?」

「魔女に手ぐすねひかれて、食われかけるやつね」

「はい、そうです」

 良かった。おじさま連中でも、嫌味のネタにできるくらいには知っていたようだ。それならば話は早い。一気に畳み掛ける。

「それをモチーフに、可愛らしさと恐ろしさを兼ね備えたお化け屋敷を作るんです」

「ほう」

「しかし、この時期にお化け屋敷かい」

「今は季節なんて関係ないですよ。第一、バレンタインデーだって、その由来とはかけ離れたイベントになってしまっていますし」

「故人も浮かばれないよねぇ」

「まぁそれは置いといて。バレンタインと言えばカップル。奴らがいちゃつくにはぴったりじゃないか?」

「好きだもんなぁ、女。ぶりっこして怖がるの」

「全然怖くないくせになぁ」

「むしろ男の方がびびって青い顔してたりするよな」

「全く、最近の若いもんは情けない」

 ……話がそれてきた。おじさま連中にはよくあることなので、強引に引き戻す。

「加えて、お菓子をモチーフにすることにより、子どもからの人気も集めることが可能になります」

「家族連れが狙えるわけか」

「いずれにせよ、一度に二人以上の客が見込める。単価が良いな」

「やってみようか」

「では、この案を仮採用ということで、皆様よろしいでしょうか」

『異議なし』

「じゃあ、一週間後にプレゼンよろしくね」

「はい!」

 久々にヒット作ができる。そんな予感を胸に、私は意気揚々と自分のデスクに戻った。


「と意気込んでみたはいいものの……」

一週間、か。予測はしていたが、まさかここまで短いとは。それに、企画会議に向けて案を練っていたならともかく、つい今しがた浮かんだアイディアを形にするとなると……。骨が折れる作業だということは、容易に想像がついた。加えて、予算がないことで有名である。ううむ。どうにか、くたびれ儲けにならない程度には仕上げなければ。

「どうしたものかねぇ」

 紙とペンを片手に色々とアイディアを巡らせているのだが、どうも上手くまとまらない。「こういう時は」

すっくと立ち上がる。考えるよりまず行動。煮詰まった時は、出来ることから始めてみることだ。


「ってなわけで」

とりあえず今回の要となる、お菓子を集めてみることにした。やってきた先は、近所のスーパー。どうせプレゼン準備にかかる費用なんて、経費で落ちるはずがない。となると、安く抑えるにはスーパーに限る。買い物かごを片手に、手当たり次第、気になったお菓子を次々と放り込んでいく。子どもの視線が痛いが、致し方ない。すまんな、これが本当の大人買いだ。

「……よし、こんなもんかな」

 チョコレート、クッキー、ビスケット。アメちゃんにグミ、キャラメル、マシュマロ。お洒落なところでは、マドレーヌ、マフィン、最近流行のマカロンに、ギモーブなんてものもあった。思ったよりも想像力をかき立てるようなお菓子がそろい、意気揚々と会社に戻る私は、遠くから見つめている子どもに気が付かなかった。

「ふふふ」

 彼らも大量のお菓子が羨ましかったのか。しかしそれにしては不釣り合いなほど、邪悪な笑みを浮かべていた。

「にやり」


「うっし、できたー」

 自分の机に戻るや否や、会議室を貸し切りにして作業を開始。やはり物があるのとないのでは違う。絵本で見た、お菓子のおうち。あれをそのまま再現したくて、食堂からオーブンや卓上コンロを借りてきた。おかげでアメのステンドグラスや、チョコレートの煉瓦などができたわけだが。

「ちょっち、はりきりすぎたかな……」

 インターネットで引っ張ってきた画像と、幼い頃の自分の記憶を頼りに、ぎりぎりまで本物に近づけた。子供の頃の憧れを、まさかこんな形で具現化することになろうとは。そのおかげで完成度は高いが、若干手間がかかりすぎた気がする。

「うん、でもまぁまぁっしょ」

 これで家の方はなんとかなりそうだ。でもこれだと、いまいち怖い感じがない。なんというか、某ランドにありそうなファンシーさが醸し出されてしまっている。

「うーむ、何かが足りない」

 まぁ、最悪外装はこれで良いかもしれない。けれども、お化け屋敷にするのであれば、内装や順路まで考えなければ。

「うーむむむ」

 さて、次は何をしようか。考えていると、

「おばちゃん」

とても失礼な事を言われた。

「まだ二十九じゃい」

 条件反射的にそう返したのだが、

「世間的にはそれ、アラサーっていうんだよ」

やたら幼く可愛らしい声でぶった切られてしまう。不審に思い振り返ると、そこには一人の子どもが立っていた。真っ赤なコートに身を包んだ、ショートカットの、小学生くらいの児童である。何故、こんなところにいるのか。それよりも何よりも、今までおっさんに紛れていたため、そんな扱いは受けてこなかった私は、おばさん扱いの方がショックだった。その為先に自己保身に走り、とってもがんばって言い返す。

