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tomme Lise

今回のモチーフは“親指姫”。

それを現代で再現したらどうなるかというお話です。

肩の力を抜いてお楽しみください。

「ふっふっふ……」

 高校二年生の春休み。少女は、素敵な薬を手に入れた。栄養剤のような透明な小瓶に入った、薄桃色の液体。いかにも夢を与えてくれそうな、まさに魔法の薬物である。

「これで、あたしの事をタワーだのでか物だの言った奴を、見返してやる……」

 薬の名前は、“タイニープリンセス”。これを、用法要領を守って正しく飲めば、誰でも童話の親指姫のように小さくなれるという。中学三年生の時点ですでに百七十センチメートルを超えていた彼女としては、願ってもない話だ。

 そう、身長。それこそが少女の最大にして、文字通り最高のコンプレックスであり、全てのトラウマの元凶だった。今では百八十センチを超えてしまう、この巨体としか言いようが無い大きさ。並の男子には負けた事が無い。というよりは、日本人男性が全体的に低すぎるのだと彼女は真剣に思っていた(前に調べた事があるのだが、日本人男性の平均身長は百七十二センチほどらしい。そりゃあ、少女の方が高いはずである)。おかげで彼女は、常にからかわれていた。

――小さくさえなれば。もっと自分が小さければ。

 なんだかんだ言っても、少女は街を歩けばアイドル事務所からスカウトが来る程の美貌を持っている。目鼻立ちはくっきりとして整った顔立ちをしており、伸ばし続けている黒髪は手入れを欠かした事は無い。しかし、バカに高い身長がそれを阻む。モデル等になってしまえばまた違うのだろうが、生憎と彼女の家の教育方針により、高校を卒業するまでは真っ当に生活しなければならない。それに、仮に芸能人になったからといって、日常生活が劇的に変わる訳では無いのだ。だから。

「あたしはちっちゃくて可愛い女の子になるのだ……」

 他の友達には皆、彼氏がいる。それも彼女を苛立たせ、焦らせる原因だった。好きな人が出来て勇気を振り絞って告白しても、俺より大きいのはちょっと、と断られてしまう。それが常だった。守ってあげたくなるような女の子が可愛い、付き合いたいという世の中の風潮もそれを助長させている。細っこくって風に吹かれて飛ばされそうな、そんなか弱いチワワみたいな子。中高バレー部に所属し、エースとして活躍していた少女には縁遠い話だ。だが、身長さえ縮めば、そんな男達の見る目も変わるかもしれない。

「もしかしたら、こんな人とも付き会えるように……。きゃー!」

 壁に貼ってある大好きなアイドルのポスターを見て、想像が膨らむ。まぁ、こんなのは夢のまた夢であるが、少なくとも大きすぎるからという理由で敬遠される事は無くなるはずだ。

「ま、アリスのワンダーランドじゃないんだから、本当にそんなサイズになる訳はないだろうけど」

 何も、親指姫のように小さくなる必要はない。ただ、ほんの少し小さくなれば。彼女の願いは切実だった。

――ほんの二十センチ、いや、十センチメートルでも良い。夢の百五十センチ代。小学生のうちに駆け抜けてしまった百六十センチ。目指せ、女子の平均身長。

「いざっ」

 腰に手を当てて、男らしくぐびぐびと飲み始める。でも、この時彼女は知らなかった。この薬は、本物である事を。

「って、ええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 ぷはぁ、と飲み干すといきなりがくんと、周りの家具が大きくなった。そしてやけに地面が近くなる。絨毯の目まで、良く見える程に。

――ああ、綿埃……。掃除しなきゃ、じゃなくて。

「ち、小さくなっちゃった……」

 その効果を期待して購入し、そして飲み干したものの、まさか本当に小さくなるとは。

「……弱った。困った。うーむ」

 ここで気になって、小瓶をよくよく見つめてみた。自身が小さくなっているので、小さな瓶も大きな建造物。文字もくっきりはっきりよく読める。面倒で、売り場のうたい文句だけを見て買ってきた少女は、ここで青ざめる事になる。

「“適量はキャップ一杯分です”。え」

 加えて、“効果の持続時間は一日ですが、続けて飲んだり、一回の量を誤ったりすると元に戻れなくなる事もありますので注意して下さい”。そう書かれていた。

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

 小瓶とキャップの大きさから見て、十回分以上である事は、数学が苦手な彼女でも分かった。という事は、注意書きによる所の“一回の量を誤った”訳である。

「どうしよう……」

――このまま元に戻れなくなっちゃったら、あたしどうなるの……?

