New Year Update―サンブル川とイルミネーション―
「もう年末かぁー…。」
目の前にそびえ立つ完成したばかりの装飾された巨大なクリスマスツリーを眺めて、改めてこの一年の早さにため息を漏らす。
ここは某ショッピングモールの敷地内。差し迫ったクリスマスイベントのステージ設営やイルミネーション装飾の飾り付けなどを夜間行っている。自分はそういったイベントの設営機材の搬入出やその設営、撤去作業を業務とする企業に勤めている。今月はイベント行事が続く最も稼ぎ時の月。様々な地域や場所で行われるイベント会場の設営撤去作業を会社の従業員フル稼働で行っている状況だ。今日も自分を含めた数人の社員と派遣のアルバイトの子らと共に設営作業を行っている。大体こういった設営や撤去作業は、閉店後の夜間深夜帯に行うことが多い。それゆえに規模や場所に合わせて数日かけて徹夜で設営作業を行っている。そして、今日はその設営最終日。今回、段取りよく順調に作業も進んだおかげか、最終日はほぼ設営作業も完了しており、残すはイベント会場やクリスマスツリー等に装飾したイルミネーションの最終チェックを行うのみだ。
――《…これ、今日は、早く帰れるぞ。》
そう、心の中でガッツポーズしていると、
「いやー、完成しましたねー。皆さん、ご苦労様です。」
ショッピングモールの担当者の方がこちらに労いの声をかけて下さる。するとすぐ側にいた今回のイベント設営の担当主任が、
「今から最終確認で全てのイルミネーションを点灯させますので、ご一緒にチェックの方宜しいですか?」
と担当者の方に尋ねる。
「そうですか!わかりました。是非お願いします!」
担当者の方もニコニコ笑顔で点灯するのを楽しみな様子。
「じゃあ、点灯の方お願い出来る?」
主任の指示で点灯スイッチを入れに向かった後輩の社員がこちらに向かって
「点灯させまーす!OKですかー?」
と声をかける。すると、
「あっ、あのー、せっかくなんで皆さんカウントダウンとかしません?」
ショッピングモールの担当者の方のその提案に
「じゃあ…10数えます?」
主任がそう言って周りに確認後、点灯係に向かって、
「10数えてから点灯でお願い!」
それを聞いた点灯係も
「了解でーす!」
といざ準備は整い、主任が周りを見渡して
「じゃあ、いきますよー!10、9…」
みんなで子どもみたいに手を叩いてカウントダウンを始める。そして、
「…3、2、1、点灯ー!」
「おおー!」
アルバイトの子らも声を上げ、担当者の方を中心に拍手が起こる。
「これはすごいー!」
担当者の方もご満悦な様子で、その表情を伺いながら、
「どうでしょうか?」
主任は自信を持って尋ね、顔を見合わせながら、
「いやー本当に綺麗です!完璧ですよ!皆さん本当にありがとうございます。」
こうして設営は完了。その後、社員間での最終確認を済ませ、ショッピングモールの担当者の方とこちらの担当主任との間でその他の最終チェックとイベント終了後の撤去時の軽めの打ち合わせを終えると、先にアルバイトの子らを帰らせて、我々社員も主任との最終確認を終えてそのまま車組、電車組と別れて現地での解散となった。
――《よし!今日は早く帰れるぞー!》
腕時計の時刻を見ると、ギリギリ終電には間に合いそう。この仕事柄、深夜逆転の日々が続き、家に帰ってもどうせすぐには眠れないはず。その為、この際、録り溜めしていたテレビ番組を一気に観てやろうと思い立ち、足早に駅へと向かうことにした。ラッキーな事に、駅に着くとタイミング良くホーム上に電車が到着。すかさずその電車に飛び乗る。
自分の住む街の最寄り駅に着いた頃にはすでに日付も変わっていて、コンビニで買った惣菜の入ったレジ袋を片手に提げ、そのまま自宅アパートまでとぼとぼと歩いて帰る。
アパートに着くと階段を上がり、自分が住む部屋の前まで着くと安堵したからかどっと疲れが押し寄せてきた。部屋の鍵を開け、
「はぁー、疲れたー。」
思わず声を漏らすと、玄関の明かりを付け、靴を脱ぎ、部屋の明かりを点けに向かう。テレビ前のこたつ机の上に惣菜の入ったレジ袋を置き、まずは手洗いうがいを済ませてそのままシャワーを浴び、部屋着に着替える。
そのままこたつに入り、レジ袋から惣菜を取り出して机に並べ、リモコン片手に録画していた番組を観る為、早速テレビを付ける。録り溜めした番組の中からまずはバラエティ番組でも観て気分をほぐす。そして気分がほぐれだした頃合いで、冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、プシュッと缶を開けて、ひとくち口にしながらコタツに入り割り箸で惣菜をつまみだす。そろそろドラマも観たいと思い、リモコンで録画したドラマを選ぶ。その中からまず一番気になっていた海外ドラマの最終回を観ることにした。
タイトルは、
―『サンブル川の事件 凶悪犯罪はなぜ見逃されたのか』―
この作品は、2023年にフランス・ベルギー合作で制作された海外ドラマで、その二カ国の国境沿いで実際に起こった性暴力事件を題材に全6話で製作された社会派ドラマだ。日本でも今年秋からNHK BSで放送が開始され、先日最終回を迎えていた。
このドラマを知るきっかけは、いつものようにリモコン片手に録画しておく番組をテレビでチェックしていると、偶然このドラマのタイトルが目にとまり、何だか妙に気になったから…。当初、海外のサスペンス系の推理ドラマかと思い、軽い気持ちで録画していたのだが、いざ見始めると初回からこのドラマが性犯罪・性暴力事件を扱った作品である事が分かり、そのドラマの内容にも興味を持ったからだ。
そして、このドラマが今年「2025年」に日本で放送されたという事を自分はとても意味深く感じた。今年はなにかと性暴力・性犯罪に関する問題や事件がメディアでも取り上げられる事が多かった。自分もこの問題を頭では理解しているつもりでも、この眼にまだ、映っていない事もたくさんあるように感じていたからだ。
