第5話 煤煙(ばいえん)の街と一振りの包丁
北の鉱山都市ドワーフブルク。 そこはかつて「大陸の武具庫」と呼ばれ、昼夜を問わず槌音が響き渡る職人の聖地と謳われていた。
……はずだった。
「うわ、何これ。最悪なんだけど」
豪奢な漆黒の馬車から降り立ったアルトは、開口一番、ハンカチで鼻を押さえながら顔をしかめた。 空はどんよりとした重い雲――いや、工場から吐き出される黒煙に覆われ、太陽の光さえも煤けて見える。
「ちょっとライナス、見てよこの空気。僕の特注の白いコートが、ここを歩くだけで灰色になっちゃうじゃん。......賠償金請求できるかな?」
アルトはにやりと笑う。
「……領主に掛け合ってみましょうか。もっとも、支払われるのは煤けた金貨かもしれませんが」
「やめてよ、財布が汚れる」
アルトはわざとらしく肩についた煤を払い、周囲を見渡した。 道ゆく人々は皆、ドワーフ族特有の屈強な体つきをしているが、その目は死んだ魚のように濁っている。活気ある掛け声はなく、聞こえてくるのは工場の無機質な排気音と、重い足音だけだ。
「……エリーゼ。ここの領主って、本当にあの『轟腕』のガルヴァー子爵なの? 名工が治める街にしては、随分とセンスがないね」
「はい、アルト様。間違いなくドワーフ族の英雄、ガルヴァー様の領地です。ですが……街全体を覆う魔力の流れが淀んでいます。まるで、呼吸を止められているかのような」
「ふーん。窒息寸前ってわけか」
アルトは興味なさげに鼻を鳴らすと、大通りの露店へと歩き出した。 そこには、ドワーフブルク名産の剣や鎧が所狭しと並べられている。
「へぇ、これが本場の武器かぁ」
アルトは一本の剣を手に取り、鞘から抜いた。 店主のドワーフが揉み手をしながら近寄ってくる。
「お目が高い! それは当店自慢の業物でして! 最新の製法で作られた――」
「......ゴミだね」
アルトは冷淡に言い放ち、剣を放り投げた。ガシャン、と安っぽい音が響く。
「えっ……?」 「重心がズレてるし、鉄の純度も低い。おまけに、焼き入れの魔力がムラだらけだ。こんなので斬り合いしたら、相手の剣に触れただけで折れちゃうよ。……ねえ、もっとマシなのないの? 僕、お土産買いに来たんだけど」
「な、なんだと小僧! これはギルドの認定を受けた最高級品だぞ!」
店主の怒鳴り声を無視し、アルトは次々と商品を手に取っては「ダメ」「ゴミ」「論外」と切り捨てていく。 その目は、単なるワガママな客のそれではない。商品の本質を一瞬で見抜く、冷徹な鑑定士の目だった。
(……ひどいな。どれもこれも、魂がこもっていない。ただ形を整えただけの鉄屑だ。職人の誇りより、生産効率を優先した結果がこれか)
失望と共に店を去ろうとした時。 ふと、露店の隅にあるガラクタ箱に、アルトの視線が吸い寄せられた。
錆びた農具や工具が無造作に放り込まれた中に、一本だけ、古びた包丁が混ざっていた。 何の装飾もない、武骨な鉄の包丁だ。
「……へえー」
アルトはその包丁を拾い上げ、指先で刃に触れた。 一見するとボロボロだが、その刃先には、極限まで研ぎ澄まされた職人の執念のような魔力が宿っている。
「これ、誰が作ったの?」
「あ? それか? ……街外れの頑固ジジイ、ガガンの作った売れ残りだ。デザインが古臭いから捨て値でいいぞ」
「ふうん。……ライナス、これ買っておいて。お釣りはいらないよ」
「御意」
アルトは金貨を一枚弾くと、包丁を片手に路地裏へと向かった。
