2-1 サンティマン・ヴォレ
一三七年前──宇宙から飛来した赤い彗星がある惑星に墜落した。
彗星には異界から来たとされる、とある存在が憑いていた。
それが──悪魔と呼ばれる異形の存在。
全部で七二柱存在する悪魔達は、その惑星に到着したその日の内に、当時魔法技術によって発展していた文明を一掃した。
しかし、現代の世界には、表立って暴れる悪魔はいない。
それは、七二柱の悪魔を一身に引き受けて、自身の肉体に封じ込めた者がいるからだ。
それが、人類で初めての魔女となったルイーナである。
当初、彼女は世界の救世主として讃えられていたが、一七年後──病に侵され亡くなった。
そして、ルイーナの身に封じていた悪魔は、一七年の年月を経て再び世に解き放たれた。
その事実を知っている一部の者は、世界の終わりだと嘆いた。
しかし、封印から開放された悪魔は、以前のように暴れることはなかった。
これは、ルイーナの死による不完全な封印の開放によって、悪魔たちが肉体を失った事に起因している。更にルイーナとの契約で、悪魔たちは自身の行動自体にも制限を受けた。
本来ならば、そんな功績を残したルイーナを人類は称賛するべきだ。
しかし、実際に人類が行ったのは酷い中傷だった。
街に建てられたルイーナの像は破壊され、人類の裏切り者と非難されるようになった。
だが、ルイーナの批判理由は、悪魔を逃した事ではない。
悪魔の存在は文明の崩壊後、新たに建国された国、ルーデンバルクの王家が情報封鎖をした為、知っているのはルイーナ、王家の関係者、また両者に近しい者に限られ、一般人が事実を知ることはなかった。
では、ルイーナが非難される原因とは何だったのか。
それが、魔女の存在だ。
異界の存在の悪魔は肉体を失った事で、異界の地での自己の存在意地が難しくなった。別の世界に生を受けた存在が異界で魂だけの状態で存在を保つのは難しい。
だから、悪魔たちは自らの存続の為に人間と契約をするようになっ悪魔と契約をした者は老化しない肉体と超常的な力──『魔術』を手に入れる。
全ての悪魔と契約を結び全ての魔術を手に入れると、神に匹敵する森羅万象を操る力を得られる。強大な力と引き換えに支払われるのは──契約者の魂。
魂とは肉体へのアクセス権──身体を家に例えるのなら、魂は家の鍵だ。
もちろん鍵を二重三重に掛けている者もいるので、一柱の悪魔と契約したからといって、必ず理性を失うという訳ではない。
しかし、悪魔に肉体への侵入を許した魔女は等しく理性を失う。
ルイーナとの契約により、悪魔たちは人間の肉体を乗っ取り、自分の物にすることは難しい。そもそも、彼らが欲するのは人間の卑小な肉体ではなく、失われた悪魔の肉体だ。
故に魂を回収した悪魔は、魔女の精神をズタズタに破壊し、人を襲わせる。そして、殺害した人間達の魂をかき集め、魔女の胎内を介してこの世界の存在として生まれ直す。
悪魔の目的は、魔女を使ってこの世界に生まれ直すことなのだ。
人間より上位の存在である悪魔が地上に、この世界に生まれ直すのに必要な人間の魂はおおよそ五千とされている。
五千未満の魂を集めて生まれたのが、悪魔の生まれ損ない──魔物だ。
つまり、ルイーナの死後、人類は魔女の脅威と魔物の脅威に晒される事となった。
それがこの世界の現状──レリアを含めた魔女ハンターが戦う相手の正体だ。
そんな真面目で気だるい歴史話をレリアはロベルに対して語った。
魔女ハンターになりたいと言ったロベルに、魔女の正体を教えて踏みとどまらせる為だ。
中には魔女ハンターしか知り得ない国家機密級の情報が大量に含まれていたのだが、ロベルを魔女ハンターにさせない為なら、十分に利があるとレリアは踏んだ。
一方のロベルは、レリアの話を架空の物語を聞くような気軽な様子で聞いていた。
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レリア達がサンティマン・ヴォレにたどり着いたのは、丁度お昼時だった。
サンティマン・ヴォレには、全長四〇メートル程度の巨大な壁がある。
森を出て草原に踏み出した時点で、遠目から見えてはいたが、近くから見上げると、四〇メートルの壁は圧倒的な存在感を放っていた。
魔女や魔物から街を守るために造られたその壁の頂部には、見張り台やバリスタなどが設置されている。