 親にはなんて言おうか。その前に、探しに来た彼らにつぶされてしまうのではないか。様々な不安が、頭の中を駆け巡る。

「どうしたら良いのよ……」

 普通ならば、製薬会社に連絡して何とかしてもらうのだろうが、この姿では電話をかける事もままならない。


 少女が困り果て、頭を抱えていると、何やら上の方から音がした。

「あら、ご主人も小さくなったら可愛いものね」

「え……」

 この部屋には誰もいないはず。彼女は警戒心を顕わにする。

「いいえ。可愛さが増したと言うべきね。だって元々可愛らしいもの」

 しかし、よくよく耳を澄ますと、それは聞き覚えのある声だった。

「まさか……」

「わ・た・し・よ。ケロよ、ご主人」

 声の主は少女の予想通り、ペットのカエルであった。ホームセンターで安く売っていたのを、何となく買ってしまったらしい。元々、世間一般に気持ち悪いとされていたり、煙たがられているものには愛着がわいてしまう性格のようだ。いや違う。今問い質すべきはそこではない。

「あんた、ニューハーフだったのか……」

 声は兎も角、喋り方や仕草は、少なくとも男性のそれではなかった。

――なんかくねくねしてると思ったら、そういう事だったんかい!

 今までのケロの動きが妙に腑に落ちてしまって、何故カエルが喋っているのかという一番の不思議現象を彼女は尋ね忘れてしまった。

 そんな訳で、奇妙な程に息の合った会話は続く。

「そうよ~。両生類だけにね」

「いや、その理屈で言うと全てのカエルやらイモリやらサンショウウオがカマになる!」

 そんな両生類は嫌だ、とネタにすら出来そうなボケである。いや、むしろネタにしなければ気持ち悪さが増してしまう。

「もう。冗談よう」

 だが、当の本人はその真実に気が付いていないようだ。ぷくう、と頬を膨らませても、声は酒やけのおっさんみたいなガラガラ声だから、全然可愛くないというのに。

「そ・れ・よ・り」

 先程と変わらぬ、甘えたような口調でお伺いを立てる。

「ねぇ、ご主人。良い男が欲しいんでしょう?」

「え、ああ、まぁ」

 何で知っているんだと言いたくなったようだが、ペットとしてずっとこの部屋にいれば知っていて当然だった。何せ、彼女は毎晩のようにケロを相手に愚痴っていたのだから。

 それをずっと聞いていたからか、上目遣いで、彼は甘く囁く。

「私、すっごいイケメン知ってるんだけど」

「何だって」

 その言葉を聞いた途端に、少女はばっと立ち上がり、彼のケージまでよじ登る。対面するとより気持ち悪さと生臭さを体感する事が出来たが、そんな事を言っている場合ではない。

「今、何て言った」

「だーかーら、イケメンを紹介してあげよっか、って言ってるの」

 更に顔を近づけて、誘う。

「会わせてあげよっか?」

「頼む」

 間髪入れず、二つ返事で答えていた。

「じゃあ、少しの間、我慢しててね」

「え?」

 すると、ケロの下がにゅっと伸びて後ろ側に回った。そして間もなく、そのまま頭を揺さぶるような衝撃が走る。どうやら、首に突きを喰らったらしい。

「ごめんね、ご主人」

 薄れゆく意識の中で、彼女は懲りずにぼんやりと思った。

――すっごいイケメン。どんな男なんだろう。


 目が覚めると、少女は別の空間にいた。生臭いし、獣臭い。けれども、どこかで見た事あるような、そんな場所だった。

「ここは……」

 体を起こそうとして手をついたら、地面だと思っていた所がやけにぬるっとしていた。よく見るとそれは緑色をしていて、手で押すとぴちゃぴちゃと音がする。

――ぴちゃぴちゃ?

 驚いて立ち上がると、周りは絨毯でもフローリングでも土でもコンクリートでもなく、水だった。

「って、ええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

「あら、起きちゃったの?」

 勿論、ここまで連れ去ってきた張本人は近くにいたが、同じ水槽の中とはいえ、彼女のいる島のような所と、ケロのいる岩の上とは水で隔たっていた。

「なんで、ここ、どこ」

 状況が全く飲み込めない少女は、単語だけを並べて尋ねる。

「ホームセンターよ。決まってるじゃない。私と貴女が出会った場所」

「なんで、そんな所に」

 確かに、彼女が乗っていたのは浮草の上であったし、ハムスターやカメやらもいるので間違いはないだろう。道理で見覚えがあるはずだ。でも、何故ここなのかが分からない。

「だーかーらー、イケメンに会わせてあげるって、約束したでしょう?」

「ま、まさか……」

 頬を冷たい汗が伝う。嫌な予感がした。

「じゃじゃーん。うちの息子でぇーす」

「息子!?」

 背中に何か隠していると思ったら、後ろから現れたのはケロよりも少し色が薄く、一周り小さくなった、しかし気持ち悪さは数倍増したカエルだった。ケロはまだ愛嬌があるが、息子の方には可愛さの欠片も無い。