例えば、性暴力・性犯罪に遭われた被害者たち一人一人のその後の生活。そしてトラウマ、PTSD、フラッシュバックによる被害者の苦しみ。また時代の流れにともなう性暴力・性犯罪に対する人々や社会の認識の変化。そして犯人の日常生活…。
それらの事が、このドラマの中ではきちんと非常にリアルに描かれている。そこに制作者側がこの作品に込めた強いメッセージとパワーを感じた。だからこそ今、自分自身もちゃんと観とかなくちゃいけないそんな作品だと強く思った。
なので、このドラマを観る前には、最初にバラエティー番組などを観る事によって、少し気持ちをほぐしておく必要がある。それ程、このドラマの内容は、“重い”のだ。
どれ程の内容かというと、まずこのドラマの放送前には必ず視聴者に向けた注意喚起のテロップが入る。この作品では全編を通して、非常に生々しい犯行時の映像表現や会話の内容が流される。それゆえ、過去に同様の性的な被害に遭われた方、または襲われるなどの生命の危機に直面された方。またはそういった類いのトラウマを抱えて生活をされている方には、体調不良やフラッシュバックが視聴中に起こりえると想起されるためだ。その為、視聴する側にも心の準備と覚悟を強く要する。
――物語は1988年にまで遡る。ある夜、帰宅途中に何者かに襲われ、性暴力の被害にあった一人の成人女性が、警察署へと赴きその被害を訴えるところからこのドラマは始まる。警察は当初、この事件の犯人を一時的に現場周辺に現れた変質者による衝動的な犯行とみて、すぐに犯人も捕まるだろうという楽観的な見解を持っていた。ところがサンブル川周囲において類似の性暴力事件が他にも数件発生していることが発覚。それでも尚、警察は同一犯の犯行であるかは現状わからないとし、大規模な捜査は行われずにいた。その間、犯人は一向に捕まらず、時の経過とともに被害者の数も膨れ上がっていく。そんな中、国境を越えたベルギーでもサンブル川周囲において類似の性暴力事件が発生する。この二国間をまたいだ事によって事件の捜査は大きく動き始める。そして、2018年に犯人が逮捕されるまでには30年という長い月日が経過していた。――
…と、まぁざっくりとしたあらすじはそんな感じ。
このドラマでは、エピソード事に立場の異なる人物にスポットを当て、被害者、判事、市長、研究者、警察署長、そして犯人、と時系列に沿ってドラマが描かれる。また被害者と犯人双方の家族や家庭を描く事で、より多角的な人物視点からこの性暴力事件が描かれている。この「多角的な人物視点」である事によって、この性犯罪・性暴力という問題の本質がより正確に浮かび上がって見えてくる。それもこのドラマの評価すべきポイントだろう。
そして、このドラマに登場する犯人。そのモデルとなったのは、30年もの長きに渡って犯行を繰り返し、2022年に56件の罪で起訴され、54件の有罪判決が下った「サンブル川のレイプ犯」。そう、実在する人物なのだ。
その犯人の普段の顔はというと、実に意外なものだ。私生活では家庭を持ち、良き夫で良き父親。休日の家族サービスも欠かさない。仕事も工場に勤務し、至って真面目。口調は少々荒っぽいが社交的で親しみやすく友人も多い。週末には地域のスポーツクラブで子供たちにサッカーを教え、地域貢献もしている。まさに…、
――「地域社会に溶け込んだ善良な街の市民」。
…それがこの犯人の日常の姿だ。
そんな彼の事を誰が凶悪な「サンブル川のレイプ犯」だと考えるだろう?おそらく彼をよく知る親しい人間であればあるほど、彼の事を疑いはしないだろう。彼は家庭でも、そして家の外でも、傍目から見て「良い奴」なのだ。犯行の時以外は…。
そんな人物がこのドラマの中で犯人として描かれている。実際、このドラマの元となった事件の犯人もそういった人物なのだろう。
そしてドラマ内では、犯人の過去に関して少し気になるシーンもあった。
それは、犯人の家族または犯人自身が幼少期に親や家族からDVや性的虐待を受けていた可能性を示唆する会話内容や言動が描かれていたからだ。その事も彼の暴力的な犯行内容に少なからず影響を与えたのかもしれない。また考え方によっては、善良な市民として家族と暮らす日常生活こそが、犯人にとっては非常に強いストレスとなっていた可能性もある。
――「幼少期の虐待によるトラウマと日常生活の過度なストレス」。
それが犯人の犯行動機にも繋がったのではないか…。このドラマを観ている中で、当初自分はそう考えていた。
…しかし、約1時間。最終話を見終えて、改めて自分が感じたこの犯人に対する今の率直な感想。それは…、
――《自分はこの犯人の事を、大きく見誤っていた…。》
という事だ。
その認識に至ったのは、最終話での警察署署内での犯人に対する取り調べのシーン。
[――ようやく犯人を逮捕した警察は、30年もの長きにわたってこの事件を捜査するに辺り、遺留品に付着した犯人のDNA、監視カメラの映像などを解析し、犯人を自供させるに十分な証拠を揃えていた。
この言い逃れできない状況下にあっても、犯人は顔色一つ変えず、時折笑みを浮かべてこう話す。馬鹿なことをしたと。そして被害者一人一人の顔写真を見せられ、当時の犯行内容の説明を受けても尚、彼は多くの犯行を昔の事ではっきりとは覚えていないと白々しく淡々とそう話す。
その中で犯人がいくつか覚えていた犯行についても、その犯行内容を警察側から「暴力的」だと述べられると、「そんな暴力的だと誇張しなくても…」とあたかも警察側が犯行内容を誇張して伝えているかのように即座に彼は反論をする。実際、彼の犯行内容はどれも暴力的であり、全ての被害者が犯人によって突然襲われ、犯行が行われている。紛れもなく「性暴力」であり「性犯罪」だ。
更に犯人は、当時未成年であった被害者に対する犯行も頑なに否定し続ける。自分は未成年は絶対に襲わないと。しかし、実際には被害者の多くに未成年者が含まれている。
彼は話を続ける。自分は病気なのだと。女性を見るともう一人の自分が現れて、自分では抑えが効かずに襲ってしまうのだと。もっと早くに病院で診察を受けてちゃんと治療すべきだったのだと…。――]※①
