1-2 契約
「私の能力については信じなくてもいいけど、村を襲った魔女の正体は──君の母親だよ」
レリアが青少年の瞳を覗き込んだ瞬間、イニシウム村で駆除した魔女と同じ顔をした女性の姿がレリアの脳裏を過った。
つまり、駆除した魔女と青少年の間に血縁関係があることは確定した。
それに、もう一つ。レリアの観察眼以外の状況証拠ならある。
今宵、青少年の身に起きた不思議な現象は、彼が魔女の子供でないと説明ができない。
だからレリアは断言するように、青少年にそう言ったのだ。
「──やっぱり、そう……ですよね」
レリアの言葉を聞いた青少年はそう言って肩を落し、顔を伏せて小さく息を吐いた。
顔を伏せたその様子からは、彼の感情は読み取れない。
母が魔女だった事に驚いているのか、母が死んだ事に悲しんでいるのか、母が村人を惨たらしく殺した事を嘆いているのか、それとも──レリアを恨んでいるのか……。
しかし、再び顔を上げた青少年の表情にはレリアに対する怒りの感情は無かった。むしろ申し訳無さそうにレリアから視線を逸らす青少年にレリアは違和感を覚えた。
「怒らないの? 仮にも君の母を殺してしまったのは私なのに」
「怒れません。あなたが仕事で魔女を殺したことも、あなたに命を救われたことも理解しています。これであなたに怒ってしまったら、それはただの八つ当たりです。……ですが、どうして母が魔女になったのか知りたいです。人っていきなり魔女になるものなんですか?」
どうやら青少年は自分の母親が今日魔女になったと、勘違いしてしまったようだ。
レリアは静かに首を横に振る。
「君の母親は、君が生まれる前から魔女だったよ。多くの魔女が理性を失う中、君の母親は理性を保ち続け、母親として、人として生きてきたみたいだね」
「どういうことです? なんで分かるんですか? 俺達初対面ですよね? 母のことは知っていたとか?」
青少年の怒涛の質問攻めにレリアは苦笑しつつ、小さく首を横に振る。
次にレリアが放った言葉は、青少年にとって認めたくない真実だった。
「君の身体には魔女の力が混じっているんだよ」
「は? い、今なんて?」
「君の身体には魔女の力が宿っていると言ったんだよ。そうじゃなければ、既に君はこの世にはいない。魔女に襲われた時、耳元で何かを囁かれたのは覚えている?」
青少年は顔を青ざめさせて頷く。僅かに身体を後ろに倒し、レリアから離れようとしているのは、先にレリアが魔女ハンターだと名乗ったからだろう。
「不気味な声で何かを囁かれた気がします」
「うん。あれは不気味な声じゃなくて、『死の呪い』と呼ばれる呪いだよ。聞けばおぞましい物を幻視し、発狂しながら死んでいく。私は魔女ハンターなんてやっているからろくな死に方はしないと思っているけど、死の呪いを受けて死ぬことだけは嫌だと思うほどに酷い呪いだよ」
青少年はそんな呪いを受けたことに絶句し、震えた自分の手を見つめる。恐怖があまりにも強すぎて、顔から血の気が引いているのか、彼の顔色は蒼白としていた。
「お、俺は死ぬんですか? 魔女ハンターでも嫌だという死に方で?」
「いや、死なないよ。死の呪いは即効性があるから。今生きてるなら君には死の呪いが効かなかったということになる。だからこそ、君は魔女の力を継承していると言える」
「どういうことですか? 魔女には死の呪いが効かないってことですか?」
「ううん。そういうことじゃない。魔女同士でも死の呪いを聞けば普通に死んじゃう」
「なら、どうして──」
青少年が質問を繰り返し本題に移れない為、レリアは彼の質問を制止させるために手を前に突き出した。青少年はレリアの意図を理解して口を閉ざす。
「とりあえず名前を聞かせてもらっても良い? 君をなんと呼べばいいかさっきから分からなくて話しづらい」
「あ、すみません。ロベルといいます。姓はありません」
「ありがとう、ロベル。私はレリア・サージュという。レリアと呼んで欲しい。……それでちょっと話は変わるけど、君は魔法を使えるの?」
