5-4 魔女の根拠
しばらくの沈黙の後、ロベルはぽかんと口を開いたまま固まる。だが、レリアの言葉を理解したロベルは、首を激しく横に振った。
「いや……今の話の流れって明らかにアメリさんが魔女って話じゃないんですか?」
「うん。アメリも魔女だと思う。だけど私が今回、討伐を依頼された魔女はシトリ。純粋な意味での魔女とは言えないかもしれない」
「い、意味が分からないです。どういうことですか? ちゃんと説明してください」
少し話しただけで喉の乾きを覚えたレリアは、カップの中に入ったお湯を飲みきってからロベルの方を向いて口を開いた。
「七二柱の悪魔の中には、あらゆる秘密を暴くシトリっていう悪魔がいるの。最初は単なる偶然かなって思ったんだけど、多分シトリってそのシトリだと思う」
初めてシトリの名前を聞いた時、引っかかりを覚えなかった訳では無い。
だが、悪魔が魔女の精神を完全に乗っ取り、自らの名を名乗りながら人間の街でひそかに暮らすという前例が存在していなかった為、レリアは深く考えることがなかった。
「悪魔は五千の魂を喰らうと受肉し、魔女の胎内からこの世界に誕生すると言われている。だけど今回は、本人の意思によるのか、それとも別の要因で悪魔の人格が人間の肉体を乗っ取った」
「ですけど、悪魔は人間に危害を加えられないはずですよね。完全に意識を乗っ取ってしまったらそれは危害と判定されるんじゃないですか?」
「そうだね。肉体の乗っ取りは直接的な危害と判定される。だから、他の悪魔たちはこういう行為を避ける。だから、契約を破ったシトリは、契約違反のペナルティーを受けた」
「ペナルティー……ですか? 確かストラスは消滅するとか言ってましたけど……」
「うん。創造主に対して誓いを立てて行われる契約は絶対遵守。それは悪魔側にも人間側にも適応される。違反すれば最悪存在が抹消される。契約っていうのはそれくらい重いものなの」
『存在の消失』というのを想像したのか、ロベルはブルリと身体を震わせた。それでもロベルの興味は絶えないらしく、震えが収まるや否やロベルはすぐに口を開く。
「だったら、どうしてシトリさんは存在しているんですか?」
「罰にも程度があるでしょ? 今回は命を奪った訳じゃないから、ペナルティーが軽い。だけど、確実に存在は消滅した。この現象の正体がロベルには分かる?」
ロベルは顎に手を当て、考え込むように唸った。
しばらくそうして、ロベルはぱっと顔をあげた。彼は自ら導き出した結論に驚愕し、ロベルの顔色はみるみるうちに青ざめていった。
そして、一音一音を丁寧に、言葉に重みを込めてこう言った。
「記憶喪失……ですか?」
それに対して、レリアも重々しく頷く。
「そうだね。シトリには過去の記憶がない。シトリが記憶障害なのは契約違反の罰を受けたからだよ。記憶の消去もある意味では存在の消滅でしょ?」
「そ、それなら放置でいいんじゃ……記憶がないなら人に危害は加えないと思いますし」
レリアは首を横に振る。
「悪魔を実際に見たでしょ? 今は記憶がないけれど、いずれ記憶を取り戻すかも知れない。それだけで、放置しておくにはリスクとしては高すぎる」
「レリアさんは、シトリさんがあの性格で四千人も人を殺したっていうんですか?」
ロベルは憤りを込めて声を荒げた。
それに対して、レリアは首を横に振る。
「思ってないよ」
レリアがあっさりと、首を横に振ると、言葉の行場を失ったかのようにロベルは口をパクパクとさせる。その隙にレリアは説明を続けることにした。
「私の推測では、四千人を殺したのはアメリ。シトリはアメリが回収した魂を受け取らされていただけだと思う。この推論ならロベルも少しは受け入れやすい話じゃない?」
「それは……まぁ。でもそんな素っ頓狂な話、いきなり受け入れられません」
ロベルが不服そうに眉をひそめると、レリアは反論するかのように五本の指を立てて見せた。
「根拠は五つある。聞きたい?」
「それは……まぁ」
不安そうなロベルに向かって、レリアは話を続ける意志を示すかのように一本の指を折った。
「一つ。魔女ミアを連れ出すという名目で私を呼び出したにも関わらず、アメリは姿を見せなかった。そして、ミアは武器を所有していた。ミアは回復魔術しかなかったから、アメリに危害を加えて武器を奪って逃げたとは考えづらい」
「確かに……あのシスターは身のこなしとか、剣の振り方が初心者そのものでした。剣術の達人のアメリさんを出し抜いたとは思えませんね」
レリアは小さく頷き、指を更に一本折る。
「二つ。騎士団長のフーレとの会話から、アメリが定期的に街を離れ、重症を追って街に戻ってくるという話があったの。団長のアメリが副団長のフーレにも話さずに外に出る理由ってなんだろう?」
「それは……魔物を狩っていたとか?」
「その可能性もある。でも、そういう行動は半年前にピッタリ止まったらしいの。半年前……何かあったよね?」
「俺の村で聞こえていた化け物の声が消えた時期ですね」
「うん。そして、サンティマン・ヴォレで魔女ハンターが死んだのも同じ時期。ここの推察は前にも話したから割愛するけど、この推察とアメリの行動は全く矛盾しない」
ロベルを追い詰めるようにレリアは三本目の指を折る。
そして、ロベルの瞳を覗き込んでレリアは言う。
「最初にロベルに聞いたよね。剣術を習得した時の記憶はあるかって」
小さく頷いたロベルを見てレリアは、ベッドに座り直して姿勢を整える。
「三つ目。ロベルに対する魔術の使用」