「で、でも、それでも、年齢的にはお姉さんの年なんだけどな」

「じゃあそーとー疲れてるんだね」

 確かに。ふと時計を見ると、時刻は午後三時。加えて少年に日付を聞くと、なんと買い物に行った日の翌々日になっていた。つまり、丸二日ほど今の今まで、昼夜を問わず作業に没頭していたことになる。そりゃあ肌も荒れるし、くまもばっちりできていることだろう。しかし、そんなことを見ず知らずのお子様に言われる筋合いはない。

「余計なお世話よ」

 ふん、と顔をそむけ、気を取り直して質問する。

「ほんで、何か用。お嬢ちゃん。ここは遊園地じゃないわよ。迷った?」

「や、やだなぁ。ぼくは男の子だよ」

 けれども返ってきたのは、私の意図とはずれた答え。まぁ、失礼なのはお互い様ということにして、私は素直に謝った。

「そう? それは失礼。可愛い顔をしていたのでね」

「かわいいだなんて、そんな……。お、男の子に言ったらだめなんだぞ!」

「そりゃすまない。ごめんね」

「い、良いけどさ」

 先程の見事な毒舌に比べ、やたらつっかえるのが少々気になりはしたが、まぁ大人を目にしたら、大抵の子どもはこんなもんかと思い直す。……なんだか、さっきから色々と話が脱線して進みやしない。今度こそと、私はもう一度、丁寧に聞き直した。

「ではおぼっちゃん。私めに一体何の御用でございましょうか」

 すると、以外にもあっさりと、自称少年はこう答えてくれた。

「パパにお弁当を届けに来たんだ」

「そりゃご苦労様」

「でね、その帰りに通りかかったら、ここから良い匂いがしたんだ」

「ああー」

 成程。それなら納得だ。周囲を見渡すと、そこには所狭しと並べられたお菓子の山。それに、先程まで作っていた家の残り香――チョコレートの薫り、アメの焦げた匂い、クッキーの焼けた香り、などなど。これだけ甘ーい香りが漂ってくれば、そりゃあ子どもなら食いつかないはずがない。ふむ、芳香で釣るのもありだな、と浮かんだ新しいアイディアを心の中でメモする。

 少年は部屋の中をなめまわすように一周してから、お菓子の家の前で立ち止まった。

「見てもいい?」

「どーぞ。ただし、触るのと食べるのは禁止ね」

「はーい」

 今時の子には珍しく、きちんと言いつけを守り、自らの体を動かして、文字通り三百六十度、家を観察する。……何故かその様が、昔大学で指導教官に受けた進度調査に似ていて、ほんの少しどきどきした。

 気が済んだのか家から離れると、彼はぽつりとこう呟いた。

「……すごいね」

「お褒めにあずかり、光栄です」

 査定をされていた気分だったので、私の口調も自然と硬いものになる。なんでかなぁと苦笑しつつ、少年の次なる一言を待った。褒められた後に苦言を呈されるのが、一般的だったからかもしれない。

「しっかし……」

 だが、そこはやはりただの、見た目通りのお子様だったようで、

「お菓子の家、箒、杖……。おばちゃん魔女なの?」

ぶつけられたのは、こんな可愛らしい疑問だった。

「おねーさん(・・・・・)は、まぁそう呼ばれていなくもないね」

 だからこう答えたのも、少年の夢を壊さない為である。まぁ、この程度なら嘘には当たらないだろう。

「ふーん。魔法とか使えるの?」

「昔は、皆をあっと言わせられたんだけどねぇ。今じゃさっぱりだね」

「そーなんだ」

「そーなのだよ」

 何故だろう。質問内容は可愛らしいのに、妙に現実的というか、物分かりが良いのは。不思議な少年だなぁ。そういえば誰の子かなぁ。こんな小さいお子さんいたかなぁ、などという余計な詮索は、次の彼の言葉によってかき消された。