※①――2023年 フランス・ベルギー合同制作『サンブル川の事件 凶悪犯罪はなぜ見逃されたのか』(原題:Sambre)第六話(最終回) 「エンゾ(犯人)」 NHK BS 2025-12-10.(テレビドラマ)より抜粋(引用)――
…まず、この取り調べのシーンにおいて自分が真っ先に感じた事は、犯人による供述内容とドラマ内で描かれた犯人の行動との矛盾点だ。
自分はここまで、このドラマを全話全編欠かさずに観てきたが、彼が精神的な病を患っている様子も、またそれに伴い悩むシーンなども一秒たりとも作中では描かれていない。また犯人が自身の犯行について後悔をしていたり、反省しているといった様子も一切出て来ない。彼は犯行前、必ず犯行に使う道具や凶器を車内に用意し、襲う準備をしてから自身の車に乗って犯行へと向かう。決して犯行は衝動的なものなどではなく、むしろ計画的に毎回襲えそうな女性を街中で探し、見かければ尾行をして犯行を行っている。
この取り調べのシーンから浮かぶ自分の感じたこの犯人の本当の姿。そして、その本性…。それは…、
――《彼は、根っからの嘘つきであり、自身の犯行をまるで他人事のようにして語り、不利な証言や証拠を出されれば、瞬時にもっともらしい嘘や言い訳を考え出して、自らの犯行を正当化しようと試みる、口の巧さと狡猾さを兼ね備えた、非常に暴力的で異常な性的嗜好を持った反社会的な人間。》
…それが彼の本性だ。
彼の表の顔こそ「サンブル川のレイプ犯」であり、裏の顔が「善良な市民」なのだ。
全ては、自身がレイプ犯だと疑われない為のフェイクでありカモフラージュ。非常に頭の回転が速く、今思えば家族や周りから疑われずに犯行を行うための逆算として日常生活の全ての行動を行っていたようにさえ自分には映る。自身の欲望を満たす為、社会生活における最も疑われないであろう「好感度の高い人物像」の人間として周囲に立ち振る舞い、懸命に自身の印象操作に努め、「サンブル川のレイプ犯」である事を悟られぬよう嘘に嘘を重ね続ける。…そんな、凶悪な性犯罪者の日常をこのドラマを通してずっと自分は観ていたのだ。
そして、彼のように日常的に嘘をついている人間は、このように追い込まれ言い逃れ出来ない状況下にあっても、平然と息を吐くように嘘を並べ、自身の行いを正当化し、まるで壊れたオルゴールのように通るはずもない自らの理屈や主張をその場にいる者に永遠と訴え続ける。これは自分のせいではなく、全て病気のせいなんだと…。
そんな犯人の姿を観ていると、自分も心底不快な気持ちにさせられる。この男は自らの犯行について何も理解していないし、何の反省もしていないのだなと…。
物語の終盤、面会に来た実の娘に対してもまだ自らの主張や嘘を言い続ける犯人の姿に、この男の真の恐ろしさと狂気を自分は覚えた。娘の中でずっと信じていた「優しい父親」から、徐々に「サンブル川のレイプ犯」へと認識が変わるその瞬間は、個人的にこのドラマのハイライトだったように感じる。見ようによっては犯人と共に暮らしていた家族が一番の被害者だったとも言える。ずっと彼に騙され続けていたのだから…。
…30年。
そう、30年だ!このドラマの主人公でもある1988年に被害に遭った被害者女性は、その間、捕まらない犯人の影に怯える生活を強いられ、トラウマやPTSDの症状にも苦しみ、事件前の日常生活を犯人によって完全に破壊されている。彼女は戻りたくても戻れないのだ。被害前の日常には…。
しかし、かたや加害者である犯人はというと、2018年に捕まるまでの間、犯行を繰り返しながら家族と共に幸せな日常生活を笑顔で穏やかに過ごしている。
――《こんな理不尽な事があっていいのか!》
自分はそう思った。
なぜ、被害者の日常生活の方がこんなにも辛く苦しいものに映り、犯罪を犯している加害者の生活の方がこんなにも楽しげで幸せそうにこの目には映るのか?!こんな事、絶対におかしい!と。
このドラマ内で描かれた被害者たちの30年間と、犯人の30年間のその対比に、自分はただただ強い怒りと憤りを覚えずにはいられなかった。
…睨みつけるように自分はじっとテレビを見つめながら、缶チューハイをまたひとくち口にして、気持ちを落ち着けつつ、ここでもう一度、自分の感じたこの犯人の印象を頭の中で整理してみることにした。
――『己の為なら平気で人をも欺く根っからの嘘つきであり、自身の印象を周りに良く見せることに長けた、非常に狡猾で口の巧い頭の切れる人物』。
…まさに「詐欺師」そのものだ。
このような羊の皮を被った悪魔のような人間が、実際にこの社会の中には少なからず存在し、私たちの住む街にも善良な市民の顔をしてすぐ近くに潜んでいるかもしれない…。その事実を知れただけでもこのドラマを見た価値は十分にある。こういう人間の事を人は「サイコパス」と呼ぶのだなと…。
またこの犯人についてドラマを観ていて思ったのが、彼の性衝動や性行為における「性的興奮」と「暴力的興奮」が、イコールで結びついてしまっているように感じた事だ。
作中でも気になっていた、犯人が自分の親や兄妹について語る場面で、彼の言動が徐々に暴力的となり、興奮していく様子が何度も描かれていた。それは、彼の中にある家族への過去の怒りが、会話中にトラウマとして思い出され、無意識に暴力性として表に出てしまったからだろう。
もし、この「過去の怒りやトラウマ(暴力性)」が、犯人が性に目覚めたであろう多感な時期に、彼の性衝動における「性的な興奮」と結びついてしまったのだとしたら…。
要は子どもにとって、性の目覚めが起こる多感な時期に重要な事として、自身の性衝動や性的な行為における「性的な興奮」と、暴力的な言動や相手を支配しコントロールしようとする際に生じる「暴力的な興奮」を、自分の性的な欲求や欲望とイコールで結びつけずにしっかりと「切り離しておく」という事。
それが、人が子供から大人へと成長する過程における人格形成においてとても重要なプロセスとなるのではないだろうか…?
