第7話 残り火を消す氷の雨
領主の館の地下にある隠し金庫室。そこには、国の監査からは隠された「裏帳簿」と、不正に蓄えられた金塊の山があった。
「素晴らしい!まさかこれほどの在庫があるとは。これなら、我が商会と『独占契約』を結べそうですね」
アルトは帳簿をパラパラとめくりながら、大げさに感嘆の声を上げた。その目は、不正な金の流れと、横流しに関わった貴族たちの名前を瞬時に記憶していく。
「ヒッヒッヒ、そうでしょうとも。若旦那様との契約が成立すれば、我々の利益はさらに……」
ボルウィックが卑しい笑みを浮かべた、その時だった。ドタドタと慌ただしい足音が響き、衛兵の一人が部屋に飛び込んできた。
「ご報告します!街外れの鍛冶師ガガンが、王都ギルド総本部への直訴状を完成させたようです!今夜にも、隠し持っていた工場の生産工程書と、『認定品の短剣』の両方を証拠として、王都へ発つ準備を――」
「なんだと!?」
ボルウィックの顔色が変わり、ガルヴァー子爵を睨みつけた。
「おい、どういうことだ!ガガンは大人しくしていると言ったではないか!」
「あ、あやつめ……まだ諦めていなかったのか……」
狼狽するガルヴァーに、ボルウィックは冷酷な眼差しを向けた。そして、懐から一枚の書類を取り出し、突きつける。
「子爵。決断の時です。『アレ』を使いましょう」
「なっ……!まさか、ガガンの店を焼くつもりか!?奴は古い友人なのだぞ!」
「友人?貴方の輝かしい未来を邪魔する『ガン細胞』の間違いでしょう。……さあ、命令を。それとも、この裏帳簿を国に提出して、貴方だけ破滅しますか?」
「き、貴様は……!」
ガルヴァーの手が震える。アルトは無言で、その様子を観察していた。友をとるか、保身をとるか。長い沈黙の後、ガルヴァーは悲痛な表情で、蚊の鳴くような声を出した。
「……やれ。……事故に見せかけて、すべて燃やしてしまえ」
「そうすべきです。賢明なご判断です」
ニヤリと笑うボルウィック。アルトはパタンと帳簿を閉じ、何食わぬ顔で立ち上がった。
「おやおや、なんだか物騒な話になってきましたね。僕は部外者ですし、今日のところはこれで失礼しましょうか」
「ええ、ええ。少々『お片付け』が必要になりましてね。契約の話はまた明日にでも」
ボルウィックは勝ち誇った顔でアルトを見送った。だが、背を向けたアルトの表情から、一切の感情が消え失せていることに、彼らは気づかなかった。
その夜。街外れの路地裏に、紅蓮の炎が舞い上がった。
「火事だ!ガガンの工房が燃えているぞ!」
「水だ!水を持ってこい!」
近隣の住民が叫ぶが、火の勢いは異常に早かった。油を含んだ魔導火薬が使われているのは明らかだ。燃え盛る工房の中、ガガンは倒れた柱の下で咳き込んでいた。
「ゲホッ、ゲホッ……!くそっ、わしの……最高傑作たちが……!」
彼の手には、王都へ持っていくはずだった一振りの短剣が握られている。だが、熱気と煙で意識が遠のいていく。
「(……ガルヴァー、お前なのか……。金のためにわしの命まで……!)」
絶望がガガンの視界を覆い尽くそうとした、その瞬間。
「――遅いよ、お爺さん。逃げるならもっと早くしないと」
凛とした少年の声が響いた。同時に、世界が白く染まる。
「エリーゼ!」
「『絶対凍結!』」
女の声が響く。
パキパキパキィィィン!!
空気が悲鳴を上げるような音と共に、燃え盛る炎が一瞬にして「氷の彫刻」へと変わった。崩れ落ちそうだった屋根も、迫り来る熱波も、すべてが青白い氷の中に閉じ込められる。
「な……んだ……?」
ガガンが呆然と見上げると、そこには漆黒の外套を羽織ったアルトと、杖を構えたエリーゼ、そして瓦礫を軽々と持ち上げるライナスの姿があった。
「け、怪我はありませんか、ガガン殿!」
「ふん、死ぬかと思ったわい……!」
ライナスに抱え出されたガガン。その目の前に、数多くの松明を持った兵士たちの集団が現れる。先頭に立つのは、ボルウィックとガルヴァーだ。
「チッ、火が消えただと?……おや、そこにいるのは若旦那様ではありませんか」
ボルウィックはわざとらしく驚いて見せた。
「危ないですよ!ここは火事現場です。……それにしても運がいい。放火魔を目撃した証人になってもらえそうだ」
「放火魔?」
アルトは氷漬けになった工房を背に、ゆっくりと二人へ歩み寄った。
「それ、誰のこと?まさか、この店の主人自身が火をつけた、なんて言うつもり?」
「ハッハッハ!その通り!経営難を苦にした自殺未遂でしょう。……なあ、ガルヴァー子爵?」
同意を求められたガルヴァーは、真っ青な顔でガガンから目を逸らした。その姿を見たアルトは、深く、深く溜息をついた。
「……はぁ。幻滅だよ、ガルヴァー子爵」
アルトの声色は、昼間の商談の時とはまるで違っていた。冷たく、重く、底知れない。
「友人を燃やしてまで守りたかったのは、その薄っぺらい金メッキの椅子かい?……君の作った武器は、昔はもっと輝いていたはずなのにね」
「き、貴様......何を!」
ガルヴァーが震える声で吠える。アルトは冷徹な瞳で彼を射抜いた。
「分かるさ。君は今、最後に残った自分の魂をドブに捨てたんだ」
ガルヴァーの顔が紅潮する。
「……黙れッ!兵士たちよ!この無礼者たちを捕らえろ!抵抗するなら斬り捨てても構わん!」
ボルウィックの号令で、重武装の衛兵団が一斉に剣を抜く。包囲されるアルトたち。だが、アルトは口元に不敵な笑みを浮かべ、右手を高々と掲げた。
「ライナス、エリーゼ。……少々懲らしめてやりなさい!」
「御意」
アルトの指で、隠されていた王家の指輪が、月光を受けて妖しく輝き始めた。
(第7話完)