「ねぇ」

「うん?」

「ぼくが手伝ってあげるよ」

「へ?」

 少年は意味ありげに、にこりと笑った。


「ドーイウコトデゴザイマショウカ」

「なんで片言なのさ」

「だって、ねぇ」

 社員の誰かの子どもとはいえ、職務内容を部外者に知られるわけにはいかない。そもそも、何故通りがかりの、しかもまだ小学生であろう少年に助けられなければならないのか。さっぱり意味が分からなかった。

「え、おばちゃん、困ってたんじゃないの?」

「何故分かった」

「そりゃあ、自称若いおねーさんが髪振り乱して目血走らせてたら、ねぇ」

 ……あとで鏡をチェックするのが恐ろしくなった。それはともかく、こんな幼い少年にも心配されてしまうほど、私は追い込まれているように見えるらしい。押してダメなら引いてみろ。仕方なく、私は差しさわりの無い範疇で少年に話をすることにした。

「かくかくしかじか、これこれうまうまなのだよ」

「おねーさん、説明端折るの下手だね」

「キニシナイキニシナイ」

「えーっと、おばちゃんが次に何をしたらいいか、だっけ?」

「そうそう」

「そりゃ簡単だよ」

「ほう」

 仮にも社会人七年目。ある程度仕事のノウハウも身に染みている自分でも、なかなか答えが出なかったのに。少年は、まるでそれが当たり前の事であるように言ってのけた。

「お化け屋敷で一番大切なものって分かる?」

「コンセプト?」

「それはしっかりしてるじゃない」

「そりゃどうも」

「キャストだよ」

「ん?」

「お化けってこと」

「……ああー」

 情けない話だが、場を考えることで頭がいっぱいで、そこまで考えが至っていなかった。子どもとはいえ、第三者の冷静な視点というのはとても大切であることを学ぶ。

「誰かに頼むの?」

「……イヤー、ドウカナー」

 知ってか知らずか、この少年、痛いところをついてくる。そう、なんといっても、うちにはお金がない。いいとこ、バイトが雇えるかどうかだろう。

「じゃあ、おばちゃんが演技指導をしなきゃいけないんだよね」

「ソーナリマスネ」

「いや、待てよ……」

 そういえば、前にお化け屋敷の企画が出た時、率先して指揮を執ってくださった先輩がいたのを思い出したのだ。彼にコンタクトを取れば、あるいは……。

「どうしたの?」

 これでこの少年に頼らなくても問題ない。そう思ったのだが、ふと去年のこと、彼が定年を迎え、盛大なパーティーを行ったことも、芋づる式に思い出してしまった。そうだった。昨年退官されたのだった。

「いや、なんでもない。頼みの綱がなくなっただけ」

「そうかー。じゃあ、がんばろうか」

「え?」

「お・ば・け」

 もう、従うしかなかった。


 それからは、すぐさま特訓だった。地獄の、鬼の特訓だった。

「はい、じゃ始めて」

「お嬢さん、よく来たね。へっへっへ」

「違う!」

「おーじょーおーちゃん」

「もっと怖く!」

「ひいい」

 台詞回しや仕草、細かいところを徹底的に、言っては直され、動いてはダメ出しされた。

「じゃ、今日はここまで」

 午後八時を回ったところで、レッスンは終了した。

「あ、あざーっしたー……」

 小学生が出歩いていいぎりぎり、と言ったところか。まぁ、最近の子は塾や習い事で、もっと遅いのかもしれないけれど。自分が外出していても問題のない時間を、きちんとわきまえている。

