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千田さん家の裏口は、異世界への入口2

作者: たかつど

 五十嵐麗香 過去編 ~八木節の夜、料理の風〜




 十年前のある夏の夜。

 五十嵐麗香は、人生のどこかで足をくじいたみたいに立ち止まっていた。


 彼女の手には、油染みのついた包丁ケース。

 料理人になる夢を抱いて都会へ出てきたものの、あまりに現実は塩辛くて、もう舌が痺れてしまいそうだった。


 そこに――場違いなほど立派な洋館が現れた。


 どの窓にも重厚なカーテンがかかり、黒い鉄製の門には黄金の装飾。門柱には優雅な彫刻が刻まれ、立て札には堂々とこう書かれている。


 > 【千田邸】

 一般住宅街所属・外観:一級豪邸

 内容物:異世界・魔法・八木節



「……なんなの、ここ」


 五十嵐はそう呟きながら、ノブを回してみた。すると――


 ボワッ


 紫色の煙と一緒に、何かが爆発したような音が響いた。


「おや、お嬢さんね! 魂が焦げてるわよ! 焼き加減、ミディアムレア!」


 現れたのは、とんでもなく派手な格好の女性だった。

 赤紫色のローブに、銀色の杖。腰にはたくさんのキッチンツールをぶら下げ、頭にはとんがり帽子。


「ようこそ、ここは異世界の入り口、私は千田よ!」


「……料理人、ですか?」


「半分ね。あと半分は八木節踊り子よ」


 そう言った彼女は、くるりと回転しながら、一瞬で装束をチェンジした。


 煌びやかなハッピ、金色の鉢巻、腰には鈴。手には太鼓のバチが光っていた。


「今夜は特別。異世界八木節ナイト!

 踊れば心の塩抜きができるわよ。踊る? 焼く? それとも両方?」


「それでは皆様ァァァ! 今夜限りの“八木節ナイト”へようこそぉぉッ!!

 踊って、歌って、餅ついて、最後は鮭の塩焼き振る舞います!!!」


 ――それが、千田さんとの出会いだった。


 派手な動きと変幻自在なステップ。

 袖から出てくる「飾り団子」、頭に乗った「フライパン笠」。

 八木節のリズムに合わせて、会場中を軽やかに踊りまくる。


「お嬢さん! 人生に失敗はあっても、味見に失敗はないよ!

 踊ってみて! 塩気がわかるからね!」


「は、はい?!」


 そう言って千田さんは、少女(五十嵐)を無理やり舞台へと引き上げた。


 気づけば五十嵐は、太鼓のリズムに引き込まれていた。

 なんというか――踊るというよりは、魔法にかけられたような、体が自然に調味されていく感覚だった。


「ほら!もっと腰を利かせて!そこは火加減!焦げるわよ!」


「火加減!?」


「人生はね、焦がすくらいじゃないと香ばしくないのよ!」


 ドン・ドン・カッ! ドン・カッ・ドドン!