何故ならその“性”との結びつきこそが人の性的嗜好、いわゆる「性癖」と最も繋がりやすいと自分は考えるからだ。
今の時代、子供たちはインターネットやSNS等から様々な情報を得れる状況にある。性に関しても同様で、情報が多量な分、それは性に対する認識の個人の差を更に広げるものだとも考えられる。
その点からも、義務教育時での学校で学ぶ「性教育」。とりわけ“心”の部分。男女における相手とのコミュニケーションや気持ちの違い、そういった“心”の重要性など、「人対人」だからこその倫理観やモラルといった自身の性衝動における理性のコントロール、「“心”の性教育」が思春期の子供たちの心の発達、成長にはとても重要なようにも感じられた。
そしてもう一点、このドラマを見終えた今、自分の思った事…。
それは、日本もフランスも性暴力に対する認識は、このドラマ内での時代間においては差してあまり変わらない印象を受けた事だ。
特にこのドラマ内における最初の犯行時、1988年当時には、フランスにおいても人々の性犯罪・性暴力に対する認識は、今とはかなり異なるものであった事が作中でも描かれていた。
その事が如実に表現されているのが、被害者女性と事件に対応する警察署の男性刑事との会話内における性犯罪・性暴力事件に対する認識の温度差だ。
――「あなたは運が良い…。」
そういった表現の言葉さえ担当刑事の口からは出てくる。要は暴漢には襲われたが、金品も奪われず、命に関わるような危害も加えられなかったあなたはまだ運が良かったという慰めの意味合いで発した言葉なのだろう。しかし、被害者本人からすれば非常に感情を逆なでられる言葉だったはずだ。
――《…性犯罪の被害に遭った私のどこが運が良いというのか?!》…と。
このやりとり一つにしても、自分には作中、警察署の人間の対応や反応が驚くほどに軽く映った。自分も視聴していて少なからず違和感を覚えるのだ。80年代当時とはいえ、フランスでさえ警察署で働く大人たちが被害者に対してこの対応なのかと自分としてはショックを受けた。
では今はどうなんだろう?
フランス、嫌、世界と日本とでは何が大きく違うのだろう?どうして認識に差があるように自分には映って見えるのだろう?
…エンドロールも過ぎ、このドラマを全て見終えた自分は、机に置いていた携帯を手に取り、その疑問を少し調べてみようと携帯を触り始めた。
その瞬間、自分はハッとしたままその手を止め、自分の携帯を眺めてこう思った。
――《それはきっと、性暴力に対する問題認識を「アップデート(更新)」しようとする社会や人々の“意識の差”ではないだろうか…?》…と。
今、自分の使っているこの携帯電話も定期的に機種の変更やアプリの更新、要は「アップデート(更新)」しないと最新の機能が使用出来なくなる。パソコンやセキュリティ対策も同様、今の社会では様々な場面でこの「アップデート(更新)」を繰り返しながら人々は社会生活を送っている。
では事、性暴力・性犯罪などの「性」に対する社会的な問題認識に関して見るとどうなのだろう?
日本はこの「アップデート(更新)」する速度が世界と比べて少し遅れているのではないだろうか?そして、社会的にも個人間においても「アップデート(更新)」をする意識そのものが希薄なのではないだろうか?
ではそれは一体何故か?
どうして「性」に対する問題認識に関しては「アップデート(更新)」が遅れているのだろうか?