「明日、また来るからね」

 じゃあね、おばちゃん。そう言って、小さな悪魔は帰って行った。

――何者なんだ、あの子。

 私のその疑念は、綿菓子のように、どんどん膨らむばかりだった。


 その翌日。

「おーばーちゃん」

 また子どもがやってきた。昨日は赤だったが、今日は青いコートだ。最近の子はお洒落にも気を使うのだろうか。

 けれども、何か違和感を覚え、

「君、昨日の子だよね」

念の為問いかける。

「そーだよ。もう忘れちゃったの、おばちゃん」

「いや、なんか雰囲気が」

「そーやって時間かせぎしようとしたって無駄だよ」

 何か妙だと思ったのは本当なのだが、彼には夏休みの宿題を忘れた小学生のような言い訳に聞こえてしまったようだ。

「さぁ、今日も特訓だ」

「……ういっす」

――どうしてかな。まだ十歳くらいの少年の手に、しなる鞭が、見えたんだ。


 少年が来てから四日目、つまり、プレゼンまであと一日。

「おばちゃーん」

 この日はいつもより大分早く、まだ昼前にもなっていない頃に、彼はやってきた。この失礼な物言いにも、なんだか慣れた自分がいた。

「ほいほい。ちょっと待ってね」

 少年が来るまでには終わらせようと思ったのだが、まぁ早く来たなら仕方ない。レッスンが終わってからまた取り掛かるとして、片付けに入る。

「何やってるの?」

 ひょこっと彼はパソコンの画面を覗き、そして何故か固まった。

「え、もしかして、設計図?」

「そうだよー」

 作っていたのは、お化け屋敷の設計図だった。プレゼン前にある程度の形は出しておかないと、勝手に決められてしまうのは骨身に沁みて分かっていたからだ。

「え、なんで。こんな本格的な」

「ああ、私、工学部出身だから。書けて当然」

「まじで!?」

 どうやら、驚くポイントはそこだったらしい。成程、普通はこんな可愛い女の子が、CADなんて使えると思わないもんね。

「人は見かけによらないのよん」

 実は部屋の模様替えとかする時も、こーいうの使ってやったりするんだよ、と得意げに教えたら、なるほど、だから彼氏いないんだねと言われた。

ぽかっと、殴っておいた。そりゃ、確かにいないけど。


「ねぇ」

「なに?」

 頭をさすりながら、彼は若干涙目になって応じる。罪悪感はあったが、でもこれだけはどうしても聞いておかなければならなかった。

「学校とか行かなくていいの?」

「おばちゃん」

 可哀相なものを見る目で、彼はこう尋ねてきた。

「今日、何曜日?」

「……こいつはうっかり」

 カレンダーの数字は、彼のコートの色と同じ青に彩られていた。そりゃあ、小学生でも朝から来られるはずだ。


「今日はストーリー性についてだよ」

 本日は講義から始まるようだった。ホワイトボードをひっぱりだし、きゅきゅ、っと可愛らしい字を並べていく。

 書かれた文字は、“かみしばい”。

「そもそも、ヘンゼルとグレーテルとはどんなお話だったか。それをまとめてみよう」

「おー」

 ついうっかり素直に従いそうになってしまったものの、

「って、なんで?」

流石に意味が分からなかった。

「物語からヒントがあるかもしれないだろ?」

「ああ」

 私だって、考えをまとめる時は紙に書いているじゃないか。的外れではないと思い直し、さっそく作業に取り掛かる。

が、存外これが難しい。子どもの頃のぼんやりとした記憶だから、細部が思い出せないのだ。ただ話をするんだったらそれでも良いかもしれないが、紙芝居は絵があってこそである。そして絵には、きちんと物語のイメージを伝えるために、背景が必要だ。言葉にすれば“薄暗い森”の一言であるが、絵にすると、それが針葉樹なのか、広葉樹なのか、草本の程度はどのくらいなのか。そんな細かいことを気にしなければならない。しかも、ネットで検索したり、絵本を読み返してはダメだという。

「お客さんの立場になって考えるには、これが一番だよ」

 知った風な口を利く少年だが、しかし確かに、自分が覚えていないことを他人に押し付けても、分かってもらえないのは確かだった。

 必死に絞り出していると、ふと、過去の光景がフラッシュバックした。

「……思い出した」

それは、今までずっと霞がかかったようにぼんやりとしていた、七年前のこと。私が最初に担当した、企画の事だ。白雪姫をモチーフにした、客参加型のアトラクション。確かその時はそういうお姫様シリーズが流行っていて、それに便乗したんだった。けれども、実際にお客様自身が白雪姫になって物語を再現するというのは、なかなかにうけた。何せキャストが自分達なのだから。こちらが設けたポイントをすべて満たし、見事ハッピーエンドに導ければ、粗品として金のリンゴのアクセサリーがもらえるのだ。だが、その景品ではなく、あくまでも企画自体の目新しさが評判を呼んだのだと、私は確信している。あの時はカップルや親子連れが、長い長い列を作ったものだった……。