「ゲコー」

 だみ声で鳴くのもまた、おっさん臭さを強調している。

「ごめんなさいね。まだこの子喋れないのよ。何十番目の子どもだったかしら……」

 しかも、これでまだ子どもだというのだから、救いようが無い。オタマジャクシの方がまだましだったかもしれない。

「やーね、あなた。百番は超えてるわよ」

「ははは、そうだったかもねぇ」

「って、奥さん!?」

 息子の次は奥さんのご登場だ。確かに、ケロよりも可愛らしい感じは醸し出している。が、カエルはカエル。見慣れ過ぎておかしくなりそうだが、カエルはカエルである。そこの所を肝に銘じておかないと、何か大切なものを失う気がした。

「花弁じゃなくて悪いけど、勘弁してね」

「嗚呼、だから水草……」

 童話の親指姫は、花弁のベッドに横たわっている。奥方はそれを知っていたのだろう。けれども、ここにはオオカナダモやボタンウキクサ等の水草しかなかった、という訳らしい。

 だが、重要なのはそこではない。

「お前、私が泳げない事を知っての狼藉か……?」

 彼女、運動神経は良い方なのだが、いかんせん泳げないのだ。どうも長すぎる手足が邪魔をするらしく、上手く水をかけないようで、ケロはそれも知っている。

「あらいやだ。人聞きが悪いわね」

「貴女に安全な場所にいてもらいたいだけよ」

「下手に怪我しないでしょう?」

 確かに、ここが牢屋だったら無理にでもぶち破ろうとするだろうし、そういう意味では一番上手い方法である。

「……やっぱり、監禁されているのね、あたし」

 そんな気はした。最初に連れて来られ、島流しにされていると分かった時から、そんな気はしていたのだが。

――最悪だ……。

 けれども、予感がした事とそれを受け入れられるかどうかは、また別の問題である。

「もうすぐ息子ももらわれていくから、その際に一緒に行ってもらうわ」

「なんで!」

「そりゃあ……」

「俺達夫婦が別れて暮らす事になったからだよ……」

「あ」

――そうだった……。彼らを引き裂いたのはあたしか。

 事情を知らなかったから仕方が無かったと言えばそれまでだが、夫婦の寂しそうな横顔を見て、少女は少し悪い事をしたと、柄にもなく後悔した。

「その所為で、いつの間にか旦那がオカマに……ううっ」

「すまない。そうでもしないと、お前への愛を保っていられなかったんだ」

 彼らはそう言いながら、抱き合って泣いている。そんなドラマの名場面のような光景に涙もろくもある彼女はもらい泣きしそうになったが、しかし、どうしても解せなくてつっこんだ。