…それはきっと、「アップデート(更新)」をする事が今の日本社会にとっては、ある種“不都合”だからだ。
この「アップデート(更新)」をするという事を不都合だと思う大人たちが、この社会の中心部分には少なからずいて、そしてその人たちを指摘せずに見て見ぬふりをする事で利益を得ている大人たちも、またその周りには沢山いる…。だから変わらない。この社会も表向きには男女平等や女性の働き方改革を謳い、世間からは環境が改善されているように映ってはいても、中心部分の根っこの部分、「コア(核)」が変わらなければ全くもってその意味をなさない。現状、この「アップデート(更新)」をしていない一部の組織や大人たちが、「アップデート(更新)」をしている世間一般の常識ある大人たちに気付かれぬよう、その事実を大きなベールで覆ったままひた隠しにしているといった状態がこの社会の実像といえるのではないだろうか。
そして、こうも思う。
今までこの日本の社会における大人たちの性に関する常識や認識、それに伴う社会人としての様々な慣習に「グレー」な点が多かったのではないだろうかと。
例えば、酒の席での「無礼講」という言葉の拡大解釈による性的なハラスメント行為の正当化。組織内における関係性や立場を利用した、一対一での会食や密室での会合などの職場外での私的な交流を持つ事の正当化。
それらの事を社会や組織内における関係性を深める為の“お付き合いの文化”だと言って容認する人もいるのかもしれない。しかし、それらの場面で参加を拒んだり断れば、空気の読めない“使えない人材”のようなレッテルを周囲からは貼られ、自身の仕事にも少なからず影響が及ぶかもしれないという見えないプレッシャーや意識が働き、相手に対して断りを言うに言えないという心理状態に陥ってしまう…。そんな状況を、組織的にそして無意識にそれらの“慣習”がある事によって作り出してしまっているのではないだろうか?
こうした状況や心理につけ込み、「立場や役職」、「酒」、「密室」、「一対一」。それらを悪用・利用する事によって、組織的または個人的な利益を得ようと目論む者や、相手との不同意な性的行為(性暴力)に持ち込む卑劣な人間もまた、この社会には少なからずいるという事が大きな問題なのだ。
そして加害者側にとってみれば、それらの慣習があることで、自らの行いの保身として都合よく解釈出来、また正当化する際の“言い訳の道具”となり得てしまっていたのではないだろうか?
自分と被害者とでは、“認識”が違ったのだと…。
そしてそういった性的な問題が一度表面化すれば、組織にとっては致命的な問題であり、社会的な信頼を失いかねず、上の役職の者たちは自身の責任を追及されかねない為、その事実を組織的に隠蔽しようとする動きが働く。まさに“性的搾取”とも言える今に至る性暴力問題やハラスメント問題の社会的・組織的な悪しき構造、悪しき循環がそこから生じているのではないだろうか。
そして現在、2025年の日本の社会ではそれらの「グレー」な事については、もう社会的に通用しないと言えるだろう。何故なら法改正によって「不同意性交等罪」という刑法が2023年7月に施行され、それらの行為が今は「黒」とみなされ実刑となり得るからだ。日本もこうした性暴力の被害に遭った人たちが泣き寝入りせずに済む社会へと少しずつだが変化をしてきている。
自分は、この性暴力という問題を解決する方法は、まず社会の目と一人一人の市民が、性暴力に対する認識を「アップデート(更新)」し続ける事以外にはないように感じている。
そして、問題が生じた際に蓋をするのではなく、徹底的に膿を出し切って問題点をあぶり出し、改善策を講じる事こそ、社会や組織の更なる向上に繋がる事だと思う。
大人たちは、この「アップデート(更新)」をしていないという事を、社会人として、そして組織としても致命的な「恥ずべき事」だという認識を持ち、互いに指摘し合わなければ、本当の意味でこの社会における人々の世代間での認識の差や、男女間での認識の差は到底埋まらない。今年は広い意味でそういった社会に蔓延する性に関する様々な問題や認識を見つめ直す「アップデート(更新)」をするきっかけの年だったように思う。更に言えば、個人でも組織でも、性暴力などの性に関する問題認識を「アップデート(更新)していない」という事がもう通用しない、そういった社会へとようやく舵を切り始めた年だったとも思う。日本、いや世界中で長く根差し、ベールに覆われてきた様々な性に関する問題。その「膿」がようやく世に出始めた段階がここ数年の日本や世界での出来事だったとも言える。まさに今年が、性暴力に対する問題認識の大きな変換点、「転換点の年」だったのではないだろうか。
そして、個人的にこのドラマを観ていて強く思ったのは、被害者が声を上げるという事が、どれほどの勇気ある行動かという事を僕らはしっかりと考えなきゃいけないという事だ。
このドラマでも被害者の一人が、その街の女性市長に促される形でメディアに共に出て、事件を公表し、今この街で起こっている連続レイプ事件とその被害を市民に向けて訴えるという場面がある。しかし公表後、何故か被害者であるはずの彼女や市長に対して、心ない言葉や誹謗中傷、そして公表に対する否定的な意見が二人に浴びせられてしまう。その結果、彼女たちは声を上げ続ける事が困難な状況となり、その後の犯人の犯行を食い止めるまでには至らなかった。
ここで見えたのが、街にとって優先すべきは「市民の安全」か。はたまた街のブランドや印象を守り、企業やイベントを誘致する事で得る「街の利益」か。今まさに日本の様々な場所で起きている問題と同じじゃないだろうか?自分はそのシーンを観ていて今の日本と似ていると思った。いつの時代でもどんな国であっても、認識の違いや立場の違いによってこうした被害者の声すらも一部のメディアや市民からは大きく叩かれてしまう。だからこそ、市民一人一人の性暴力に対する「認識のアップデート(更新)」の重要性を強く感じる。
そして一人一人の声は小さくても、その声が合わさればいつかそれは大きな声となり、うねりとなって変化を始める。
この国にもその兆しはある。今年は日本に初となる女性の総理大臣が誕生した。日本もこの時代のうねりの中で変化をし、少しずつだが社会は変わり始めている。今こそ日本が「アップデート(更新)」をするそのタイミングなんじゃないだろうか。
考えてみると、このドラマ内での被害者の多くが、その日たまたま夜道を出歩いていた女性たちだ。
その中には通勤通学中、勤務中や帰宅途中といった女性もいる。一般的な社会生活を営んでいる何の落ち度もない普通の一般市民だ。
「夜道は一人で出歩かない事」
「好意の無い男性と二人きりになる場には出向いてはいけない事」
女性たちは皆わかっている。社会人なら誰もが理解しているはずだ。しかし、わかってはいても、社会生活をしていれば、それを断れない場面やどうしても出向かなければならない状況は、誰にでも一度や二度は起こり得る事だ。その一度の選択や判断を、その日、その時に「誤った」「出来なかった」その事が仮に被害者側の非となり得る、そんな社会であるとするのならば、その社会の認識の方が余程問題があり、改善していくべきは社会であり人々の認識の方じゃないのか?自分はそう思う。
そして間違いなく非難されるべき非があるのは、勝手に欲情して、突然人を襲って、相手が悲しもうが傷つこうが関係なく、自身の欲望を満たす事しか頭にないそんな性暴力を行った側の加害者本人だろう?!…と。
何故、ごく一般的な社会生活を送っているはずの女性側に非があるかのような言葉が投げかけられるのだろう?