レリアは青少年の質問に答えることはせずに、今後のロベルの今度の身の振り方について知るためにそう聞いた。
魔法。
それは、この世界に元々存在している神の使いである『精霊』と呼ばれる六柱の超自然的な存在が、人間に授ける超常現象を引き起こす術の総称だ。
精霊には、火、水、風、土、雷、光を司る六柱の精霊が存在しており、それぞれ契約した精霊に対応した魔法を使用することができる。
精霊に気に入られるには特異な才能が必要で、一柱の精霊に気に入られる事自体が奇跡と呼べる。六柱全ての精霊と契約する人間は世界広しといえど、一人か二人程度。
過去に存在していた人物で六柱全ての精霊と契約できたのは、滅びの魔女と呼ばれる一三七年前に出没した魔女の始祖ルイーナだけだ。
「才能があるかも分からないです。前に試そうとしたんですけど、やり方が分からなくて」
「じゃあ試してみよう。普段ならこんな事はしないけど、今日は特別ね」
家族も知人も失ったロベルは、これから過酷な道を歩むことになるだろう。その一助になればとレリアは思い、腰に装備していたタロットケースを取り出した。ケースの中には全部で七八枚のカードが入っており、レリアはその中から六枚のタロットカードを選び出す。
ロベルはレリアの手にしたタロットカードを見て怪訝そうに眉を寄せた。
「それは?」
「私が強力な魔法を放つ為に使用する道具だね。このカードに精霊の本体とも呼べる核が封印されているの」
レリアは自慢げにタロットカードをピラピラと揺らし、ロベルに見せびらかす。その際、ロベルのレリアを見つめる顔が軽蔑するような眼差しに変わった。それに気が付いたレリアは、慌てて両手を振って否定のジェスチャーをする。
田舎では世界を創ったとされる神である創造主より、日々の生活に密着している精霊の方が信仰される場合もある。どうやらロベルの態度から察するに彼も精霊信仰をしているらしい。
「封印って言っても無理やり封印した訳じゃないよ。ちゃんと創造主に誓いを立てているから」
「本当に?」
「本当だよ。私は幼い頃から精霊と契約しているの。だけど、それじゃあ魔女狩りをするには力不足だったから、より強力な契約を結んだんだよ」
契約とは、創造主に対して誓いを立てる儀式だ。契約を結ぶ両者が創造主に対して契約内容を宣誓することで、それは不可侵の約束へと昇華される。
仮に契約を被ってしまえば、破った者には相応の罰が課される事になる。
一番重い罪は──存在の消滅。
そのため、人間同士での契約を行う場合は、罰の内容を契約と同時に宣誓する事が多い。そうすることで存在の消滅という罰を回避できる。
罰の内容を明記しなかったがために、周りの人間から忘却されるという事態に陥った者もいるらしく、遊び半分で契約を行う事は禁じられている。
より強固な契約を交わしたということは、つまり、お互いにとってよりリスクの高い契約を結んだということであり、それらは精霊との信頼関係がなければ成立しない。
人間同士の間では相手を信頼するために契約を結ぶと言う側面もあるが、精霊と人間の間では信頼しているからこそ契約を結ぶという、真逆とも取れる関係性が構築されている。
故にレリアは自信を持ってこう言った。
「精霊とは親友みたいなものだよ。人間よりも……ずっと信用できる」
レリアの表情に一瞬、暗い影が差したが、レリアはすぐにそれを振り払い、あはは、と誤魔化すように笑った。それを見たロベルの怪訝そうな顔は一層深まる。
そんなロベルの顔を見て、焦ったレリアは脱線してしまった話を戻すために小さく咳払いをした。
「ともかく! 君の魔法の才能を確かめるにはこのタロットカードが必要なの」
レリアは、ロベルに向かって六枚のタロットカードを身体の前へ突き出した。
「はぁ……でもどうしてカードが六枚あるんですか?」
「どうしてって……私が六柱の精霊全部と契約してるからだよ?」
「え? ……もしかしてレリアさんって有名人だったりしますか?」
「う~ん。まぁまぁかな」
謙遜して言ったレリアは、ロベルから視線をそらして頬をかいた。