「って感動的なシーンの所悪いけど、それにあたし関係なくない!?」

「外の世界には、ご主人のような可愛い女の子が沢山いたからね」

 彼女を褒める事で誤魔化そうとしても、彼の罪は消えるものではない。

「この人、ウサギやら金魚にだって手を出そうとしたのよね……」

 妻というものがありながら、それでも尚、見境なく誰にでもちょっかいをかけようとする。しかも、種族は関係無いときたものだ。それは、所謂。

「奥さん、それって……」

「そうね。貴女は悪くないわ」

 故意に合わせようとした訳でもないのに、ぴたりと声がハーモニーを奏でた。

『こいつの浮気癖が悪い』

 初めて、奥さんと意見が一致した瞬間である。

「でもまぁ、貴女が可愛過ぎたのも原因だと思って、ね?」

 それでも、文句を言いつつすかさずフォローを入れる姿に、若干胸を打たれた。

「あんた、よう出来た嫁さんやなぁ……」

「そりゃどうも」

「ごっほん」

 状況が悪くなったからか、ケロは咳払いをして話を元に戻した。

「兎に角、ご主人には悪いけど、ご主人の可愛さは私が一番よく知ってるもんでね。うちの息子の嫁になってもらうよ」

「あら、妬いちゃうわね」

「何を言う。世界で一番美しいのはお前だよ。ハニー」

「あらやーだ。ダーリン」

「この馬鹿夫婦が……」

 この後、再三抗議したものの、彼らは久しぶりの再会を喜び始めてしまったので、耳に入れてすらくれなかった。


「どうしよう……」

 その頃、別の水槽では、熱帯魚達が騒ぎ出していた。

「なんだ、どうしたんだよ」

「ああ、なんか見かけない女の子がいるんだ」

「女の子? それどれ」

「あら可愛い」

「あの子があのカエルと……。流石に可哀相だな」

「よし、助けてあげよう」

 彼らは小さいので、少女に届くようにと一斉に呼びかける。

『お嬢さーん』

「あら」

 その甲斐あってか、一度で彼女は呼び声に気付いた。

「メダカさん?」

「いえ、ネオンテトラです……」

 だが、残念な事に名前を間違えられてしまった。彼女は水草には詳しいのだが、魚にはうといようである。大きさ的には確かに同じぐらいだが、普通は色が全く違うので間違えないと思うのだけれども。

 ちょっとだけ凹んだが、大した事では無いのでネオンテトラ達は続ける。

「それは兎も角。こちらの水槽に来られますか?」

「貴女を逃がしてあげましょう」

「でもあたし、泳げなくて……」

「仕方が無いのう」

『長老!』

 長老というのは、このホームセンターの動物達の中で一番長生きをしているカメだった。このカメも、カエル達と同じ水槽に入れられていたのである。

「ほれ嬢、乗せてやる」

 状況を見かねたのか、はたまた彼女の可愛さに見入られた口の一匹かは分からないが、これで少女はようやく抜け出す事が出来る。

「ありがとう!」

 カエル達が再会を喜んでいる間に、少女はカメに乗ってそっと浮草の島から脱出し、別の水槽へと移動した。


「此方の水槽にいれば、少しは時間が稼げるでしょう」

「ネオンテトラさん達も、ありがとう」

『なんのこれしき』

 だがここで更なる困難が、彼女を待ち受けていたのである。

「何このお人形さん。かわいいー」

 なんと、水槽の位置が低かった為か、年端もいかないような幼女に見つかってしまったのである。このくらいの年の子どもというのは、興味を持った物への絡み方が尋常ではない。その恐ろしさは、普段経験している彼らが一番良く知っていた。

――あれに捕まったらやばい!

 長老の判断は早かった。

「インコ!」

「おうよ!」

 ちょうど、お客さんに見せる為に籠の外に出ていたインコが、少女をひょいと嘴でつまみ上げる。

「助かった……」

 目先の恐怖から脱出し、背中に乗って一息ついてしまったからだろうか。羽をつかみ損ね、つるりと滑り落ちてしまった。

「あ」

 落ちた先は、清掃中の水槽。

「お嬢さんすまねえ! 無事かい?」

「な、なんとか」

 そこにも浮草が浮いていたので、しがみつく事でその場はしのいだが、長くは持たないだろう。

「今助け」

「捕まえた。何逃げ出してるんだ、全く」

 しかし当然の事ながら、インコは店員に捕まってしまい、檻の中へと戻されてしまった。

「誰か助けて、溺れる」

「嬢! 今行ぐぎっ」

『長老!』

 頼りのカメは腰をやられてしまったようで、動けない。

「ねぇ、誰か」

『そんな事言われましても』

 素直な彼らは、口々に言い訳をし始める。

「逃げ出したと思われて、そいつみたいに捕まるの嫌だし」

「前に脱走した時、二日間飯抜きだったもんなぁ」

「あれはきつかったなぁ」

「それにあんた、思ったより可愛くないし」

「ぐさっ」

 酷い物言いに心が折れかけるが、赤の他人に対してはそんなものだと諦める。

「け、ケロ!」

こうなってしまえば、頼みの綱は自分をここまで連れてきた愛蛙しかいない。

「そう、か? 可愛いと思うんだけどなぁ」

 ところが当の本人は、自分が可愛いと思っていたものをことごとく否定され、疑心暗鬼になってしまった。

「いや、助けよう。悩む前に助けよう」

「でも、あたしより可愛くないんでしょう?」

「そうなんだよなぁ」

 奥方も自信が無くなったのか、夫婦で惚気ながら悩み続ける。

「だからね、まずは助けてから」

ズゴゴゴゴゴゴ。

 すると、何やら後ろの方で恐ろしい音がした。振り返ると、中心に向かう激しい水の流れが出来ている。

「……嫌ーな予感」

 渦はどんどん大きくなり、少女の体を攫っていく。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 あっという間に、彼女は排水溝の中へと、飲み込まれていった。