 いつの間にか、異世界からやってきたらしい観客たちが周囲を囲んでいた。

 空を舞うイカ型妖精、手拍子をする三つ目の子ども、拍手を送る料理用スプーンの精霊たち。

 踊りが終わった頃、千田さんは小さな七輪で鮭を焼き始めた。

 鼻をくすぐる香りが夜風に溶け、五十嵐の胃袋だけでなく、心の奥もじわりと満たしていく。


「あなた、いい動きしてたわ。中はふっくら、表面はカリッとしてて、まるで焼き鮭のようだった」


 そう言って渡された一切れの鮭は、

 彼女がこれまで味わったどんな高級料理よりも、やさしく、そして泣きたくなるほど美味しかった。


「……また、来てもいいですか?」


「もちろんよ。家はいつでも開いてるわ。八木節か料理か――選びなさい。

 ……あ、選ばなくていいか。どっちもやればいいわね、あなたの味付けで。」


 それから十年後、五十嵐麗香は――

 異世界で鮭を焼きながら、誰かの心を溶かす料理人になっていた。




 ---現代---


 千田邸は、誰が見てもため息の出るようなご近所の豪邸だ。

 だが、通い慣れたその門の奥に、魔法の異世界が広がっていることを知る者は少ない。


 そして今――その門の前に立つのは、16歳の少年・鳥内瑠散とりう・ちるちるだった。


「瑠散くん、今日は大事な試練の日よ」


 魔法使いのようなとんがり帽子とローブに身を包んだ千田さんは、踊子としての風格と、おかしみのある優しさを漂わせていた。


 彼女の手元の鍋が、ぽこん、と音を立てた。


「うまく焼けないの、鮭が。だから、異世界で教えてもらいなさい。“焼き鮭の試練”へ行くのよ!」


 門の下で、しっぽを揺らす小型犬が一匹。


 まんまるの目、ちょっと短い足、そしてどこか達観した“オヤジ感”。


「この子が案内役。“オヤジさん”よ。でも本当は……まあ、それは後でのお楽しみ」


 瑠散は眉をひそめた。「オヤジ……さん? しゃべったりします?」


「ワン」と一声。だがその目は、「うん、まあしゃべれないけど察してくれ」とでも言いたげだった。



 異世界“シャケリア”――

 そこにあるのは、神々と魚の香ばしい歴史が眠る、神殿のような調理場。


 ここで、焼き鮭を極めるための三つの試練が待っていた。


 一の試練:火加減の洞窟


 瑠散は手にした木べらを握りしめ、立ちはだかる火の精霊たちに挑んだ。


「火加減……って、心の火加減かよ!」


 怒れば炎は暴れ、ビビれば煙だけ。


 オヤジさんが吠える。「ワン!(心を整えろ!)」


 二の試練:塩風の谷


 風そのものが塩でできているこの谷では、風向きや湿度で味が変わる。瑠散は鼻をひくひく、舌をぺろり。


「これ……魚に合うの?」


「ワン!」オヤジさんが飛び跳ね、葉っぱを一枚運んでくる。そこには“うす塩”と書かれていた。


 三の試練:皮パリ神殿


 最後の難関は、皮パリの極意。パリッと焼けるかどうか、それが世界の命運を左右するという(大げさな設定付き)。


「火が強すぎる……でも弱すぎると……」


 そのときだった。オヤジさんがピタッと火の前に立ち、背中に淡い光を浮かべた。


「とーちゃん……?」


 千田さんのつぶやきが、風に乗って聞こえた。


 その光は形を取り始めた。

 かつて千田さんの夫だった男、“とーちゃん”。十年前、庭での魔法事故で姿を消した器用な植木職人。


「……オレ、帰ってこれたのか?」

「呪いだったんだ、八木節の失敗で……」

 幽かな声が、風のように聞こえた。

「だが……これで、やっと帰れる」


「焼き加減、完璧だったよ」

 瑠散はふっと笑って、焼き立ての鮭を見せた。

 そして、皮は見事にパリッと焼き上がった。

 中はふっくら、脂はじゅわり、香りは天にも届く。


 その焼き鮭の湯気の中から、オヤジさんは人間の姿で戻ってきた。

 皺の寄った笑顔、手には剪定ばさみ――“とーちゃん”は帰ってきたのだ。。


 千田さんは涙ぐみながらも、にっこりわらった。その晩、千田邸では盛大な宴が開かれた。

 焼き鮭は主役となり、精霊たちは酒盛りをし、とーちゃんはツゲの木の剪定を再開した。





 千田邸――ご近所の誰もが「ちょっと立派すぎない?」とひそひそ噂する豪邸。けれどその重厚な門をくぐった者だけが知る、門の向こうに広がる異世界“千田界”の真の姿。


 今日は朝から、庭の剪定バサミが軽快な音を鳴らしていた。戻ってきたばかりのとーちゃんが、植木を整えているのだ。かつて魔法で犬(=オヤジさん)にされていた千田さんの夫である。


 そのとき、門の前に一人の女性が現れた。折茂さん――謎の女性、年齢不詳、笑うと花が咲き、怒ると風が吹くという噂の持ち主。普段は普通の(?)主婦として近所に住んでいるが、その正体は千田界の出身者である。


「やっぱり戻ってたのね、とーちゃんおめでとう」

 彼女はどこからともなく取り出した日傘をくるくる回しながら、ニッコリ笑った。


 とーちゃんは手を止め、バツが悪そうに頭をかいた。「お、おう。なんだかんだで、な」「いやぁ、まあ……犬の頃もけっこう楽しかったけどな」とつぶやいた。


 折茂さんは庭を見回し、ニコリと笑った。


「庭の魔力、まだ不安定ね。……ツタが動くわよ?」


 まさにその瞬間、千田邸の裏手から**どぉん!と不穏な音が鳴った。地面がぐらりと揺れ、異界のツタが地面を割って現れた。

 千田邸の裏手にある、まだ手入れされていない荒れ地から、ぶわっ!と音を立てて、巨大なツタが天へと伸びた。


「またか……!」


 以前、千田界の地脈をいじくり回した精進料理作る団のせいで、異界の草木が暴走し始めていたのだ。

「千田邸の庭は、千田界の一部なのよ」と折茂さんがさらりと説明する。

「ほら、魔力が満ちてきた。千田さん、出番よ」


【八木節魔法、発動!】


 千田さんが庭の中にすっと立つと、空気が変わった。ローブを脱ぎ捨て、手早く着替えたのは――見事な八木節衣装!