では女性は生まれながらにして、皆こうした性暴力を前提に社会生活を送らなければならないという事なのだろうか?夜になり、辺りが暗くなれば、女性は自宅でずっと引きこもっていろとでもいうのだろうか?一体いつの時代の話を今しているんだろうと自分は思う。今は2025年であり、今は令和だぞ?!と。だったら女性は皆、外に出歩く際は必ず防犯グッズを身に持ち、男性から襲われた時には自分の身は自分で守るその術を持ち得ていなければ社会的にはおかしいはずだ。であるならば、社会としてその術を大人たちが子供の頃からすべての女性にきちんと伝え教えるべきだし、性被害に遭わぬように子どもや女性をしっかりと守る社会的な構造が国や地域には必要だろう。極端な話、アメリカの銃社会のように暴力には暴力、武器には武器、そういった社会が本当に健全で正しい社会と言えるのだろうか?自分にはそうは思えない。女性も男性も性的マイノリティの人も、性別によって平等に暮らせない社会なんて、自分はおかしいと思っている。そしてそれによって傷ついたり、悩んでいる人を少なからず自分は近くで見てきたから…。だからこそ尚更理解ができないし、理解したいとも思わない。
どうして自分が、この「性暴力」という問題について深く考えるようになったのかというと、それには、きっかけがある。
自分には、大学時代のサークルの仲間に、過去に性暴力の被害に遭った同学年の友人がいる。性的マイノリティの彼女は、性別は男性だが、心は女性としてこの世に生を受けた。中学校まではさほどいじめらる事も少なかったそうだが、高校に通い始めるとその中性的な容姿を周囲にからかわれ、そこからイジメへと発展。そのイジメグループの一人から性暴力の被害を受けたのだという。
自分を含め、サークル仲間もどうして彼女が誰にも知られたくないであろう過去のその出来事を入部してそうそうに自分たちに打ち明けたのか、皆疑問だった。その時、彼女が僕たちに言った言葉がある。
――『その時、自分で自分を傷付けてしまって…。そして、そのまま病院に入院をした。そこで私をカウンセリングしてくれた臨床心理士の先生と出逢って全てが変わった。その先生も過去に性暴力の被害に遭った経験があるってその時知って…。まだ傷だらけだった私の心にその先生が寄り添ってくれた。「一人じゃない。」って。「今、目の前にいるよ。」って。「もう大丈夫だよ。」って。私は、あぁ自分一人じゃないんだなって…。その時、先生の胸の中で子どもみたいに泣いた。そして、自分の生きる目標が出来た。先生のように自分も強く生きたいって。退院後、その高校から通信制高校に転入をして高卒資格を取って今この大学で臨床心理学を学んでる。自分も先生のようになれたらなって。先生に言われたのは、過去をずっと隠して生きるのはしんどいよって。それよりも周りに理解してもらった方がずっと苦しくないって。心の病気はすぐには治らない。だから今の自分をちゃんと理解してもらう事が大切だよって。だから私は話しておきたかった。きっと突然しんどくなったり、急に体調を崩す事もあると思うから…。この先、サークルの活動に参加できないって事もあると思う。だけどちゃんと話す事で今の私を理解してもらえると思ったから。だから話しておきたかった。みんなには…。』
そんな彼女を横目で見ていて《…強いな。本当に。》って思った。自分ならこんなに強くはいられないだろうから。だから今も彼女の事を自分はとても尊敬している。
――『えーそんな私ですが、皆さんどうぞよろしくお願いしまーす!』
そう言って、明るく皆に会釈する彼女の弾けるような笑顔を前に、大きな拍手で彼女を迎えたあの日の事を思い出す。
そして思う。きっと「アップデート(更新)」する事に必要なのは、一人一人の“想像力”なのだと。“if”なのだと。
例えばもし、自分の家族や友人が性暴力の被害者になったならと。そしてもし、自分の家族や友人が性犯罪の加害者になったならと。もし自分だったら、どちらも絶対に嫌だ!…その事を少しでも頭の中で想像すれば、想像出来れば、誰にでも理解は出来るはずだ。
けれど、現実にはそれがわからない、理解出来ない人間がいる。そして、想像出来ない人間がいる。
だからこそ、この社会には「教育(心の性教育&防犯意識とその対策)」と「法律(法の整備)」が必要であり、人が人として平等にこの社会の中で共存し生活して行く為に、最も必要で大切なものだと自分は感じる。
この二つの事をまずは「アップデート(更新)」していく事こそ、社会的にも個人間においても「認識のアップデート(更新)」に繋がり、その速度を速める事にも繋がるのではないかと自分は考える。
…そんな事を、一人であれこれと考えていたら、日頃使っていない自分の頭の色々な部分をフル回転で使用したみたいで、なんだかグルグルと目が回りだし、少し眠くなってきた。
その場で大きなあくびをしながら、少し横にでもなろうと思い、ベッドの方へと移動を始める。けれど、さっきまで観ていたあのドラマの影響なのか、何かまだこの胸の奥が晴れずにモヤモヤとしている。このどんよりとした曇り空の自分の心を明るく爽快に晴らしてくれる、そんな曲でも聴きたい気分になってきた。
携帯を手に、自分の選んだそんな一曲は、“くるり”というバンドの「ロックンロール」という曲。