「へぇ。そんなことがあったんだ」

 手を動かしつつ、懐かしい昔話で場を繋ぐ。すると、痛いところを突かれた。

「そもそもおばちゃん。どうして、おばちゃんはこの会社に入ろうと思ったの?」

「ん? そこ聞いちゃう?」

「聞いちゃう」

 一番話したくないことだったが、致し方ない。ここまでお世話になっている子に、話さないというのも水臭いだろう。

「あのね、私は、この遊園地の改築をしたかったの。建物を、新しくしたかったの」

「うん?」

「綺麗で安全な遊園地にしたら、きっと前よりもずっとお客さんが来る。そう思ったんだ」

 面接の時、確かに私はそう懇願した。この遊園地を建て直したい。もっと人が来て、家族や恋人たちの憩いの場にしたい、と。幼い頃、家族と毎週のように来た思い出の場所が廃れていくのを、私は見ていられなかった。

「ところが。うちの上の方は、“たてなおす”という言葉だけ聞いていてね」

「あ」

「私は企画部に配属されたのでした」

 潰れかけすれすれの遊園地を運営する会社に、“たてなおしたい”と熱意を持った学生が現れたとする。そうすれば、社員の方は“立て直してくれる”のだと思っても、思い込んでしまっても、それは責められることではないだろう。

「それは、なんというか」

 こういうところで気を使うところが、可愛くないところだ。言葉に悩むくらいなら、と私は片手で言葉を制した。こんなお子様に心を痛められるほど、私はもう凹んではいない。

「まぁ入ってみて、全体を建て直してる余裕は無いってのは分かったからさ」

 というか、イベント一つ行うのも厳しい状況である。私は、結局自分の思いを正確に伝えられないまま、もやもやを抱えながら仕事をしているのだ。

「でもね、一つの企画展でも、ただのプレハブでも、それでも、一つの物を作るって、やっぱり面白いよ」

 自分が夢に描いていたことが出来なかったことは、紛れもない事実だ。でも、大人は子どもに夢を与えるもの。だから、こう締めくくった。

「これだから、辞められないんだな」

 望まない仕事をしている人なんか、世の中にたくさんいる。だから自分が特別だなんて、これっぽっちも思っていない。そんな中でも、やりがいのある事が出来ているのだから、私はまだ幸せな方だろう。この気持ちに、嘘はなかった。

「そっか……」

 少年は目を細め、納得してくれたようだった。


「これにて、全ての授業は終了です」

「ありがとう。がんばるよ」

「どういたしまして」

 最期に握手をして、彼とは別れた。そういえば、一度も名前を聞かなかった。一体、何者だったのだろう。

「……まさか、企画の妖精?」

 近年、違う部署ではあるのだが、成功した企画には必ず、その準備の段階で妖精が現れる、というのがもっぱらの噂になっている。なんでも、手厳しく指導を入れ、アイディアを形にするのを手伝ってくれるのだとか。

「流石に、ありえないか」

企画の成功者は若い社員が多い。大方、先輩社員に対する謙遜だろう。自分の発言に苦笑して、私は仕事に戻ることにした。


 設計図も出来上がり、試料もそろった。一度寝ようかとも思ったが、時すでに遅し。月曜の朝を迎えていた。

「……というような感じで、いかがでしょうか」

 頭は重いが、なんとかプレゼンを終えると、

「まさか本当に一週間でまとめ上げてくるとはねぇ」

「俺達も万が一のために、ちょっと考えてたのになぁ」

「完敗だなぁ」

称賛と共に、負け惜しみが聞こえた。ふう。どうにかやりきれたようだ。そこへ、

「ちなみに、どんな企画かね」

落ち着いた低い声が響いた。

『社長!』

 ……御大、自ら登場である。

「いいから、続けて続けて」

『で、では失礼して……』

「レッド」

「ブルー」

「イエロー」

「グリーン」

「ピンク」

『我ら、景気戦隊、エンダカジャー!』

 その時、ただでさえだだっ広い会議室に、一陣の冷たい風がひゅるりと吹き抜けたのは、もはや言うまでもない。と同時に、自分のプレゼンの時にはいらっしゃらなくて本当に良かったと、心底思った。

「……で、魔女君の企画だけれども」

『流された!』

「ひどいよ、中年のおじさんはがんばったのに」

「戦隊ヒーローは、我ら中高年の夢じゃないか」

 尚もぶちぶち愚痴るおっさ……、失礼、中年男性ズを、再び放置する。

「そこんところは置いといて」

「良い出来だよねぇ」

「流石魔女さん。腕は健在だね」

「昔の童話シリーズ思い出すよなぁ」

「童話シリーズ?」

「ああ、言ってなかったっけ?」

「君の企画、そう呼ばれてたんですよ」

「てっきり知ってるものだと思ったのに」

「はぁ」

 まさか、あだ名の他にも、名前が付いたものがあったとは。どれだけこの会社は低迷していたのだろう。

――って、それを早く言ってくれていればもっと早くに提案ができたのでは!?