「た、助かった……」

 意識を失わないように気を付けながら、しかし水をかいて逆らう事が出来ないので身を委ねていると、どうやら下水道にまで流れついたようだ。

「寒い……。冷たい……」

 しかし、やっと足をつく事が出来たからと言って、劣悪な環境である事には変わりない。水の中でないというだけで、コンクリートで覆われたそこには、暖房はおろか灯りすら無いのだから。むしろ、先程よりも悪化したと言えるだろう。

 それでも諦めずにしばらく歩くと、天の恵みか灯りが見えた。その下には、ドアのような物まであるではないか。

 すがるような思いで、少女はドアを叩く。

「はいはい、どなたかえ?」

 とりあえず暖を取る手段か、それとも着る物か。しかし、お腹は正直だった。ぐう、と一番の急務を主張する。

「た、食べ物を……。食べ物を、分けてはいただけませんか……」

 小さくなってからというもの、彼女は何も口にしていなかったのだ。お腹が空いて当然だろう。

「おやお嬢さん。まぁまぁずぶ濡れで……。とりあえずお入り。大したものは無いけど、タオルぐらいあるよ」

 住人は、ネズミのお婆さんだった。お婆さんは少女を家に招き入れると、ぼろきれで服をこしらえ、今まで着ていた服は乾かしてくれた。そして、温かいスープをふるまってくれたのである。材料を聞いたら食べられなくなるかもしれないと思い、あえて聞かなかったが、冷え切った体にはとても美味しく感じられた。

 そしてのんびりと、彼女は自分の身に起こった事を話し始める。突拍子も無い事で信じてもらえないかとも思ったが、存外すんなりと、お婆さんは聞き入れてくれた。それだけで、今まで散々な目にあってきた少女は安堵する。さらに、事情を全て聞き終えると、お婆さんは素敵な提案をしてくれた。

「ちょうど働き手が欲しかったんだよ。掃除洗濯してくれるなら、しばらく置いといてあげるよ」

「本当?」

 彼女はせめて女の子らしくあろうと、家庭科の成績は優秀だった。家事ならお茶の子さいさい。喜んで居候となる事を選ぶ。

「あとは、そうだねぇ。私はもう老いぼれで外に出られないんだ。だから、外の話を聞かせておくれ。最近じゃあれだろ? すまーとふぉんとかいう、電話のすごい奴みたいなのがあるんだろう?」

「お婆さん、やけに詳しいじゃない……」

――スマートフォンなんて、あたしでさえ持ってないのに。

 地下暮らしではあるが、お婆さんは流行の最先端を走っているのかもしれない。

「ああ、お友達のハトさんが色々教えてくれるからね」

「ハトさん?」

 その情報源は、意外にも駅や公園にはびこる、飛ばない厄介者であった。

「良い人なんだよ。私のような老いぼれだと、食料を手に入れるのも難しくってね。たまに来ては、余ったからって食べ物を恵んで下さるんだよ」

「へぇ~」

「あんたも、結婚するならああいう男におし」

「いや、私人間が良いな」

「下手な人間よりは、ハトさんの方がよっぽど良い男じゃよ」

――そんなに良い男なのかしら。

 懲りない彼女がまたもや妄想を膨らませていると、コンコン、とドアを叩く音がした。

「噂をすれば」


「ハトさん、いらっしゃい」

 お婆さんがあんまり自慢するものだから、少し期待してしまったが、ハトはハトだった。それも、どこの公園にでもいそうな普通の灰色のハトで、彼女はほんの少しだけ裏切られた気分になる。