ベッドの枕元に携帯を置いて、曲を再生し、少しボリュームを調整して、スッと目を閉じ、その曲を聴き始める。だんだんと聴いているうちにその曲の歌詞が、今の自分の気持ちとぴたりと重なって、シンクロしている事に気付く。その事に自分は、驚きながらも少し微笑んでこう思う。
――《この曲の歌詞のような自分でいたいなぁ…。》
曲のサビに近付くと、またゆっくりとまぶたを開いて静かに曲を口ずさむ。印象的なドラムのリズムとギターのリフに合わせて口ずさむにつれ、次第に心のモヤが晴れて行くのを実感する。
あっという間に曲が終わってしまい、もう一度聴こうと枕元の携帯に触れつつ、うつ伏せになると、カーテンの隙間から夜明けの朝日がほんの少しベッドの方へと差し込んでいる事に気付く。引き寄せられるようにそのベランダの窓の方へと向かい、カーテンを開ける。丁度朝日が昇り始めたばかりのようで、少し紫がかった夜空とのコントラストがまた美しい。まるで今の自分の心に灯がともっていくようだ。
その時、ふと頭の中に思い出されたのは、大学時代のある記憶。サークル仲間とクリスマスの時期にイルミネーションを観に行った時の情景。さっき話した友人である彼女の顔が今まで見た表情の中で一番キラキラと輝いていたようにその時の自分には映った。きっと彼女の心に灯がともったそんな瞬間だったんだと思う。その時の事が、何故だろう自分の頭の片隅にずっとあるから、きっと今の仕事に就いたのかもしれない。あの日、あの時、自分の観た全てのものが美しかったから…。
だから、
「あぁー、今日もなんだか頑張ろう…。」
そんな気持ちにさせてくれる、特別な朝日を僕はここで迎える…。
――そして、
年も明けて…2026年。
今年に入ってもまだ仕事は尚忙しく、同じような生活パターンを日々自分は繰り返している。そんな新年早々、また録画していたテレビ番組の中に気になる番組を新たに発見した。
タイトルは、
―『英国スキャンダル〜王室を揺るがしたインタビュー』―
2024年、Amazon MGMスタジオ制作の全三話からなるイギリスのテレビドラマシリーズ。日本でも2026年1月11日からNHK総合にて放送が開始された海外ドラマだ。
内容はというと、BBCの報道番組「Newsnight」でMCポジションのメインアンカーを務める女性キャスター、エミリー・メイトリスが、2019年に同番組内でアメリカで逮捕された人身売買犯ジェフリー・エプスタインとの関係を巡る未成年者との性的関係に関する疑惑がかけられたアンドリュー王子(現在は、称号を剥奪され“元王子”)に実際に行ったテレビインタビューに至るまでの公私に渡る過程をドラマチックに脚色し製作された、未成年に対する“性的搾取”、そして“性暴力”に関する世界的犯罪スキャンダルを題材にしたドラマ作品。
作中、冒頭にも“このドラマは実際の出来事と個人をもとに脚色したフィクションです”と表記が入る。
自分はこの作品を観ていた中で、最も心に残ったそんな場面がある。それは最終話である第三話「闘いの結末」での一場面。
[――アンドリュー王子とのテレビインタビューが番組内で放送されると世界中から様々な反響が番組に寄せられる。そして、インタビューを行ったエミリー・メイトリスには賞賛の声が届く一方、ネット上では彼女に対する誹謗中傷の声も日増しに増す事に。仕事でも、番組プロデューサー曰く、「みんなあなたを怖がってるから…。」と番組内で対談するゲストのキャスティングにも影響が出始めていた。
そんな中、彼女は仕事を終え、夜遅くに自宅へと帰宅する。そして、リビングのテーブルにノートパソコンを一人開き、過去に自分の受けたインタビュー音声を再生する。タイトルは、
――“メイトリスのストーカー経験談”。
彼女がそのインタビュー音声を真剣な顔つきで聴いていると、
〈※ここからは、自分にとってとても重要なシーンの為、その場面を自分なりに文書化をして、そのまま引用する。〉
(夫)
――「なんでそれ聴いてるの?」
背後から夫の声が聞こえると同時に、彼女は開いていたノートパソコンを素早く閉じて、夫に向かって語り始める。
(エミリー)
「何でかな…。眠れなくて。
このインタビューを受けた時、聞かれる側って嫌な気分だなって思った。あいつ(加害者)の事を口にするのも、名前を言うのも嫌!」
(夫)
「わかるよ。」
夫はそう言うと、少しずつ彼女の側へと歩み寄る。
(エミリー)
「あいつ、私たちの生活を壊して、面白がってたのよ!退屈しのぎだとか…。そんなくだらない理由で!」
夫は、興奮気味に話す彼女の側まで来ると、彼女の座っているすぐ横にあるテーブルの椅子へと腰掛ける。
(夫)
「…奴は今刑務所だ。この先何年も出てくることはないし…。」
(エミリー)
「…でもいつかは出る。」
(夫)
「まぁ…その時になったら考えよう。」
(エミリー)
「……。」
しばらく互いに沈黙が続く。
(夫)
「エミリー?」
(エミリー)
「…聴き直してたのは、思い出したかったの。自分に全く非が無いのにインタビューされるのってどんな気持ちだったか…。
エプスタインの被害者達だって、非は無かったのに…。それでも、テレビに顔を出して自分の苦しみをさらけ出してる!正義の裁きの為、僅かな望みにかけて…。私の辛さなんて彼女たちとは比べものにならないけど、気持ちはわかる。嫌な体験を永遠と話すのよ?!どうかお願い、誰かこの問題を真剣に受け止めて下さいって願いながら。きついわよね?」
