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5-6 駆除

「やるしかない……か」

 そう言いながらレリアは女帝のカードをタロットケースに収め、ベッドに倒れ込んだ。

 しばらくそうして待っていると、廊下から二つ足音が聞こえてきた。

 すぐにドアが開き、緊張した面持ちのロベルが涙の跡を頬に付けながら中へ入ってくる。その後ろにはシトリもいた。


「何か御用と伺いましたが、どのような御用でしょうか? レリア様」

 レリアへと向けるシトリの眼差しには、邪念の影もない透明な輝きがあった。

 その瞳を見ても、レリアにはシトリが魔女かどうかを見抜く事はできない。

 現時点でもアメリの認識改変は有効ということだ。

 レリアは大きく息を吸って、シトリの瞳を見つめる。

「シトリ。単刀直入に聞くね。……いや、やっぱ辞めた」

「え?」


 ロベルの困惑した声が耳に届く。

 レリアが途中でシトリへの質問を中断したことには理由がある。

 記憶を無くしているシトリに何を聞いても、彼女はきっと分からないと答えるだろう。

 それなら、シトリの悪魔の部分を表に引き出し、全てを聞いたほうが良い。あらゆる秘密の暴露する悪魔シトリの力なら、シトリ自身が覚えていない事柄も答えてくれるはずだ。


「シトリ。一年を対価にするから質問には事実を答えて」

 そう言った瞬間、シトリの瞳から色が消えた。

 そして、シトリは機械的なほどに無感情にコクリと頷く。

「分かりました」

 感情の乗っていない言葉がシトリの口から放たれた。まるで、先ほどとは別人のようだ。


 その一連のやり取りを静かに見守っていたロベルは悲痛な面持ちをする。

 レリアはロベルに同情しながらも、質問を行うことにした。

「あなたは悪魔のシトリで間違いない?」

「はい。その通りです」

「今はどういう状況なの? あなたの状況を教えて?」

「ルイーナ・サージュとの契約の違反によって記憶を失っています。悪魔としての能力は残っていますが、私は意識的にこれを使用する事はできません。誰かに依頼されて、対価を受け取ると自動で発動します」


「あなたは……つまり、メイドとしてのシトリはその事実をどこまで認識しているの? 今会話をしているあなたとメイドのシトリの差は?」

「今は悪魔としての力でレリア様の質問に回答しているだけで、私自身は泡沫(うたかた)の夢だと思いこんでいます。分かりやすくいえば二重人格のようなものです。また、メイドの私はアメリ様から悪魔であると断言されているのでその事実のみを認知しています」