――せめて純白とかだったら、話は別なのに。

 段々感覚がおかしくなってきているが、しかし白かったら白かったで、シルクハットの中から出てきそうだというだけで、結果は変わらなかったと思う。

「やぁネズ婆。困った事は無いかい?」

「大丈夫だよ。食料もまだたんまり残っているからね」

「そりゃあ良かった。ん、此方は?」

 部屋を見渡した時から、気が付いてはいたのだろうが、あえて初めて見たような風を装って尋ねてきた。この辺りがやけに芝居かかっていて、胡散臭さを醸し出す。

「ああ。拾ったんだよ。可愛い子だろ?」

「そうだね……。じゃあ今度来る時は、少し多めに食べ物を持ってくるね」

「すまないねぇ」

 この時、自分を見る目が嫌らしいものであった事を、彼女は見逃さなかった。

「ほら、言っただろ?」

 お婆さんは振り向き、少女の方を見て嬉しそうに笑う。

「この通り、この人の所にいれば、食料には困らないんだ。なんてったって、人の方から貢ぎに来るんだからね」

「豆ですか、ポップコーンですか、それともパン屑ですか!」

「最近はクッキーやら、僕ら専用の餌とか、そういう洒落た物もあるのだよ」

「……一応聞きますが、貴方達に餌をやるのって禁止じゃ」

「物好きって、いつの時代にもいるんだよね」

 答える代りに、ハトは遠い目をした。彼が平和の象徴というのは、どうやら本当だったらしい。

――平和ボケした世の中に、乾杯。

 彼女が黙ったのを見計らって、彼は自慢を続ける。

「それに、僕らは温かい場所を沢山知っているし、君の寝床には僕のふわふわの羽毛を提供しよう」

「……おかしいな。温かい場所を求め過ぎて、どんな狭い場所にも耐えうるんじゃなかったかな……」

「狭小住宅というのも、それはそれで楽しいのさ」

 ああ言えばこう言う。このハトはなかなか、口も達者なようだ。だからこそ人望が集まるのかもしれない。

 彼と暮らすのも良いかもしれないなと思った時、ふと思い出した事があったので、習いたての知識を披露してみた。

「ちなみに、クリプトコッカス症って、知ってる?」

「……人間とは、儚いものだよね」

 成程。彼はどうやら博識のようだ。人間に責められたのか、はたまた街頭テレビなどで知ったのかは分からないが、少なくとも自覚はあるらしい。

 注:クリプトコッカス症とは、真菌の一種であるクリプトコッカス・ネオフォルマンスによって起こる真菌感染症である。主にハトの糞が媒介となり、空気感染もしてしまう。肺や皮膚に病変をきしたり、髄膜炎を伴ったりもする。

 まぁ日和見感染症の一種だから、免疫力が落ちていなければ大丈夫だとは思うが……。

「じゃあ、また来るね」

 爽やかな笑みと共に、ハトは去っていった。しかし、彼女の頭にはあの下品な視線が焼き付いて離れなかった。


 ハトが去った後も、少女はネズミのお婆さんに、彼がいかに素晴らしいかを語られていた。此方がいかに他の動物に興味は無いと言っても、聞く耳を持ってすらくれない。

「散歩してくる……」

 恩があるとはいえ、いい加減嫌になってしまい、彼女はその場から逃げ出した。


 とはいえ、勢いで飛びだしてきてしまったものの、行く当て等他にない。仕方なく、少女は気分が落ち着くまで、道を逆走するようにふらふらと歩く。

「あら? 何かしら……」

 すると、道の真ん中に、来た時には無かった大きな塊が落ちていた。

「ちょ、ちょっと。大丈夫?」

 近付いてよく見ると、それは人の形をしている。

「うう……」

「あれ? おじさん、スカウトの……」

「君は……。覚えていて、くれたのかい?」

 倒れていたのは、以前彼女をスカウトした事がある、アイドル事務所の社長だった。

「どうして、こんな所に」

 照れくさそうに笑いながら、男は言う。

「いや、ちょっとあそこから落ちちゃって。あはは」

 どうやら、マンホールの蓋が開いていて、そこから落下してしまったらしい。夜で暗かったとは言え、注意不足としか言いようがない。

「もう。気を付けてくださいね」

 その笑顔に、おじさんと呼ばれた男は癒され、元気になって地上に戻っていった。少女の方も、久方ぶりにヒトと話をした事で、心が休まったようである。


 男と話をして少し気が紛れたので、彼女は小屋に戻る気になったのだが。

「ちょっとあんた、どこまで行ってたんだい!」

 帰って早々、家主に怒鳴られた。

「え?」

「あの後すぐハトさんが、タンポポの花束持ってやってきてくれたんだよ!」

「なんで?」

「お前を嫁に迎える為さ!」

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

 今のさっきってどういう事とか、花がタンポポという辺りがどこに住んでいるかを露骨に表しているとか、ツッコミどころは満載だったろう。けれども、いかんせん突然の事で驚き過ぎてしまい、反論をする事すら叶わなかった。