 太鼓の音がどこからともなく響き、千田さんの足元に魔法陣が浮かぶ。


「はぁー、やんとーこせーの、どっこいせ!」

「八木節魔法・式一番!“舞踏の刃”!」


 舞うように踊りながら、扇子で空を切るたびに風が生まれ、ツタが次々と斬られていく。


「こっちもやるぞ!」


 とーちゃんの手元で剪定バサミが輝き、地面から一斉に木々が応えるように立ち上がる。枝が剣のように伸び、ツタと真っ向からぶつかりあった。


「植木ってのはな、言葉じゃなくて剪定で語るんだよ!」


「はぁー、それそれそれそれ!」


 千田さんの舞に、とーちゃんの枝剣が呼応する。リズムと魔力が交わり、庭全体が一つの踊る精霊のように。


「奥義! 八木節植木剣舞!」


 爆音と共に、ツタの心臓部が斬り裂かれ、周囲の空気が一気に澄み渡った。


「ふぅ……」

 とーちゃんが額の汗をぬぐうと、庭の木々がざわりと風に揺れた。まるで「おかえり」と言っているかのように。


 折茂さんがぱちぱちと拍手を送る。

「まるでミュージカルみたいでしたね。八木節でツタを倒すなんて、どこの庭芸術祭かしら?」


 千田さんはふっと笑って、ローブからまたお団子を取り出した(どこから出したのかは、やはり誰も聞かなかった)。






 薄曇りの午後、千田邸の庭先で、折茂さんはいつものように白く細やかなレースの日傘をくるくると回していた。


「……ここも、静かになったわねぇ」


 その言葉に、千田さんととーちゃんが顔を見合わせる。三人は、今や平和を取り戻したこの地の**「ちょっと年の離れたマブダチかも知れない三銃士」**。けれど十年前、千田界を揺るがす大戦があったことを、彼らは忘れていなかった。


【回想:千田界大戦、開戦の号砲】


 あれは十年前の春のこと――千田界は、“油揚げ評議会”のクーデターによって分裂寸前だった。


 反乱軍は「焼き文化」を否定し、「全ては蒸しの時代」と主張。その中心にいたのが、黒いフードに包まれた蒸し主義者たちだった。彼らは“味気なきフレーバーレス”と呼ばれた。


 千田界の要所・出汁の泉を制圧されたとき、立ち上がったのが――


 八木節魔法日傘・折茂さん

 八木節魔法の正当継承者・千田さん

 剪定の戦士・とーちゃん


 彼ら三人だった。


 当時の折茂は、今よりもさらにしなやかで、その目には雷のような知恵が宿っていた。

 折茂はそっと日傘を開く。パチンという音と共に、傘の内側に燃えるような文様が浮かび上がった。


「術式・日傘転陣ひがさのてんじん――全火転写!」


 その瞬間、傘の骨から迸ったのは――赤金色の炎。

 空が割れ、火の龍がうねるように天へ舞い上がる。


「焼きの底力、見せてあげるわ!」


 燃え盛る傘が彼女の周囲を巡り、敵軍の鍋蓋を吹き飛ばし、蒸気を炎で浄化していく。


「さあて、出番かねぇ!」

「はぁー、やんとーこせーの、どっこいせ!」

 千田さんは戦場で舞った。八木節のリズムが雷鼓となり、敵の鼓膜を揺らす。一拍ごとに空間がひずみ、敵の蒸し器が爆発した。


 一方とーちゃんは、斬る。枝を操り、ツタを制し、蒸し軍の作る“蒸し野菜の壁”をばっさばっさと切り崩す。


「おれの剪定は、景観整備じゃない。“整えることで戦う”んだよ!」



 三人の連携で、ついに“蒸し魔王・ミストシェフ”を打ち倒した。


 千田界は焼き文化を守り抜き、焼き鮭も、焼きおにぎりも、焼きナスも……無事に人々の食卓へ戻ってきた。


 それから十年。折茂さんは地球に渡り、主婦としての生活を始めた。


 けれど今でも、日傘の内側には炎の印がかすかに輝いている。

 そして彼女は――何もかも知っている目で、そっとつぶやく。


「また来るわよ、“味の無い時代”が……。そのときはまた、私たち三人で戦いましょうね。ね、千田さん、とーちゃん」


 千田さんが笑う。「もちろんよ!」


 とーちゃんが庭の剪定ばさみを肩に乗せ、にやり。「剪定はいつだって本番さ」






【登場キャラ紹介・更新版】


 千田さん

 魔法使い風の可愛いおばちゃん。家そのものが異世界への入り口になっている。鮭にこだわりがある。

 現実世界へ“八木節の風”として訪れる謎の人物。

 常に陽気で、困っている人を見ると強引に踊らせてでも励ます癖がある。彼女に踊らされた人は、なぜかみんな、人生が少しうまくいく。

 若い頃は美少女。八木節魔法の使い手。

 異名:八木節インストラクター/焼き鮭の伝道師


 オヤジさん:千田家の裏庭にいつの間に住み着いた犬

 植木の手入れをしてくれるので、とても有難い。

 実は千田さんの旦那さんのとーちゃんだった。八木節の笛を途中で失敗して犬の姿になっていた。


 折茂おりもさん:謎の女性。千田界の出身で、何でも知っている。現在は地球で普通の(?)主婦をしている。召喚階級は“こんにゃく”→“バジル”→“火の召喚士” 八木節魔法日傘の使い手。

●この物語はフィクションです。

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