 シトリが、自身は悪魔であると認識していたことにレリアは驚いた。それなら魔女ハンターであるレリアが訪れた際に、それらしい反応があっても良かったはずだ。

 そう思ったが、思い起こしてみれば、時折シトリはレリアから距離を取るような遠慮がちな仕草を見せることは多々あった。

 それなら魔女ハンターであるレリアが訪れた際に、それらしい反応があっても良かったはずだ。


 そう思ったが、振り返ると、シトリは時々、レリアから距離を取るような遠慮がちな態度をとることがしばしばあった。

「人を襲うつもりは?」

「ありません。私は悪魔としての悪性を完全に失っています。人を襲うということは、どちらの私も考えられません」


「……今後あなたの記憶が戻る可能性は?」

「他の悪魔の力を借りれば可能性はあります。ですが、現状ではゼロです」

「アメリのことはどう思ってるの?」

「私が目を覚ました際に前にいてくれたお姉ちゃんのような存在だと思っています。ずっと気を使って面倒を見てくれる優しい方です」

「元のその体の人格はどうしたの?」


「私が身体を乗っ取った際に人格同士が一つに融合してしまいました。ですが、記憶が消滅してしまったので、結果的には、元の人格も一緒に消え去りました」

 レリアは、悪魔と人間の人格が融合しているという事実に驚愕した。同時に、新たな疑問が湧き水のごとく心に溢れ出てくる。

「待って? それじゃああなたが受肉したらその体はどうなるの?」

「それは秘密ではなく、未知の情報なので私にはわかりません。ですが肉体の生命活動は止まると思われます」


 それなら、アメリの努力とは一体何だったのか。あまりにも報われない。

「シトリは自分のことをどう認識しているの? 人間だと思ってる? それとも悪魔だと思ってる?」

「私は自分の事を人間、だと思っています。けれど、この身体を動かす魂は間違いなく悪魔のもの。だから私は世間から忌まれている……忌まれるべき存在だとも思っています」


「それはなぜ?」

 レリアは更に追求するように問う。

 すると、間を置かずにレリアの質問に答えていたシトリの口の動きが止まった。

 そして、レリアから視線を逸し、しばらくパクパクと動かしてから、再びレリアへ視線を戻した。


「私の……この身体の持ち主の人格を取り戻すために、アメリさんは今も手を汚し続けています。そのようなことをさせてしまっていることを、私は申し訳なく思っています。あの人は私のせいで壊れてしまった。……なのに彼女は私に優しく接して、責めるようなことを言いません。だから、私は私という存在を許容できません」

「ん? アメリは今も人を殺しているの? どうして? シトリが受肉したらその肉体は死ぬんでしょ?」


「私がこの身体を乗っ取ってしまったので、アメリさんの目的は中途半端に終わってしまいました。ですので、ハッキリとした達成感も得られず、何十年も続けていた行為をやめられないのです。だから私は、アメリさんが壊れていると言いました」

「そう……最後にもう一つ。もしあなたを殺すと、悪魔としてのあなたの存在はどうなるの?」

「不明です。この肉体に宿っている以上、この肉体の命が尽きるのと同時に悪魔である私も死ぬ可能性はあります」


「……大体分かった。ありがとう。もう元の状態に戻っていいよ」

 シトリはコクリと頷いた。同時にシトリの瞳に生気が戻った。

 シトリを見ていると契約の違反がどれほど重大な罪なのかがよく分かる。

 人間の肉体を乗っ取った影響も多少はあるのだろうが、それでも、その悪魔的な性質は全て削ぎ落とされ、完全に別人を化している。

 そこに元の悪魔シトリの要素は見つけられない。

 悪魔としてのシトリと話すまでは、ただ記憶を削除されただけだと思っていたが、違う。


 間違いなく、悪魔シトリは存在を抹消されていた。今残っているのは絞りカスのようなものだ。レリアから見てもシトリの性質自体は限りなく人間に近い。

 そんな事を考えていると、シトリが不思議そうに首を傾げた。

「……あの、御用はなんでしょうか?」

「え? あ、あぁ」


 思考を中断させられたレリアは、先程までのシトリは泡沫の夢を見ているような状態だったということを思い出した。

 シトリからしてみれば、部屋に呼び出されたのにレリアが黙り込んだまま話さない不思議な状態が展開されていたことになる。

「あなたは、悪魔。そして私は魔女ハンター。……言いたいこと分かるよね?」

「…………はい」


 長い沈黙の後、シトリは静かに頷いた。

 そして目を閉じ、胸の前で祈るように手を重ね合わせる。

「抵抗するつもりはございません。せめて……痛みがないように」

「うん。分かった」


 かつて対峙した魔女にここまでいさぎよく、人を気遣うような優しい心を持った者がいただろうか? しかもそれが、人ですらない悪魔などと笑えない冗談だ。

 だからレリアはシトリに敬意を持って、処分することにした。

 レリアは右手を突き出し、ロベルの方を睨むように見る。


「さっきも言ったけど、ここから先はあまり見せたくない。だから席を外してもらえる?」

「……分かりました」


 ロベルは無念そうに肩を落し、部屋を出ることを拒むようにゆっくりと歩いていく。部屋から出る直前にロベルが耳にしたのは、レリアの魔法を詠唱する声だった。

 それから、一〇分ほどしてドアの隙間から真っ白な光が漏れ出るのをロベルは確認した。


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