「良かったねぇ。安泰だねぇ」

「そんな、ちょっと、待ってよ」

「あんたを紹介したあたしも、一生面倒見てくれるんだって」

 そう話すお婆さんは、とても嬉しそうで嬉しそうで。さぁ、忙しくなるよと、布を集めて白無垢を作る姿を見て、少女は何も言えなくなってしまいまった。


 その夜、用意された段ボールと新聞のベッドで横になりながら、彼女は考えていた。

「最初はカエル。次はメダカ、じゃない。あれはネオンテトラだった……。あと、カメとインコと、最後はハトか……。くそう、人間がいない。人間はどこだ……」

 その時思い出したのは、あの男の笑顔だった。

「結局、あたしの可愛さを分かってくれるのは、あのおじさんだけ、なのかな」


「ごめんね、お婆さん」

 明け方、お婆さんが疲れ果て深い眠りに入ったのを見計らって、音を立てないように、半日お世話になった部屋から逃げ出した。熟考に熟考を重ねた結論である。

「でも、どこに逃げようか……」

「こっちだよ」

 すると、誰もいないはずの影から声がした。よく見れば、昨日の男がひょっこりと顔を出している。

「おじさん!」

 嬉しくなって、飛び付く勢いで駆け寄る。

「しー。見つかるとまずいんだろ?」

「うん。でも、逃げ出すのも……」

「その為に来たんだ」

 彼は鞄から、怪しげな小瓶を取り出す。それは小さくなった少女の為の物なので、豆粒ほどの大きさしかなかった。

「さ、これをお飲み」

 渡されたのは、薄水色の液体。彼女が飲み干した物によく似た、夢を描くのにふさわしい色をしている。

 藁にもすがる思いで、彼女はそれを飲んだ。どの道、このままではハトの嫁か、さもなくば、路頭に迷ってのたれ死ぬだろう。ろくな運命は待ち受けていない。だったら、目の前の男を信じてみようと言う気になったのだ。

――ええい、どうにでもなれ!

 最初に飲んだ時と同じく、勢いよく全てを体内に流し入れる。すると、みるみるうちに、少女の体は大きくなった。

「戻ったー!」

 喜ぶのも束の間、どうしてこんなに都合良く薬を持っているのかと疑問に思った。

「でも、何で」

「こらー、こんの馬鹿娘ー!」

 だがその前に、追手に見つかってしまった。問い質している暇はないようである。

「話は後だ。さぁ、こっちへ」

 男が示したのは、昨日自分が落っこちたマンホールだった。


「助けてくれてありがとう」

 梯子を上り、ようやく地上に出てこられた。手も足も持て余す程に長い。いつもの感覚に、生きた心地を実感する。

「なあに、ほんのお礼さ」

「……おじさん」

「なんだい」

「あたしを事務所に連れてって」

 ネズミのお婆さんの家から逃げ出して、その時から腹は決まっていた。助けてくれた事、ずっと前から、自分を見ていてくれた事。その恩を返すには、他に方法が思いつかなかった。

「あたし、アイドルになる」

――親には後で説明すれば良い。今はそれよりも、命の恩人であるこのおじさんの助けになりたい。

 少女はきっと、こう考えた事であろう。何故ならば、全てはそう思うように、この私が仕組んだ事なのだから。それこそが、男――おじさんと呼ばれ続けているが、実は三十代半ばの社長である私の、目論みだったのである。


 私が彼女に出会ったのは、もう四年も前の事だった。当時、少女は中学生になったばかりだったが、私は光るものを感じた。すぐにでもうちの事務所に入れたかったが、少女の母はそれをやんわりと拒む。娘をそんなちゃらちゃらした世界に入れたくはない。それは親なら当然だった。だから私は、彼女が高校を卒業するまで待とうと決め、そっと影から見守り続ける事に決めたのである。その間にも、少女はどんどん磨かれて美しくなっていき、私の目に狂いは無かったのだと確信した。

 だが、原石の状態だったならまだしも、自ら光り輝きだした彼女を、他のスカウトマンが見逃すはずが無かった。他の会社も参入してきたのである。更にまずい事に、大手の会社でさえ、少女の獲得に乗り出してきた。うちのような小さな会社では、名前負けしてしまう。所詮、安心や安全を掲げられるのは、信頼を得る事が出来るのは、名の通った会社だけなのだ。

 だから私は、彼女を手に入れる為だけに、今回の策を講じたのである。当初は薬を用意し、小さくなった所を連れ去る予定だった。まさか、少女が薬を飲み干したり、カエルに攫われたり、排水溝に落ちたりする等とは思わなかったけれども。しかし、その都度対策を立て直し、やっとここまで来たのだ。