「は?」
「気が付かなかった? ロベルの剣術……それは、魔術で付与されたものだよ。大体、剣術は数時間くらい練習しただけでは上達するような技術じゃない。私がロベルの記憶を消そうとガープって悪魔を呼んだのを覚えている?」
「は、はい。覚えています」
「あの悪魔は略奪という力を持っている。この力を使用すると、他者の経験や感情みたいな認知機能を奪うことができる。そして奪った認知機能の一部を他者へ植え付ける事ができるの」
「植え付けると……どうなるんですか?」
「例えば、怒っている人に喜びの感情を付与すると、その人は怒りを喜びだと知覚するようになる。だからこれを上手く使えば簡単に人を洗脳できる。経験の場合はそのまま、植え付けられた経験──技術を使用できるようになる。ロベルの場合は剣術だね。アメリはロベルを気絶させて、ロベルの魔術の無効化を解除した上で、その上から魔術を掛けたんだと思う」
ロベルは、自分の手のひらを見つめる。その手は、怒りか恐怖か分からない震えで振動していた。
「ち、ちなみに……奪われた方はどうなるんですか?」
「感情を奪われると、その感情を知覚できなくなる。例えば、喜びなら、奪われた人は一生喜びを享受できない。経験の方も同じ。今まで身につけた経験が無くなってしまう」
「つ、つまり……俺はアメリさんにその魔術を使用されたから剣術ができるようになったと。そして、その技術は元々別の誰かのもの……」
レリアは事実を突きつけるように深く頷いた。
「そ、そんな。俺は、他人から奪ったもので強くなったなんて勘違いしていたんだ。俺は……何も変わってなかった──」
ロベルは拳を強く握りしめ、彼の掌から血が滲んだ。
レリアはロベルの強く握りしめた拳に手を重ね、優しく彼の指を解きほぐす。そして、彼の拳がゆっくりと開かせた。
「ロベルが自分を責める必要はないよ。魔術の使用の責任は、魔女に求められるべきだから」
「で、でも……」
「私はロベルに助けられた。ロベルがいなければ、私は取り返しのつかない事になっていた。確かに、ロベルがその力を手に入れたきっかけは人に自慢できるものじゃない。でも、力の使い方は選べる。もしロベルが罪悪感を覚えてしまうなら、その力を人のために使って」
レリアが優しくそう語っている間に、ロベルの手に入っていた力は抜けていた。
それを確認して、レリアはロベルの手を離し、赤らんだ顔を隠すように小さく咳払いをする。
「話を戻して四つ目、アメリの妨害。私はアメリに度重なる妨害を受けていた。例えば、私が初めてシトリに会った時、私は彼女を魔女と見抜いていた。だけど、魔女探しで街を巡回し、たまたま近くにいたアメリに認識を改変された」
アメリ達に教会付近でマギクリスタルが反応したという報告を受けた時、フーレは西地区を回って、教会を通り東地区へ向かったと言っていた。
つまり、レリアがシトリに違和感を覚えた時に、アメリはレリアの近くにいた事になる。
あの日、一瞬だけシトリに違和感を覚えたのは、レリアの気の所為ではなかったのだ。
「そして、私の記憶喪失。私の推論の最後の根拠として語るつもりだけど、記憶喪失の間に得た情報は、シトリを魔女と結びつけるには十分な情報だった。だから、この家に来たアメリによって私の記憶は消された」
「レリアさんの記憶喪失は飲酒のせいじゃないと?」
「うん。お酒を飲み始めた直後から完全に記憶がないのがおかしかったからね」
そう言ってレリアは最後の指を折る。
「最後の根拠はシトリの昔話。私がお酒を飲んで倒れた日、シトリが昔の話を語っていたよね。私の記憶違いじゃなければ、シトリは地下で目を覚ましたって言ってたはず」
「そうですね。確か犯罪集団に捕まったとか言っていました」
「うん。でもシトリの話にはそれ以降、犯罪集団の話は出てこなかったよね。そこが犯罪集団の拠点なら一人くらい犯罪者がシトリの前に顔を見せても良いはず。でもシトリの話には、犯罪者の姿は無かった。つまり、それはアメリの嘘」
「だったらどうしてシトリさんは地下室に閉じ込められていたんですか?」
「ロベルの村で聞こえていた化け物の声も地下倉庫から聞こえたという話があったよね。私はロベルの村の地下倉庫にいた化け物こそが、シトリなんじゃないかって思う。正確には悪魔のシトリによって人格を破壊され、理性を失った少女の唸り声かな」
魔女へと変わり果て理性を失った少女が、たとえ喉が潰れようとも構わずに放つ絶叫は、村の住人にとってまさに化け物の声に他ならないだろう。
「それに一度助けに入ったアメリが二週間もシトリを地下室に閉じ込めていたというのも疑問。そこが危険地帯ならさっさと逃がせばいい。なのに助け出すこともせず、そこで外の世界の常識を教えていた。……随分とおかしな話じゃない?」
「確かに……じゃあシトリさんの話に出てきた魔物はどう説明するんですか? たしか、犯罪集団が逃がした魔物にシトリさんは襲われていましたよね」
「それは単純に村の近くにいた野良の魔物でしょ。ロベルの村は田舎村で近くに魔物がいることなんて珍しくもないはず」
レリアの話を聞いたロベルは顎に手を当てて考え込むような仕草を見せる。
「シトリさんの話に光の瓶が出てきたと思うんですけど、それってもしかして……?」
「それは人の魂だね。私の推論通りならアメリはシトリに人間の魂を受け渡していた。それを接種したなら悪魔のシトリの体調が良くなったということにも納得がいく」