「……まぁいっか」

「ん、何か言ったかね」

「い、いえ。なんでも」

 過ぎた事は仕方ない。今回、またこれだけの物が作れたことを、今は素直に喜ぼう。

「では、今年はこの“お菓子屋敷”ということで」

『異議なし』

 ぱちぱちとまばらな、それでいて温かい拍手に包まれて、今回の会議は幕を閉じた。


 部屋を出ると、

「おばちゃん」

例の少年達に声を掛けられた。

「え、なんでここに」

 レッスンは終わったのに、何故こんなところにいるのか。そう問い質そうすると、

「おお、魔女くん。なんだ、知り合いだったのか」

「社長!?」

次は社長まで現れた。私にしか見えない企画の妖精説を真面目に信じ始めていたので、そもそも実在していたことにまず驚く。加えて、彼らは社長の元へ駆け寄り、頭を撫でられている。ということは……。

「も、もしかして」

「ああ、そうだよ。私の自慢の子どもたちだ」

「です」

「です」

『よろしくね、おばちゃん』

「こら。お姉さんだろう」

『はーい』

 ……この時、私は社長にようやくお子さんが生まれた、という一大ニュースを思い出すことが出来た。

「すまんね。礼儀知らずで。ちょっと甘やかせすぎたかな」

「ふふふ」

 そうですね、そうかもしれません。そう言いたかったのを、曖昧な笑みと共にぐっとこらえる。

「社長」

「うむ。では、今日は素晴らしかったよ魔女くん」

「ありがとうございます」

 どうやら電話がかかってきたらしく、社長は私達に背を向けて、秘書と何やらごにょごにょと話し始めた。

 取り残されたのは、この悪戯っ子と、私の三人。

「えーっと、つかぬことをお伺いいたしまするが」

『なぁに?』

「社長のご子息と、ご息女であらせられますか……!?」

『いかにも』

「大変失礼いたしました」

『あはははは』

「べつに」

「気にしてないよ」

「ぼくたちも楽しかったし」

「いつも通りのしゃべり方でいいよ、おばちゃん」

「そう?」

 はぁ、良かった。ほっと胸をなで下ろす。社長の子どもだと知っていれば、何もあんなぞんざいな扱いはしなかったのに。それにしても、よく分からんお子様たちだ。

「君たちが双子だ、ってとこまでは分かったんだけどねぇ」

 何がしたかったのさ、続けてそう聞こうと思ったのに、ふと呟いたこちらの方に、彼らの意識が向いてしまった。

『え』

「どーして」

「だって、突然二人一緒に登場しても、驚いてないでしょう?」

「それは」

「そーだけど」

「でも」

「ぼくたちはカンペキだったでしょ?」

 それはまぁ確かに。でも、私には確固たる確信があったのだ。だって。

「だって、お菓子の家には兄妹がつきものでしょ?」

 唖然としている彼らに向かって、私はこう付け足した。

「それに、お嬢ちゃんのがかわいい顔してる。おぼっちゃんは格好いいしね」

『……ありがとう』

「ほれ、お前たち」

『はーい』

「じゃあ、またね。おねーさん」

 最後だけ良い子ぶりやがって。でもあどけない笑みにつられて、私も笑顔で手を振りかえした。

 ……結局、あの子たちの目的は分からず終い。それでも。

「ありがとね」

 企画の妖精達の後ろ姿に、私は深々と頭を下げた。


 一方、帰りの車にて。二人の小さなスパイと、一人の黒幕は、ふかふかの座席に腰かけ、黒い笑みを浮かべていた。

「彼女は、どうだったかね?」

「いいんじゃないかな」

「僕らが三十路になる頃には、アラフィフになっちゃうけどね」

「他のおじさん達よりましじゃない?」

「手厳しいな」

「しっかし」

『……流石魔女、あなどれないね』

 黒幕は微笑み、少年少女は頬を膨らます。一見微笑ましく、それでいて黒い雰囲気を携え、車は静かに走り去った。


 こうして、お化け屋敷“お菓子屋敷”は大盛況を迎え、なんとホワイトデーを通り越し、春休みが終わるまで続行されることになった。

 そうそう、赤と青の企画の妖精の噂は、まだまだまだまだ、広まり続けているとか、いないとか。


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