「ふっふっふ……。これで、この子がうちの事務所に」

「何か言いました?」

「いや、なんでも」

 未来に想いを馳せ、もたついていたからだろうか。きちんと紹介する前に、見つかってしまった。

「あれ? 社長。誰ですか、その可愛らしい子」

 声を掛けてきたのは、うちのナンバーワンアイドルである稼ぎ頭である。

「おお、そうだよ。紹介しよう、新しくスカウトしてきた子だよ」

「へぇ。あ、俺の事は知ってるかな? 一応、アイドルやってます」

 このように、売れっ子になっても腰が低い所が気に入っていた。彼も私がスカウトしてきたのだが、ここまで人気者になってくれると鼻が高い。おそらく、いや絶対に、この少女もすぐさま人気が出るだろう。なんたって、この私が見つけてきたのだから。

 そうやって、酔いしれていたからだろうか。

「し、知ってます。お目にかかれて光栄です……っ」

 少女の彼を見る目が、芸能人を見て緊張するそれと、少し異なっている事に気が付かなかったのは。

「……向こうで話さない?」

「はいっ」

 とても楽しそうに手を取り合って行く彼らを、私は複雑な思いで見つめていた。


「ま、まぁ彼女が売り出す為にも、先輩から教えを請う事は必要だしな」

 自分の心を誤魔化して励ましてみたものの、本当は少女を自分の手元に置いておきたかった。彼女のはじけるような笑顔を見て、断腸の思いで引き下がっただけである。

――絶対、手放してなるものか……。

 しつこいようだが、おじさんおじさんと呼ばれているが、私はまだ三十代。あわよくば自分の嫁に、と考えていたのがいけなかったのだろうか。

「社長」

 しばらくして、先程の彼がやってきた。

「何だい?」

 今度のCDデビューの件だろうか。それとも、彼女と一緒に番組に出たいという出演願いだろうか。いずれにせよ仕事の話だと思った私は、度肝を抜かれる事になる。

「俺、彼女と付き合う事になりました」

「ええー!?」

 あろう事か、電光石火の早業で自分の社員に裏切られた。

「出来れば、結婚したいと思っています」

 まさに青天の霹靂。というかまだ出会ってから一時間も経っていないのに、どうしてそんな事になるのか。展開が早過ぎてついていけなかった。これだから、私はおじさんと言われるのだろうか。理解したくなくて、頭が微妙にずれた事ばかりを考える。

「なんていうのかな……。こう、電流が走るって言うんですか? びびびっときちゃったんですよね」

――そんなもん、私はとっくの昔に経験済みじゃい!

 それで少し落ち着きを取り戻した私は、やっとの思いで尋ねる。

「か、彼女の方は、なんて?」

 かろうじて出た言葉だったが、それが私を更に苦しめる事になろうとは。

「それが、元々僕のファンだったみたいで」

――ファン、だと。そんな偶然があってなるものか。

 そうは思ったのだが、何かが引っかかった。そこで、はたと気が付く。彼女の部屋に貼ってあったアイドルのポスター。あれは、目の前のこの男が映った物ではなかっただろうか。それならば、四年も前のスカウトマンを未だに覚えている事にも説明が付く。好きなアイドルの所属事務所だったからこそ、記憶に残っていたのではないだろうか。

 回想終了。思考中断。全てが繋がり過ぎていて、これ以上考えたくもない。もう、ぐうの音も出なかった。

「もしそうなったら、仲人の方、よろしくお願いしますね」

 教えた覚えは無かったのだが、華麗に爽やかな笑顔で止めを刺された。

「なんたって、僕らの恋のキューピッドなんだから」

「あ、ああ」

 嬉しそうにスキップをする彼を、私は涙を呑んで見送った。


 誰もいなくなってから、用心の為に鍵を掛け、魂の限りに叫んだ。

「結局、顔かよー!」

 見た目から始まり、見た目で終わる。この一連の話の終わりとしては、ふさわしくはある。

――僕は、作る薬を間違えたのだろうか……。

 後悔先に立たず。きっと、彼らの将来はバラ色に染まっているに違いない。何故なら、親指姫は最後に王子様と結婚してハッピーエンドを迎えるのだから。そして私は、彼らの希望通りに仲人をしてしまうのだろう。だって、王子様になれなかった私は、差し詰め彼女に助けられ、そのお返しにと花の国へと誘った親切なツバメなのだから。

 兎にも角にも、こうして私のスカウト大作戦は、失敗に終わったのだった。

「次は私自身が王子になってやるー!」



 その後、少女と少年はめでたく結婚し、予想通りに社長は仲人をする羽目になる。その彼がまだ野望を捨て切れず、嫁を求めて古今東西奔走するのは、また別の物語。


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