「アルト様、なぜそのような粗末な包丁を?」
「粗末? まさか。……この街で唯一、これは『本物』だよ」
街外れの路地裏。そこには、大通りとは対照的に、静寂と寂れきった空気が漂っていた。 その一角にある、看板さえも傾いた小さな工房。 そこから、怒号が聞こえてきた。
「おいコラ、さっさとサインしろって言ってるんだよ!」
「うるさい! わしはこの店を退く気はないと言っとろうが!」
工房の前では、派手な制服を着た兵士たちが数人、小柄な老ドワーフを取り囲んでいた。 兵士たちの胸には、領主ガルヴァーの紋章と、その上に覆いかぶさるような「天秤」の意匠――商業ギルドのマークが刻まれている。
「往生際が悪いぞ、ガガン! ガルヴァー子爵とボルウィック代官のご命令だ! 『効率の悪い手打ち鍛冶は街の景観を損ねる』とな!」
「ふん! ガルヴァーがそんなことを言うものか! あの馬鹿タレは、人間の代官に毒されただけじゃ!」
「黙れ老いぼれが! 代官様への侮辱は許さん!」
兵士の一人が激昂し、腰の剣を抜いた。 ギルド印の入った、ピカピカに磨き上げられた長剣だ。
「痛い目を見ないと分からないようだな。その薄汚い店ごと叩き斬ってやる!」
兵士が剣を振り上げ、無防備な老ドワーフ、ガガンに振り下ろそうとした――その瞬間。
「あーあ。うるさいなぁ」
気の抜けた声と共に、兵士の剣がピタリと「止められた」。
横合いから現れたアルトが、先ほど買ったばかりの古びた包丁を、無造作に差し出していた。 長剣の刃を、包丁の「峰」だけで受け止めている。
「な、なんだ貴様は!?」
「通りすがりの観光客だよ。ちょっと道に迷っちゃってさ。……ねえ、君のその剣、本当に武器なの?」
「はぁ!? 何を言って――」
アルトは不敵に微笑むと、手首を軽く返した。
パキィィィィン!!
甲高い破砕音が路地裏に響く。 あろうことか、兵士が持つ長剣が、古びた包丁に押し負け、真ん中から無惨にへし折れたのだ。
「な、なにぃぃぃッ!?」
「それもギルド認定の高級品、だっけ? ……バターみたいに柔らかいね。こんなので戦場に出る兵士たちが可哀想だよ」
アルトは折れた剣先を足で踏みつけ、呆然とする兵士たちを見下ろした。 その瞳の奥には、若旦那の仮面の下に隠された、絶対強者の冷気が渦巻いている。
「僕、粗悪品を売りつけられるのが大嫌いなんだよね。……目障りだから、消えてくれる?」
ドォンッ!!
言葉と共に、アルトが踏みつけた剣の破片が、飴細工のように粉々に砕け散った。 兵士たちの目には、小柄な少年の背後に、世界を飲み込むような巨大な『死』の影が揺らめいて見えた。
「ひ、ひぃぃッ! お、覚えてろよ!」
捨て台詞を残し、兵士たちは逃げ去っていった。 静寂が戻った工房の前で、老ドワーフのガガンが目を丸くしてアルトを見つめている。
「……あんちゃん。なにもんだ?」
「ただの通りすがりさ。あ、これ返すよ。いい仕事してるね、お爺さん」
アルトは刃こぼれ一つしていない包丁を、ガガンに差し出した。 ガガンはその包丁と、目の前の少年の顔を交互に見つめ、ふんと鼻を鳴らした。
「……ふん。生意気なガキだ。だが、目は腐っとらんようだな」
煤けた街の片隅で、若き断罪者と頑固な老職人。 二人の出会いが、腐敗した鉱山都市に革命の火花を散らすこととなる。
「……入れ。茶くらいは出してやる」
「お、やった!最高級の茶葉で頼むよ?」
「...生意気なガキだ!」
(第5話 完)