その壁をレリアの隣に立ったロベルは感嘆の息を吐きながら見上げた。
「すごい……こんな壁があれば魔物も魔女は入って来られないですね」
「見かけ上はね。でも実際は、住民に見かけ上の安心感を与える程度の効果しかないよ。実際に侵入されてるしね」
ロベルとは対象的にレリアは冷めた眼差しで、壁を見上げる。
しばらくして、視線を下に戻すと、いつの間にか壁を見上げるのを止めていたロベルがレリアの方を向いていた。
「ところで、討伐予定の魔女ってどんな魔女なんですか?」
「さっき五千人の人間の魂を回収した魔女から悪魔が生まれるって話したと思うけど、その魔女は推定四千人の人間を殺している最悪の魔女」
「よ、四千人⁉」
数字の大きさに困惑したロベルの顔は蒼白に変わった。
「そんなに被害が出ているのに、どうして放置していたんですか?」
「多分、かなりの長期間に渡って少しずつ人を殺していたからバレなかったんだと思う。年に九十人、それを百年続ければ、多分ばれない。魔女は不老だから全然有り得る話。ただ、理性を失った魔女が長期間身を潜めていたというのは、少し不気味」
ロベルは納得した様子で、小さく頷き再び壁の方に視線を向けた。
「その魔女はどうやってこんな壁を乗り越えて中に入ったんですかね?」
「今回の魔女とは関係無く、魔女は空飛んだり、瞬間移動したり、透明化したり、まぁ色々な方法で壁を超えてくるよ。あと、人心掌握して心を操って中に入れてもらうとかもあるね」
「聞いてると本当に恐ろしいですね。魔女って……」
「……世界の見方が変わるでしょ? 聞いて後悔した?」
「いえ、聞いてよかったです」
「そう。でももし忘れたくなったら言ってね。記憶からさっきの話を消してあげる」
「できるんですか?」
驚きで瞳孔を大きくしたロベルの目が、レリアに向けられた。
レリアは自信満々な態度でコクリと頷く。
「当然」
そこまで話してようやくレリアは、巨大な鋼鉄で造られた門扉の前で足を止めた。
「女! そこで止まれ」
同時に門扉の前で警戒していた二人の衛兵が槍を構えてレリアへ向かって叫ぶ。
一歩でも動けば刺し殺すという気迫と怯えの混じった衛兵は、ジリジリとレリアへとにじり寄る。彼らはまるでロベルの存在が見えていないかのように、レリアだけを強く警戒している。
大きな街へ来ると毎度これだ。
女だというだけで、魔女かもという疑念を抱かれ強く警戒されてしまう。
魔女は女性しかなれないとはいえ、魔女には変身魔術を保持した者だっている。女だというだけでここまで警戒されるのは理にかなっていない。
そこにレリアは僅かばかりの不満がある。
しかし、それはレリアだけの話ではない。
この世界に住む女性であれば、一度は男装して街へ入ってやろうかと思った事があるはずだ。
それほどに、女性は街に入る際、警戒されてしまう。
しかし、レリアは男装よりも上等な解決手段を保持していた。
槍を構えた衛兵を前にして、レリアは余裕綽々と服の襟を伸ばし、胸元から金製の星と太陽を想起させる幾何学模様のアクセサリーを取り出した。アクセサリーの中央には、多面体の赤い宝石が埋め込まれており、一目でその圧倒的な迫力に引き込まれる。
「おい! 動くな。女っっっ!」
不要に動いたことで気に触れたのか、激昂気味に一人の衛兵がレリアの首もとへ槍を突き出し、首に当たるか当たらないかのところでピタリと止めた。
長い期間、訓練を重ねたのだろう。槍術は中々の腕だが、レリアは衛兵を意に介さず、アクセサリーを繋ぐレザーチェーンを握り、それを衛兵にはっきり見えるように突き出した。
それを見た衛兵は、石のように数秒間固まって、レリアの首に突き出した槍から手を離し、尻もちをついた。そのまま足を子鹿のようにガタガタと震わせる。
「ひ、ひぃ! ももも、申し訳ございません!」
レリアは尻もちを着いた衛兵に目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「門、開けてくれる?」
「は、はいぃぃ」
衛兵は右手をブルブルと激しく震わせながら、手をピンと上へあげる。
同時に扉が音を立てて開き始めた。
身体検査もされずに扉を開けた衛兵の行動に対して、不思議そうにロベルは首を傾げる。
その様子がレリアの視界の端に映ったが、レリアは説明をせずに立ち上がってロベルの方を向いた。
「それじゃあ行こう」