実のところ、レリアは王都で魔女の始祖ルイーナ以降の『人類』としては初の六柱契約者として有名だ。そのため、一部では「最強の魔女ハンターはレリア・サージュだ」との噂もある。
しかし、これらは他の者が勝手に主張しているだけで、レリア自身が認めた訳ではないし、実際に魔女ハンター同士で戦って実力を確かめた訳でも無い。
「と・に・か・く! 今は君の話」
レリアはこれ以上この話を深堀りされるのが嫌で、少しだけ声を大きくした。
「それじゃあ始めるよ。君のことを気に入る精霊がいれば、カードが私の手を飛び出して君の身体の周囲を回り始める」
そう言いながらレリアは六枚のタロットカードをロベルへ押し付けるように突き出した。
数秒待つ──何も起こらない。
「あ~~……」
タロットカードが何の反応も示さない為、レリアは気まずくなって取り敢えず声を漏らした。
これだけ待ってもタロットが反応しないということは、ロベルには精霊に気に入られる才能はない。
レリアはそう判断し手を引こうとした。
その直後、突如としてレリアの手から爆発するような勢いで一枚のタロットカードが飛び出した。
「えっ⁉」
レリアが息を呑むと同時に、火の精霊を宿した太陽のイラストが描かれたタロットカードは、勢いよくロベルの腹部を目掛けて飛んだ。
「ごふっ!」
カードに突撃されてロベルはぶっ飛び、彼はそのまま地面で数回転した。
横たわるロベルは苦しそうに腹部を抑えるが、タロットカードは彼の手の上から腹部へ向かってグイグイと飛び込んでいく。
これだけ見ると嫌われているようにも見えるが、おそらくかなり好かれている。
レリアが感心してロベルの様子を見ていると、突如レリアの瞳に赤色の光が反射した。
それはタロットカードから放たれた光で、瞬く間にそれはロベルの身体へと吸収されてしまった。
残ったタロットカードは、宙を舞ってレリアの手元へと戻ってくる。
レリアはそれをタロットケースへとしまい込み、カードにふっとばされて地面に横たわるロベルを見下ろした。
「どう? 精霊と契約した感想は」
「暴力的でした……」
「随分と好かれていたみたいだね」
「好かれていたって……嫌われた──の間違いじゃ?」
「ううん。逆に死ぬほど好かれてると思うよ」
「そうなんですか?」
ロベルの問いにレリアは頷き、ロベルへと手を伸ばす。彼は少し躊躇しながらレリアの手を掴んだので、レリアはロベルの手を強く握り返して彼を起き上がらせた。
「それじゃあ実際に魔法を……」
そこまで言ってレリアは唐突に強い眠気を感じ、口元を抑えて欠伸をした。
空を見上げれば月は頭上高くに登っており、既に深夜と呼べる時間になっている。
普段のレリアならとっくの前に眠りについている時間だ。
「とりあえず今日は寝ようか、詳しいことは明日」
レリアは報告書を丸めて詰め込んだバッグを枕にして地面に寝転び、おやすみとも言わずロベルに背を向ける。
土の上で寝ているので若干不快感はあるが、その辺りは長い旅の中で慣れてしまった。強いて不満点を言えば、上に羽織る物が欲しい事くらいだろうか。
とは言え、そんな物を羽織っていると襲撃を受けた際に咄嗟の反応ができないので、羽織るものは不要だとも思ってしまう。
もちろんロベルが急に襲ってくるとは思っていない。彼は現在、今まで一緒に暮らしていた家族や友人を失い、母親が魔女だと判明したばかりだ。傷心中の彼が襲ってくるとは思えない。仮に思っていてもレリアなら撃退できるので何ら問題はない。
ふと、そんな事を考えていたレリアは、ロベルの行動を思い出し、彼に違和感を抱いた。
彼は今日、家族や知り合いを魔女によって無惨に殺された。
しかも、その犯人が母親だったと判明したばかりだ。
それなのに、彼は──どこか落ち着いている。まるで、今日起きた出来事を忘れてしまったかのように。
なぜ彼は取り乱しもせず、私と冷静に会話をしていたのだろう。
そんな思考が、彼に対して僅かな恐怖心を芽生えさせるが、睡魔に侵された思考は徐々にぼやけていき、消えていった。