第2話 施しの正体と凍りつく魔力
ライナスが私兵を瞬殺した余波で、宿屋の中は静まり返っていた。
「あ、あの……本当に大丈夫でしょうか。男爵様は恐ろしいお方です……」」
怯える宿の女将をよそに、アルトは豪華なソファに深く腰掛け、高級な葡萄ジュースを口にした。
「大丈夫、大丈夫。あんな雑魚、僕の商売の足元にも及ばないから。ねえ、エリーゼ。例の件、調べてきてくれた?」
影のように控えていた魔導師エリーゼが、無表情のまま頷く。
「はい、アルト様。源泉の調査を完了しました。……事態は深刻です。男爵は源泉の真上に巨大な術式を設置し、温泉から治癒魔力のみを凝縮して抽出しています。その結果、残った水には生命力を削る『劣化成分』が残留しています」
アルトはグラスを置いた。その瞳が、スッと細くなる。
「劣化成分……。それ、ただの熱湯よりたちが悪いじゃん。そんなのを放置してたら、僕が将来この温泉を買い叩く時に価値が下がっちゃうよ」
若旦那らしい身勝手な言い草。だが、ライナスとエリーゼは知っている。アルトが指先でテーブルを叩くリズムが、怒りを抑える時のそれであることを。
「さらに……その『劣化成分』を闇の錬金術師ゼイドが加工し、依存性の高い偽薬に変え、町の人々に配っているようです。今夜も広場で『男爵からの施し』と称して行われるとのこと」
「ふーん。最悪のビジネスモデルだね。……ちょっと見学に行こうか」
アルトは立ち上がり、黒い外套を翻した。
夜の広場。 そこには、寒さに震え、痩せこけた村人たちが列をなしていた。 中心では、派手なローブを纏った男――闇の錬金術師ゼイドが、大きな樽の前に立って叫んでいる。
「さあ、ありがたく飲め! 男爵様からの慈悲だ! これを飲めば痛みも消え、たちまち元気になれるぞ!」
配られているのは、濁り、腐敗したような臭いを放つ液体だ。 幼い子供や老人が、それを涙ながらに受け取り、喉を鳴らして飲み干していく。飲んだ直後、彼らの瞳は虚ろになり、頬には不自然な赤みが差した。
「……ひどいな」
物陰からそれを見ていたアルトの口から、漏れた。
「ちぇっ、なんだよ。あんな汚い水をありがたがってさ。あれじゃ、病気が治るどころか、自分の命を前借りしてるだけじゃん。本当にバカだなぁ、この町の人たちは」
アルトはわざと突き放すような口調で言った。 だが、その視線の先で、一人の少女が倒れた。先ほどの宿屋にいた看板娘のユキだ。彼女は男爵に連れ去られた父の無事を祈りながら、震える手でその「毒水」を口にしていた。
その瞬間。 広場全体の温度が、一気に氷点下まで叩き落とされた。
《カチリ、カチリ、と、世界が凍りつくような音がした。》
「……え?」 ゼイドが首を傾げた時には、すでに遅かった。 アルトを中心に、石畳に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。 それは、少年の内側から溢れ出した、世界の理を捻じ曲げるほどの破壊的な魔力――。
「アルト様! お鎮まりください!」 エリーゼが即座にアルトの背中に手を当て、沈静のルーンを刻む。 青白い光がアルトを包み、荒ぶる魔力が霧散していく。
「……あ、やば。ついおさえが効かなくなっちゃった」
アルトは肩をすくめ、再び「若旦那」の顔を作った。 だが、その足元の石畳は、一瞬の魔力漏れだけで粉々に砕け散っている。
「エリーゼ、あいつの顔、覚えたよね?」
「はい。闇の錬金術師ゼイド。ギルドから永久追放された罪人です」
「よし。じゃあ明日は、男爵の館に直接乗り込もう。あんな効率の悪い商売、僕が根こそぎ潰してあげるよ」
アルトは冷めた瞳で、高笑いするゼイドを見据えた。
「ライナス、剣の手入れはしておいてね。明日は少し、派手な『交渉』になりそうだから」
夜明けの光が、アルトの指に輝く「王家」の指輪を、一瞬だけ鋭く照らし出した。