(夫)
「ああ。」
(エミリー)
「これって、色んなハラスメントの被害に遭った女性達がみんな感じる事よ?!いつだって被害者が、逆風にさらされるの!いつだって!無言の圧力をかけられる。それ本当なの?って冷たい目で、疑われて…。」
(夫)
「……。」
夫は、真剣な表情で彼女の話しをただ黙って聞いている。
(エミリー)
「私、アンドリュー王子と対談した時、正しい質問をする事だけを心掛けてた。向こうがどう反応するか分からなかったけど、彼の態度には、特権階級の傲慢さがあった。
あの手の男にありがちな、異常な思い込み。自分は何をしても許されるんだと勘違いしてる。望みも、欲望も、…満たされて当然だと。
アンドリュー王子に罪があるにせよないにせよ、あの時の彼の態度には、その傲慢さがあった…。」
(夫)
「……。」
(エミリー)
「…そんな事考えてたら、何だか眠れなくて…。」
腕組みしたままこわばった表情の彼女の腕に、夫はそっと手を当てて、じっと彼女の目を見つめている。彼女はその夫の手に触れると彼を見つめ、その手に口づけをする。沈黙が続く中、二人は互いの目をじっと見つめ合う。
(夫)
「…僕は眠いって言ったら怒る?」
二人は見つめ合い、そして微笑み合う。ずっとその手を取り合いながら…。――]※②
※②――2024年 Amazon MGMスタジオ制作 ドラマ『英国スキャンダル〜王室を揺るがしたインタビュー』(原題:A Very Royal Scandal)第三話(最終回)「闘いの結末」 NHK総合 2026-01-25.(テレビドラマ)より抜粋(引用)――
…自分がこのドラマを見終えてから間もなく、アメリカでエプスタイン問題に関する機密文書が約300万ページ追加公開されたというニュースを知る。それでも公開された資料はまだ全体の半分らしく、その事実にも驚愕するが、世界はこの未成年に対する性的な人身売買事件で大きく揺れている。そして、世界中の人々がこの世界がどれほど腐っているのかを目の当たりにし、そしてこの世界の現実を思い知らされている。
子どもや未成年の女性たちが一部の特権階級の人間によって性的に搾取されているという現実に。そしてその被害者たちが被害を訴えても誰も罪に問われないという現実に。それが今私たちが住むこの世界なのだというその現実に。この「現実」を変えられるのは、一部の特権階級などではなく、我々一人一人の市民の変えようとする変革の意識とその声しかない。
2017年の「#MeToo運動」から始まり、2019年の「エプスタイン問題」、そして2026年「エプスタイン文書の公開」。全てが点となり、そして繋がっている。間違っている事を「間違っている!」と今こそ声をあげなきゃいけない時だと自分はそう思う。今、自分たちは人としての「生き方」を試されていると思う。あなたは、この世界をどう生きたいのか。そしてどう生きるのかを。
今変わらなければ、未来永劫、永遠と一部の特権階級や上級国民と呼ばれる存在によって社会的弱者や一般市民は搾取され続けるだろう。こんな倫理観の狂った人間たちによってこの世界が動かされているのだから、今起きている戦争も紛争も争い事や犯罪も永遠にこの世界から無くなるわけがない。平和なんて事を一ミリも考えていない自己の利益のみを優先させる人間たちがこの世界の中心にずっと存在しているのだから。日本だって蚊帳の外の話ではないはずだ。世界で起こる事が数年遅れて日本でも起こるということを考えると、表に出ていないだけの話であって、ここ数年日本で報道された性暴力にまつわる問題や事件から見ても容易に想像はつくだろう。狂った大人たちがいる為にこの世界がどんどんおかしくなっていくという典型的な事件だ。または、元々狂っていたこの世界の真実を、我々一般市民がただ知らなかっただけなのかもしれない。
…そんな重く暗いニュースを仕事の合間の休憩時間にうっかり携帯で見てしまい、思いのほか気持ちが沈んでいると、前に話した大学時代のサークル仲間である友人の彼女から、久しぶりに携帯に連絡が入っていることに今気付いた。彼女は現在、アメリカに留学中。内容はというと、そのアメリカで知り合った恋人と共に今、日本に帰国中のようで、久しぶりにサークル仲間で集うので自分も会わないかという誘いのメールだった。ただスケジュールを確認すると予定が合わず、帰国中に会うのもなかなか難しいということを伝え、それなら時間を作って電話で話そうという事に。そして翌日、早朝、自宅に帰宅後…、
「…あっ、もしもし。おはようー!
うん、久しぶりだね。
どう?体調は。元気にしてる?」
そう自分が話す携帯越しに聴こえる彼女の変わらない明るい声に、心が少しほっとする。
「…いや、返信遅くなって本当にごめん!色々と重なっちゃって…。もちろん!ちゃんと気付いてたよ…メッセージ。」
そんな楽しい電話の最中、部屋で一人こう思う。
――《…もし、この世界に生きるすべての人たちが、みんなで“New Year Update(新年の更新)”をすれば、去年よりも少しだけ、良い世界になるんじゃないのかな…って。》
ベランダから観える朝空のもと、自分の心にもまた少し、小さな灯がともりだす…。
――《…自分は、そう信じたい。》




